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Opening 前回のあらすじ

Schrodinger Folks

-follow the day light lines


novel&Illustration by KONNO Takashi

挿絵(By みてみん)


Opening

前回のあらすじ



挿絵(By みてみん)

 二人は町のカフェ、雲と青が半々に混じりあった明るい空の見える窓際に座っている。

 そのうちの一人、金髪で黒い女中姿をしている方が(でこぼこの鞘に入った剣を木椅子の手すりに立てかけている)肘を突きながらカップをひとすすりした。

 湯気を立てる茶の水面から唇を離し、女中は「ほ」と息をついて、

「初めてですね」と言った。

 この女中の名前はマコという。

「なにが?」丸テーブルの向かい側からそう聞き返してきた方、冗談みたいな黒い猫の耳を頭の上に生やした――冗談を重ねるように、耳の真ん中に小さい金色のクラウンを乗っけている――少女は、音も立てずにカップの茶を飲んでいる。

 肩口から延びる、柔らかく赤い飾り袖の布地だけが、艶のまばらな机の天板との摩擦音を立てた。

 こちらの猫耳はノノモリという名前だ。

「“王女と従者”っぽいこと、初めてしてる気がする」

「一緒にお茶を飲むのが?」

「優雅じゃないですか。こういう、ただ時間つぶしてる感じ」

「そうかな……」

「前回までのおさらいをしてみましょうか」

「え? なにを言い出すの?」

 ノノモリが目を瞬かせると、頭の耳が一緒に震えた。

「お茶を飲むと、前回のことを思い出したくなるんです、私」

「はあ」

 そこでようやく、ウェイトレスが本命のホットショコラを持ってきてくれたので、二人はカップをそちらに持ちかえて唇を付け、

「ほー…………」

 温かく、暗い、濃さの底に苦みを紛れさせた甘い液体を口いっぱいに堪能するため、

 しばらく黙った。

「前回ってなんなの?」

 それまでの話題を思い出して、ノノモリが聞く。

「私と王女の出会いから話しましょうか」

 マコは質問を受け流したというよりも、ノノモリの発言が聞こえていないようだった。ホットショコラのなめらかな舌触りにうっとり陶酔しているようで、「うま」と実際吐息が漏れる。

 マコは続けた、「なれそめって誰でも聞いてきますし、練習したほうがいいし」

「そうかしら。そうかもしれない。なんで聞きたいのかしら。それ本当に、全員?」

「みんな社交辞令みたいに聞いてきます。前の同僚がそう言ってたし。それからすぐ、結婚したって言って辞めちゃった」

「大人の境界線」ノノモリは誰にも聞こえないようにつぶやいた。

「そもそもさ、貧乏がいけないんです」

「それは私のせいじゃないのだけど」

「わかってます。全部私が悪いんです。職業上不可抗力なハプニングのせいで、リスクの向かった真っ先に私の首があって、あっさりそいつが切られちまったんです」

 遠い目をするマコである。過去に煙るような切なげな視線の先には、じつは、別の客がかじっている焼きリンゴを使った小麦菓子があった。

「失職した私が向かった次の職場が数十年ほったらかしにされてたようなボロ幽霊屋敷で、じゅうたんを踏みにじりながらすっごい途方に暮れたのを今でも昨日のように思い出します」

「四日前よね」

「あれですよあれ。にがきゅうりみたいな世間の味がしました。じゅうたん踏みにじったら。焼いたリンゴの味なんてしやしないんだ」

「あなたそんなに人の家の絨毯を踏みにじってたの? それとボロ幽霊って……」

「地下室に行ったら王女がいたので」マコはショコラを行儀悪くすすって聞こえないふりをした。

「記憶喪失だったので、連れ出したわけなんですよ」

「記憶をなくしたというか、境界線を失った領主の娘ノノモリ・ノフリトがこの私になった。彼女は呪われていた」

「王女って"おなかすいた"って言うかわりに"境界線"って言ったりしてません?」

「境界線が好きだから」

「まあ、そりゃあねえ」

「嘘だけど」

「嘘なの!?」

「世界のあらゆるものは、それを取り巻く世界から断絶されている。なにをもって分かたれているか? これを存在の境界線と呼ぶ。……誰が呼んだかは知らないけど。私は、存在を境界線を絶えずぶらされ続ける『不定の呪い』に冒された。なぜかは覚えていない。記憶も人格も成長も老化も家族の境界も、私という存在に関連する内外すべての境界線が歪み、屋敷に住む人間にも悪い影響が及び始めて――呪われた娘一人を残し、ノフリトの屋敷は放棄された。四十年も前に。

 言いながら、私の認識が歪んでいるのも感じるわね。ノノモリと呼ばれたその領主の娘だって、今の私ではなくて……」

 ノノモリはここで大きく息をついた。

 こねまわした思考を途中で無理矢理窓枠に括りつけるように、窓の外を見る。

 昼前の、影が穏やかな涼しさを帯びる時間帯。テーブルの端だけが白い顔料で塗りつぶされた色で、窓枠と屋根の隙間から覗く太陽に照らされている。

 マコもそっちに目をやった。

 彼女たちが座っているのは建物の二階にある窓際だ。

 細い路地には馬の手綱止めや野菜を並べた露店、暇そうな大道芸人、木箱に腰掛けたまま働く気配のない酔客などが、ランダムな賑わいを見せている。

 歪んだガラス越し、薄められた町の喧噪が聞こえてくる。

 二人で意味もなく、そんな景色を見下ろす。

 二分ほど経って、ノノモリが再び口を開いた。

「マコ、あなた確か、あの繭の中から私を引っ張り出すとき、別の子供が見えていたって言っていたわね」

「うん。金髪の、十歳くらいの。後ろの頭しか見えなかったけど。手を引っ張ったら猫の耳が生えて、今のノノモリになったんだ、あちゃあ!」

 マコはここですっとんきょうな声を漏らして会話を止めた。

「聞いてばっかで敬語忘れてた。すいません。不敬罪で減給ですよねぇ」

「あなた今までどんな職場で働いてたの?」

「女中の商売道具って、剣と礼儀作法なんですよう」

「礼儀ね。礼儀なの? それ」

「そっちはもういいから……」

 目を堅くつぶって手のひらを正面に開いて扇のように回転させ始めるマコに、ノノモリはうなずいた。

「あなたが見たその女の子が、本来のノノモリ・ノフリト。どういうわけか、無限の歪みに閉じこめられた彼女の姿をあなたは見ることができた」

「その子はいまどこにいるんだろう?」

「私の皮をむけば、肉の中にいるかもしれない」

「ちょ、うげえ」マコが反射的に厄払いをする手つきでうめいた。もともと想像力は豊かな方だ。

「冗談よ。ごめんなさい。

 わからない、今の私の中にいるのか、人格が溶けきって失われたのか、それとも、今もどこかで……」

 ノノモリはふと黙る。

 この子が外を見てる振りをしながら思いだしてるものを、自分はちっともわかってないよな、とマコは思う。

 二人のカップに1センチずつ淀みを残して、濃厚なホットショコラは冷め始めていた。

 マコは残りをすすりながら「呪いって、どんな呪いでも、"解く方法"があるもんだって思ってたけど」と言った。

「この呪いは、自己の境界線に疑いを持ったときに呼び込まれる」

「疑うって?」

「自身が存在していない、と心底で考えてしまったとき。そのとき、境界線がほころぶ。偶然か神様の悪意かで、ほころびは回復せず、存在が大きく揺らぎ始める。……この現象を"不定の呪い"と言うだけ。

 呪いを解くには、自ら見失った境界線をふたたび見つけだすこと」

「それって、どっかにあるんですか?」

「少なくとも」

 ノノモリは自分でも気づかず飲み干していたカップを、右手の小指をテーブルに添え、音もなく皿に納めた。

「ここにはないみたい」

「うん。じゃ、行きましょうか」

 脳天気な声音でマコは言って、立ち上がった。

「前回までのおさらいはできたみたいだし」

「前回ってなんなの?」

「えーと、あれですよ……」マコはいきなりもごもごしだして、「取り返しがつかない思い出全部を前回って言うんです」

 マコはそう言いながら、女中らしくいそいそと椅子を机に納めて飲み終わった食器をまとめて(自分の最後の一口を思い出しあわてて飲み干してから「はふぅおいしかったぁ」と丁寧に口に出したのちに)、エプロンのポケットからくしゃくしゃの紙片を広げて自慢げに口を開いた。

「今回を始めるために、仕事を見つけてきたのです!」

「その話、一時間くらい前に詳しく聞いたわ。一時間。それこそ前回と呼べるかしら」

 ゆったりと立ち上がるノノモリの手を引っ張りながらマコはテーブルにコインを置き、

「そんなの神様だって見てませんよっ。ごちそーさま! さすが名物! おいしかった!」

 手早く店員の方向へ言い残して二人はカフェ入り口の扉を押しあけ、外に出た。





 夏はいまだ盛り、太陽は露店の幌と馬車の幌を白く焦がし、石畳の境目にたまる砂埃の表面には微少の陽炎が生まれる。

 二人の足下から雑然とした足音。

 ノノモリはそれを聞きながら考える。

 朝から夜、夏から秋、時間は歩みのひとつごとに、奥へ奥へと移ろう。決して留まることはない。

 時間は自らの方向を疑うこともない。

 ……だがそれすら、ノノモリには確証がなかった。

「時間の境界だって呪いに歪まされるかもしれない」

 なんとなく彼女はつぶやく。

「未来に向かって生きているという保証がなくなったとしたら、私たちは、時の流れをどうやって観測したらいいのかしら」

「まあ、生きてりゃお金は減りますよ」マコが夏の日差しみたいな体温を声に込めて、三歩後ろのノノモリを振り返った。

「お財布が薄くなったらあわてて次の仕事を探して、ちょっぴりお財布を膨らませるんです。それが私たちの、世知辛い毎日ってものなんですよ」

 ノノモリは少しだけ黙っていた。

 二人は一定のテンポで歩く。

 足下では太陽の角度が、誰にも知られることなく傾く。

「そういうものかもしれないわね」

 世界はまんべんなく昼下がりに包まれている。

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