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梶原洋一の音楽  作者: 佐藤佑樹
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梶原洋一の音楽 2

 数年ぶりに街のバーに来ていた。久しぶりだね、何にする、と聞かれ、迷ったすえに、カンパリをと、応えた。そのまま? はい、ロックで。レモンはつける? お願いします。

 梶原洋一とよくこの店に来た。店内は静かで、いつ来てもフュージョンが流れていた。彼はマスターと音楽の話をするばかりでちっとも構ってくれなかったっけ。だが彼の横顔は無垢な子どものようで、眺めているだけで充分に安らいだ。

 初めて来たのはいつの頃だったか、たしかあれは、私が二十歳になったばかりの頃、そうだ、街で再会したんだ。一緒にご飯を食べに行って、それから彼に連れられてここへ来たんだ。

「久しぶりだね。元気にしてた?」

 彼とは同じ高校だったが、当時の印象は図書室の隅で本ばかり読んでいる内気な人というもので、その彼がにこやかに手を挙げて、私の目には至極新鮮に写っていた。

「そっか、がんばってるんだね。俺は、大学辞めようかと思ってる。なんだか、息苦しくてさ」

 彼はゆっくり口にした。

「そんな…先輩、あんなに受験勉強がんばってたじゃないですか」

「それは関係ないよ。今の大学に入るってのは、高校ん時の俺が思ってたことだから、今の自分がやりたいことでは、決してないんだ」

 難しいね。彼はすっとグラスに目を落とした。その表情に、彼の秘密を見た気がした。母校の先輩でしかなかった彼をとても近しく感じた。

「本当のことを言うと、実は私も、最近、なんか学校が、行くのが、嫌なんです」

「どうして?」

「私もなんだか息苦しい気がして…。ここは自分のいるべき場所じゃないっていうか…」

「じゃあ、君の本来いるべき場所って、本当にいたかった場所って、どんなところなんだろう?」

 その時、ふと、あ、この人モテないな、て。ちょっと、笑える。

「でも、今やりたくないことでも、自分が決めたことなら、やり通さないと、ならないよね。俺もだけどさ」

 カランと音がしてグラスが置かれた。どうぞ、マスターが言った。

「梶原くんは、カンパリが大好きだったね」

 サックスの音色が流れ始めた。

 そっか。マスターは知っていたんだ。お酒を口に含む。苦みと甘みとが広がってきた。煙草を取り出すと、火をつけた。煙はやがて眼前に広がり、だがすぐに霧散していった。

「梶原くんとは、あれから連絡は?」

「いえ、全く…。訃報も、新聞で読んで知ったくらいで。お葬式にも行けなくって」

「実は僕も、お客さんからの又聞きでね。詳しいことが何も分からないんだ」

 吸ってもいいかな? マスターも火をつけた。私たちは無言で煙を吸った。

 どれくらいそうしていただろう。レコードを何枚か載せ替えて、ふと、誰ともなしにマスターが呟く。

「たしか梶原くんは、この曲をライブで使ってたよね」

 言って、マスターは笑んだ。そして今度は私に向かい、

「全然ジャンル違うのにね」

 顔をほころばした。つられて笑ってしまった。彼には、ジャンルなんて、そんなくくりは頭になかった。存するだけで美しい。彼は言った。詩人になればよかったのに。

「だって、彼」

 ごくりと、飲み下してやった。

「中身は子どもですから」

「その言い方は、元彼女としてはどうなの?」

「本当のことですもん」

 私たちはまた笑った。

「だってあの人、道端でカエル追いかけまわして遊ぶような人だったんですよ? それで、見て見て、って。そんな人が大人に見えます?」

「そういえば、うちの店の、ほら、あれ、あのスピーカー見て、かわいいとか言ってたね。なんで、って聞いたら、音の粒がお団子みたいだから、って」

「お団子って、幼稚すぎ」

「でも、梶原くんらしいよね」

 次はどうする? マスターは言った。えぇと、グリーン・アイズを。了解。

「やっぱり、梶原くんは梶原くん。僕らは僕ら。人それぞれだね。梶原くん、以前言ってたよ。生まれてくる時代を間違えたんじゃないかって。じゃあ、いつが良かったんだって、聞いたのさ。したら、中世ヨーロッパ、だってさ。ミンストレル、つまり吟遊詩人になるんだ、って。今と、やってること変わらないよね。本当に音楽をやるためだけに生きていたような人だった。僕も音楽は大好きだし、昔はクラブジャズのDJとしてやってたけど、やめてよかったよ。知り合って、思った。僕は、梶原くんほど音楽を好きにはなれない」

「それは言いすぎですよ」

「そんなことはないよ。梶原くんは変態だね。この言葉が一番ぴったり合う。音楽、だけじゃない。聴覚で感じる全てが、好きだったんだろうね」

 他のお客さんが来るまで、私たちは彼について語った。マスターは気をつかってか、彼の好きだった曲を中心に流してくれていた。何枚かジャケットを見た。曲自体に聞き覚えはあっても、名前の方は全く分からなかった。マスターは親切に説明してくれた。こっちはフランスのフュージョン、さっきのはアメリカのクールジャズで…。悪いけど、私には呪文を言っているようにしか聞こえない。まあ、かなりマイナーな部類だからね。マスターは笑う。マイナーとは言え、これらの曲は海をこえ、そして時代をもこえて、こうして実際に聞かれている。じゃあ、彼は? 彼だって一人のミュージシャンだったはずなのに、日の目を見ない間に他界してしまった。ミュージシャンと言えば聞こえはいい。実際にはただのフリーター。

「マスターは、彼の曲、好きでしたか?」

「僕? 僕は、あ、いらっしゃい」

 新たな客が入り話は中断し、私は答えを聞かぬまま席を立った。マスターがどうだったかなんて、そんなのは関係ない。私は、彼の曲が好き。

「ねえマスター。さっきの話ですけど、彼が中世なんかに生まれてたら、絶対、魔女狩りに遭ってますよね」

 深夜ともなるとかなり肌寒かった。低い位置に月が見え、見入りながらしばらくは紫煙をくゆらし、もう訪れることはないだろうこの店での思い出にふけった。扉の脇の表札を指でなぞる。この界隈に来ること自体が、もうないのかもしれない。名残惜しい気はしたが、感情は不思議と暖かだった。

 ここから数ブロック先に、彼がよくライブをしていたクラブがある。行ってみようか。でも、やめた。たぶん、戻れなくなる。顔見知りのお客さんたち。いつもテキーラのショットを勧めてくるバーカウンターのお姉さん。向かいでは、いつ行ってもハンチングキャップを被ったおじいさんが立っていて、近くの風俗店の客引きをしていた。みんな、私のことなんてもう忘れているだろう。

 まるで梶原洋一との思い出をなぞり返しているみたいだ。

 歩き出す。

 止そう。ふったのは私の方だし、彼が成功できなかったのも、ほんの少しは私のせいだ。上書きはしたはず。洋一本人のことは、もう好きじゃない。


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