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邪神の手

「うう……?」


 ぎゅっとつむっていた目を開くと、そこは全くの暗闇だった。

 明かりも無い。何も見えない。どこにいるのかも、今いる場所がどんな空間で、どれほど広いのかも分からない。足が地面についていないで立ったまま浮かんでいるようだから、地面の様子も分からない。

 ただ、うすら寒い空気に満ち満ちていることだけしか、僕には分からなかった。


「ここは、一体……それに、何も……」


 思わず声を漏らすが、声が反響する様子もない。響かないほど広いのか、それともそもそも響かないような空間なのか。

 首を動かそうとしたが何やら綿のように包まれている感覚がして、思うように動かせない。もどかしく思い始めたその矢先だ。


「見えないのか、哀れだな」


 少年のような声色の、しかしハッキリとした声が、僕の耳に届いた。

 こんな空間でこんなに通りのいい声、どう考えたって普通じゃない。思わず僕の声も上ずってしまった。


「誰っ!?」


 声のした方に目を向ける。どこから、と思ったが真正面だ。見ればぼう、と赤黒く光るなにか(・・・)がいる。

 そのなにかは身体を薄ぼんやりと光らせながら、真っ暗闇の空間を音もなく歩いて近づいてくる。そして僕に近づきながら切々と語りかけてきた。


「いくら三大神の使徒として強大な加護を有していようと、所詮は人間種(ユーマン)。暗闇の中から光を見出し、先を見通すことも出来ないってわけだ」


 軽やかに、しかし上から目線で嘲るように、話しかけながら近づいてくるそのなにか。だんだんと僕に近づいてくる、暗闇に浮かび上がるようなその姿が、僕にも詳細に分かるようになってきた。

 真っ黒な毛皮をして、長くねじ曲がった角を持ち、身体のあちこちに赤く禍々しい紋様を刻み込んだ、(ループ)のような頭と尻尾を持つ獣人の神。だが脚には(ひづめ)を備え、手の指は右手だけが鋭く尖っている。どう見たって普通の獣人族(アニムス)ではない。

 ()だ。あれは神だ。間違いない。その神が僕の前に立って、にやりと口角を持ち上げている。


「まあ、だがそれも無理はない。ルピアクロワの三大神と言えど、邪神の『呪圏(・・)』には手出しができないからな」

「……!」


 その言葉に、動きもままならない僕の背筋に、ぞわりと冷たいものが走った。

 邪神。呪圏。その言葉から導き出される、目の前の『神』の正体など、僕でなくても確実に分かるだろう。

 それ(・・)が、僕の目の前まで歩み寄ってきた。その長い鼻先を僕の鼻に触れさせるようにしながら、心底から嬉しそうに言ってくる。


「ようこそ、エリク・ダヴィド。自然神カーンに愛されしヒトの子。まだ13になったばかりのガキの身で、邪神の領域に乗り込んできた無謀なやつ」


 その明らかにこちらを小馬鹿にした、しかし悪意なんてちっともなさそうな、まるでいたずらっ子のようなその表情、その言葉。間違いない。間違いようもない。僕は震えながらその名前を呼ぶ。


「エス、メイ……」

「そう、俺こそがエスメイだ。地神スヴェーリの一の配下。悪童にして悪神。万人が恐れ、万人が忌み嫌う邪神の中の邪神」


 僕の言葉に、邪神――エスメイは僕から少しだけ離れ、腕を広げながら真っ暗な天を仰いで誇らしげに言った。

 人々に「いたずら」を仕掛けて困らせる邪神。この禁域の人々をキマイラに変えてしまった張本人。今回の仕事で、僕達三大神の使徒と巫女が相対するべき相手。

 その当人が、僕の目の前で笑っていた。

 エスメイの発する光に照らされて、僕は僕が置かれている状況を僅かばかり認識する。見えない十字架に括りつけられているように、両腕を横に伸ばした状態で地面からほんの少し浮かんだ位置に縛り付けられているのだ。服はどこに行ったのか、下着まで無くして完全に素っ裸だ。

 驚きに目を見張る僕の顔を見つめながら、エスメイがにやりと笑う。


「この三大神の加護の届かない暗闇の中、俺の姿が見えることが不思議か? 不思議がることはない、お前はカーンと話をする時にも、こうした状況に置かれているはずだ、エリク」

「な、なんで、それを」


 僕の心を見透かしたかのように話すエスメイに、僕の身体がかすかにたじろいだ。

 確かに、全くの光の中と全くの闇の中、周辺の状況こそ正反対だが、僕の置かれた状況はよく似ている。

 カーン神と話をする時も、僕は眩い光に包まれているというのに、カーン神の姿をハッキリと見ている。それと同様だ。この暗闇の中でエスメイの姿がはっきり見える。そして僕は動けない。

 恐れる僕に、エスメイが一歩こちらに踏み出しながら言った。


「俺は神だぞ。同じ神を語れずしてどうしようって言うんだ」


 そう話しながら、エスメイの右手が僕ののどに触れる。僕のあごを僅かに持ち上げるようにして、エスメイの深紅の瞳が僕の顔に近づけられた。


「……ふぅん」

「さ、触らないで……!」


 面白そうな声を漏らしながら僕をまじまじと見つめる相手に、僕は顔を僅かにそむけるので精一杯だ。顔周辺が綿で包まれているような圧迫感が無ければ、もっと思い切り顔をそむけられたのに。

 精一杯の抵抗を見せる僕に、エスメイが少しだけ眉尻を下げながら言った。


「そう怖がるなよ。俺はお前と友達(・・)になりたくて、こうして来たんだぜ? お前を俺の()に招き入れてまでな」

「な、なん、だって」


 僕のあごをつ、と愛おしそうに撫でながら話すエスメイに、僕は改めて目を見開いた。

 相手は神である。それも邪神の、かなり上の位に位置する有名な神である。その神が、自分と敵対するルピア三大神の使徒の一人と、友達になりたいなどと。

 これが相手も使徒で、人間だったら、僕はきっぱり拒絶出来ていただろう。しかしもう一度言うが、神である。人間と異なる理屈で動いていたところで、全く不思議ではないのだ。

 二の句を継げないでいる僕に、エスメイは僕の身体を優しく撫でまわしながら話す。


「お前は俺の呪圏を見た。二度ここに来ている水神シューラの使徒イルムヒルデですら、探査士(エクスプローラー)である水神シューラの巫女ディートマルですら、見れなかった呪圏を見つけてみせた。あの時から俺は、お前と話をしたいと思っていたんだ」


 人間族(ヒュム)のすべすべした僕の肌を、エスメイの獣毛に覆われて肉球を備えた手が撫でていく。くすぐったいし、相手が相手だけにいい気分ではないが、不思議と僕の心の緊張を解きほぐすような安心感があった。

 と、僕の胸元に手のひらを当てながら、エスメイが目を細める。


「面白いな、お前は。魂の色が違う(・・・・・・)

「えっ」


 エスメイの言葉に、緩みかかっていた僕の背筋がもう一度固まった。

 ここで僕の魂にまで言及されるとは、まったく思っても見ていなかった。ルピアクロワに流れ着いてから13年(13ムート)、地球に住んでいたことなどすっかり意識の外に追いやられて、完全にルピア人になっていたと思ったのに。

 僕の胸元、胸骨のあたりをついと爪先で撫でながら、エスメイが話す。


「ルピアクロワに生まれて13年(13ムート)、だいぶこの世界に染まって来たらしいが、やはりその根っこの色は隠せない。どこか他所から流れ着いたみたいだな」

「……っ」


 見透かされている。その事実に僕はぐ、と唇を噛んだ。

 確かに、エスメイも邪神とはいえ神の一柱。それも三大神に次ぐ位置にいる神様だ。ルピアクロワというこの世界の外側に、あまた広がる世界を認識できないとは、やはり考えにくい。

 と、僕の胸に右手を当てながら、エスメイの左手が僕の後頭部に回された。拘束されて動けない僕を抱き寄せるようにしながら、再びエスメイの顔が僕の眼前にやってくる。


「教えてくれよエリク、『友達だろ?(・・・・・)』」

「あ……う……」


 そしてエスメイの瞳が微かに、紅くちらりと光るのを僕は確かに見た。後から思えばこの時この瞬間、僕は彼の術中(・・・・)にはまっていたんだろう。

 僕の視界が僅かにぶれる。身体から若干力が抜けた。脱力して両足を地面に向けて垂らし、エスメイに身を預けるようにしながら僕は口を動かした。


「僕は……地球から来て……ここへ……」

「へえ? 随分長いこと流されてきたんだな。他所の世界に行くことなく、よくルピアクロワまで来たもんだ」


 僕の答えに満足したようにエスメイが言う。どうやら彼は、地球のある世界のことも知っていたらしい。どこまで知られているのか。

 エスメイの左手の指が小さく動く。と、僕の首、両手、腰の見えない拘束が外れ、十字架から僕は解放された。

 そのままエスメイに抱きかかえられる。逃げよう、と言う気は起きない。そもそもここは彼の呪圏の中、逃げようとしても逃げられるはずがない。

 抱きとめた僕の身体を宙に横たえながら、エスメイが慈愛に満ちた目で(・・・・・・・・)微笑んだ。


「気に入った。もっと使い物にならない『器』にしてやろうかと思ってたけど、友達だもんな。それよりも良いことしてやるよ。力抜きな」


 そう僕に告げて、もう一度エスメイの右手、指先の尖った手が僕の胸に触れる。と、次の瞬間。僕の体表の皮膚が波打つように、エスメイの右手を飲み込んだ(・・・・・)

 僕の身体が小さく震える。彼に言われたように力はなるべく抜くようにしているが、それでも僕の身体を――いや、『器』を。直接触れられているのだ。怖い。


「あっ……!」

「よし……あった。変えるぞ(・・・・)


 小さく僕が声を漏らした次の瞬間、エスメイの右手が僕の『器』に差し込まれた(・・・・・・)。そのまま彼の思うように、思う姿に、僕の『器』が書き換えられていく(・・・・・・・・・)

 その『器』の変貌に合わせて、僕の身体も変化を始めた。骨が組み変わる。内臓が作り替えられる。脳も、魂までも。


「あ、あっ……あぁぁぁ……!」

「苦しいか? 大丈夫だ、すぐに終わる……」


 融合士(フュージョナー)が魔物に変身する時とは全く違う、痛みを伴う変貌(・・)に、僕の意識が薄れていく。

 それと同時に、エスメイの優しい声も、だんだんと遠ざかっていった。

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