火神の使徒
死告竜への対応について三神教会とのやりとりも滞りなく進み、まとまった話を聖域に持ち帰って、同時に謝肉祭の準備も進めていって。
それまでの慌ただしさが嘘のように、普段通りの日々が過ぎていって、いよいよ明日から謝肉祭が始まる、という日の朝、5の刻。
僕が朝食の片づけをしていると、リュシールがいつものように静かな口調で声をかけてきた。
「エリク様、お忙しい中申し訳ありませんが、すぐに出かけます。身支度を」
「えっ、何、急に」
「ヴァンドの市長からお呼びがかかりました。私どもに客人だそうです」
首を傾げる僕だが、既に身支度を整えて出かけられる服装のリュシールが、言うだけ言ってさっと踵を返す。
いつも通りと言えばその通りだが、なんとも素っ気ない。ヴァンド市長が直々に連絡をよこすということは重要な客人だろうが、それにしたってこのタイミングで僕達に客とは。
頭上に疑問符を浮かべながらも、僕は食器の片づけをフェルナンに任せて食堂を飛び出した。リュシールを待たせるわけにはいかない。
いつもよりちょっと上等なシャツとパンツを身に付けて、普段はつけないネックスカーフをつけて、身支度を整えた僕はリュシールと共に、僕の自宅経由でヴァンドの市庁舎に来ていた。
ヴァンドの街中も明日から謝肉祭だということで、飾りつけや屋台の用意などで大賑わい。いつでも祭りが始められるように準備が進められていた。
それは勿論、市の中心である市庁舎も同様。建物の壁には赤と緑の旗がはためき、お祭りムード一色だ。
そんな市庁舎の奥の方、いつも市長と面会する時に使っている応接室にて。
ソファに腰掛ける僕とリュシールの前に、扉を開けて一人の人間族男性が入ってきた。ヴァンド市長のアルセン・ボンデューだ。
「エリク様、リュシール様、お待たせいたしました」
「お疲れ様です、ボンデュー市長。僕達にお客様が、というお話でしたが……」
「私はもう少々踏み込んだ話を伺っておりますが、あのお方は、既にご到着なされているのでしょう?」
顔なじみでもあるボンデュー市長との挨拶もそこそこに、二人揃って本題を切り出すと、閉めたばかりの扉の前に立っていた市長が再びドアノブを握った。
「はい、勿論でございます。扉の外でお待ちいただいておりますので、お呼びいたします。
……お待たせいたしました、どうぞ」
ゆっくりドアを開けた市長が、廊下に顔を出して誰かに声をかける。
そうして開かれたドアを通って応接室に入ってきたのは、年頃はリュシールと同じ頃合いの、獅子の獣人族の女性だった。
すらりとした手足を大きく露出し、金属製のアクセサリーをしゃらしゃらと、全身のいたるところに付けている。派手な女性だ。
その女性の後ろからもう一人、鷹と思われる顔立ちの鳥人族の男性が付き従うように入ってきた。こちらは華美な装飾もなく、落ち着いた装いをしている。
随分対照的な容姿をした二人は、僕の姿を頭の先からつま先までじーっと見つめると、その目元にうっすらと笑みを浮かべた。
「……ふうん、そうなの。坊やが、ラコルデール王国の今代の使徒なのね」
「は、はい……えっと、貴女は」
値踏みするような物言いに呆気に取られながら、僕が女性の方に問いを投げると、獣人族の女性は手首のアクセサリーをしゃららと鳴らしながら、緩やかに一礼した。
「アルドワン王国の使徒、火神インゲの従者、マドレーヌ・エイゼンシッツ。貴方の同輩よ。よろしくね、新米さん?」
にこりと笑みを浮かべながら、マドレーヌが僕へと視線を返してくる。その琥珀色の瞳は大きくて、それでいて鋭い光を放っている。僕の身が小さく竦むのが分かった。
アルドワン王国からやって来た、火神インゲの使徒。すなわち、僕が初めて接する、カーン神以外の神に仕える三大神の使徒だ。
言葉を返せないでいる僕の隣で、リュシールが小さく息を吐いた。
「マドレーヌ様、エリク様が困惑しておられます。年長者の立場を顕示したいのは分かりますが、もう少しご配慮いただければと」
「リュシール、貴女は相変わらず堅物なのね。アデライド先生によく似てきたのではない?」
リュシールの諫めるような言葉にも随分と気安く、鷹揚に返してくるマドレーヌだ。
アデライド先生の名前も出てくるあたり、この二人はひょっとして古くからの仲なのだろうか。どういう関係なのだろう。
ふと浮かんだ疑問を解消する暇もなく、マドレーヌが再び僕へと視線を投げてくる。
「それで? 貴女がここにいるということは、この坊やの巫女は貴女が勤めているの?」
「いいえ、私はカーン神の聖域の守護者に過ぎません、今も昔も。
……話を戻しましょう。この度はるばるヴァンドまでお越しいただいたのは、何も謝肉祭を楽しみにいらしただけではないのでしょう?」
問われた言葉にきっぱりと否定を返し、ばっさりと話題を終わらせたリュシール。相変わらず、その話の運び方には容赦がない。
諦めたように大きく肩をすくめて苦笑したマドレーヌが、ずっと無言を貫いていた鳥人族の男性へと目を向けた。
「ほーんと、相変わらず真面目なんだから。いいわ、ギー、坊やたちに説明してあげてちょうだい」
その言葉を受けて、ギーと呼ばれた男性が一歩前に進み出る。そのまま、僕達に向かって深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかる、ラコルデールの使徒よ。俺はアルドワンの使徒に仕える巫女、ギー・エイゼンシッツ。何卒、よろしく頼む。
俺達が今回こうしてヴァンドを訪れたのは、他でもない。森の聖域に墜落した死告竜について、我々の手に負えるか確認に来たのだ」
「手に負えるか……ですか」
顔を上げた後、ギーは僕達をまっすぐに見据えながら口を開いた。
その言葉を聞いて頷く僕。予想していた通り、他国から今回の問題解決のためにインゲ神の使徒がやってくる、という事態になったわけだ。
僕の反応を待ってから、ギーも一つ頷いてくる。
「幼体と言えども竜、その体躯は巨大だし、魂も『器』も膨大だ。
ラコルデールの使徒が明日からの謝肉祭に事寄せて、死告竜の『器』にする者を選定する話は教会から聞いている。
ついては、我々の連れてきた『器』候補に、その竜が受け入れられる程度かどうかを、確かめさせてもらいたいのだ」
至極真面目に、真剣な表情で話を進めてくるギーに、僕は腕組みして小さく唸った。
確かに、竜種についてはインゲ神の使徒や巫女が専門家だ。彼らに見てもらえるならば一番いいだろう。彼らの監督する人物が『器』になるのも問題はない。インゲ神の加護があるならその方がよほどいい。
しかし、使徒だから、巫女だからと言って、カーン神の聖域に近づけてもいいものか。いまひとつ僕には判断がつきかねる。
助けを求めるようにリュシールに視線を送ると、彼女の中では既に答えが出ていたようで。一つ、こくりと頷いた。
「……なるほど、内情は把握いたしました。我々も竜種は専門ではありません、インゲ神の使徒様や巫女様に確認いただく事柄もございましょう。
聖域までご案内いたします。その『器』候補の方とやらも、ご一緒にヴァンド森までお越しください」
彼女の言葉に、安心したように笑みを零すマドレーヌとギー。
その二人を前にして、僕はこっそりとリュシールに耳打ちした。
「いいの、リュシール」
「いいのです。ああ見えてマドレーヌ様もギー様もちゃんとした方ですから」
僕の言葉を受けながら、彼女は小さく苦笑した。
その笑みに何となく含みがあるものを感じながら、僕は互いに顔を見合わせて会話する、使徒と巫女を見ているのだった。
市庁舎の外でマドレーヌが連れてきた『器』候補の三人の男性と合流し、僕はインゲ神の関係者総勢五人を、ヴァンド森の中に案内していた。
森の木々の間を抜け、鳥や獣の声が聞こえてくる中を歩いて三十分。ようやくヴァンド森の聖域、死告竜が横たわるそこに到着して、マドレーヌはその琥珀色の瞳を細めた。
「ふうん……これがそうなの」
「なるほど……確かに大司教殿から話に聞いていた通りだな。酷いもんだ」
彼女の後ろでギーも腕組みしながら唸っている。同時に彼の背後で、『器』候補が一様に目を逸らすのも見えた。
事実、この数日でより一層神力を吸収した死告竜の身体は、ますます傷だらけになっていた。身体から流れる血は毎日洗っているし、ウサギや鹿もよく食べさせているので失血死に至ることは無いが、このまま放置していては長くないことだろう。
先導していたリュシールが死告竜の傍に立ちながら口を開く。
「御覧の通り、この死告竜は渇望の呪いに侵されています。
聖域より生じる神力によって、土地の力が吸い尽くされることは避けられておりますが、本来ならば一刻の猶予もない状況です」
「全くだわ。私の肌にもビリビリ来るもの。ほんと、聖域に墜ちたのは幸運よ」
ぞくりとした様子で、マドレーヌが自身の腕を撫でる。神力を吸い上げられていく感覚を、彼女も感じていることだろう。
マドレーヌもギーも、視線をまっすぐに横たわる死告竜に向けながら、眉間に深く皺を刻んでいる。やはり、彼らの目からしても単純な問題ではないようだ。
竜の身体をじっくり見ていたギーが、顎に手を当てながら口を開いた。
「だいたい9メートルってところか。生まれてから一年が経ったあたりだな。まだまだ子供だ」
「そうね。どう、アルフォンソ、クレス、マルツィオ。これ、一人で全部受け入れられそう?」
彼の言葉を受けて頷いたマドレーヌが、ギーの後ろに立つ三人の『器』候補に目を向けた。ちなみにアルフォンソが竜人族、クレスが妖精族、マルツィオが獣人族だ。
「不可能ではない、と思いますね」
「俺も問題ありません。余裕で全て取り込めます」
「俺も、大丈夫だと思います」
アルフォンソも、クレスも、マルツィオも、揃ってこくりと首肯した。さすがは使徒が『そうするため』に直接連れて来た人員というべきか、自分が死告竜と一体化して使徒となることには、特段の抵抗が無いらしい。
満足そうに微笑んだマドレーヌの瞳が、僕の方へと向けられる。
「分かったわ。坊や、確か謝肉祭での年男の選定は、三日目の早食い競争で行うんだったわよね?」
鋭い視線を向けられて、僕の身体がびくりと硬直する。同じ使徒だとしても、やはり年季というか、気迫というか、そういうものが違う故に、緊張を隠し切れない。
少しぎこちなくなりながらも、僕は頷いた。
「そう、です」
「ならいいわ、この三人にも選手として参加してもらう。正々堂々、ルールに則って勝負するわよ。そうでないと教会への示しもつかないもの」
親指で後方の三人を指さしながら、確定事項だと言わんばかりにマドレーヌは僕にハッキリと告げた。
その言葉に僕は大きく目を見開く。
この使徒の一団は、ヴァンドでの謝肉祭に参加しようとしているのだ。インゲ神の使徒としてではない。一般客としてである。
「参加してもらう……って、本当に謝肉祭に参加するんですか!?」
「そうよ、悪い? 謝肉祭はカーン神の使徒が中心になるのだもの、インゲ神とシューラ神はお祭りに招かれるお客様。
中でもヴァンドの謝肉祭は大陸西側で最大規模だもの。楽しまないと損でしょ?」
声を張る僕に、マドレーヌは何を今更と言った口調で言葉を返す。後ろでギーもゆっくり頷いていた。リュシールの方に視線を向けると、力なく首を振っていた。
確かに謝肉祭は大地の恵みに感謝する祭り。主に感謝の対象となるのはカーン神だ。故に人々を歓待し、祭りを取り仕切る側に立つのはカーン神の使徒となる。去年まで招聘していたバタイユ共和国の使徒も、カーン神の使徒だ。
しかし、だとしてもこんなあっけらかんと「客として参加する」と言われるのは、複雑な思いがある。
そんな僕を置き去りにするように、マドレーヌはくるりと踵を返した。
「私達はデュジャルダン通りの『ホテル・ドゥ・ドジェ』の最上階に泊っているから、何かあったら連絡ちょうだい。それじゃ、明日から楽しみましょう!」
「しばらくは世話になる……なに、宿泊は教会から用立ててもらっている。ラコルデールの使徒が気にする必要はない」
そう言い残して、マドレーヌもギーも、『器』の三人を引き連れてこちらに背を向けてすたすたと去っていく。
同じ使徒とは一見して思えない、何とも奔放なその振る舞いに、僕はただただ呆気にとられ、明日からの謝肉祭をしっかり運営できるかを不安がるしかなかったのであった。





