再会、そして驚愕
一方、禁域の地上では。呪圏に飲み込まれたエリクを探すため、使徒と巫女があちこちを探し回っていた。
探査士であるディートマルがいれば、人間一人などたちどころに見つけられるはずなのだ。しかし、今に至るまでエリクは発見できていない。
「見つかりましたか、あなた!?」
「いや、まだだ! エリクさんの神力はまだ見えない!」
「坊や……どこに行ったというの!」
イルムヒルデも、ディートマルも、マドレーヌも必死になって神力を探り、『生命よ我が声に応えよ』も駆使して探し回るが、エリクの反応はない。
呪圏から未だ吐き出されていないことは明白だ。それだけの長きに渡って邪神の領域に留められるなど、並大抵のことではない。
アグネスカも、アリーチェも、イヴァノエも冷や汗を垂らしながら視線をあちこちに巡らせていた。
「エリク……!」
「エリクさん、どこに……!」
『畜生め、俺が傍にいながら……!』
全員の心に焦りと不安が満ちる。イヴァノエの長い尻尾が苛立たし気に荒れた地面を叩いた。砂埃が舞い上がる中、イルムヒルデが声をかけてくる。
「イヴァノエ様が悔やまれてもしょうがありませんわ、エスメイはエリク様を選択的に呪圏へと引きずり込んだ。明らかに、エリク様に狙いを定めておりました」
「呪圏の中に引き込まれたなら、この禁域のどこかに呪圏から吐き出されるはずです。吐き出されたらすぐに――」
続いてディートマルが、忙しなく視線を巡らせながら言ったその時である。
イヴァノエの顔が、弾かれたようにある一点へと向けられた。
『あっ』
「イヴァノエさん?」
今いる位置から見て左手側、何もない荒野の向こう。そちらを凝視するイヴァノエに、ディートマルが訝し気に声をかけた次の瞬間だ。
イヴァノエが一直線に、顔を向けた方へと走り出した。嬉しそうにベスティア語で声も上げる。
『エリクだ!! 出てきた!!』
「あっ、イヴァノエ!」
「先行しては危険です、イヴァノエ様!」
一行を放り出して真っ先にエリクの反応の元に走っていくイヴァノエを、まずはアグネスカが、次いでアリーチェが追いかける。残りの使徒と巫女もすぐさま追いかけようと動き出した、のだが。
「な――」
「あなた?」
信じられないものを視たかのように、ディートマルがその場に立ち尽くした。表情は完全に青ざめ、大きく見開いた目の瞳孔が震えている。
仕舞いには小さく震えだしながら、絶望の声を漏らす始末だ。
「なん、だ、これは……!?」
「あなた、どうしたのです!?」
「イルムヒルデ様、早く! 皆が行ってしまうわ!」
既に走り出したギーを追いかけながらも、マドレーヌがすぐさまに振り返って声をかける。もう置いていかれるわけにはいかないと、イルムヒルデの手が愛する夫の手を取った。
そうこうする間にも、イヴァノエを先頭にラコルデールの巫女と神獣は走っていく。特にイヴァノエは脇目も振らずといった様子だ。
『エリク!!』
「イヴァノエ、待って!」
大イタチはその体躯に比して敏捷性が高く、全力で走ったら追いつける魔物は少ない。故にアグネスカとアリーチェも、全力で走りながらも徐々に距離を離されていた。
「アリーチェ、イヴァノエはエリクを見つけたと思いますか!?」
必死に走りつつ、叫ぶように隣を走るアリーチェにアグネスカは問いかける。汗を垂れ流す彼女はまさに必死だ。隣を駆けるアリーチェは幾分か表情に余裕があるが、既に息は上がっている。
そうなりながらも、アリーチェはアグネスカにこくりと頷いた。
「間違いないでしょう、調教士と伴魔の結びつきって強いですから……あっ、あそこ――」
『いた! エリクだ!』
と、その時。前方を走るイヴァノエが声を上げた。なるほど、確かに神力の高まりを感じる。
だが、地面に横たわるエリクの姿が、ハッキリと目に見えるようになったその時だ。アグネスカもアリーチェも、揃って足を止めて立ち竦んだ。
「えっ」
「え……」
「お嬢ちゃん、神獣人、どうし――」
足を止め、目を見開き、その場に立ち尽くす二人に、マドレーヌとギーが追いつく。だが、二人も視界に映る現実に、立ち尽くして言葉を失う他なかった。
「……」
『エリク、おい、エリク!!』
唯一、イヴァノエだけがエリク・ダヴィドの傍に寄り、頬を叩きながら声をかけている。
それまで着ていた服こそ身につけているものの、人間族としての姿を失い、神獣人となったエリクに対して。
いや、それだけではない。エリクの倒れ伏している地面、元は全くの荒れ地で赤土が剥き出しだったはずの地面に、青々と草が生えているのだ。
マドレーヌの身体までもが震えだす。微かに身体を震わせながら、彼女は言葉を漏らした。
「どういう、ことなの……」
「ほ、本当に……本当にあれが、エリクさん、なん、ですか?」
アリーチェも、その大きな目を見開きながら目の前に倒れ伏すエリクを見ながら、信じられないように言った。
目の前に倒れているのは神獣人だ。かつての彼がそうであったはずはない。
だが、すぐに分かる。その神獣人がエリクだと分かってしまう。
「いっ――」
一瞬、アグネスカの喉から引きつった声が漏れた。次の瞬間、すべてをなげうつかの勢いでアグネスカが倒れて動かないエリクに縋り付く。
「いやーーーーーっ!! エリク……エリク!!」
『おっ、おい、アグネスカ!!』
イヴァノエを押しのけながらエリクの、黒い中に白い斑のある獣毛に覆われた全身に抱きつくアグネスカに、イヴァノエが目を見開きながら発する。
だが、アグネスカは止まらない。目から大粒の涙を流しながら、エリクの胸元に光るカーン神の聖印に縋り付いていた。
「嘘だと、嘘だと言ってください!! こんな……こんなことって……!!」
エリクの胸元には、未だカーン神の聖印が刻まれていた。星型と放射線を組み合わせたカーン神の聖印だ。
だが、その聖印を刻まれた神獣人は、明らかに自然神の傘下には下らないものだ。アグネスカが嘆き悲しむことを、誰も責められはしない。
追いついてきたギーが状況を察知するや、ゆるゆると頭を振りながら言った。
「落ち着け、ラコルデールの巫女。この仕事が始まる前から、何度も警告されていたことだ」
「そうですけど……そうですけど!!」
ギーの言葉に涙を流しながらアグネスカが応える。だが、その言葉に意味などはない。ただ目の前にいる姉弟が、姉弟でなくなってしまったことを嘆くだけだ。
泣きはらすアグネスカをよそに、マドレーヌがイヴァノエに視線を向ける。
「大イタチ」
『おう』
呼びかけられたイヴァノエが淡々と返した。それを受けて、マドレーヌがエリクへと視線を投げかけながら問いかける。
「本当に、間違いなく、ここで横たわっているのは『エリク』なのね?」
その、ともすれば当然のことであろう問いかけに、イヴァノエは静かに頷いて言った。
『間違いない。俺との伴魔契約はこいつとの間で未だ有効だ……こんな姿になっちまってもな』
エリクの伴魔からの言葉を受けて、マドレーヌは深く深くため息をついた。
「信じられない……神獣人だわ、それも呪眼獣の」
「これまで出現したことのない事例だ。ただでさえ個体数の少ない神獣だというのに」
ギーも信じられないと言わんばかりの表情で口を開いた。
神獣の中でも個体数の少ない呪眼獣の神獣人だ。当然、歴史上初めての事例である。使徒であろうとなかろうと、歴史書に残されるべき事件だ。
と、面々が見つめ、イルムヒルデとディートマルが追いついたところで、エリクが僅かに身じろぎした。
「う、うぅっ……」
「あ……」
『エリク! 気が付いた――』
アグネスカとイヴァノエが口元を綻ばせた瞬間だ。ハッと我に返ったかのようにディートマルが声を張り上げた。
「皆さん、彼から離れてください、すぐに!!」
「え――」
「何を――」
ディートマルの言葉に、アグネスカとアリーチェが振り返った。
その次の瞬間である。まるで爆発が起こったかのように神力がエリクを中心に放出された。同時にエリクの周辺の地面から、大量の草が、花が、木が生えだす。
「うわっ!?」
「な――!!」
目の前で起こっている現象に、誰も彼もが目を見開き、驚きを露わにした。
ここは禁域である。邪神の力の及ぶ、自然神の加護などちっとも届かない場所である。それが、こんなにも一気に自然に満ちた場所が出来るなど。
「なんです、これ!?」
「信じがたい神力の発露だ……人間種の域を軽く超えている」
アリーチェが生えて伸びゆく木を避けながら言えば、様子を見ていたディートマルも目を見開いた。
これほどまでの神力も、自然の恵みも、人間では、人間種では到底成し得ないものだ。これは最早神の所業だ。
マドレーヌが、腕を組んで難しい顔をしながら言う。
「イルムヒルデ様、私にはさっぱり分からないのだけれど」
「はい、エイゼンシッツ様。私にも全く分かりません」
対してイルムヒルデも、困惑の色を隠せない様子で答えた。その彼女にちらと視線を向けながら、マドレーヌは問う。
「呪眼獣に、このような力など、あったかしら?」
彼女の問いかけに、イルムヒルデはゆるゆると頭を振った。この場にいる年長者の使徒として、率直に見解を述べる。
「いいえ……呪眼獣は呪詛をまき散らすことはしても、土地の自然を活性化させることなど、本来は有り得ないことですわ。ですがダヴィド様は未だ使徒でいらっしゃる。使徒でありながら、神獣人でもいらっしゃる」
そう話しながら、イルムヒルデはエリクに目を向けた。ゆっくりと身を起こした彼の背中に潰されていた、二本の尻尾が顕になる。
最早、彼は並大抵の使徒ではないのだ。神獣でありながら使徒でもある、もはや神と遜色のない存在なのだ。だからこそ、ああして禁域であろうと自然の力を振り撒くのだ。
「きっと、エスメイがそのように『器』に手を加えたのでございましょうね。呪いではなく、恵みをまき散らすように、と」
「なんという……」
イルムヒルデの言葉に、絶句しながらマドレーヌが言う。二人の視線の先では、二人のやり取りを気にもせず、アグネスカが涙を流しながらエリクに声をかけていた。
「エリク……分かりますか、私が……皆が」
姉のような、深く関わりのある獣人族の少女の顔を見て、エリクはぱちくりと目を瞬かせた。
「アグネス、カ? イヴァノエ……アリーチェも……なんで、泣いてるの」
発せられた、エリクの状況を飲み込んでいない様子の言葉に、感極まったのだろう。アグネスカがエリクの身体をギュッと抱きしめた。エリクの獣毛と、アグネスカの獣毛がふわりと触れ合う。
「ああ……」
『畜生め……ここで泣かずして、どこで泣けって……』
アグネスカがはらはらと涙を流すのと同時に、アリーチェとイヴァノエもその目から涙を流していた。
そのまま、二人と一頭はエリクを囲み、ただただ泣き続けたのだった。





