謝肉祭の準備
死告竜のことも気がかりだが、聖域にはそれと同じくらいか、それ以上に重要な事柄が控えている。
そう、謝肉祭である。
僕も去年までヴァンドの市民として謝肉祭に参加していたので、ヴァンド森の聖域の関係者がどれ程忙しいかというのは、詳細までは知らずとも認識できている。
森に棲む鹿やウサギなどの獣肉の調達、子供たちによる仮装行列の先導役、三神教会とのやり取りの窓口。
そして今年からは、僕とアグネスカが使徒と巫女として聖域に加わったことで、カーン神の使徒や巫女としての仕事も、僕達に任されることとなる。
去年まではラコルデール王国の南にあるバタイユ共和国から使徒と巫女を派遣してもらっていたらしいが、今年からは僕とアグネスカがその役割を担うことになる。
バタイユ共和国の首都アンリオと、ラコルデール王国の王都ウジェは、教会同士が転移陣で繋がっているから、使徒と巫女ならウジェまで来るのは容易い。が、ウジェからヴァンドまで馬車で2日かかるのは避けられない。
それに謝肉祭の最中に使徒と巫女に宿泊してもらう宿屋の、最上級の部屋の確保も必要になる。なにせ1週間続くお祭りなのだから。
それら諸々の派遣費用を、ヴァンド近隣にあるこの聖域から僕達を派遣できれば、まるっと浮かせることが出来るのだ。さらに言えば使徒と巫女用に確保するスイートルームを空けられる。その分だけヴァンド領外から宿泊客を呼び込める。
運営母体となる三神教会としても、実際に運営を行うヴァンド市としても、これを使わない手はあり得ない。
そんなわけで僕達は死告竜に与える肉の確保と並行して、謝肉祭の準備も進めていた。
僕は今、リュシールの部屋に連れてこられて衣装合わせの最中。仮装行列の先導を行う際に身に付ける衣装を確認しているのだ。
先導役は聖域の有する獣や魔物に騎乗して、街中を練り歩く子供たちの先頭を往く。去年までの4年間は、エクトルが屋敷の狼に乗って務めていたそうだ。
「エリク様にはイヴァノエがいますからね、彼と併せる形で、イタチの獣人に変身するのがいいでしょう」
「僕もそれがいいと思うけれど……でもそれだと、この衣装、動きにくくならないか?」
僕は丈の長いチュニックのような、神官が身に付けるダルマティと呼ばれる衣服の袖口を摘まみ上げながら、リュシールの顔を心配そうに見上げた。
この服は屋敷の中で祭事用に持っている服の、子供用。簡単に言えばエクトルや、彼の前までに下働きに来ていた子供たちのお下がりだ。
袖をつまむ手を放し、服を着たままでイタチ獣人の姿に変身すると、予想通りと言えばいいのか、袖丈が余ってだぼっとした雰囲気になる。
大イタチと融合した僕の獣人姿は、二足歩行に適した体格になっているとはいえ、基本的にはイタチの肉体と大きな差はない。つまり、胴長短足。
胴が長くなるため腰の位置が下がり、足が短くなってぽてぽてとしか歩けなくなるし、腕も同じように短くなってしまうのだ。尻尾の出る位置も低くなるため、ダルマティの裾が大きく持ち上げられることが無いのは救いだけれど。
変身した僕の姿を見たリュシールが、二度三度目を瞬かせる。そうして取り出したのは数本の細い針だ。地球で言う、待ち針のような使い方をするものらしい。
「ご心配なく、エリク様の体格に合わせて、丈をお詰めいたします……あとは尻尾を出すための切込みも入れましょうね」
「うん……あの、何だったら僕、自分でやろうか? リュシール、教会とのやり取りで忙しいだろ、毎日」
裾をまくり上げられ、適切な長さに織り込んでから針で留めていくリュシールの顔を見ながら、僕はおずおずと問いかけた。
謝肉祭の準備で一番忙しくしているのは、まぎれもなくリュシールだ。元々対外的なやり取りの窓口となる彼女のこと、忙しいのは常からだが、謝肉祭を目前に控えた今はいつもよりも数段忙しい。
謝肉祭を主催する三神教会との事務連絡だけではない、ヴァンド市から届けられる祭りの計画書のチェックと使徒・巫女の派遣依頼への対応、必要となる獣肉の算出と屋台への振り分け、などなど。
ルドウィグも、エクトルも、それぞれ謝肉祭に向けて自分の仕事をこなしている。今年は僕とアグネスカだけではなく、アリーチェ、パトリス、フェルナン、アンセルムの四人が加わるため、いくらか各々の負担は減らせるとは言えども、全員総出であることには変わりがない。
ルドウィグ、パトリスは狼を連れて森に棲む獣を狩りに行き。
アリーチェ、エクトルは聖域として出店する屋台の準備に追われており。
フェルナンとアンセルムはルドウィグ達が狩ってきた獣の解体やら、屋台で使う小麦粉の製粉やらであれこれ忙しい。
実際、エクトルが中心になって謝肉祭に出店しているサンドイッチの屋台は、毎年随分人気があるのだ。僕も2年前だかの謝肉祭の時に、鹿肉のサンドイッチを買って食べて、その美味しさにびっくりした記憶がある。
ともあれ、あれもこれもと忙しいリュシールを気遣っての言葉だったのだが、リュシールはゆるりと首を振った。
「大丈夫ですよ、お気持ちだけ有り難く頂戴いたします。
書類仕事の合間に針仕事をしますと、いい具合に気が紛れるのですよ。たまの休憩と同じようなものです」
「そうか……なら、いいんだけど」
そう告げて屈みこんで裾に針を打つリュシールが、手早く作業を済ませていく。そうして僕の周りをぐるりと一周して、ピッと布地を引いて張りを作ると、ゆっくりとリュシールは立ち上がった。
「さ、後は私の方でやっておきますから、エリク様は一度こちらをお脱ぎになってください。
それほどの心配は致しておりませんが、謝肉祭の仮装行列の最中はそのお姿でいていただくことになりますし、普段とは装いを変えて人前に出ることも増えますので、日取りが近づくまで振る舞い方を練習いたしましょう」
「本番に備えて練習するのは、アグネスカだけでいいと思っていたのになぁ……」
口を尖らせる僕に、リュシールは苦笑しながら、人間族の時よりも髪の短くなった僕の茶色の頭を撫でた。
アグネスカは巫女としての役割の手順を習うため、一昨日からヴァンド市内にある聖ドミニク三神教会にて手順の教示を受けている。
使徒である僕は謝肉祭の開催宣言と、終了の際の祈りを捧げることくらいしか目立った仕事がないのだが、巫女であるアグネスカはその何倍もの仕事が待っているのだ。
僕が巫女で、アグネスカが使徒だったら、と思わないこともこれまでないわけではなかったが、こうして謝肉祭に直面すると、僕じゃなくアグネスカが巫女で本当に良かったと、つくづく思う。
ともあれ、ダルマティを脱ぐために袖から腕を抜き、襟首の部分から頭を抜いたところで、リュシールが「あら?」と言葉を漏らした。
「リュシール?」
「エリク様、失礼いたします……やっぱり。何故先程お着替えいただいた時には気づかなかったのでしょう」
訝し気に声を漏らす僕をよそに、リュシールはゆっくりと、しかし手早く僕の身体からダルマティを脱がせた。麻のズボンに綿の丸首シャツ、というシンプル極まりない姿になった僕の胸元。
細かな獣毛が生え揃った僕の胸元に刻まれた痣、カーン神の聖印がぼんやりと光を放っている。
僕は思わず目を見張った。聖印が輝くことはこれまでにも何度かあったけれど、聖域の中で輝いたことは、これまであっただろうか。
ウジェ大聖堂のオスニエル大司教様は「カーン神の存在に反応して光っている」と話をしていたが、それならこの屋敷にいる間中、僕の胸元は光りっぱなしのはずだ。
僕の胸元、光る星型に手を触れたリュシールが、信じ難いと言いたげに重々しく口を開く。
「……信じられません。このところはお仕事も無く、ヴァンドからお出になることも無かったというのに。神力が消耗しておられます」
「消耗? なんで?」
「分かりません。ウサギと交尾に励んだことが影響していることも考えられますが、そこまで神力を失うことは無いはずです。
エリク様の他、カーン神に仕える者に刻まれる聖印は、神力の取り込み口。大地から神力を吸収する際に漏れ出した神力が、こうして発光いたします。
使徒であるエリク様は自らで神力を生み出すこともなされるお方、使徒になりたての青の月ならともかく、今の時分に聖印が発光するまで神力を消耗するはずが……」
「守護者様!!」
混乱した様子を隠せないままに、脱いで畳んでいた麻のシャツを僕に差し出すリュシールが、話をする中。
バンと大きな音を立てて扉が開け放たれた。中に飛び込んできたのはパトリスだ。
上半身が下着姿だった僕がとっさに手に持ったシャツで胸元を隠す。僕の姿を見て、驚きに目を見張るパトリスだったが、すぐさま頭を低くした。
「お取込み中のところ申し訳ございません、緊急事態です!
聖域で匿っておりました死告竜の幼体が、傷をおして聖域から飛び立とうとして……今、神獣様が身を挺して留めております!」
「何だって!?」
「何ですって!?」
パトリスの報告に、思わず僕は手に持っていたシャツを取り落とした。リュシールも驚きに目を見開いている。
まさか、もう動き出そうとするだなんて。まだ傷も癒えていないというのに。
僕とリュシールはすぐさまにリュシールの部屋から飛び出し、駆け出した。聖域の外に出られたらもう入って来れない。ルスランが止められなくなる前に、何とかしなくては。





