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森の深淵

 朝食を食べた僕は、外歩き用の服に着替えると、パチンコで弾かれるように家を飛び出した。

 家から歩いて10分――こちらだと1ジガーという――で到着する距離にある東の森は、周辺住民にとって馴染みの深い、生活に密着した森だ。

 今回の僕のように焚き木を取りに来る者も多いが、カーン様の許しを得た上で森の獣を狩りに来る者もいれば、森に育つ果物やキノコを採りに来る者もいる。

 いずれも、自然の神のお恵みに与ろうという、生活のためにお目こぼしをいただくという立ち位置での、自然の恵みを享受する動きだ。

 なので僕も森に入る前に、自然神カーン様への祈りを捧げ、森に立ち入る……はずだったのだが。


「なんでアグネスカまでついてきてるんだよ」

「エリクの身の安全を守るためです。他意はありません」


 祈りを捧げ終わった僕の後ろには、何でもないような表情でアグネスカが立っているのだった。

 分かっている、本当は僕の身を案じてのことではなく、僕を監視するためについてきているのだということを。


 獣人族は総じて自然神カーンを崇め奉っている。

 彼らの生活は自然と共に在り、文明の中においても自然とは切り離せないものが多分に存在するからなのだが、アグネスカの信仰は敬虔という言葉がぴったり当てはまった。

 食事前の祈りは言うに及ばず、起床後、就寝前の祈りどころか中天の祈りさえも毎日欠かしたことがない。

 故に、彼女は身の回りの人間が、カーン様の気を損ねないかどうかを殊更に気にしていた。


「焚き木を拾いに来るってだけなのに、大袈裟だぞ」

「だからこそです。この森は野生の動物も数多い。いつどこでエリクが怪我をするともしれません」


 僕の言葉に、アグネスカはいつものように淡々と返すのだった。

 アグネスカに心配されなくても、僕だってちゃんと分を弁えている。だから心配することなんて無いのに。

 そう思いながら焚き木になる枝を拾っては、背中に背負った籠に放り込んでいくのだが。ふと周囲の風景に違和感を覚えて、僕は焚き木拾いの手を止めた。


「なぁアグネスカ」

「はい、なんでしょうエリク」

「この森って、こんなに鬱蒼としていたっけ(・・・・・・・・・)?」


 気が付けば辺りの風景は、右を見ても左を見ても木、木、木。

 上から差し込む木漏れ日はまばらで、午前中のはずなのに薄暗かった。

 いつもならもっと、木の本数は少なく、太陽も多く差し込んでいるはずなのだ。


 僕の背中を冷たいものが走る。

 アグネスカに言われた通り、この東の森にはいくらか野生の獣が棲んでいる。

 だから焚き木を拾いに行く際も「森の奥地には立ち入らないように」「獣に出会ったらすぐに逃げるように」と、日頃から言い含められているのだ。

 もしかしたら僕は知らず知らずのうちに、森の奥まで踏み込んでしまったのではないか。

 不安と恐怖が身体を満たす僕に対して、しかしアグネスカは冷静に、僕に頷いて見せた。


「ここは東の森の外縁部からいくらか奥に踏み入ったところです。そろそろ獣の姿も見えてくるでしょう。

 ですが心配は無用です、エリク。貴方にはカーン様のご加護がありますから」

「ご加護が、って……アグネスカ、待ってよ!」


 そのままスタスタと、森の奥の方に向かってアグネスカは歩いて行ってしまった。僕のお目付けで着いてきた筈ではなかったのか、と疑問に思いつつ、僕はその背中を追いかけていく。

 というか、いくらカーン様の加護があるからって、獣に出会っても心配しなくていいとは、どういうことだろうか。

 周囲はどんどんと木の色が濃くなり、木の幹も太くなってくるのが見える。深く踏み込むごとに、森の自然が視界を埋め尽くしていった。


 そこで僕は、不思議な感覚に陥ってアグネスカを追いかける足を止めた。

 大自然の中に、自分が一人立っている。その自分の中に、周りの空気が、草や土の香りが、自然そのものが、一挙に入り込んでくる。自分の存在が自然の中に、森そのものの中に溶け込んでいく。

 胸元の徴がぼんやりと熱を持つのと同時に、僕は意識がゆっくり拡散していくのを感じていた。


「ようやく、自然神カーン様のご加護の真価の一端を発揮されたようですね」


 森全体に意識が拡散し、森の木々を、森の獣の息遣いを感じられるようになった時、いつの間にか僕の目の前に立っていたアグネスカが、優しく声をかけてくる。

 加護の真価の一端?


「自然神カーン様のご加護を与えられた貴方には、いくつもの奇跡が授けられていますが、その一つが『自然との一体化』。

 森と、大地と、風と一体化することで、世界を広い視点で見て、広い範囲を感じ取ることが、貴方には出来るのです、エリク」


 目の前にいるはずなのに、どこか遠くから聞こえてくるようなアグネスカの声を、僕はぼんやりと聞いていた。

 自然と文字通り、一体化する力。一体化した自然の中に息づく植物や動物を感じ取る力。それはまさしく、神のようになる力だろう。

 実際、僕の意識は森のあちらこちらで生きる獣たちの位置情報や息遣いだけで溢れ返りそうになっていた。12歳の人間の脳味噌には負担がかかりすぎる。

 何かしら、意識を向ける大きな存在があれば、他のは気にならなくできるのだが――そう考えた僕は、一際巨大な存在感の獣が、僕とアグネスカに近付いてきているのを感じ取った。

 大きい。そして明らかに強い。


 僕は慌てて意識を自分の体に引き戻し、人間サイズに収まった意識をしっかと握り締めて大地に立つ。

 そしてそこに、落ち葉を踏みしめ現れたのは。

 山吹色の目映い毛皮を持った、澄んだ灰色の瞳を持つ、一頭の巨大な(ティーグル)だった。





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