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悪神、堕つ

 エスメイの新たな肉体の、光が徐々に消えていく。神力の介入は終わり、その肉体は人間種(ユーマン)として、獣人族(アニムス)のそれとして完成した。

 この事実だけ見れば、エスメイにとってはこれ以上ない喜ばしいことだろう。だがそれに反して、未だツタに巻かれたままのエスメイの表情は、この上ないほどに絶望の色に満ちていた。


「あ、あ、あ……」


 ぽかんと開いた口から零れる声も、目の前の事実を受け入れられないという色が濃い。地上からその肉体を見つめるギーやディートマルの声にも、恐れや悲嘆というものはちっともなかった。


「こんな……」

「信じられん……」


 誰もが、正しく誰もが、僕の為した事実から目を外せないでいた。そして同時に驚愕していた。

 そうだろう。既にあらかた出来上がっていたとはいえ、肉体を創造した(・・・・・・・)のである。それも、神の器を。


「おい……どういうことだよ!? なんでエリクは、奴の肉体を自分で完成させちまったんだよ!?」


 ぽかんとしていた面々の中で、まず最初に気を持ち直したのはイヴァノエだった。困惑を露わにしながら周りを見回し、目一杯に声を上げる。

 呆然としたまま、視線を上から外さないままでディートマルが答える。


「エスメイは元々、エリクさんの肉体を触媒にして、ここに満ちる地神スヴェーリの神力を元にして肉体を構築しようとしていました。それだったのが、そこに自然神カーンの神力が混ざってしまった……いや、塗り替えられて(・・・・・・・)しまった(・・・・)


 呆然と宙に浮く肉体を見つめたままで、ディートマルが答える。その低い声は、わずかに震えていた。

 そう、本来であればあの肉体は、地神スヴェーリの神力を受け取り、行使するために創られた。であれば当然、スヴェーリ神の神力が馴染みやすいように創らねばならない。そこに僕が手を加えた。

 それは結果として、僕の中に溢れんばかりに満ちるカーン神の神力が、スヴェーリ神の神力を上回って(・・・・)肉体を満たしてしまった、ということなのだ。ため息を吐きながらマドレーヌが口を開く。


「使徒の肉体というものには、神力の馴染みやすさというものが何よりも重要なのよ。私だったらインゲ神、坊やならカーン神……だからスヴェーリ神の使徒になろうとしたエスメイの肉体は、スヴェーリ神の神力が馴染むものでなくてはならないの」

「それを、カーン神の神力で塗りつぶされてしまったのです。そもそもからして相反する神ですから……もう、スヴェーリ神の使徒の肉体としては機能しないでしょう」


 言葉を継いだイルムヒルデも、何とも言えない表情で首を振った。なんというか、どうにもやるせないという感じの顔色だ。

 そうこうする間も、エスメイは僕の生み出したツタによって身体を絡めとられ、身動きが取れない。今、一斉に攻撃を加えればタコ殴りに出来るだろうが、だれもそうしようとはしていなかった。


「こんな……こんなことって……」


 無理もない、何故ならすっかり絶望の色で、ガタガタと震えながら虚空に浮かぶ自分の新たな肉体を見つめたまま、何もしようとしていないのだ。決して、僕のツタに絡められて何も出来ない、のではない。反抗しようという意思が、既に彼にはちっともなかった。

 だから、僕はにっこり笑みを浮かべる。そのままとん、と地面を蹴った。


「どう? エスメイ」


 足元に神力を展開し、足場を作ってそこに乗る。事も無げにそれをやってのけた僕を見て、その場にいる誰もがますます目を見開いた。

 神は虚空を歩くホディート・ポ・ヴォーズドゥフ。文字通り空中を自在に歩く、神か一部の神獣にしか(・・・・・・・・・・)行使できない(・・・・・・)高位の神術だ。当然、僕は習ったことすらない。

 いよいよ絶句するエスメイを見下ろしながら、僕は彼の身体を優しく撫でて、告げた。


「気に入ってくれたかな……君の身体(・・・・)


 なんとも皮肉の効いた言葉に、さすがに我慢がならなくなったのだろう。瞳孔をひどく細めたエスメイが、額の眼前に魔法陣を展開する。神力の弾だ。


「お前――!!」

「無駄だよ」


 魔法陣に気がついたギーとアリーチェが動き出すより早く、僕の額の魔眼が光る。

 その瞬間、エスメイの眼前に展開されていた魔法陣が、神力ごと霧散した(・・・・)。あまりにすぐの出来事に、ギーが反応できずに勢い余ってエスメイに組み付いたほどに一瞬だった。

 こういう状況こそ、圧倒的、というより他にないのだろう。


「もう、君の力は僕には通用しない」

「……!!」


 いっそ冷たい眼差しで、僕はエスメイを見下ろしながら言った。

 エスメイだけではない、アグネスカも、アリーチェも、イヴァノエも……ほかの誰もが僕を見上げて呆然としていた。

 多分、今の僕を指して人は『神』だというのだろう。そうなるつもりなど毛頭ない、と言ったばかりだというのに皮肉なものだ。

 もう、誰も彼もがその場から動けない。


「エリク……」

「エリクさん……あら?」


 悲し気な色を帯びて、アグネスカとアリーチェが僕の名前を呼んだ、その瞬間。

 呪圏の空間内にひずみ(・・・)が生じた。空間がねじれるように折れ曲がり、その地点を起点にして膨大な神力が溢れ出す。

 そのひずみが曲がり、ねじれ、折れ曲がり、そしてそのひずみが人の形を取る。そして刹那、この場にいる誰のものでもない声が響き渡った。


「見苦しいぞ、我が息子(・・・・)よ」

「うっ!?」

「!?」


 低く太い、男性の声だ。ギーのものよりも幾分年老いた声。そして僕を含めたその声を聞いた全員が、恐怖で身を竦めた(・・・・・)


「な……っ」

「この、声は……!?」


 怖い。まさしくそう感じた。声を聞いてもそうだったし、人の形を取ったひずみを見たらますますそう感じた。

 黒くもじゃもじゃした毛皮。蹄のついた六本の足。四本の腕は胸の前で組まれ、頭はまるで山羊のよう。悪魔、としか形容しようのない外見の異形が、そこにいた。

 目を大きく見開きながら、ぽつりとイルムヒルデが呟く。


「スヴェーリ……!」

「信じられん……邪神側の三大神、そのものが天階(ドゥーフ)に降り立つだなんて……」


 ギーもまた、今まで見たことのないくらいに口を開いてそちらを見ていた。よほど衝撃的なのだろう、という話だが当然だ。天階(ドゥーフ)の中、それもスヴェーリの呪圏の中とはいえ、邪神の三大神の一柱である。

 そんな存在を前にして、エスメイが正気を保っていられるはずがない。


「父、上……」


 消え入るような声で、エスメイが口をパクパクと動かした。もちろん、僕のツタにがんじがらめに巻かれた状態で。

 そんな有様のエスメイをにらみつけて、スヴェーリはすんと鼻を鳴らしながら言った。


「エスメイ。ルピア三大神の使徒どもに、伴神とはいえ神たる貴様が押さえ付けられている事実には、今は触れぬ」


 地の底から響くようなおどろおどろしい声で、スヴェーリがエスメイへと呼びかける。その言葉はまさしく、罪人を前にした裁判官の声だ。エスメイの身体が一層ガタガタと震えだす。

 あまりにも無様な彼を見やり、スヴェーリがカツンと足の蹄を鳴らした。


「問題は、貴様の身勝手な行動の方だ」


 きっぱりと言ってのけたスヴェーリの声にエスメイがびくっと体を震わせた。

 身勝手、と言われては誰もが反論できないだろう。エスメイの行動は誰がどう見ても身勝手そのものだ。スヴェーリが言葉を続ける。


「貴様のたくらみは全て筒抜けだ。座に在る神が肉の身体を勝手に創り、地階(マテリアル)へと降り立つなど言語道断。呪圏の中で隠れてやっていたとして、そのような所業を我が見過ごすと思うてか」

「う……」


 その言葉に、エスメイが僅かに視線を落とした。

 確かにその通りだ。神として座におわし、神ゆえの役目を行わなければならないのに、その役目を放棄して座から離れ、人間種(ユーマン)として遊び呆けるなど、管轄する神からしたら認められるはずもない。

 だがそれでも言いたいことはあるようで、エスメイが顔を上げつつ口を開いた。


「だって、父上……! 俺は、父上が邪神って呼ばれてるのが、許せなくて――」


 なんとかして言い返そうとするエスメイ。その言葉だけを聞いたら主神の地位を向上させようという想いが見えて、健気だと思うこともあっただろう。

 だがしかし、スヴェーリの返答は素気ないものだった。


「くどい」

「っっ!?」


 あまりにも短く、冷徹な言葉。その物言いにエスメイが口を閉ざした。否、閉ざさざるを(・・・・・・)得なかった(・・・・・)

 冷たい視線を向けながら、スヴェーリがエスメイに告げる。


「その割には、貴重な信者をいいように扱っておったな。もはや人間種(ユーマン)としても、魔物としても機能しない哀れなものへと変わってしまった。我の信者をその手で潰しておいて、よくぞその台詞を吐けたものだ」


 その言葉を聞いて、いよいよエスメイはガタガタと震え始めた。

 カーン、インゲ、シューラの三大神と比べ、三大邪神の信者は明らかに少ない。そんな少ない信者を、禁域にわざわざ囲って保護していたのに、他ならぬ神自身が戯れにそれを潰してしまったのだ。スヴェーリからしたらこんなに腹の立つこともない。

 顔面蒼白で震えるエスメイから視線を外して、スヴェーリが僕に目を向ける。


「カーン神の使徒」

「っ、はい」


 短く呼びつけられ、僕の背筋が伸びる。神から直接声をかけられるなどそうそうあるものでもないが、状況が状況だ。

 くい、と長いあごをしゃくりながらスヴェーリが口を開く。


「我が息子が大変に面倒をかけた。ついては重ねて面倒をかけるが、そのまま彼奴の身体を縛っておいてくれ」

「は、はい……!」


 その言葉に僕は目を見開いた。まさか、三大邪神の一柱が三大神の使徒の一人に謝罪を述べ、その上で頼み事をしてくるなど。ちらと見たらマドレーヌやイルムヒルデ、アリーチェも目を大きく見開いていた。それだけ、あり得ないことだということだろう。

 すっと、スヴェーリが四本の腕を伸ばす。二本の腕はエスメイへ、もう二本はエスメイと僕の作った彼の肉体へ。肉体を縛っていた呪圏から力を供給する管が、ブチブチと音を立てて引きちぎられる。


「待って、ち、父上!?」


 それを見てエスメイが、これまでとは比べ物にならないくらいに慌て始めた。

 当然だろう、エスメイ自身も既に感じているはずだ。神たる今の身体が、作った肉体の方に引っ張られている(・・・・・・・・)ことに。

 エスメイの身体と、彼の身体から引っ張り出されている彼の()を見つめて、スヴェーリが淡々と言う。


「エスメイ。先刻に我らの座の編纂(へんさん)があった。我の司る伴神の座に、もはや貴様の席はない(・・・・・・・)


 その言葉に誰もが目を見開いた。その言葉はつまり、エスメイが神の座から追い出されたことに他ならない。


「貴様の神としての権能は、全て取り上げる(・・・・・・・)。せっかく用意した貴様の肉体と共に、人間種(ユーマン)として一生を終えろ。こちら側に踏み込むことも許さん」

「父上、父上! どうか、どうか、慈悲を、父上!」


 そう話す間にもエスメイの身体から、魂がどんどん引っ張り出されている。涙を流して喚きながらも、エスメイの肉体からはどんどん瞳から力がなくなっていった。もはや肉体に魂が定着するのもすぐのことだろう。

 神力は肉体に宿るもの。魂が別の肉体に宿るとき、その魂がいかに位の高いものであったとして、宿った肉体に神力を扱う素養がなければ、神の力を振るうことは叶わない。もちろん使徒になるべく創られたエスメイの肉体、神力を扱う素養は当然あるのだが、カーン神の神力が馴染んでいる肉体。邪神に関わることは無理と言える。

 だが、そうだとしても、神を座から除くなどそうあることではない。ギーもイルムヒルデも絶句していた。


「なんと……」

「思い切った決断をしましたわね、よろしいのですか?」


 イルムヒルデが信じられないという顔をしながらスヴェーリに問いかける。彼女も邪神そのものに声を掛けるなど恐ろしくてしょうがないだろうが、これは聞かないと仕方がない。

 エスメイの魂を新たな肉体に押し込みながら、スヴェーリがすんと鼻を鳴らす。


「元々、我らも大変に手を焼いていた悪童であったゆえな、潮時と言えよう。カーンめには済まないが、貴様らの方からその旨話を通しておいてくれぬか」


 そう話しながらも、スヴェーリの手は止まらない。抜け殻になったエスメイの神としての身体。その身体が僅かに光を発すると、どろり、と溶けるように消えていった。まるで呪圏に飲み込まれていくように。


「あ――!!」


 その瞬間、エスメイを縛っていた神力が消えた。重力に従い、落下していくその身体。とっさに僕が手を伸ばすと、縛る対象をなくしたツタがかごのようになってエスメイを受け止める。

 人間種(ユーマン)へと堕ち、座を追われた邪神を一瞥すると、スヴェーリが虚空に手を伸ばした。


「さて、いつまでも座を空けておくわけにはいかぬ。子細は貴様らに任せよう」


 そう言い残すと、空間に再び歪みが現れる。その歪みの中心に手を突っ込んだ瞬間、スヴェーリの肉体がねじれて飲み込まれるように消えた。

 神は去った。あとは僕たち、三大神の関係者が残されるばかりだ。


「……消えた」

「はー……すっごいもの、見ちゃいましたね、私たち……」


 アグネスカとアリーチェが呆気にとられた表情で虚空を見る。異形たるスヴェーリがいたはずのそこには、影も形も何も無い。

 ただ。


「あ……あ……」


 絶望に目を見開き、その目からぼろぼろと涙を流して、呆然とした表情で泣いているエスメイが、地面にへたり込むようにして、そこにいるだけだ。


「ふー……ともあれ、これで一件落着、でしょうかね」


 エスメイを取り囲むように動きながら、イルムヒルデが息を吐く。それに合わせ、他の面々も動き出した。

 エスメイは神にあらず、神力の暴走と膨張はこれ以上起こらない。呪圏もいずれ、崩壊していくことだろう。ならばこれ以上、この禁域に留まる理由はない。

 僕はそっと輪の中心に入って、エスメイの手を優しく取るのだった。

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