迷宮、追い詰められて
迷宮。
この単語から連想されるのはやはり入り組んだ通路や部屋、致死性の罠さえ存在する複雑な仕掛け、想像を絶する恐ろしい怪物、そして輝かしい金銀財宝の山……そんなところだろうか。
二十一世紀の現代に置いては純粋に複雑だったり難解だったりする物の例えとしても使われている単語でもある。ラストダンジョンともいわれる某駅とかな。
さて、ここで少し考えてみよう。これらの迷宮に関するイメージを作ったのはなんだろうか、と。
ギリシャ神話のミノタウロス退治? 確かにそうだろう。クレタ島のクノッソス迷宮が舞台であるとされるミノタウロス退治の神話は有名だ。難解な迷宮を踏破し、恐ろしい怪物を倒し、糸を辿って生還する……なるほど、実に英雄的で万人受けする話だろう。例え元ネタの迷宮が一本道だという説が有っても、生還後の話がハッピーエンドでなくとも、そんなのは些細な事だと一笑できる程度には。
そう、迷宮が複雑で恐ろしい場所だというイメージがつくには充分な理由になる話だ。
だがしかし、俺はそれだけではないと思う。
遥か古の時代の神話が原点なのは間違いない。だが現代においてはそれ以外の概念や思念が加わっているはずだ。
例えばゲーム。古今東西、それこそ古きTRPGから最新のゲームに至るまでの様々な遊戯。その中でも迷宮、つまりはダンジョンを扱った作品達。彼らもまた、迷宮が複雑で恐ろしい場所だというイメージを定着させるのに一役買った存在なのは否定しようのない事実だろう。特にダンジョンの金銀財宝の下りは彼らが原点でもおかしくはない。なんなら彼らがいなければ迷宮という単語そのものが廃れ、死語となっていた可能性まである。
さて、さてさて。迷宮という物の原点足り得るだろう物を取り敢えず二つを上げた訳だが、ここで俺自身がどこに居るか……いや、どちらに居るかを答えてみよう。
「やっぱりゲームの方、だろうな。それも難易度高めな奴」
上下四方を土壁で囲まれた、しかしコケらしき何かがあちこちで微かに発光しているおかげで光源━━ボロい白熱電球以下、白熱豆電球以上の光量━━には困らない部屋の中央。そこで俺はあぐらをかきながらボンヤリと呟く。
現実逃避にも似た思考と言葉。このまま回想にでも入ってやろうと脳ミソがストライキをかまそうとするが、ズキリと折れた左腕が痛んだ。
「ッ━━あぁ、クソッタレだ」
痛んだのは一瞬。今は嫌に熱く感じる熱を発するに戻った左腕を気遣いながら、泣き叫びたくなる衝動を悪態に込めて吐き出す。最悪だと。
その次の瞬間だ。
ガヅン、と。背後で凄まじい音がした。それはまるで鋼鉄の壁に鉄骨でも打ち込んだかのような音。
「っ……くたばれ畜生が」
口内まで登って来た悲鳴。それを悪態にして吐き出してやり過ごす。叫べるなら叫びたい。だがそんなことをしても何にもならないし、奴らを喜ばせるだけ。なら悪態を吐いた方が万倍マシだろう。笑うなら笑え、男の意地だ。
「あと、何発持つか……」
チラリと少しの間だけ背後を振り返り、鋼鉄の壁……幾何学的で、どこか禍々しい印象を受ける紋様が描かれた馬鹿デカイ扉を見る。
俺が部屋に入った次の瞬間には自動的に閂を掛けた見た目の割に軽かった謎の扉。その肝心要の閂には僅かにヒビが入っており、その原因は現在進行形でガヅンガヅンと扉を叩いているナニカ。つまりは閂が破壊され扉が壊されるのは時間の問題だった。そしてそうなってしまえば只の人間である俺がどうなるかは……わざわざ想像するまでもないだろう。
「進むしかない。ないが……」
扉が破壊される前にこの場から離れれば、俺を殺さんとする多種多様な鬼から逃げる事は出来る。だが俺がいる部屋には扉が二つしかなく、片方は鬼が大挙して押し寄せており、もう片方は明らかにヤバいと分かる扉。有り体にいって逃げ場らしい逃げ場はなかった。
前門の虎、後門の狼。今の状況に言い換えれば前門の不穏、後門の鬼といったところか。うん、そう考えると前に進めそうだな。進めそうだが……仮にあのヤバいと分かってしまう扉を開けて進むとしよう。ほぼ間違いなく、次の瞬間には死体が出来上がっているのがオチだ。
なぜ? 簡単だ。分かってしまうのだ。扉の向こうには本能から、心の奥底から、近づくことすら憚れる恐ろしいナニカが待ち構えていると。見た目は後門のソレとほぼ同じに見える前門のソレは、常人にすら理解させる程に気配が違うナニカとの敷居であり、境界なのだと。そして一度敷居を跨いで境界を越えてしまえば、もう後戻りは出来ないと。
「普通なら絶対に開けない……いや、そもそもこの距離まで近づきたくもない。ないが……」
ガヅンッ、と。背後から今までの中で一番大きな衝突音がする。どうやら呼んでもいない力自慢の来客が増えたらしい。くたばれ、マジでくたばれ。今すぐ心臓か脳ミソがやられてお亡くなりになって下さいお願いします。
あぁ、しかし悲しいかな。俺のそんな雑な祈りはどこにも届かず、背後で嫌な音がする。思わず振り返って確認すればヒビが大きくなっていた。そのヒビの具合はハッキリいって悪く、閂は下手をすればあとホンの数発で吹き飛んでもおかしくないのが幸か不幸か分かってしまう。
「あぁ、何だってこんな事に━━」
迫り来る自身の死を前に遂に脳ミソが本日何度目かのストライキを敢行し、俺の意識は今日の最悪な目覚めへと回顧していった。