違うんです! ちょっと女の子を匿っただけなんですよ!
『……次のニュースです。東京装飾美術館にて十月三十一日まで行われているトゥーラ共和国の秘宝展が、連日の大盛況となっています。一番の見所は世界最大のサファイアである国宝のハート・オブ・キングで……』
アナウンサーの説明と共に、テレビ画面には美術館前の映像から展示されている宝石の写真が流されてゆく。俺はその国宝の宝石に見覚えがあった。
いや、見覚えがあるなんてものじゃない。本物がここにあるのだ。目の前に!
「どうしてこうなった」
「私が持ってきたからですわ」
俺の絞り出すような呻きに対して、隣に座っているサディナが笑顔で返答してくれた。
金色の髪、碧色の瞳、浅黒い肌、少し彫りは深いけどかなり整った顔など、かなりいいんじゃないかなって思う。日本でも充分に美少女で通じるだろう。
でも今はサディナの容姿なんてどうでもいい。問題なのはこの宝石と隣のサディナだ。
「しかし改めて思うけど、無謀にも程があるだろ」
「何を言いますか、ヒデキ。ハート・オブ・キングは我がサジャブ家の所有物です。家長の娘である私が持っていてもおかしくありません」
あまり大きくない胸を反らせながらそう主張するサディナだが、俺が指摘したかったのはそのことじゃない。
「お嬢様だかお姫様だか知らないけど、昨晩ばったり会った男の部屋に転がり込んだらダメだろう」
サディナはトゥーラ共和国最大の財閥サジャブ家の長女らしい。元々は王家だったらしいが、時代の流れを読んで国を共和国へと移行したそうだ。しかし持っていた財産は丸々自分達のもののまま財閥化したため、実質的には国を支配しているも同然だとか。
「ヒデキは私に危害を加えることなく、一晩の宿を貸してくれました。これも神のお導きです」
そう言うと、短いお祈りの言葉を呟くサディナ。どうもその神様は、信徒が自分の厄介事を異教徒に押しつけることはお許しになられるらしい。
こんな高貴な身分の方が、どうして俺みたいな貧乏学生のアパートで国宝の宝石と一緒にいるのか。話は昨晩に遡る。
彼女ができた記念に飲もうと黒田先輩に呼び出されたのが、その日の夕方だった。講義もバイトもなかった俺は深く考えずに応じたわけだけど、この日に限って参加したのは俺ひとりだった。
延々とのろけ話をひとりで聞き続け、解放されたのは日付が変わってからだ。彼女がいるんだから軽く飲んでお開きになると思っていたのに、酒好きの先輩を甘く見ていた。
幸い意識を失うほどではなかったので部屋まで歩いて帰ることにしたが、足下はやや覚束ない。それでもそのうち部屋に着くだろうとのんびり考えていたら、急に角から出てきた人とぶつかった。
「いてぇ?!」
「アッ!」
普段と違って酔っ払っていたせいで、俺は尻餅をついてしまった。ぶつかってきた人物も俺と一緒に倒れる。
「がはっ?!」
そして腹に思い切り固い物を押しつけられてしまったものだから、思わず肺の中の空気を全部だしてしまう。胃の中の物を出さなかった自分を褒めてあげたい。
「ス、スミマセン」
普通の日本人の発音とは違う外国人の発音する日本語だ。更に女の子の声。
「え、なに、いきなり」
「あの、お願いです。匿ってください!」
「は?」
声色と香りで相手が女の子だと気付いたが、名前も聞かずにいきなりそんなことを言われて二の句が継げない。
「追われているんです。いきなりの要求で驚いているのはわかりますが、どうか一晩だけでも匿ってください!」
とりあえず立ち上がってから落ち着いて話を聞こうとするが、立ち上がった途端に同じ事を繰り返された。
スカーフみたいなので顔以外を隠しているということは、イスラム教徒かな。そうなると男女の接触にも厳しいんじゃなかったっけ?
にもかかわらず、小さいジュラルミンケースを胸にしっかりと抱えた女の子は、そんな習慣を忘れたかのように迫ってくる。
「えーっと、日本語上手ですね」
「え?」
余裕なく俺に匿ってくれと頼んでいる女の子に対して、酔っ払っていた俺はまるで明後日の返事をした。いやだって、当たり前のようにしゃべっているから! 俺なんて日本語以外全然だもんな!
そうしてしばらく固まっていた俺達だったが、遠くから複数の足音と大声で話し合う声が聞こえてきて我に返った。
「あ~、とりあえず、こっちにおいで」
「え」
女の子の返事を待たずに、俺は小走りに近づいてくる連中とは別の方へと向かう。思い切り走れないのは酔っ払っていたからだ。吐く以前に頭がふらついて無理。
そうして、なし崩し的に俺は女の子を部屋に泊めることとなった。
つい数時間前のことを思い出して、俺は再び重い頭を抱え込んだ。酔っ払っていたからといって、高校生くらいの女の子を部屋に連れ込んじゃダメだろう、俺。最近はこういうのに厳しいから、見つかると絶対に問答無用で破滅するぞ。
「ヒデキ、どうしました? 二日酔いが治らないのですか?」
心配そうな顔をしたサディナが問いかけてくる。確かにそれもあるんだけれど、それだけじゃないんだよなぁ。
「えーっとですねぇ」
なんと説明しようか少し考えていると、ピンポーンというチャイムが室内に響く。
ああもうこんなときに! この時間帯なら沢村の奴かな。黒田先輩は昨日の飲みで爆睡しているだろうし。そうなるとまずい、あいつ絶対騒ぎ出すぞ。最近彼女がほしいってことある毎に言っていたからな。
更に厄介事がやって来そうで気が重たくなったが、こんな安普請の部屋じゃ居留守も使えない。仕方なく俺は扉を開けた。
「朝早くから申し訳ありません。私、トゥーラ共和国のサジャブ財閥で護衛を務めております、ネル・アジフという者です。吉田秀樹さんですね」
「は?」
あれ、沢村じゃない? なんで?
黒のパンツルックの背広姿の女性が目の前に立っていた。金色の髪、黒色の瞳、浅黒い肌、そして彫りの深い顔。どっかで似たような人を見たことがあるよな。例えばつい数秒前とか。
そんな美人さんの隣には痩身の目つきの鋭い男が一歩後ろで立っていた。こっちも整った顔立ちだが、無表情だからまるで彫刻みたいだ。
「あの、なんか用ですか?」
状況がわからないながらも、とりあえず返答できたのは自分でも及第点だと思う。ただ、寝間着代わりのトレーナー姿に間抜け面なのは減点対象だとは思うけど。
「サディナ様からご連絡をいただいて、お迎えにあがりました。今ここにいらっしゃるでしょうか?」
俺は思わず後ろを振り向く。するとそこにはサディナが立っていた。
「ネル、お迎えご苦労様!」
「本当に苦労しましたよ! いつもひとりで行動しないように申し上げていたというのに! どうしてあなたはいつも」
そこからは俺のわからない言葉でネルさんはまくし立て始めた。それに対してサディナも同じような発音の言葉で言い返している。トゥーラ語っていうのかな、これ。
さてどうしものかなと立ち往生していると、ネルさんの後ろに控えていた男が何やら言葉を発する。すると、二人ともぴたりと言い合いを止めた。
「こほん。吉田さん、申し訳ありません。さて、それではサディナ様、一旦ホテルへ戻っていただきますよ」
「はい、もちろんです」
どうも俺の知らないところで色々と話がまとまっていたらしい。まぁ、部外者の俺なんて話しに加えてもしょうがないもんな。
「ということは、これから家、じゃなくてホテルへ帰るんだ」
身分や何やらの差を考えると、もう会うことはないだろう。こんなかわいい子と縁があっただけというのは寂しい気持ちはある。でも、色々とやばそうな臭いもするので、ここですっぱり別れた方が俺のためなんだろうな。
「それじゃヒデキ、一緒に行きましょう」
「は?」
サディナがどうして俺を誘っているのかさっぱりわからなかった。いや、俺は一晩宿を貸しただけですよ?
「吉田さん、申し訳ありませんがご同行願います」
「え?」
今度はネルさんの方に顔を向ける。顔は笑顔なんだけど目が笑っていない。
「ほら、日本にはこんな言葉があるでしょう、『一宿一飯の恩義』って。お礼をしたいのです」
サディナは満面の笑みを浮かべている。こっちは邪気がないなぁ。
「そうですね。お礼もしなければなりません」
何だよお礼『も』って。何をする気なんだよう。
「もう、脅かしちゃダメじゃないの、ネル」
「はぁ。関係のない一般人を巻き込んだのはサディナ様でしょう」
「え、俺ってこれでお終いじゃないの?」
口を挟むと、言葉を交わしていた二人が同時にこちらへと視線を向けた。
「終わりかどうかは総帥が判断されます。もし終わりでしたら、お礼を受け取っていただいた後にこちらへと送り届け申し上げます。しかし、そうでなければ……」
「ごめんなさいね、ヒデキ」
若干の諦め顔と申し訳なさそうな顔の二人が俺に言葉をかけてきた。
どうやら本当に俺の知らないところで色々と話がまとまっていたらしい。
そのとき、俺はちらりとネルさんの後ろにいる痩身の男に視線を向けた。相変わらずの無表情だ。でもどうしてだろう、妙な圧迫感がある。
「あの、着替える時間はありますか?」
「ええどうぞ。十分ほどでしたら構いません」
男の着替えにそこまで時間は必要ないけど、知り合いに学校や知り合いに連絡をしている時間はほとんどなさそうだなぁ。
「じゃ、とりあえず十分でお願いします」
俺は出かける準備をするべく、室内に戻った。
着替えた後どうしようかと考えていたが、着替える前にサディナを追い出すのに時間を使ってしまい、結局誰にも連絡することはできなかった。
俺、これからどうなるんだろう。