古川アモロが生まれた日
わたし鬼龍院古川12歳。
どこにでもいる普通の女の子。
趣味はつまらないゲームディスクを円盤にして投げる事。……ではなくて円盤投げなんだけど、今は絶賛スランプ中で円盤に触りもせずにUFO番組をひたすらリピートする毎日を送っている。
まあ、そんな彩りのない毎日だったわけですが。
来ちゃったんですよ。
ついに来ちゃったんですよ。
その彩りってやつが来ちゃったんですよ。
え、しつこい? まあまあ、聞いてくださいよ。
ついにこの古川の元に念願の犬がやってくる事になったんですよ。
もうね、ずっとパパにお願いしてたの。犬欲しいわって、マジ犬欲しいわって。そうしたらついにパパが貰ってきてくれちゃったんだよ。犬を、犬だよ。シーサーとかじゃないよ。マジ犬だよ。
そして月日は流れ、我が家に犬がやって来た。
「やあ、古川。念願の犬だよ」
「わあ、パパ。ありがとう。これが念願の犬なのね」
「ああ、そうだ犬だ」
「ついに念願の犬を手に入れたわ」
「殺してでも奪い取りなさい。お前の神願流でな!」
「やだよ、めんどくさい」
「うむ、確かにそうだな。古川の言う通りだ」
「そうだよ。もうパパったら」
肘でツンツン、パパは勃起した。
まあ、それはともかくとして、パパが連れてきた犬は随分と図体の大きな犬で元々は警察犬でやっていたらしい。
いわゆるエリートって奴だ。
ふむふむ、中々に筋のよさそうな犬じゃないか。
「じゃあ、古川。パパはもう行くから、しっかりとしつけておきなさい。お前の神願流でな!」
そう言い残すとパパは去って行った。
どんだけ神願流推すんだよ。あ、ちなみに神願流っていうのは旧日本軍が編み出した最強の軍式格闘術の事ね。
わたしは一応これの師範代だから。そういう事でよろしく。
「さて、どうしようかな」
というわけで犬と二人残されたわたしが、どうしようか考えていると野太い声が聞こえてきた。
「古川よ……」
「?」
「古川よ……私だ」
いやいや、私だ。とか言われても誰だよって感じなんだけど。とりあえず声のした方をみてみても犬しかいない。
という事は、
「え、もしかして犬が喋ってんの?」
「うむ、その通りだ。古川」
わたしが訊ねるのに、犬はそう言うと思慮深い様子で頷いた。
え、え、え、い、い、い、犬が。
「犬がしゃべった!」
「何を驚いているんだ? 犬が喋るくらい普通だろう。その程度で臆するようでは私のマスターは勤まらんな」
「いやいや」
全然普通じゃないから。
補足的に説明しておくと、この世界動物が喋るような世界じゃ全然ないからね。
「い、犬が喋るなんて……、東京特許許可局って三回言ってみて」
「東京特許許可局、東京特許許可局、東京特許きょきゅ……。わんわん」
あ、やっぱり犬だった。
そんなこんなで我が家に犬がやって来たのだった。
いや、まあこんなのでもめっちゃ嬉しいよ。だって飼いたかったんだもん犬。
とはいうものの。
とりあえず河川敷に移動して、ドックをランさせる施設にやってきた。
「えっと、あなた名前があるの?」
「うむ、あるぞ。登録番号008だ」
囚人かっ。
「まあ、いいわ。わたしがつけてあげる。そうね……、アモロなんていいんじゃない?」
「アモロ……どこか懐かしい響きだ。我が前世、我が飼い主たる徳川綱吉公も私を亜茂露と名づけて可愛がってくださったものだ」
「ほー」
「まあ、嘘だが」
嘘かよ。
「だが、アモロという名前。我が真名として受け入れよう。私達は今日から二人で古川アモロだ」
合体させる意味あんのか?
「さて、古川よ。私をしつけるのでなかったのか。お主のおパパ上がそうおっしゃっていたようだが?」
「おっと、そうだった。えーと、どうしよっかな」
いっても、犬のしつけなんてした事ないしな。わたしがどうしようかと手をこまねいていると、
「ふふふ、震えるぞ! 我が肉体!!」
そう言うと、アモロはぶるぶると水を弾くように体を震わせた。
いや、マジこいつなんなんだろうな。
「どうやら思いつかないようだな古川よ。ならば、私がくれてやろう。これを手に取るのだ」
「これは……フリスビー!」
いつの間に咥えていたのか、アモロの口元には円盤の形をしたフリスビーがあった。ちなみに涎でべちょべちょである。うわ、きったね。
「フリスビーなんて持ってきてどうするのよ」
「ふむ、それを君が投げ、私が取るのだ。そうする事でお互いの信頼関係がより深く醸成され、より高度は主従関係へと我々を導いてくれるだろう。古来より円とは輪を現し、輪とは和を現すというだろう。さあ、投げたまえ」
「う……」
わたしはフリスビーを見て固まってしまう。
「どうした古川。投げる事が出来ないのか。やはり円盤恐怖症というのは本当のようだな」
「っ?! なんでそれをアモロが知ってんの?」
「ふむ、ここに来る前に君の経歴を少し調べさせてもらったよ。優秀な円盤投げの選手だった父を持ち、自身もその才能を受け継ぎ円盤投げの選手として期待されていたが挫折、極度のスランプに陥り今では円盤に触る事も出来ずに、ただただテレビのUFO番組を眺めてかつての栄光に思いを馳せる毎日――」
「う、うるさいっ。だからなんなのよ」
っていうか調べすぎだろこの犬。
アモロは小さく首を振ると、
「いや、そろそろ立ち直ってもいいのではないかと思ってね。君のおパパ上からもそう頼まれているのだよ」
「パパが……」
なるほど、この犬パパの関係者なのか。どうりで犬を貰ってくるにしても元警察犬なんておかしいと思った。思ったのは今だけど。
「まあ、しょうがないな」
確かに円盤投げは無理だけど、別にフリスビーくらいなら普通に投げられるだろう。
気のない感じで、アモロに向かってフリスビーを投げる。
ふらふらと飛んで行くフリスビー。
それを勢いよくアモロがジャンプをしてキャッチをする。
その時だった。
アモロの体が空中で駒のように回転を始め、小さな竜巻を起こしたのだ。
そしてそこから超高速のフリスビーが投げ返されて戻ってくる。
音を置き去りにする早さで、ひゅんと音を立ててわたしの顔のすぐ脇をフリスビーが勢いよく通り過ぎていった。
フリスビーによって、つっと頬の皮が切れ血が一筋流れ落ちる。
すたりと着地をするアモロの姿はまさに、武人の佇まいであった。
「な、アモロ……」
「古川よ、気は抜かない事だ。でないと首が飛んでしまうかもしれんぞ」
にやりと口元を歪め、アモロが嗤う。
「お前も……、神願流なの?」
「いかにも、私も神願流だ」
な、なんてこと……。アモロも神願流だったなんて。神願流って犬でも出来るのかよ。
「さあ、古川よ。フリスビーを取ってくるのだ」
「は? お前が行けよ」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
「わかった。ここは公平にジャンケンで決めよう」
「え、いや。ジャンケンは……」
「はいはい、ジャンケンするよ。最初はグー、じゃーんけーん――」
ぽいっという掛け声と共に、わたしはパーを出す。アモロはグー。
「はいはい、わたしの勝ち。ほら、さっさと取りに行ってね、このばか犬」
「古川貴様……、私がグーしか出せない事を知っていたな」
「負け惜しみ言ってないで、ほら行く行く」
そう言うと、アモロはとぼとぼとフリスビーを取りに行った。
恨むなら手の形を変えられない自分の犬の手を恨むべし。わたしが勝ち誇ったように満足気に口元を弧の形にしていると、頬にフリスビーが突き刺さった。
「ふごぉ!!」
吹っ飛ぶわたしの体。吹き飛ばされていく中で、アモロの露悪的な笑みが目に入る。あんの、犬っ。許せん。滅殺してくれる!
「ふん」
わたしは地面に叩きつけられると同時に、体のバネを使って跳ね起きるとフリスビーを拾い上げてアモロに投げ返した。
今度は適当ではなく全力で、投げ返したフリスビーはギュルギュルとけたたましい音を立てて殺人的加速でアモロに向かっていくと、アモロの頬に突き刺さった。
「ぼへぇ!!」
吹き飛ぶアモロ。しかし彼もまた体のバネを使い即座に立ち上がった。
「ふふふ」
「ふふふ」
なぜか笑い合うわたし達、空白を切るようにアモロが口を開いた。
「どうやら、決めねばならんようだな」
「ええ、そのようね」
「神願流が出会えばそこは常在戦場となる」
「どちらがより強い神願流か」
勝負! と声を揃えるとわたし達はひたすらフリスビーを投げあった。
「古川ァァァァァ!」
「アモロォォォォ!」
無駄に熱く名前を呼び合いながら、夕方までそんな事をやっていたけど。さすがに限界が来た。
「めんどくさ。っていうかなんてわたしがフリスビーなんてやんなきゃいけないのよ」
「古川よ。一緒に大会に出ないか?」
先ほどまでフリスビーを投げ合っていたというのに、アモロはピンピンしていた。
「何言ってんの?」
「私と一緒にフリスビーの大会に出ないかと言ってるんだ。君の自信を取り戻す為に」
わたしはアモロの目を見た。アモロもわたしを見ていた。
キラキラとした純粋な目。
それが、わたしには酷く疎ましく見えてしまった。
「やだよ、めんどくさい」
わたしは掃き捨てるように言うと、アモロを河川敷に残して先に帰る。
振り返ると、アモロが一人でフリスビーの練習をする姿が小さく見えた。
雨がザーザーと音をたてて降り始めた。
外が暗くなっても、アモロが帰ってくる事はなかった。
「くそぅ、アモロのやつ……」
ああもう、なんでこんなに心がざわざわするんだろう。
わたしは部屋を出ると、玄関へと向かう。
「あら、古川ちゃんどこに行くの?」
「ごめんママ。わたしちょっと出かけてくる」
「ええ、もうご飯できるわよ。今日はビーフストロガノフを作ってみたの。ママの神願流でね」
「あ、そう。じゃあすぐ戻るから」
ママにそう言うと、わたしは雨の中家を飛び出すと河川敷へと全速力で走っていく。
「アモロっ」
河川敷に着くと、そこにはアモロが雨でびしょびしょになりながらもフリスビーの練習を続けていた。まさか、あれからずっと続けていたのだろうか。
駆け寄るとアモロは「ふ、来たか」と不敵な笑みを返してくる。
しかし体は冷え切っており、かなり衰弱しているようだった。
「アモロ……、どうして」
「全ては君の自信を取り戻す為だ。もう一度問おう。私と一緒に大会に出てくれないか」
その為だけに、こんなになるまで……。
アモロの馬鹿なんだから。
「いいよ。一緒に大会に出よう」
「チーム名は古川アモロでどうかな?」
アモロの言葉にわたしは微笑みを返す。
「わたし達は二人で古川アモロだもんね」
「ああ、その通りだ」
とアモロが満足気に頷く。
ざんざん降りの冷え切った雨の中、わたし達の心はとても温かいもので満たされていた。
「じゃあ、帰ろうか」
「ふむ、そうしよう。我がマスターよ」
冷え切ったアモロの体に上着を被せて、わたしはアモロと一緒に家路についたのだった。
その日、古川アモロが生まれた。
古川アモロと呼ばれるチームが破竹の快進撃をみせて、フリスビー大会でみごと優勝をもぎとったのは、また別のお話である。
めでたしめでたし。