第3.5章 暗躍
第3.5章 暗躍
「お祖父様、お祖父様!」
祖父の部下から報告を聞いた敏也は、皆本家が帝都池袋に構えた屋敷の一番奥にある一際豪華な作りの部屋へ駆け込むと、そこでくつろいでいた清十郎に向かって非難するような声を上げた。
「なんだ、騒々しいと思ったらお前か……」
大会社の社長室にあるような大きなワーキングチェアに腰を下ろしたまま、敏也の方を振り向きもせずに祖父は言った。
「さきほど天野から聞いたのですが、お祖父様は私に狼藉を働いた教師たちを学園に処分させないことに決めたとか」
「……それがどうした」
「どうしてですか? お祖父様は皆本家の名前を下賤の者に汚されても放置しておくというのですか?」
「ああっ? 汚されただと? なに寝ぼけたことを言ってんだ、てめえは……」
祖父が発した苛立ち混じりの低い声に、敏也は思わず震え上がった。
いくら敏也が清十郎の孫であるとはいえ、不興を買えばただでは済まない。
祖父はこちらを一顧だにしないまま、手にしていたグラスワインを一気にあおると、そのままダンッと荒々しくデスクの上に叩きつけた。
その衝撃でグラスは粉々に砕け散ったが、彼の体を包み込む強力な魔力フィールドによってその指にはかすり傷一つついていない。
「皆本家の名前は汚されたんじゃねぇ。てめえが汚したんだよ」
「で、でも……」
「口答えすんじゃねぇ。それともてめえは俺が決めたことに文句でもあるってのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
思わず口ごもってしまう。どんなことがあろうと当主である清十郎に逆らうことは許されていないからだ。
「……四橋から横槍が入ったんだよ」
「…………え? 横槍? どうして四橋が?」
不機嫌そうな口調でボソリと呟いた祖父に、つい聞き返してしまう。だが、それに対する清十郎の返答はどこか投げやりだった。
「知るか! 学園長の説明では、障害を抱えて行き場のない四橋の関係者をコネで押し付けられたとかぬかしてやがったから、騒ぎを起こした教師自体は俺が気に留めるほどの奴じゃねぇだろ。それよりも問題なのはあの忌々しい四橋財閥だ」
祖父の言う通りだった。
帝国で皆本家と勢力を二分する四橋財閥は、敏也たちにとって正に目の上のたんこぶ。
特に帝国の経済を一手に握られているということは、皆本家の発展にとって大きすぎる障害だった。
これまでも清十郎はスパイを送り込むなどあらゆる手を尽くしてあの最重要機密、重力子エンジンの情報を手に入れようとしているのだが、それに対する四橋側のガードは正に完璧だった。
なにしろ普通に就職試験をパスして送り込んだ潜入官ですら精神感応能力者によって簡単に炙り出されてしまう。
自分が言うのも変な話だが、能力者というのは全くもって厄介な存在である。
いっそのこと実力行使で手に入れてやろうと祖父たちは何度も襲撃を画策したらしいのだが、四橋の誇る護衛武装組織と皆本家の配下の勢力は力が拮抗しているため、そうすることもままならないらしい。
本来ならば名古屋公爵領の魔術仕官学園で英才教育を受けるはずだった敏也と史織が、わざわざ実家から遠く離れた横浜魔術仕官学園を選んで入学したのも、四橋の基盤の一つで現在領主不在の横浜公爵領を狙う皆本家の戦略によって送り込まれたからだ。
これによって皆本家の人間が横浜公爵領に入っても怪しまれにくい状況を作りだしたというわけだ。
しかし、残念ながら今のところ大きい成果は上がっていないのが現状である。
四橋財閥のトップはとにかく用心深く、滅多に表に出てこない上に、その傍には清十郎と同格の円卓第12位『戦姫』こと軍司雪穂が常にベッタリと控えているため付け入る隙が全くない……とは、祖父が近しい者の前で常々ぼやいている口癖のようなものだ。
「大方今回のちょっかいも俺に対する対抗心と嫌がらせからだろうよ」
「…………なるほど」
「なんだ、歯切れが悪いな。何か俺に言いたいことでもあるのか?」
「い、いえ……なんでもありません」
実のところ、自分を完全にやり込めるほどの実力を持つあの根暗な女教師の存在が敏也は気にかかっていたのだが、祖父はあの教師たちを完全に眼中に置いてないようだったので、あえて余計な口出しを行うようなことはしなかった。
これ以上祖父の不興を買うわけにはいかなかったからだ。
「用は済んだか? ならさっさと出て行け」
「…………はい。失礼しました」
入室したときの勢いはどこへやら、すごすごと一礼して敏也が部屋から退出しようとドアノブに手をかけようとしたその時、突然部屋の扉がノックされた。
「皆本様、いらっしゃいますか?」
ドア越しに落ち着いた男の声が聞こえてくる。
「入れ」
清十郎が言うと、「失礼します」という言葉とともに二十代後半から三十代前半位の筋肉質の男が部屋に入ってきて、相変わらずこちらに背を向けたままの祖父の前でうやうやしく頭を下げた。
この男こそ敏也のクラスメイト天野史織の父親であり、階位騎士第27位にして清十郎の腹心でもある天野大輔だった。
「どうした?」
祖父に問われると、大輔は「失礼します」と前置いて清十郎の耳元に口を寄せ、何事かボソボソと敏也には聞こえない声音で囁いた。
「……それは本当か?」
驚きと歓喜が入り混じったような祖父のその声音に、部屋を退出しかかっていた敏也は思わず足を止めて後ろを振り返った。
「はい。確かな筋からの情報です」
「そうかそうか。ははっ、奴が帰ってくる前にギリギリ間に合った訳だ」
「……さようですな。そしておそらくこれが最後のチャンスになるかと」
「だな。よし、詳しく話を詰めるぞ」
「はっ」
「――――敏也!」
さっきまでと一転して祖父の機嫌が良くなったことに安堵しながらゆっくりその場を後にしようとしていた敏也だったが、まるでその背中を力ずくで抑えつけられるかのような声音で清十郎に呼び止められる。
「……なんでしょう」
ビクッと背筋を伸ばした敏也はおそるおそる振り返る。が、
「これから話し合う計画はお前も無関係じゃない。こっちに来て一緒に聞いておけ」
背を向けたまま手招きしてくる。
どうやら悪い話というわけではなさそうだった。
「はいっ!」
歯切れよく返事すると、祖父の機嫌を損ねないよう小走りで近寄る。
いよいよ自分も清十郎たちの計画に参加できるようになったのだという歓喜と、祖父の機嫌を良くしたほどの計画に対する純粋な興味に胸を大きく膨らませながら、敏也はこれから自分に与えられるだろう祖父の説明を今か今かと心待ちにしていた。