灰に覆われた村
僕達は早速、ミオレーツ山に転移して山の東側にある狼の村へと向かった。
人員の受け入れや何やかんやでここのところ何度もヴィルジールとは顔を合わせているので、僕の顔を見てすんなり迎え入れてくれたが、アグネスカにアリーチェもいることに彼は驚いたようだ。
早速ヴィルジールの家のリビングに招き入れてもらい、オスニエルから依頼された仕事の話をすると、彼は大きく頷いた。
「ほうほう、噴火した火山傍の村に農園を……そういうことでしたら、喜んで我々の人材をお貸しいたしましょう」
快諾してくれたヴィルジールに、僕は表情を明るくしながら頭を下げた。
何しろ、今狼の村は春小麦の刈入れを控えていてあちこちの畑が慌ただしいのだ。そんな時に聖域に人員を派遣し、チボーでの仕事に人員を派遣し、となると人手が足りなくなりそうで申し訳が無い。
「すみません、春小麦の畑が刈入れ間近で大事な時だと思うのに」
「なに、最近は西のイタチ人も農作業に協力してくれておりますからな。作業量に余裕があるのですよ。
……しかし、一名でよろしいのですか? 使徒のお仕事とあらば、群れ全体で協力することも吝かではないのですが」
「だ、大丈夫ですって。チボーの人達の手も借りられることになっていますから」
首を傾げるヴィルジールに、僕は慌てて両手を突き出して申し出を辞した。
あんまり大人数で押し寄せても村に申し訳が無いし、そもそも村にはこれまで農業に携わってきた人たちがいるのだ。一人借りられるだけでもありがたい話である。
「かしこまりました。ちょうどいい人材がおりますので、今お連れいたします。ラファエレ! ラファエレはどこにいる!?」
席を立って家の扉を開け、外にいる狼人達に呼びかけるヴィルジール。
程なくして呼ばれた一人の狼人が来たらしく、家の外で二言三言なにやら話し合ったところで、ヴィルジールが茶色い毛皮で可愛らしい顔つきをした、男の狼人を伴って戻ってきた。
「お待たせいたしました、お三方。こちらが今回、お三方に同行させていただくラファエレです」
『お久しぶりです、使徒様。巫女様、神獣人様は初めまして。おいらはラファエレ・シモンといいます。これから、よろしくお願いします』
ヴィルジールに肩を叩かれた狼人――ラファエレは、深く頭を下げながらベスティア語でそう告げた。
その見た目と一人称の「おいら」に、僕の表情がほんのりと緩んだ。
「ラファエレがついてきてくれるんですか? 心強いです。よろしくね、ラファエレ」
「そんなに優秀なんですか? エリク」
「東の王様自ら農業を教えている生徒の一人だよ。その中でも成績優秀だって、王様から聞いてるんだ」
「あー……彼が記憶していました、ラファエレ・シモン。1歳の頃から村一番に農業に熱心だって噂が立ったほどの、あのラファエレですか」
僕の様子に不思議そうな表情をしたアグネスカと、過去の記憶を引っ張り出して感慨深げに目を閉じるアリーチェだ。
狼の村ではヴィルジールから教えを受けた狼人や魔人族が、若い狼人や西の群れのイタチ人、冒険者養成学校からやってきた冒険者のタマゴたちに農業の講義を行っているのだが、中でも成績が優秀だったり素質や知識が秀でていたりする生徒には、ヴィルジール自らが講義を行うようになっている。
選抜クラスとも呼ばれるその集団の中でも、ラファエレは抜きんでて成績がいい。特に農具の扱いが非常に上手いのだ。
自分の技量が他人に認められているという状況に、ラファエレが恥ずかし気に頬を掻く。
『はい、6ヶ月で鍬を握ってから今までずっと、農業に生きてきました。使徒様のお手伝いが出来て光栄です』
「彼はルピア語は話せませんが聞き取りは出来ますし、農業の知識と経験については年若いながら我が村でも指折りです。是非、お役立てください」
「ありがとうございます」
にっこりと屈託のない笑顔を見せるラファエレを僕の方へと送り出し、口元をほころばせるヴィルジールに、僕は改めて礼を返した。
人員が揃ったところで、次はチボーへの道程である。アグネスカが僕へと疑問の声を投げかけてきた。
「オダン領チボーまでは、どうやって行くんですか?」
「ウジェ大聖堂の前で、オスニエル大司教様とチボーの村長さんと待ち合わせてるんだ。そこからは、チボーまで馬車で行くよ」
「馬車ですかー。なんか、転移陣での転移に慣れちゃっているせいか面倒に思えてしまいますねぇ。
いっそチボーにも転移陣、敷いちゃいます?私も陣を描けるようになったので、いくらでも敷けますよ」
『神獣人様も使徒様のように転移が出来るのですか? すごいです。おいらは山から出るのも初めてなので、今からわくわくしています』
「横着も過ぎると毒ですぞ、アリーチェ殿。馬車での旅も趣があってよろしいですからな。エナン領からオダン領に入る辺りの風景などは実に素晴らしい」
面倒くさそうに提案してくるアリーチェに、苦笑しながらたしなめるヴィルジールと、キラキラした目でアリーチェを見ているラファエレに、僕はそっと微笑みを零すのだった。
「オスニエルさん、お待たせしました」
「おぉぉ、使徒様に巫女様、神獣人様もお揃いで! お待ち申し上げておりました」
何はともあれ4人で王都ウジェへ。ドラクロワ冒険者養成学校の中庭からウジェ大聖堂まで移動すると、満面の笑みでオスニエルが僕達を出迎えてくれた。
彼の隣にはちょっとお腹の出た、見た目50代くらいの人間族男性が立っている。
僕と、僕の後ろを歩く三人の姿を認めた男性が小さく目を見開くと、ニコニコと僕を見つめるオスニエルに視線を投げた。
「大司教殿、この少年が、話に聞くカーン神の……」
怪訝そうに問いかけをする男性に対し、オスニエルは無言で頷くばかりだ。
自分で話を進めた方が手っ取り早いと判断した僕は、一歩前に進み出て男性に頭を下げる。
「はい、カーン神の使徒を拝命しております、エリク・ダヴィドと申します。
こちらの山猫の獣人族が巫女のアグネスカ、こちらが神獣人のアリーチェです。こちらの狼人は農業の専門家のラファエレです。
若輩者ですので、どこまでお力になれるか分かりませんが、よろしくお願いいたします」
「これはこれは、お若いのに立派なご挨拶でいらっしゃる。山村チボーの村長を務めております、アダン・ルヴァリエと申します。
この度はお力添えくださいまして、誠に感謝を申し上げます。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます」
村長の男性――アダンは僕の手を両手で包むと、しっかりと握手をした。
がっしりとした力強い手だ。きっと若い頃は農作業やら山林の作業やら、こなしてきた男性だったのだろう。
僕の手を握ったままで、アダンの目が僕の後方に並び立つ三人に向く。
「それにしましても、錚々たる面子でございますなぁ。カーン神の使徒に巫女に神獣が揃い踏みとは……
事態打開の為に使徒のお力を、と大司教殿に打診した時は賭けのつもりでおりましたが、いやはや、賭けてみるものですなぁ。
早速向かいましょう、エリク殿。馬車はあちらに用意してありますので」
その表情はなんとも嬉しそうで、言葉の端々から喜びが伝わってくるが、何となしに僕以外の三人を僕よりも下に見ているような感じが否めない。
世間一般の人々からしてみたら、神の使徒は神と同等で、巫女や神獣は神に付き従うもの、という認識になるのだろうから、きっとこれが一般的な見方なんだろうけれど。
思えば、使徒の役目を負ってから、市井の人と触れ合うことが今までなかったな、と思い返しながら、僕は用意された馬車へと向かっていった。
馬車に乗り込んで、チボーへ出発してからも、アダンの口は回りに回った。
あまりにも止め処なく動き続けるものだから、話を聞いている僕の方が心配になってくるほどだ。
そしてそのアダンの目が向いている先は、大概、どころか八割がた僕である。あとはアグネスカとアリーチェに一割ずつくらい。ラファエレに至っては殆ど見向きもされていない。
「ほう、それでは青の月に神力にお目覚めになられて、その一月後にはもう神術行使が出来るようになられたと」
「はい、そうです。なのでカーン神の使徒としては、まだ新米で……」
「なぁに、この手の役柄に年数は関係ありませんからなぁ。胸を張ってよろしいですぞ」
六人掛けの馬車の中、僕の隣に座る形になっているアダンが僕の肩を叩く。
その様子を反対側の座席に座りながら、さも面白くなさそうに見ていたアリーチェが、声を潜めて隣のアグネスカに耳打ちした。
「なーんか蚊帳の外って感じですね、私達……」
「ルピア三大神の使徒というのは神の現身ですからね。市井の人が巫女や神獣よりもそちらに目が向くのは、ある意味で当然かと」
『巫女様巫女様、外を見てください! 牧場の牛が足を動かしていないのに、あんなに早く動いています!』
こんな状況に置かれても冷静で平静なアグネスカは、眉一つ動かさずに言葉を返した。
そしてそのアグネスカの隣、ラファエレは自分に話題が振られないことなどどこ吹く風、車窓の外の流れゆく景色に先程から釘付けだ。
狼人の4歳は人間で言うと大体15歳くらいなので、僕よりは年上になるはずだが、なんとも屈託がない。
ベスティア語で騒がしくアグネスカを呼ぶラファエレに、ここに来てようやくアダンが視線を向けた。
「……ちなみにエリク殿、先程から気になっていたのですが、その、そちらの茶色い毛皮をした狼人、彼はルピア語は……」
「すみません、ラファエレはベスティア語しか話せないんです。ルピア語の理解は出来るので、こちらの言葉は通じるんですけれど」
「なるほど……それで、農業の専門家、と仰る」
「今彼は4歳ですが、6ヶ月の頃から農業に携わってきましたので。知識と経験は十二分にありますから、ご安心ください」
ラファエレの能力が疑われているような気がして、はっきりと彼への信頼を述べる僕に、アダンは小さく肩を竦めながら目を見開いた。
まぁ、僕だってまだ12歳、使徒という役割故の期待や信頼こそ受けられるものの、年齢を見ればまだまだ子供だ。そんな子供の言葉でどこまでラファエレが信頼出来て才能のある人物か、熱弁したってたかが知れているわけで。
「まぁ、そうですね……使徒であるエリク殿がそこまで仰るのであれば……」
そしてアダンは大方僕の予想通り、僕の使徒という立場を鑑みて疑いの眼差しを収めたのであった。
王都ウジェを出る頃には高かった陽も沈んで、周囲が夜闇に閉ざされる頃合い。
山村チボーの奥、大きな屋敷の前で、馬車が止まった。御者によって開けられた扉から、僕は村の景色を視界に入れる。
「長旅お疲れ様でしたエリク殿、皆様。ここが私の村、山村チボーでございます」
「うわぁ……」
ゆっくりと馬車から降りて、夜闇の中に人家の灯りがぽつぽつと点る風景に、僕は思わず声を上げた。
残念ながら、感動から出た声ではない。思っていた以上の惨状に呆気に取られて出た声だ。
なにせ、これだけ人工的な明かりが無い夜なのに、星がちっとも見えないのである。火山灰に隠されているのだろう。心なしか地面の感触も柔らかい。
僕の後に続いて馬車の外に出たアリーチェが、小さく咳き込んだ。
「けほっ、けほっ……火山灰ですか、これ? なんか埃っぽい……」
「その通りです。火山の裾野という土地柄、時折降るのですよ」
我々はもう慣れっこですけどね、と零すアダンだが、その表情は暗い。ドニエ火山の恵みに抱かれて生活しているとは言えど、辛いものは辛いのだろう。
傍らのラファエレがしゃがみ込んで、砂と灰の混ざった地面の土を一掴み取って、サラサラと零しながら口を開いた。
『土壌も火山灰性ですね、降り積もったばかりだから柔らかくてふかふかです。耕しやすくていいんですけれど……』
「やっぱり、土壌に手を加えないといけない?」
『このままでは、神力の調整をしても土壌に力が無いんです。勿論、作物も育ちません』
立ち上がって眉を寄せながら所見を述べるラファエレに、僕は小さく頷いた。
地球にいた頃、社会の授業で習った覚えがある。火山の国である日本には火山灰性土壌は多いが、特に火山に近い土地は農地には向かないことが多かったはずだ。
火山由来のミネラルが豊富だが、それゆえ酸性に傾きやすく、有機物系の栄養が不足しやすいのだ。
それをそのままアダンに伝えてもいいのかもしれないが、問題はミネラルや酸性といった単語が通じるかどうかである。多分ラファエレは感覚でその辺りを分かっているんだろうとは思うけれど。
ひとまず、翻訳である。
「土地の神力の調整に加えて、土壌そのものの改良も必要だと言っています」
「なるほど……問題は山積みですな。ともあれ、今日はもう遅いです。私の家にご招待しますので、詳しい話はそちらで行いましょう」
僕の発言を受けて肩をすくめるアダンが、目の前の大きな屋敷の扉を開けた。
確かに頃合いは夕食時。僕達は足についた火山灰をしっかり払って、屋敷の中に招かれていった。





