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地母神の右手

 陽が沈み、皆で軽い夕食を取った後。13の刻を過ぎた頃合いに。

 僕はトランクィロの手によって、身体に(まじな)いの紋様を描くための準備を施されていた。


「王様、呪術士(シャーマン)だったんですね……」

「ま、これでもな。まさか解呪神術を目の当たりにする機会に恵まれるどころか、自分の(まじな)いで関われるとは思っても見なかったが」


 薬草や果実、木の根を磨り潰して作られた塗料を筆に取り、自分の手の甲に付けて色を確認しながら、トランクィロはそう言って目を細めた。

 今まで彼がどういう能力を持ち、どういう力を使える人なのか知らなかったし、知る術もなかったが、まさか呪術士(シャーマン)だったとは。

 よくよく話を聞いたら、彼も国立ドラクロワ冒険者養成学校の卒業生だとのこと。ここにも先輩が存在した。


『王様ー、頼まれていた蛍草(エルバ)野蕪(ラーパ)の根、持ってきたっす』

『泉から綺麗な水も汲んできたぞ』

『おう、サンキューな二人とも。蛍草(エルバ)野蕪(ラーパ)は、よく洗って土を落としておいてくれ』


 トランクィロの命で塗料の素材を探しに行っていたイヴァノエとアリーチオが戻ってきて、トランクィロの座る筵の上に素材をこんもりと山にして置いた。

 蛍草(アイセレ)野蕪(ナーフェ)の根も、薬の材料として知られている素材だ。ここにも呪術的な要素があるのだろう。

 取ってこられて水で洗われる素材を次々に擂り鉢に放り込んで潰すトランクィロの前で、僕は手近な蛍草(アイセレ)を一本摘まみ上げる。


「これが、紋様を描く染料になるんですか」

「そう。今回は特に対象が自然神にまつわる神術であり、厄呪だからな。これらを材料にするのが一番術が馴染む」

「さっき、念入りに水浴びをするように言っていたのも、これで描くから、ですか?」

「そういうこった。素肌に直接描いていくからな。

 ……さ、出来たぞ。全身に描くから暫くくすぐったいだろうが、辛抱しろよ」


 再度塗料の色合いを確認したトランクィロが、一つ頷いて僕へと手招きした。

 ちなみに全身に(まじな)いを施す必要があるため、今の僕は人間族(ヒュム)の姿で、かつ一切の服を身に着けていない。

 陽が落ちているので肌寒いが、少しの辛抱だ。

 僕の地肌の上にするすると筆を走らせて紋様を施しながら、トランクィロが僕へと言葉を投げかけてくる。


「守護者様も話していたが、お前に厄呪を移し替えて封じ込めて、時間をかけて浄化していく間に、また厄呪が活性化しないとも限らん。

 それに神術の副作用で、お前の身体に月輪狼(ハティ)の器が混じる可能性もある。

 だから今回は主に、お前の肉体を『定義』する(まじない)いを中心に施していく」

「定義……」

「そうだ。

 『彼の者は此処に在りエクステンシャル・プルーフ』、『人は獣に非じイズント・ア・ビースト』……この辺りで、お前を人間族(ヒュム)の器に先んじて定義する。

 元々は、死霊だの亡霊だのを相手取る際に、乗っ取られないように施す(まじな)いだ」


 (まじな)いの説明を進めながら、トランクィロの筆は淀みなく僕の上を進む。

 僕は手の甲に描かれた赤紫色の紋様に視線を落として、不安をにじませながら口を開いた。


「僕は……無事に、解呪を完了させられると、思いますか?」

「思う。っていうか寧ろ、守護者様方や巫女の嬢ちゃん、俺が絶対に無事に完了させる(・・・・・)

 心配すんな、エリク……お前は強い子だ。邪神の呪いなんかに負けるような奴じゃねぇ」

「王様……」


 筆を止めて力強く宣言しつつ、トランクィロは僕の目をまっすぐ見た。

 黒い瞳が僕の顔を映し、不安に駆られる僕の表情を僕へと見せつけてくる。

 その瞳を見返して少し目を見開いた僕の後ろから、イヴァノエとアリーチオがそっと身体を寄せてきた。

 アリーチオの黒い手が、僕の頭を優しく撫でてくる。


『エリク、大丈夫だ。お前なら絶対に、絶対に何とか出来る。俺が保証してやる』

『王様の言う通りっす! エリクさんはとっても強い子っすから、月輪狼(ハティ)さんも助けられるっす!』

「イヴァノエ、アリーチオ……」

『おいおいお前ら、まだ紋様を描いてる最中なんだ、乱すんじゃねぇぞ、この野郎』


 トランクィロに小言を言われながらも僕を勇気づけようとする二人の姿を、遠目から見つめていたルドウィグとリュシールが微笑まし気に眺めていた。その傍らには簡素な貫頭衣に身を包んだアグネスカも立っている。

 そして三人とも、エリクよりも先んじてトランクィロの手によって施された赤紫色の(まじな)いの紋様を、その身に描かれていた。


「エリク様は、いいご友人に恵まれたようですね」

「あの人当たりの良さこそが、エリク殿の真なる力かもしれんなぁ」

「そうですね……そう、思います」


 友人たる伴魔に寄り添われる自分たちの使徒の姿を、三人は愛おしそうに見つめるのであった。




 そして14の刻。

 地面に描かれ、幽かに光を放つ神術円の中心に、月輪狼(ハティ)が連れてこられた。

 この日は朔の月の少し手前、弓のように細い月が空に昇っている。月輪狼(ハティ)の表情は少々苦しそうだが、その息遣いは穏やかだ。

 僕はその月輪狼(ハティ)に寄り添うように、神術円の中心に立っていた。傍らにはアグネスカの姿もある。

 その円の外縁部には、4匹の(ループ)が神術円の線と線の交点に等間隔に立っていた。円の外周部をぐるりと回ったパトリスが、一つ頷くとヴィルジールの元へ走る。


『我が王、アルフォンソ以下4名、神術円の所定場所への移動が完了いたしました』

「ありがとう、パトリス。守護者様、ご指示の通り、(ループ)4匹の神術円への配置が済みました」

「ご協力、感謝いたします。それではこれより、『地母神の右手プラヴァーヤ・ルカ・ボギニ』の行使に入ります。皆様、お下がりください。日輪狼(スコル)様は、あちらへ」

「相分かった」


 リュシールの声が飛ぶと共に、僕、アグネスカ、リュシール、ルドウィグ、日輪狼(スコル)、配置された(ループ)以外の面々が神術円から距離を取った。

 そしてリュシール、ルドウィグ、日輪狼(スコル)の三名で三角形を描くように神術円の中に立つと、神術円が淡く輝き始めた。どうやら、神術の行使が始まったようだ。

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。その僕の顔を、アグネスカがそっと覗いてくる。その表情は真剣そのものだ。


「……エリク、準備はいいですか」

「大丈夫……アグネスカも、よろしく頼む」


 僕がこくりと頷くのを確認したアグネスカが、立ち上がって両手を組み、ぐっと天に向けて掲げる。

 すると地面で輝く神術円の光が一層強くなる。今は夜、月も細い夜だというのに、まるで満月の日のような明るさである。

 その光に苦痛を感じたのか、僕の傍の月輪狼(ハティ)が呻き声を上げた。


『ぐぅぅ……』

「大丈夫、大丈夫だからね……もう少しの我慢だから……」


 優しく声をかけて、僕は月輪狼(ハティ)の黒く染まった毛皮に手を当てた。こんなにどす黒い色に変化しているのに、その手触りは不思議と柔らかく、温かい。

 そのまま僕は目を閉じて、両の手の平からゆっくりと流し込むようにして神の力を送りこんでいった。皮膚を突き抜けて、その下の層、堅い殻の上をなぞっていくようにして、慎重に月輪狼(ハティ)の身体から呪いを剥がしていく。

 神術円の中心で僕が神の力を流し込み、その後ろでアグネスカが神の力を増幅させ、辺りに淡い緑色の光が広がっていく中で、その様子をじっと見つめていたイヴァノエはふと隣に立つトランクィロに声をかけた。


『親父、なんで(ルーポ)が解呪に必要なんだ?魔力を吸い出すだけなら俺達だっていいんじゃねぇのか』

『……お前は、自分の身体から毛皮を引き剥がされたら、どう思う?』

『へ?そりゃあ……恥ずかしいし、痛ぇし、でも人間みたいに服を着るわけにはいかねぇから、また毛が生えてくるまで、草地の中に隠れるんじゃねーか?』

『そうだろうな。毛が生えてくるまでじっと耐えるか魔法で癒す、皮まで剥がされたら代わりになるものを身に纏う。こんなところだろ。

 肉体を覆う厄呪を神の力で剥がされたあの月輪狼(ハティ)も、そんな風な状況になる』


 腕を組んで、まっすぐと前を見据えたまま、トランクィロは厳かな面持ちで答えた。

 要領の得ない回答に、イヴァノエが小さく首を傾げる。トランクィロはちらりとそちらに視線を向けると、すぐさま視線を戻して言葉を続けた。


『……『夜闇の呪い(テムナェ・ノーチ)』は、生物の肉体と魂――いわゆる「器」に深く根を張る呪いだ。まるでお前らが身に纏う毛皮みたいに、そいつを覆いつくしちまう。

 それを神の力で剥がすってのは、毛皮と身体の境目にナイフを通すようなもんだ。上手く剥がして取り払っても、暫くの間「器」が剥き出しになっちまうんだ。

 剥き出しになった「器」をすぐに覆えるように、あの(ルーポ)達はあそこに配置されているわけだ』

『じゃあ、あの(ルーポ)達は……謂わば、月輪狼(ハティ)の毛皮代わりにされるってことっすか!?』


 驚きに満ちた表情で声を上げるアリーチオ。その彼をトランクィロは視線を動かさないままに片手で制した。


『物理的に毛皮を剥いで被せるのとは全く異なるぞ、早合点するなこの野郎。

 『夜闇の呪い(テムナェ・ノーチ)』を全部剥がしても、月輪狼(ハティ)の身体に見た目の変化があるわけじゃあない。よっぽど激しく「器」を損なわれた場合は、また別だが……

 だが、それまで自分を覆っていたものが無くなるってのは、その分だけ「器」が軽く小さくなるってことだ。肉体が損なわれれば存在が希薄になるし、魂が損なわれれば自我が失われる。

 それを補うには、自分と同じ「器の()」を持つ生き物のエネルギー――まぁ魔力もそうだが、そういうもんで埋めていくのが一番いいんだよ』


 そこで言葉を切って、トランクィロは顎をくいとしゃくった。それに従って、イヴァノエとアリーチオも前方を見やる。

 神術円の中心では、僕による神の力を流し込んで呪いを剥がす作業が終わりに近づいていた。横たわる月輪狼(ハティ)の身体の九割程が、淡い緑色の光を発している。

 光を発する範囲はどんどん広がっていき、やがて月輪狼(ハティ)の全身が光を放つようになったことを確認して、僕はようやく彼女から両手を離した。


「リュシール、神の力が……月輪狼(ハティ)の全身に行き渡った」

「了解しました、それでは次の段階に入りましょう。エリク様とアグネスカ様は、第二円の外側までお下がりください。

 ルドウィグ、日輪狼(スコル)様、これから厄呪の封じ込めに入ります。先んじてお伝えした通りにお願いいたします」


 リュシールは僕に向かって頷くと、視線を後方に移した。その視線の向いた方向、リュシールの後方辺りにアグネスカと並んで立つ。

 僕達が下がったことを確認したリュシールが、ルドウィグと日輪狼(スコル)に目配せする。二人はこくりと頷くと、ルドウィグとリュシールは片腕を、日輪狼(スコル)は頭を、ぐっと持ち上げた。

 それを振り下ろすようにしながら、同時に叫ぶ。


「「「神の檻ボーズィヤ・クレートカ!」」」


 刹那、振り下ろされた三人の手や口元から、光り輝く網が月輪狼(ハティ)めがけて放たれた。

 網は月輪狼(ハティ)の身体に被さるようにすると、彼女の身体を覆ってその全身を包みながら宙へと持ち上げる。

 そのまま、網が呪いの力を抑え込むかと思われたが、次の瞬間、月輪狼(ハティ)の身体がびくりと跳ねた。同時に彼女の毛皮を覆っていた真っ黒な何か(・・)が、網を押し破ろうと刺々しい形を取りながら押し返す。


「何事だ!?」

「厄呪が、封じられまいと暴れています……! お二人とも、網を狭めて! 破られないように!」

「何という力だ……こんな呪いを、我が月輪狼(ハティ)はその身に……!」


 ルドウィグやリュシールにとっても、この厄呪の抵抗は予想外だったらしい。焦りを浮かべながら光の網を握る手に力を籠めた。

 僕とアグネスカは互いに寄り添うようにしながら、その有り様を心配を露にして見守っていた。互いの腕を掴む手に、ぐっと力が入る。


「こんな……こんなことになるなんて……」

「エリク……!」

「大丈夫、アグネスカ……僕にも、皆にも、西の王様が施してくれた(まじな)いがあるんだ……!」


 縋るように僕の名前を呼んだアグネスカに言い聞かせるようにしながら、同時に僕自身にも言い聞かせるようにして、僕は言葉を零した。

 そうこうしているうちにも、網を破ろうとする厄呪の抵抗はますます強くなっていた。ルドウィグもリュシールも日輪狼(ハティ)も目いっぱい力を籠めて網を引き絞っているのに、厄呪を抑え込める様子はない。

 むしろ、網の方が耐えきれない様子で、バチッ、バチッという破裂するような音を辺りに響かせていた。ルドウィグが驚愕にその目を見開く。


「馬鹿な、守護者と神獣の三人がかりだぞ!?」

「まさか……神術が喰われています!! このままでは保ちません!」

「おのれ忌々しい……! 小僧、小娘! 下がれ、破られるぞ(・・・・・)!!」


 険しい目つきで厄呪をねめつける日輪狼(スコル)が吠えたその瞬間。まるでパンパンに膨らんだ風船が割れるように、光の網が弾け飛んだ。それと同時に浮かんでいた月輪狼(ハティ)の身体が地面に落下する。

 網から放たれた真っ黒な闇のような厄呪はまるで靄のように宙に浮かぶと、一直線に僕のいる方向へと超高速で飛来してきた。

 それはまるで、最初から僕を狙ってきたかのようで。もしくは、本当に僕を狙ってきたのかもしれない。なにせ月輪狼(ハティ)の身体から引き剥がしたのは僕だ。

 守護者と神獣の力を以てしても抑えきれない呪いを、果たしてトランクィロが施してくれた(まじな)いで防ぎきれるだろうか。

 逃げるべきだ。しかし厄呪の方が何倍も速い。後ろを向いている間に捕まる。

 真正面から突っ込んでくる黒い靄が僕の身体に触れる僅か前に。




『エリクさんっ!!』




 僕の身体を庇うように、黒い毛皮に覆われた(・・・・・・・・・)被毛の薄い細い腕(・・・・・・・・)が後ろから伸びてきた。

 その腕に抱きしめられた次の瞬間、視界がぐるりと回る。その直後に背中に感じる強い衝撃。


『っぅ、ぁ……!!』


 その衝撃をまともに受けた()の、くぐもった声が響いた。

 あまりの勢いに僕を抱いていた両腕が離れ、僕は地面に投げ出される。

 一瞬の間の出来事を、客観的な視点で見ていた全ての人々が、魔物が、一様に驚きを露にしていた。

 最もこういった局面で(・・・・・・・・・・)動くはずのない人物(・・・・・・・・・)が、自然神の使徒を庇い、迫り来る厄呪からその身を守ったのだ。


「馬鹿な……!」

『なんだと……!?』

「無茶しやがって……!!」


 ヴィルジールが、イヴァノエが、トランクィロが、思わず驚愕の声を漏らす。

 ようやく顔を持ち上げて、後ろにいる()の方へ振り返った僕が目にしたのは。


「……アリーチオ!?」


 厄呪の黒い靄に全身を包まれたまま、地面に両手をつくアリーチオが。

 その赤い瞳の焦点を力なく彷徨わせて、苦悶の表情を浮かべている姿だったのだ。




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