魔物を人に
「「死告竜を竜人族に変える!?」」
早急に集められた死告竜解呪のための会議の中で、その案を提示した途端、アグネスカとアリーチェが揃って素っ頓狂な声を上げた。
全く同じタイミングで、同じ言葉を発したことに、二人が顔を見合わせるも、すぐに発案者のルスランの方へと視線を向けつつ、おずおずと口を開いた。
「……あの、ルスランさん? それ、本気で言ってます?」
「人間種が魔物に変じることは、確かにありますが……魔物が人間種に変じることなど、これまでに例がないと思うのですが」
「分かっておる、我とて突拍子もないことを話している自覚は大いにあるのだ」
視線を受けたルスランが、ゆるゆると首を振る。実際、発案した時にも「荒唐無稽」と話していた彼だ。この案が現実的でないことなど百も承知である。
しかし、彼は前脚をアグネスカの方へと向けながら、スンと鼻を鳴らした。
「だが今、巫女の小娘が話したことにこそヒントがある。
人間種が魔物の魂やら能力やらを取り込んだ結果、魂が変質して魔物になってしまうことは得てしてある。なればその逆をやればいい」
「逆……って、つまりあの死告竜に人間種の魂を、取り込ませればいい、ということですか?」
確認するように問いかけたアグネスカに、その大きな頭をこくりと頷かせて返すルスラン。それを見て、アリーチェが小さく眉間にしわを寄せた。
「死告竜に取り込ませるの、人間一人で足りますかね?」
「それに……その人間を、どこからどうやって調達するんですか? 竜と融合させるために魂を使わせてください、なんてお願い、非人道的すぎてとても通りませんよ」
「刑の執行を待っている犯罪者もおらんしのう……王国法では刑罰が言い渡されるのと刑が執行されるのとはほぼ間もないし」
リュシールとルドウィグも揃って腕組みして唸った。
実際、解呪のために大地神の羽衣を行うことよりも、厄呪の浄化を行うための器をどうやって用意するかの方が問題だった。
ここまで難航するんだったら、やっぱり僕が受け皿になって人間種を辞める方がいいのではないか、と口を挟んだが、アグネスカとアリーチェにも全力で止められてしまった。
二人としても、僕が竜種になるのは受け入れがたい話であるらしい。当然と言えば当然だけれど。
ため息をつきながら、アグネスカが肩を落とした。
「都合よく犯罪者が出てきてくれるわけもないですし、そもそもそういう素性の定かでない人間を使って使徒にするのも、どうかと思いはします」
「ですよねぇ……取り込んだ魂の内情に、融合後の人格とかも影響されますからねぇ」
アグネスカの言葉に、アリーチェも同意しながら肩を落とした。
確かに、そこらの適当な人間を捕まえて「お前の魂をよこせー」などと死告竜に食らわせるわけにはいかない。その死告竜が使徒となる以上、神の代理人となるにふさわしい人間でなくてはならない。
死告竜の性格や性質が前面に出てきたとしても、混ざりこんだ人間の人格が影響を与えるのは必定だ。『器』が混ざりこむことよりも直接的に影響し合うのだから。
だから、融合士の職業に就くには三大神の加護を受けて魂を保護し、魔物と融合しても人間の魂を保っていられなくてはならないのだ。そうしていても魔物の魂に影響されて魔物堕ちしてしまうケースは後を絶たないから、魂を取り込むというのは重大なことなのだ。
各々の発言を受けて、地面に顎をくっつけるようにしながらルスランが口を開く。
「そうだ、使徒となる以上、そこらにいる人間種を使うわけにはいかん。使うにしても、相応の理由が必要となろう。
だが、聞いたところによるともうすぐ近隣の街で大きな祭りがあるのだろう? その祭りを選定に活用出来はしないか」
「謝肉祭を、ですか?」
彼の言葉に、その場にいた全員が目を見開いた。
謝肉祭は使徒も巫女も関わる、ルピア三神教の一大行事。三神教会も大いに関わる行事である故、ある意味で神の力が届きやすい催しだ。
リュシールが納得したように頷きを返している。
「あぁ……なるほど。謝肉祭は三神教会の関係者も来ますものね。
神々からの祝福を受け取り、人々に受け渡す催しもありますから、それに伴って新たな使徒にする方を選ぶことも出来るでしょう」
祭りの最終日に捧げる祈りを使徒が行う際に、神々からの祝福を受け取り、それを街に、ひいては街に集まった人々に広げるイベントがある。その際に受け渡す祝福に神力を付け加え、使徒にする人の選定をしよう、というのが彼女の意見だ。
その言葉に、ルドウィグもアグネスカも頷いている。実際、そのタイミングが一番やりやすいだろう。僕もそこは同意見だ。
しかし、そうなると。少しだけ難しい表情になりながら、僕は口を開いた。
「でも、いいのかな? 使徒って一つの国に、一人しかいられないでしょ?」
僕の言葉に、真顔になりながら頷くのはリュシールだ。
「その通りです。使徒は一つの国に一人だけ、がルールとして定められております。
ですので諸々の仕事が済んで人格が安定しましたら、件の死告竜の竜人族には、ラコルデール王国の外に向かっていただくことになるでしょう」
「そこは教会と相談じゃなぁ。大陸内の国で使徒のいない国もいるが、それらを全部把握しているのは教会じゃから」
ルドウィグが苦笑しながら顎をかく。それを聞いた僕は少しだけ、視線を足元に落とした。
もし、使徒になる人が、僕の身近な人だったら。身近でなくても、ヴァンド市内にいる人だったら。その人と離れ離れになってしまう。
そう思うと、少し、寂しかった。
「ヴァンドにいる人が、そうなったら……ちょっと、やだな」
「まあまあ、エリクさん、まだ何も決まってはいませんから。ともあれ、教会の人とも相談しないとなりませんよね、これ?」
「私が後ほど、エリク様を伴って王都に相談に行ってまいります。この話は、インゲ神の大司教殿にも話した方がよろしいでしょう」
僕の肩をぽんぽんと叩くアリーチェが全員に視線を巡らせると、リュシールが大きく頷いた。
確かに竜種の魔物が相手となれば、インゲ神の管轄だ。インゲ神を祀る教会はヴァンドにもあるけれど、総本山であるウジェ大聖堂に直接話を持って行った方が何倍も楽だ。
話がまとまったところで解散するカーン神の関係者。僕も身支度を整えるべく、自室へと走っていった。
そして、王都に転移した僕とリュシールがウジェ大聖堂へと向かうと。
大聖堂の真ん中で、人目も憚らずに言い争う二人の男性がいた。
いずれも、大司教の装いである豪奢なダルマティを身に纏っている。一人は何度か顔を合わせているから分かる、カーン神の神殿を治めるオスニエル大司教だ。
もう一人の人間族の男性は、装いや手に持った杖などから察するに、インゲ神の神殿を治める大司教様だろうか。
周囲の人々は二人を遠巻きに見ながら、あからさまに避けてそれぞれの神殿に立ち入ったり、神殿から立ち去ったりしている。当然だろう、こんな立場のある二人の口喧嘩に口を挟めるはずもない。
しかし、リュシールは、フンと鼻息を鳴らしながらつかつかと歩み寄ると、今にも互いに掴みかからんとしていた二人の両手首をぐっと掴んだ。
「オスニエル大司教様、ロラン大司教様、お二方とも衆目の只中で言い争いとは何事ですか」
「は……」
「こ、これはリュシール殿。使徒様も……」
予期しないところから制止が入ったことで、ヒートアップしていた二人が途端に顔色を変える。カーン神の大司教としてリュシールとの付き合いもあるオスニエルは、白いを通り越して青くしていた。
鋭い眼差しを二人に向けながら、リュシールが冷たい声色で二人に告げる。
「言い争いをするなとは申しませんが、場所を考えていただければと思います。神聖なウジェ大聖堂の中、神々のおわす中で争いごとは慎まねばなりません。
私が申し上げるまでもなく、お二方はそのことを十分に理解しているものと思っておりましたが、私の認識違いでしたでしょうか」
「いえ、決してそのような……」
「……面目ない」
彼女の言葉に、いよいよインゲ神の大司教も顔から血の気が引いた。そんなつもりはない、と言葉を紡ぐオスニエルなど、ブルブルと身体を震わせて冷や汗を顔からたらしている。
怒った時のリュシールのこの口調は、毎度向けられるたびに背中をぞくりとしたものが走る。大の大人が相手でもここまで恐怖するのだから、その言葉の力というものは相当だ。流石は聖域の守護者、その交渉役。
僕はリュシールのワンピースをくい、と引きながら、そっと言葉を投げかけつつ震える二人の大司教に視線を向けた。そろそろ、止めないと話が進められない。
「リュシール、その辺にしてあげなよ……それで、オスニエルさん、何があったんですか、これ」
僕がオスニエルの方に視線を向けると、ようやく落ち着いたらしい大司教二人が顔を見合わせつつこくりと頷いた。
「お二方には、きちんとお話しするべきでしょうな。いかがでしょう、ロラン殿」
「確かに。ヴァンド森は当事者ですからな」
「……?」
何やら納得している二人に、僕が小さく首を傾げる。
それぞれがクールダウンしたことを認めたリュシールが握っていた手首を話すと、そちらに一礼してからインゲ神の大司教が僕に向かって頭を下げた。
「カーン神の使徒様とは初対面でしたな。インゲ神の聖堂を預かっております、大司教のロラン・リュフィエと申します。
お二方とも、ヴァンド森に死告竜が飛来したことはご存知のことと思いますが」
「無論存じております。かの竜が厄呪に侵されていることも」
大司教――ロランが顔を上げつつ話を切り出すと、僕の隣でリュシールがこくりと頷いた。
なるほど、オスニエルとロランがああも侃々諤々に議論を戦わせていたのは、あの死告竜についてだったというわけだ。
「であれば話が早い。オスニエル殿と私は、その竜の処遇について議論を重ねておったのです」
「カーン神の聖域に居るのだからこちらが対応すべきだ、インゲ神の眷属なのだからこちらが対応すべきだ、と押し問答でしてな」
ロランの言葉の後を継ぐように、オスニエルも先程の口論を思い起こしながら申し訳なさそうに口を開いた。
なるほど、どちらの管轄で動けばいいのか、事態を解決すればいいのか、教会の側が頭を悩ませるのも道理だ。僕達だけで解決しようとしているも、普通の場所ならインゲ神の使徒がやってくる事案。
もしかしたらもう既に、使徒が別の国からこちらに向かっているのかもしれない。リュシールが納得したように頷いた。
「状況は理解いたしました。私どもの方でも対応に苦慮しておりまして、こうして馳せ参じた次第です。
彼の者にかかった渇望の呪いの性質上、早急に解呪を行いたいのですが、厄呪を浄化するための器にエリク様を使うわけにもいかず、彼の者を使徒に格上げするにしても人間種を一人犠牲にしなくてはならず、どうしたものかと思っておりまして」
「もうすぐ謝肉祭がヴァンドで行われるから、その最中に死告竜の器になってもらう人を、選べないかって思っているんだけど……」
リュシールと僕が、これまでに考え、考案した内容をオスニエルとロランに話すと、二人とも大きく唸った。オスニエルなどは頭を抱えてしまっている。
それほどまでに、あの厄呪の破壊力はすさまじいということだ。
ロランが眉間に深いしわを寄せて苦々しく言葉を零す。
「なんと、渇望の呪いとは随分なものが飛び込んできましたな。降りたのが聖域で本当に良かった。
しかし既にそこまでお考えになられているとは、今代の使徒様はお若いのに聡明でいらっしゃる」
「いえ、考えたのは僕じゃなくて、日輪狼の方で」
「使徒様は周りの者に恵まれておりますなぁ。よいことです」
僕を褒め始めたロランに、手を振りつつ否定を投げるも、オスニエルからも援護射撃を受けて今度は僕が頭を抱える番だった。
考案したのは僕じゃない。断じて僕じゃない。僕が周囲の人間に恵まれていることについては否定しないけれど。
そんな僕をよそに、ロランはリュシールへと顔を向けた。
「ヴァンド森がお考えになっている通り、死告竜の器と魂を人間種に変え、それを使徒とし、浄化した厄呪を納めて浄化させる。
これが最も誰もにとって益となるやりかたでございましょう。
謝肉祭には今年の年男を決めるための、早食い競争がございます。その年男がインゲ神の使徒となる、とすれば、反論も起こりますまい」
「ちょうど北方のメッテルニヒ王国の使徒が不在になっておりますからね。そちらに新たな使徒として着任していただきましょう」
ロランとオスニエルが、揃って頷きながら話す提案に、リュシールも満足げに頷いた。どうやら、いい感じに話がまとまりつつあるらしい。
「そうなりますと、死告竜を竜人種に変えるというよりは、年男の人間種に死告竜の器を移し替えた方が、よさそうでございますね」
「そうですな。その方向で参りましょう」
リュシールとロランが言葉を交わし、二人がそれぞれの手を互いに握り合う。
トントン拍子に話が進んでまとまったことに、僕が呆気に取られている横で、オスニエルは何とも満足そうに、何度も頷いていたのだった。





