梶原洋一の音楽 1
自称ミュージシャン梶原洋一の死は、新聞の片隅に載ったに過ぎなかった。私がその記事を目にすることができたのは、偶然と言っていい。
することもなく時間を持て余していた私は、煙草に火をつけ、だが吸いはせず、ぼうっと煙のたゆたう様を目で追っていた。手元には熱いコーヒーとスコッチの瓶、何とはなしに拾い上げた地方紙に、数年ぶりの彼の名前を見た。
H県の片隅のド田舎、梶原洋一はそこに住んでいた。よく真夜中の田んぼ道へふらりと出歩いては、即興で鼻歌など歌いながら、時折聞こえてくる風の音に、いま木々までが音を奏でているんだと、傍をついていく私に向かって微笑みかけた。そんな時、私は、そうだねと返す。彼は風に合わせて歌った。私はただ聞いていた。
彼はなかなか寡黙な人だったが、機嫌の良い時、例えばこんな具合に歌いながら歩く夜道では、いろんな話を私にしてくれた。
「この世界に存在するだけで、それは音楽なんだ」
ある夜、彼は私に語ってくれた。
「音楽は世界の設計図らしいよ。その昔、本当にはるか昔、音楽が神学の一派だった頃、音楽は世界を、音によって人為的に、構築した分野だったらしいよ。それは時々、俺も思うことがある。最初は意味なんて全く分かんなかったけれど、ある時、何かの曲を聴いて、物語みたいだなって思ったんだ。そこからさ、目に見える全て、感じる全て、五感で体感する全てが音楽なんだって思ったのは」
私はいつも曖昧にうなずく。
「だから、世界、イコール、音楽。それは、無すらも」
彼は言う。彼の話はいつも抽象に過ぎた。煙を吸いこみ、星空を見上げながら聞き過ごした。だが彼の口調は、ある種の音楽のようで、その実、私はそうした時間が好きだった。
「この世界は本当に素晴らしい」
そんな彼が一体どうして、死ぬなんてことになったのだろう。
気づくと煙草はすでに灰になっていた。新しい一本に火をつけ、すでに冷めかけたコーヒーにスコッチを少したらしてから、ごくりと、一口流し込んだ。なぜだか煙が目に染みた。
「煙草の燃える音に耳を傾けてごらん」
あれはいつだったか、彼はそんなことを言った。優しい音色、と。耳を澄ます。外からの車のエンジン音と、時計の針が進む音、だが微かに、ジジジと、やわらかに燃えゆく歌声を聞いた気がした。私はうなずく。彼がこの場にいたのなら、ほらねと、そして自身も煙草に火をつけ、聞き入るのだろう。