桜の妖精
千尋の屋敷から遠く離れたその土地に月光はいた。
誰といるでもなく、ただ1人で。
今夜は満月だ。
月の光がゆらゆらと流れる川の水に反射し、幻想的な世界が辺り一面に広がっている。
「…………様、…………………」
幻想的な場所でただ1人、佇んでいた月光は誰に言うでもなく自分に言い聞かせているのでも無い。
意味を持たないようで持っている言葉を放つ。
「……さて、行きますか」
月光はそう呟き目的の場所へと走り出した。
「いらっしゃい」
「………よく来たな」
月光は数少ない始祖の屋敷を訪れていた。
始祖というだけでも特別な存在なのだが、この2人は違う意味でも特別だった。
「秘桜様…… 莉桜様…… 」
それが彼女たちの名前。
そして彼女たちは姉妹……双子の始祖妖怪だ。
「うん、久しぶり。また千尋のお使い?」
秘桜と莉桜はよく似ているが、どちらかというと妹の莉桜の方が愛想がよかった。
「はい。『アレ』は出来ていますか?」
「勿論。でも、本当に『アレ』で良かった?ちゃんと考え直した方が……」
「いえ、コレでいいんです………」
「……それならいいのだけれど」
月光と莉桜がやり取りしている間、秘桜はずっと中庭を観ていた。
中庭ではどこからかやって来た蝶が庭に咲いている桜に止まっている。
「……そう言えば此処の桜はいつ来ても咲いていますね」
「そうだね。永遠に枯れないように時を止めているから」
「あれ、莉桜様は時空系の力持ってましたっけ?」
始祖といえども使えない力は当然ある。
と言っても殆どは使えるのだが。
「私じゃなくて秘桜の力。そう言えば始祖で時空系が使えないの、私だけだね。でも秘桜が時空系得意だから助かってるよ」
これもまた、始祖ならではの特徴で様々な力は使えるものの得意不得意がある。
階級によって持てる能力に差はあるが、始祖と上級以外は殆ど持っていないと考えてもいい。
ただし、稀少種は除く。
「秘桜様が、ですか。珍しい事もありますね」
「秘桜は人間界でいうツンデレだから。可愛いよね、秘桜」
「……うるさい」
可愛いと言われ照れたのか、秘桜は舌打ちをしながら莉桜の影に隠れてしまった。
「ねぇ、知ってる?そういう事をするから可愛いって言われるんだよ?」
「………」
こんな感じの兄弟、知ってる気がする。
そう思ったのは月光だけではないだろう。
「……月光。もう、用事は済んだのだろう?早く帰れ。他にも寄るところがあるんじゃないのか?」
「視たんですか」
「お前の気持ちが焦っていたから勝手に流れ込んできただけだ。勘違いするな」
『視た』とは未来のこと。
時空を操ることに長けている秘桜だからこそ出来る事だった。
「はいはい。そこ、喧嘩しない。あ、良かったら次の行き先まで私が送ろうか?」
莉桜は空間を捻じ曲げる力を持っている。
空間移動等は朝飯前だ。
「いえ、遠慮しておきます」
行き先を知られると色々困りますし、と呟いたその言葉は誰に届く事なく消えていった。