第9話 二度目の高校生活
「ねえねえ、前はどこの学校に通ってたの?」
「黒澤さんの従兄妹なんだろ? 大人しいあいつと違って、けっこうワイルドな髪型なんだな?」
「黒澤さんとおんなじ銀髪だぁ。男子なのに、サラサラでキレイ……」
「チクショー! 黒澤さん家に同居してんだろ? マジうらやましすぎる!」
「Zwich持ってる? ゾンハンやろうぜ、ゾンビハンター!」
転校生にはどこの学校でも見られる恒例イベントであろうクラスの生徒たちの質問攻めを、よもやこの歳になって経験する事になるとは思いもしなかった。
俺はぎこちない愛想笑いで質問に答えつつ、心の中でため息をつく。今さらだが、昨夜の姉との会話を思い出して頭を痛くなるばかりだ――。
○
『――はあ? 俺が白鐘と同じ学校に通う!?』
姉貴が告げた生活費の工面への条件に、俺は理解が追いつかずに首をかしげる。
『そうだ。白鐘ちゃんと同じ学校、同じクラスに通う。そう難しい条件ではあるまい?』
『いやいや、難しいうんぬんの話じゃねえだろ? たしかに、見た目は高校生の姿に戻りはしたけどよ、中身は四十代のオッサンなんだぞ? 俺の半分も生きてねえ若者たちに混じってまた高校生活をやり直すとか、恥ずかしいにも程がある』
『何を恥ずかしがる必要があるのだ? 昨今、高校生の名探偵が小学生の姿に戻って学校に通える時代だぞ? 四十代の中年が高校生になったとて、別段おかしなことでもあるまい?』
『それは漫画の中での話だろうが! だいたい転入するにしたって、手続きとか転入試験とかあるだろ? そんな簡単に転入なんて出来るわけが――』
俺の言葉が終わるのを待たず、姉貴はスマホを取り出してどこかに連絡を入れる。二、三言葉を交わして電話を切ると、こちらに向けて笑顔で親指を立てた。
『転入試験免除になったぞ。大まかな手続きも私でなんとかするから、明日から学校に行ける。制服も明日届くから安心だ』
あまりに突拍子もない姉貴の言葉に、思わず口があんぐりとしてしまった。
『……何をしたんだよ、姉貴?』
『ふふ、工作員って仕事はね、面白いとこにコネができるものなのだよ』
すげー。ある意味魔法使いよりもとんでもねえな、工作員。
姉貴の仕事については前々から知ってはいたが、ここまでとんでもなく出鱈目な事をしてくれると、もはや本当にスパイ映画の世界の住人なのではないかと疑わしくなってくる。
『……だけど、なんでまたそんなのが条件になるんだ? 俺が学校に通ったところで、姉貴にメリットなんて何もないだろ?』
『それは……面白そうだからに決まっているだろ!』
『おい』
『冗談だ――――半分は』
『半分は本気かよ⁉︎』
姉貴は心底楽しげに笑い出す。俺をからかうのが好きなのも、どうやら昔と変わっていないようだった。
『もう半分はそうだな……やはりお前には、あのころとは別の高校生活を歩んでほしい――といったところだろうか……』
そう語る姉の表情からは、すでに冗談の色は消えていた。
『……姉貴』
『……あの頃のお前を否定するわけではないが、どうせなら一般的な――なんでもないような普通の高校生としての青春を過ごしてほしい。ずるいことを言ってしまうが、これはあの頃のお前を助けられなかった、私の贖罪でもあるんだ』
『罪滅ぼしって……姉貴が何かしたわけでもねえじゃねえか』
『何もしなかったからだ――。余計なお世話だというのはわかっているのだが、どうせならあの頃のお前とは違う高校生になってみないか?』
『っ……』
たしかに、本来の高校時代の俺は、普通の高校生とは違う青春を過ごしてきた。決してその頃の事を後悔はしていない。しかし、普通の高校生に憧れていなかったと言ったらそれは嘘になってしまう。
「……はぁ……わかったよ、姉貴」
俺はため息をつきながらも、無償で金銭面の面倒を見てくれるという負い目もあって、姉貴に向けて了承の意を込めてうなずいたのだった。
『でも、名前はどうすんだよ? 同じクラスの女子生徒の父親と同姓同名ってわけにもいかねえだろ?』
『……そうだな。髪色にしても、白鐘ちゃんとは完全に他人だとごまかすのも難しいだろう』
しばらく二人して考えこむ。
少ししてアイデアが思い浮かんだのか、姉貴がポンッと手を叩いた。
『ではお前は――白鐘ちゃんの従兄妹であり、両親の海外出張が決まって、日本から離れたくないためにこの家のお世話になる事になった。そのついでに、従兄妹の白鐘ちゃんと同じ学校に転校してきた――という設定でどうだ? 偽名はそうだなぁ……三郎なんてどうだろうか?』
怪訝な視線を姉貴にロックオン。
『……三男でもないのに、なぜ三郎?』
『いいじゃないか? こう、渋さと愛嬌がバランスよく混ざったような――』
『姉貴、好きな演歌歌手は?』
『そりゃあ、もちろんサブち――』
『却下』
『えー⁉︎ どうしてぇ?』
涙目で抗議する姉貴にため一つ。
時代劇や演歌など、姉貴が渋いもの好きなのは知っていたが、そのまま偽名に使おうとするか普通? そういや、姉貴の娘が生まれた時も名前決めでそうとう喧嘩したって、義兄さんが愚痴ってたっけな。
『へいへーい、じゃあもう三郎の次で、四郎とかでいいんじゃないですかー?』
『うーわ、年甲斐もなく拗ねやがったよ、この姉さん』
とは言ったものの、俺自身ネーミングセンスがある方ではない。しばし悩んだものの、仕方なく俺は黒澤四郎を名乗る事に決めたのだった。
○
――とまあ、このような経緯があったわけだ。
しかし、社会生活に長年浸かっていると、一度味わったはずの学校という空気もなかなかに慣れないものだな。
「ほうほう……やはり黒澤家のスペックはなかなかに高いですなぁ……!」
いつの間にか俺の周りにいたクラスメートたちを押し退けて、娘の幼馴染である天川進ちゃんが席の横に立っていた。数少ない面識のある女の子の顔を見て、少し緊張がやわらいだ――向こうからしたら、俺のことは初対面であると思うと少し複雑だが……。
「ちくしょー、こんなカッコいい従兄妹がいるんだったら紹介しやがれよ、しろがね~」
娘を呼びかける彼女に釣られて背後を振り向くと、一つ後ろの席に座っていた娘と一瞬目が合ったが、すぐにプイっと顔を横に逸らされてしまった。
どうやらかなりイラついているご様子だ。……それも当たり前か。若返った父親が突然クラスメートになるっていうんだから、気分が優れるはずもないだろう。
学校は子供が親の監視から離れられる数少ない場所。そこに親である俺と一緒に過ごしてしまう事になるんだから、当の娘からしたらたまったもんじゃないはずだ。逆の立場になっていたら、俺だってこの状況にストレスで爆発しかねない。
「ありりー? さっそく倦怠期ですかな?」
「誰が倦怠期だ!」
「誰が倦怠期よ!」
俺と白鐘の声がほぼ同時に重なり、クラスが一瞬静寂に支配される。二人して恥ずかしくなってしまい、顔を赤らめ背けてしまう。
「あらら、もしかして意外とガチ? こりゃあ、おじさんに報告しないといけないかにゃー?」
「何言ってんだよ? 報告も何も、今目の前に――」
言いかけたところであわてて自分の口をふさぐ。今の俺は白鐘の父である黒澤諏方ではなく、彼女の従兄妹である黒澤四郎なのだ。うっかり素を出せば、大変な事になりかねない。
「白鐘とは……小さい頃に会って以来だから、彼女のことはまだよく知らないんだ」
笑顔でなんとかごまかす。
「あらま? アタシとしては、従兄妹同士の禁断の恋的なものを想像したんだけどねぇ」
「……一応、従兄妹同士は結婚できるぞ?」
「えっ、マジ?」
「素で知らなかったのかよ」
「そっか。ならもう結婚するしかないね」
「気が早いわ!」
俺の鋭いツッコミに、進ちゃんは感心したような表情を見せる。俺も彼女とはけっこう長い付き合いになるので、黒澤諏方の頃からこのようなやり取りも少なくはなかった。
「予想以上に面白いわね、あんた。……ふふ、気に入った。アタシは天川進、白鐘の一番の親友。今後ともよろしくね?」
「よ、よろしく……」
握手を交わす。彼女の高いテンションが学校でも変わっていない事に安心感を覚えると同時に、今の彼女が見せる笑顔が黒澤諏方にではなく、黒澤四郎に向けられた事への寂しさも感じられた。
「――フフ、本当に白鐘さんの従兄妹なんだね? 彼女と同じで、銀色の長い髪がとてもキレイだ」
「っ――!?」
そう言いながら目の前に現れたのは、昨日俺の家にまで白鐘を迎えに来た少年だった。彼は昨日と同じ、さわやかな笑みを浮かべて俺に手を差し出す。
「僕は加賀宮祐一。よろしければ、仲良くしよう?」
クラスの女子たちが、羨望の眼差しで彼を見つめていた。進ちゃんの言う通り、クラスでもなかなかに高い人気があるようだ。さすがは大企業のイケメン御曹司といったところか。
「うん……よろしく」
俺は差し出された加賀宮の手を握る。彼はまるで仮面をかけているかのように表情を崩さず、俺の手を強く握り返した。
そこでチャイムが鳴り、周りにいた生徒たちも各々の席に戻る。ようやく人の輪から解放され、ふぅ……っとリラックスの吐息が漏れ出した。
「――ッッ⁉︎」
――っと、背後から再び突き刺すような視線を感じた。
「――あんまり目立つことはしないでね、従兄妹のシ・ロ・ウ・くん」
――背中へと投げかけられた、深淵よりも深い闇から発せられたような小さな声に、思わず背筋が恐怖でゾクっと震えた。
振り返ったら殺されかねないほどの殺気を背後から浴びながら、早く先生に来てほしいと、俺は情けなくも心の中で祈っていたのだった……。