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使徒の生誕

 大勢の観客が詰めかける、市内大広場に設置された特設ステージ。

 早食い競争の優勝者であるブリュノ・ルセへの加護の授与は、このステージ上で使徒によって行われることになっている。

 それ故に、僕はステージの上で、ブリュノに不安げな視線を向けることになった。


「ブリュノさん……」


 ブリュノのシャツの裾をぎゅっと握った僕の手が、なかなかそれを離そうとしない。離そうとしても、どうしてか、出来ない。

 まるで幼い子供が駄々をこねるみたいな振る舞いをする僕を、ブリュノの大きな手が優しく撫でた。


「なんだ、エリク。今日は俺の人生最高にめでたい日なんだぜ。そんなしょぼくれた顔をしたら勿体ねぇだろ」

「だって……」


 にこりと笑って言う彼のシャツの裾を、僕は余計に強く握り返した。

 確かにめでたい。それは間違いない。こんなめでたいこと、そうそうあるはずもない。しかしそれは同時に、今日を限りに今日までの、自分が交流を持って来たブリュノ・ルセという人間が、いなくなってしまうことでもあるのだ。

 それは、やはり寂しい。もしもう一人の、アルフォンソが優勝者になっていたら、きっとこんな悲しい気持ちにはならなかっただろう。

 僕がずっと俯いていると、ステージに上がってくる人影が二人。マドレーヌと、もう一人、さっきの早食い競争の時、使徒関係者用の観覧席に座っていた、鳥人族(ロワジム)の女性だ。


「あら坊や、優勝した彼と知り合いだったの」

「それは何よりです。ヴァンド領内の方が新たな使徒となって、ダヴィド様も鼻が高いことでしょう」


 気軽な口調で話しかけてくるマドレーヌと対照的に、非常に丁寧な話し方をする女性が、僕とブリュノに微笑みかけてくる。

 どうやら彼女は僕のことを知っているらしい。やはり、三大神の使徒だからだろうか。なんともむず痒い。


「マドレーヌさん。それと、えぇと……」

「ああ、そうそう、そうでした。ダヴィド様とルセ様に、ちゃんと自己紹介をしなくてはなりませんね。

 (わたくし)は水神シューラの従者、アイヒホルン公国の使徒を務めております、イルムヒルデ・レームクールと申します。どうぞ、よしなに」


 そう言って、女性――イルムヒルデは両腕の翼を前に持って来て、ゆっくり頭を下げた。


「よろしくお願いします」

「ええ、よろしくお願いいたしますね」


 僕も頭を下げて、彼女に挨拶をするも、その手は未だにブリュノのシャツを握ったまま。イルムヒルデは微笑ましくそれを見ているが、マドレーヌがため息をつきながら僕の手を引いた。


「何やってるの坊や、いい加減彼のシャツを離してやりなさいな」

「そんな……だって、使徒になったらすぐに、死告竜(ドゥームドラゴン)の『器』が……」


 僕が抗弁するも、言葉が詰まってなかなか出てこない。

 だが、言わんとすることはマドレーヌもよく分かっている様子だ。なにしろ聖域の森に案内して、死告竜(ドゥームドラゴン)の姿を見せているのだから。

 僕の手に優しく手を添えて、彼女は屈みながら僕の顔を見てきた。


「そうね、『器』が混ざり込むから、どうしたってブリュノ・ルセはそれまでの人格を保てない……でもね、坊や。三大神の使徒になるということは、その時点でそれまで歩んできた人生とは、別の人生を歩みだすことに他ならないの。

 坊やは生まれながらにして極大加護持ちで、最初から使徒として定められた人間だったから、あまり自覚はないかもしれないけれど」

「うん……でも、分かるよ、生活も扱われ方も、ガラリと変わるってことは」


 マドレーヌの言葉に、しょぼくれながらも頷く僕だ。

 僕自身、加護は生まれた時から持っていたが、使徒としての能力を発現するまでは、普通の羊飼いの息子以上の何物でもなかった。十歳の時の能力検分でも、特筆すべきことは何も言われなかったのだ。

 マドレーヌの後ろから、イルムヒルデも笑みを向けながら話しかけてくる。


「そういうことです、ダヴィド様。それに『器』がどれだけ混ざり込んでも、元の身体に残された記憶を失うことはありません。ルセ様とダヴィド様の交流も、無かったことにはなりませんわ」


 にこやかに言う彼女の言葉に、僕の顔は自然と上を向いた。すなわち、ブリュノの顔を見上げるように。

 僕の表情を見て、言わんとしたことを察したのか。またブリュノが僕の頭を優しく撫でてきた。


「そう言うことだ、心配するなエリク。なんならまた来年の謝肉祭(カルナバール)で、俺の育てた(ムトン)を食わせてやるからよ」

「うん……」


 その言葉に、ようやく僕の身体の緊張がほぐれる。手の力も緩んで、ブリュノのシャツから手がするりと離れていった。

 しわくちゃになったシャツの裾を直すブリュノに、マドレーヌが面白そうな視線を投げかける。


「それにしても、ねぇ? 昨日の品評会で特別功労賞を受賞した人が、翌日の早食い競争で優勝だなんて。随分とツキが回っているようじゃない?」

「全くですな。既に新品種の買い付け依頼も来ていますから、使徒の立場に(おご)ることなくやっていきたいもんです」

「謙虚な姿勢は大事ですわ、ルセ様。直接ご指導なさるのはエイゼンシッツ様ですが、私たちもサポートしてまいりますので、気軽に頼ってくださいませね」


 ブリュノが答えれば、イルムヒルデも口元を押さえながらにこにこと笑って。

 朗らかな空気が広がろうかというところで、ステージの中央部から咳払いが聞こえてきた。

 そちらを向くと、アルセンが所在なさげに立っては、ネックスカーフを巻いた襟元を押さえている。


「えー、おほん。お話は済みましたかな、皆様」

「あっ、す、すみません」

「待たせちゃいけねえな。始めようか」


 思わず謝る僕と、シャツの襟元を直して歩き出すブリュノ。そしてブリュノがステージの真ん中に立つと、拡声器を持ったアルセンが舞台端から声を張り上げた。


「えー、それでは皆様、お待たせいたしました。ただいまより、三大神の使徒様方による、今年の年男への、加護の捧呈(ほうてい)を行います!!」


 アルセンの言葉に、広場に集まった観衆から割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。その大喝采を落ち着かせるように手を差し出しながら、アルセンが声を上げた。


「例年であれば、自然神カーン様の加護を中心に授ける形となりますが、今回は特例のため、火神インゲ様の加護が中心となってブリュノさんに授けられます。

 では、エリク様、マドレーヌ様、イルムヒルデ様、こちらへ」


 アルセンが視線をステージの反対側の端に向ける。そこにいるのは無論、僕達だ。

 真っ先にマドレーヌが前に進み出て、まごつく僕の背中をイルムヒルデがそっと押してくる。

 そうしてステージ中央のブリュノを取り囲むように、三角形に立つ僕と、マドレーヌ、イルムヒルデ。僕から見て左手側に立つマドレーヌが、指を振りながらこちらを向いて口を開いた。


「いいこと、坊や? まずは両手を高く天に掲げて、神から神力を受け取るの。それをまとめて、授ける相手に押し付ける。こんな感じでやりなさいね」

「わ、分かりました」

「まずは私が最初に行いますから、焦らずとも大丈夫ですよ、ダヴィド様」


 マドレーヌの言葉に頷けば、右手側に立つイルムヒルデが柔らかく頷く。

 そう、加護を神力の形で受け取り、それを人や動物、魔物や土地に授ける。これが使徒の行う加護捧呈(かごほうてい)だ。ある意味では三大神の使徒の、一番基本的な仕事である。

 ごくりと僕がつばを飲み込んだところで、アルセンの声が広場に響いた。


「それでは、捧呈(ほうてい)のほど、お願いいたします!!」


 アルセンの声が響くや、広場が急に水を打ったようにしんとなった。

 僕自身の心音すらはっきりと聞こえるような状況で、イルムヒルデの凛とした声が響く。


「では、始めましょう」

「ええ」

「……はい」


 彼女の言葉にマドレーヌが、僕が頷く。

 いよいよだ。

 三人同時に、高く両手を天に掲げる。と。


「おぉぉ……!」


 会場からどよめきの声が上がった。

 天から指す三本の光の柱が、僕と、マドレーヌと、イルムヒルデのそれぞれの手に集まっているのだ。

 光が球状に集まり、輝いていく僕達三人の両手。

 光に照らされながら、まずはイルムヒルデがブリュノに声をかけた。


「まずは私から。ルセ様、いくらか衝撃がございますが、動かないでいてくださいませね」

「あ、ああ。やってくれ」


 答えるブリュノの声は、少し震えていた。当然だろう、今ここに集まっている光が、自分の中に叩きこまれるのだから。

 イルムヒルデの両手が僅かに動けば、神力の光がぎゅっと収縮する。

 そして。


「はいっ!!」

「むんっ……」


 イルムヒルデが両腕をぶんと振り下ろすと、その光の玉がブリュノにぶつかり、彼の胸元に吸い込まれていった。

 両腕を降ろし、姿勢を戻したイルムヒルデが、僕に目を向ける。


「……水神の加護は与えられました。ダヴィド様、どうぞ」

「はい……!」


 僕が返事をすると同時に、ブリュノの身体がこちらに向いた。まっすぐに、僕を見てくる。


「ブリュノさん……」

「よし、来い、エリク!」


 思わず漏れ出た彼の名前。それに答えるように、ブリュノが両の拳をぐっと握りしめた。

 彼は腹をくくっている。自分がくくらないわけにはいかない。

 覚悟を決めた。両手を合わせるように寄せて、神力を凝縮する。それをブリュノの胸目掛けて、放つ。


「行きますっ!」


 声と共に放たれた光球は、ブリュノの胸にぶつかり、また吸い込まれていった。

 そして僕は気が付いた。ブリュノの身体が、薄ぼんやりと光を放っているのだ。僕とイルムヒルデが授けた加護と、神力が、彼の身体を巡っている証だ。

 うまくいった。僕は深く息を吐く。


「……ふぅ」

「いいわよ坊や。それじゃあ、最後は私。極大加護を与えるから、さっきの二人のとは衝撃も段違い。覚悟なさいね?」

「おう……!」


 最後はマドレーヌだ。彼女の手の中の光球は、僕達二人の手にあったものより二回りは大きい。これが、最大級の火神の加護の力だ。

 マドレーヌの両手の間がぐっと狭まる。僕の時には野球ボールくらいに縮まった光球だが、彼女の手の中のそれはバスケットボールくらいのサイズがある。

 これをぶつけられるとなれば、それは衝撃だって大きいだろう。ごくりと、僕も、ブリュノも、つばを飲み込んで。

 そして。


「行くわよ、受け取りなさいっ!!」

「ぬっ……うぉっ!!」


 マドレーヌの手から光球が放たれ、ブリュノの胸にぶつかると、あまりの衝撃に彼の足が二歩三歩、後ろに動いた。

 そうして会場に満ちていた光は全てブリュノに吸い込まれ、今は神力の光が全身から溢れているブリュノが、そこにいる。


「……終わった、のか?」

「ええ、これで完了よ。胸元を見て御覧なさい」


 マドレーヌが笑みを一杯にして顎をしゃくる。ブリュノがシャツのボタンを一つ外すと、その内側、胸元に三角形が鱗のように三つ連なったあざが出来ていた。

 火神インゲの聖印だ。


「これが……使徒の聖印か?」

「そういうことですわ。これでルセ様は、インゲ神の新たな使徒になられたのです」


 自分の胸元を覗き込むブリュノに、イルムヒルデが両手を合わせながらにこやかに告げた。

 ここに、ブリュノ・ルセは使徒となったのだ。


「ブリュノさん……おめでとう、ございます」

「おう……へへ、ありがとうな」


 目を細めながら、僕はブリュノに言葉をかける。

 割れんばかりの大歓声を受け、会場から沸き起こる拍手を一身に受けるブリュノは、恥ずかしそうに鼻をこすって、笑みを見せた。

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