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炎の時代の物語  作者: qwertyu
クーデター編
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第3章 四橋財閥①

 案の定というべきか、晃たちが小夜子会長のチームに勧誘されて四天王杯に参加するという噂は、瞬く間に学園中に広まってしまっていた。


 一チーム中の学生枠が十三人。その中の九人までもが一年生で構成されているという事実は、学園中の話題を掻っ攫うのには十分すぎる内容だった。


 昨年の四天王杯に参加した一年生は、本戦に出場した八チーム百四名の学生枠の中で小夜子会長と道場・佐々木各副会長を含めてもたったの六人だけだった。

 そのことからも分る通り、実力優先で選出されるメンバーの中に一年生が含まれることは大変まれなことなのだ。


 「見て、あの人が例の……」


 「ああ、皆本くんや天野さんを差し置いて、会長から直々に指名されたっていう――」


 「えーっ、どうして彼が?」


 「さあ? 確か彼の魔術ランクって最低じゃなかった?」


 「うそっ、じゃあどうして?」


 噂してる本人たちは内緒話のつもりなのかもしれないが、耳の良い晃にはすべて丸聞こえだった。

 廊下を歩くだけでこれなのだからたまらない。


 しかし、これはまだいい方だ。


 中には「ふん、そこそこ剣の腕が立つから選ばれたんだろうが、所詮は会長を守るための肉壁に過ぎないってのにいい気なもんだな」だの、「まあそう言ってやるなよ。どうせ試合開始数分で病院直行なんだろうからさ」などという明らかに悪意のこもった声まである。


 まあ、勝手に言ってればいいさと晃は思う。


 晃と乃乃乃の能力評価が学園最低ランクしかないのはまぎれもない事実だ。


 FマイナスランクのPK能力者である晃たちでは、せいぜい20キロくらいの石の塊を50センチ程度、それも数秒間持ち上げるのが精一杯なのだ。


 これでは戦闘に役立たないどころか、その辺に落ちている石ころを適当に拾って敵に投げつけた方がはるかにマシなレベルだ。


 同じPK能力者であれば幼稚園児でもそれくらいのことは朝飯前にやってのけることを考えれば、いかに自分たちの力が未熟であるかが解ろうというものだ。


 これでは同級生たちが陰で自分たちのことを「無能」と揶揄するのも無理はない。


 しかし、だからといって晃も乃乃乃も自分たちのことを卑下したりはしない。

 二人には幼い頃からししょーに鍛え上げられた剣術と体術があるからだ。


 この春にいきなりアラスカからししょーに連れられて横浜にやってきた二人は、当然ながら昨年の中等部全国剣術大会には参加していない。

 だが、もし出てさえいれば、敏也を事実上下している三鷹吹雪とだって互角以上に戦えた自信がある。

 そこらへんに転がっている貴族のボンボンなど言うに及ばずだ。


 なにしろ自分たちは幼い頃からあのししょーを相手に技を磨いてきたのだ。


 こうして彼の元を離れ、普通の能力者たちに囲まれた環境にいる今なら分かる。

 あの男は正真正銘の化け物だと。


 小さい頃からししょーししょーと呼んでいたし、聞こうとしても適当にはぐらかされてしまったため、乃乃乃も晃も未だに彼の本名は知らない。だから過去には何度か「もしかしたら実は名のある能力者なのかもしれない」と想像を膨らませてみたこともある。


 だがまあ、世の中そんなに都合のいいことばかりではない。実際のところは本人が言っている通り、名乗るほどのこともないただの無名の武芸者に過ぎないのだろう。


 ただ一つ言えるのは、学園の教官や階位騎士の力を持つあの生徒会長を含めても、ししょーより恐ろしいと感じた相手にいまだ晃は出会ったことがないということだ。


 仮に無名であったとしても、その実力が確かであることはもはや疑いようがない。

 先日ししょーが晃の部屋に押しかけてきた時、自分にも敵わない奴がいるみたいなことを言っていたが、正直それすら「本当かよ」と疑わしく感じたくらいだ。


 晃にも乃乃乃にもそんなししょーの修行に耐えてきたという自負がある。

 だから例え能力者としての力が劣っていようが相手が誰であろうが、易々と遅れをとるつもりはないし、とってはならないのだ。


 「ん?」


 ししょーの得体のしれなさについて考えを巡らせつつ、ふと窓から中庭の辺りに視線を降ろすと、そこに晃は小動物を連想させる小柄なおかっぱ頭のメガネ少女の姿を見つけた。

 姉の親友、椎名麻耶だった。


 思わず眉を寄せる。

 彼女に対してではない。

 物々しげな雰囲気で彼女をぐるりと取り囲んでいる不穏な連中に対してだ。


 いけ好かない貴族連中。そしてその中心にはあの敏也の姿もある。


 「ちっ、あいつら、性懲りもなく!」


 舌打ちと同時に晃は行動に移っていた。


 『ノノ、椎名が皆本たちに囲まれてる。中庭だ。急げ!』


 双子の姉に念波を飛ばすと、自身はガラッと勢い良く窓を開け、中庭に向かって一気に飛び降りる。

 地上四階からのダイブだが、能力者である晃にはこれくらいの高さはなんでもない。

 もちろん可能だからやっていいというものではなく、校則ではきっちり禁止されている行為なのだが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではなかった。


 「お前ら、何やってんだよ!」


 麻耶を取り囲んでいる奴らの背後に音もなく着地すると、晃はその内の一人の肩を掴み、力づくで手前に引き寄せた。


 「いてぇな、なにしやが……」


 「黙れ!」


 みなまで言わせず、詰め寄ってきた男子生徒の顔を鷲掴みにすると、強引に払いのける。

 つんのめった男子生徒はそのままバランスを崩すと、顔面から勢い良く地面に突っ込んでいった。蛙が鳴いたようなうめき声が聞こえたが、晃はそれに構わず正面の敏也にキッと視線を向ける。


 「暴力は感心しないなあ、藤倉」


 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら敏也が言った。


 「うるさい、黙れ。俺はお前に何をしてるのかって聞いてるんだ」


 「何をしてるのかって? 見て分からないか? 俺たちは四天王杯参加を辞退するようにちょっと椎名にお願いをしていただけさ」


 「お願いだと? お前たちの言うお願いってのは、集団で無抵抗の女の子に集団で暴力を振るうことなのか?」


 敏也たちに囲まれている麻耶に視線を向ける。

 彼女は口元にうっすらと血を滲ませていて、制服にもところどころ蹴られた跡と思しき汚れが残っている。


 敏也たちに暴力を振るわれていたことはもはや疑いようがない。


 「ふん。平民の分際でこの俺の言う事を拒んだんだ。殴られて当然だろう?」


 「このっ……」


 全く悪びれない敏也に今にも殴りかかりたい衝動をじっと抑え込みながら、晃は鋭い視線を向けた。


 「椎名を選んだのは会長なんだから、言いたいことがあるならば直接彼女のところに行けばいいだろうが」


 「ふん。そんなのはどうしようが俺の勝手だね」


 「勝手なもんか。椎名は会長に頼まれて四天王杯に参加するんだ。文句があるなら頼んだ方に言うのが筋ってもんだろうが。違うか?」


 「………………」


 痛いところを突かれた自覚があるからだろうか、敏也は言葉に詰まって顔をしかめる。


 そのまま暫く互いに睨み合っていると、


 「まあ、そう言ってやるなよ」


 不意に横槍が入った。


 反射的にそちらに振り向いて確認すると、まず視界に入ってきたのは車椅子。

 それも今主流の手元のリモコンで行き先を操作できる電気駆動式ではなく、第三者が後ろから手で押す昔ながらの人力式のものだ。


 わざわざそんな骨董品に乗っているような人物はこの学園にたった一人しか存在しない。


 整っている。

 ――そう、あまりに現実離れしている彼の容姿は、もはや美しく整っているとしか表現しようがなかった。


 一流の美術品を目の当たりにした時の思わず息を飲んでしまいそうなほどの圧倒的な衝撃、それと全く同質の存在感を持つ人の目を惹きつけてやまないその美貌は、自分と同じ性別であると知っていてなお惹きつけられてしまうほどで、この学園においてあのルシル・テンペストと並び称される存在であるというのも無理はないことだと実感させられる。


 しかしそんな彼の容姿で最も印象的なのは、整いすぎるくらいに整った絶世ともいえるその美貌ではなく、唯一無二の宝石のようなその右目をすっぽりと覆い隠してしまう眼帯代わりの黒い包帯だった。


 なまじ容姿が整っている分だけ、見る者にとってそれは余計に痛々しい。


 しかし、そんな眼帯程度では彼の美貌はいささかも損なわれてはいないというのはさすがというべきだろうか。


 「み、湊っ……き、貴様っ……」


 体の底から搾り出したような声音に驚いて目をやると、敏也が固く拳を握り締めながら血走った眼光で青年を射竦めている。


 ただの横槍に対してその反応は過剰と言わざるを得ない。だが敏也の抱える個人的な事情を知っていれば、それも無理はないかとも思えてしまう。


 何しろ彼は敏也が好きで好きで仕方がなく、必死でアプローチを続けているルシル・テンペストが好意を寄せていると公言してはばからない相手なのである。そりゃさぞかし憎かろうというものだ。


 実のところ、敏也が麻耶をいじめの対象にしている以上、湊がいなかったとしてもルシルが彼を選ぶ可能性はゼロに等しいのだが、そのことを親切に教えてやる義理など晃にはない。


 「教師のことを貴様呼ばわりとは、感心しないな。ん? 皆本」


 湊のそんな忠告にも、敏也はチッと舌打ちしながら忌々しそう顔をそらすという悪態ぶり。


 「異論がありそうだが……まあいい。いったん話を元に戻してだ。椎名を四天王杯のメンバーから外そうとするなら、来栖川に直談判した方がいいなんてことは皆本も最初っから気が付いているんだよ。いくら椎名が出たくないと言ったところで来栖川がそれを受け付けなければ話が振り出しに戻るだけだからな」


 「………………」


 「じゃあどうしてこんなにしつこく彼女に迫るのかって? 簡単なことさ。皆本はもうとっくに来栖川に直談判していて、既に突っぱねられているんだ。だから皆本が椎名の代わりに来栖川のチームで四天王杯に参加するためには、椎名自身からどうしても出場するのは嫌だって形で辞退させて、来栖川に納得させるしかないのさ」


 だからな、と彼は続ける。


 「藤倉弟もそんな皆本に来栖川のところに行けなんて傷口に塩を塗り込むようなことを言っちゃだめだ。もっと空気を読んで可哀想な皆本に気をつかってやらないとな。いいか? こういう輩は腫れ物を扱うみたいにおだてておけば勝手に木に登ってくれる。適当にあしらっておけば満足するんだから馬鹿と同じ低いレベルで争う必要なんてどこにもないんだ」


 『……いやいや、おもいっきり敏也を馬鹿にしつつ、ごしごしと傷口に塩を塗りこんでいるのはむしろあんたの方だろ!』


 思わずそう言い返してしまいそうになる衝動を心の中で必死に我慢する。


 「でもまあ、例え椎名が辞退したところであの来栖川が皆本をチームメイトに選ぶとは思えないけどな。実力で負けた勝負の結果をじいさまに泣きついて強引にひっくり返すような卑怯者が仲間にいたとなれば、正々堂々と戦って勝ったとしても後で相手に何を言われるか分かったもんじゃないからな」


 くっくっくと底意地が悪そうに笑いながら、彼はさらりと爆弾発言を言ってのける。


 それを聞いて思わず周囲の者が息を飲んだ。

 湊の指摘した事実は敏也にとって、いや、彼の実家である皆本公爵家にとっても禁句に近い発言だったからである。


 「ふ、ふざけるな! あれは、あれは反則だったんだ!」


 「え? 反則? 俺は例え話をしただけなんだが、なにかお前の方で心当たりでもあるのか? ん?」 


 「ぐっ…………」


 言葉に詰まる敏也を湊はニヤニヤしながらなおも嬲る。


 「ああ……そうか、去年の中等部全国剣術大会決勝戦の疑惑の判定のことだな? なるほどなぁ。あれはやっぱりインチキだったわけか」


 「…………ちっ、違う! てめえ、なにを言い出しやがる!」


 ムキになって言い返す敏也を嘲るように「へぇ」と口を歪めた湊は、ひょいと肩をすくめて、


 「俺も動画であの試合を見たが、さすが三鷹だな。あんな綺麗な一本勝ちはそうそうない……おっといけない。皆本様に逆らったら俺が人生の反則負けを喰らっちまうか?」


 しれっとのたまった。

 そのおどけた言い方に思わず晃は吹き出してしまう。


 一方、おさまりがつかないのが敏也の方だ。


 「貴様っ! こ、殺してやる!」


 痛烈な皮肉にカッときたのか、晃が止める間もなく彼は腰元の剣を抜き放った。


 「死ねっ!」


 頭に血が昇って自制が効かない敏也は、握り締めた剣を正眼に構えると、車椅子に座ったままの湊にワッと襲いかかる。


 そんな敏也の凶行に野次馬の生徒たちから次々と悲鳴が上がる。


 しかし、青年教師はそんな危機的状況にも関わらず、落ち着き払って眉一つ動かさない。


 そんな彼の代わりに動いたのは、湊のうしろでいつもむっつり黙ったまま車椅子を押している根暗な女性教師――霧咲円きりさきまどかだった。


 「――――――!」


 晃ですら目を見張るほどの速度で二人の間に割り込んだ彼女は、普段の彼女の印象からは信じられないほどの身のこなしで神速の斬撃を一閃させる。


 目にもとまらないその一太刀を受けて、敏也の手から彼ご自慢の愛刀が弾き飛ばされて大きく宙を舞った。


 「へっ?」


 何が起ったか分からず、空になった己の手に呆然と視線を落とした敏也は、続けざまに鞘でみぞおちを軽く小突かれると、無様にもその場にステンと尻餅をついてしまう。

 そんな彼の眼前に空中をくるくると遊泳していた刀が舞い戻ってきて、股の間にザックリと突き刺さった。


 「ひいっ!」


 情けない悲鳴を上げた敏也の鼻先から、トロリと赤い液体が流れ落ちた。薄皮一枚分ではあるが、刃がかすっていたのだ。

 しかし、この場合敏也は女性教師に感謝すべきだったろう。

 もしも彼女によって突き転ばされていなかったならば、彼は間違いなくご自慢の愛刀によって自分の脳天をカチ割られていただろうからだ。


 「……………………」


 「………………」


 「あっ……!」


 暫し放心状態だった敏也だが、やがてハッと顔を上げると、後ろでボケッと突っ立っている取り巻きたちに向かって激しく怒鳴り上げる。


 「ぼさっとするな! 教師だからって構うことはない。お前らもまとめてかかれ!」


 一喝されて我に返った貴族の坊ちゃん連中は、各々の腰の獲物に手をかけると一斉に女性教師に襲いかかっていく。


 一方で腰巾着たちの標的とされた霧咲円の方はというと、特に狼狽するでもなく、表情一つ変えないまま鬱陶しそうに小さく溜息をついていた。


 刹那、両者が交錯する。


 勝負の結果は傍目にも明らかだった。

 両者が接触したと思った次の瞬間にはもう、貴族の坊ちゃんたちがみな、冷ややかな表情で見下ろす円の傍らで派手に鼻血をまき散らしながら地面に這いつくばっていたからだ。


 「――その痛みは、彼女が受けた分。暫くその場で苦しみながら、反省……しなさい」


 女性教師は鼻を押さえながらうめき声を上げて苦しんでいる敏也の取り巻きたちにジト目を向け、感情の籠らない声音で冷たく言い放つと、くるりと麻耶の方に振り返った。


 「鞘打ちだから……大丈夫。出血は派手だけど、大したことは……ない、わ」


 「よかった……」


 円の説明を受けて麻耶はほっと安堵の表情を浮かべていた。

 この期に及んで自分に暴力を振るった相手の心配をするとは……いったい彼女はどこまで優しいのだろうか。思わず傍で見ていた晃が呆れてしまうほどの麻耶のお人好しっぷりだった。


 「………………」


 そんな彼女を見て霧咲円が何を思ったのかは分からない。暫し教え子である少女を無言で眺めやった後、彼女は人形よろしく凍りついた表情のまま、何もなかったかのようにゆっくりとした足取りで己の定位地である湊の後ろへと戻っていった。


 「ちょっ、マジかよ……」


 晃は思わず声を漏らしてしまう。

 彼女が貴族連中を全員のしてしまったことは、まあいい。

 問題は、彼女がその動きを晃ですら目で追うのがやっとの速さで行った上、全員の鼻先にピンポイントで、しかも大怪我しないように手加減までするという神業をやってのけたことだ。


 (おいおい、あの女一体何者だ? あんな芸当が可能なのは俺の知る限りじゃうちのししょーくらいだぞ……てか、あの人湊先生の車椅子を押すだけの人じゃなかったのかよ!)


 しげしげと女性教師を眺めやる。


 全く手入れの行き届いていない長いだけのボサボサの黒髪に、垢抜けないデザインの黒縁メガネ。小柄でスレンダーと言えば聞こえはいいが、要するに発育が足りてないだけの貧相な肢体。身体に合っていない大きめなサイズを着ているせいか、同じ教員用の制服なのにもかかわらず他の女性教師と比べても明らかにやぼったく地味な身なり。口数は極めて少なく、仮に喋っても感情の籠らない声でボソボソと呟くだけという根暗さ。


 生徒たちから苗字をもじって陰で「地味咲じみさきさん」と囁かれているようなさっぱり冴えない彼女が、まさかあのししょーと同等クラスの実力者であるだなんてとても信じることができなかかった。


 それとも……ししょーの実力が晃や乃乃乃が思っているほど大したものではなかったということなのだろうか?

 信頼がゆらぎかける。が、いやいや……と思い直す。


 未熟だといえど騎士の卵たちと、七光りとはいえ全国レベルの剣士を相手に文字通り子供扱い出来る者などそうそういるはずがない。


 能力者は大きく武術に優れた者と魔術に優れた者、あるいはその両方に秀でた者とに分けられるが、もしかしたら地味咲さんは極端に前者に傾いたタイプなのかもしれなかった。


 「貴様ら! この俺にこんな真似をしてただで済むと思うなよ! 皆本家に逆らったことを一生後悔させてやるからなっ!」


 敏也はヨロヨロと立ち上がりながら吠えかかるが、湊は冷笑一つでそれを払いのけた。


 「おやおや、困ったらまた爺さまに泣きつくのか? 馬鹿な孫に脛を齧り続けられる方も大変だよな。まあ、なんにせよ好きにすればいいさ」


 湊もそしてその後ろに控える地味咲さんも、敏也の脅し文句をそよ風位にしか感じていないように平然としている。


 「た、単なる脅しだと思うなよ! ナマケモノの分際で! この国で生きていられないようにしてやる!」


 ナマケモノというのは、湊の容姿に嫉妬した生徒が彼に対して呼ぶ蔑称だ。


 なぜそんなあだ名がついたのかというと、彼は三十二年前のギルド動乱の際に何か呪いのようなものを受けてしまったらしく、その結果、意識の稼働時間が常人に比べて極端に短くなってしまったというその特異体質に由来している。


 要するに、一日に起きていられる時間がほんの数時間しかないらしいのだ。


 それと同じく哺乳綱異節上目有毛目ナマケモノ亜目で言うところの本家ナマケモノは、一日の殆どを木の上で寝て過ごし、一日にわずか四時間ほどしか活動しないのだという。

 このように両者とも一日の殆どを寝て過ごすことから、湊はナマケモノと陰口を叩かれるようになったのだ。


 ちなみに地味咲さんがいつも彼の車椅子を押しているのもそのせいだった。


 一日に数時間しか起きていられない湊は、稼動限界が来ると糸が切れた操り人形のように突然バッタリと倒れてしまう。そのため彼はいつそうなってもいいよう常日頃から車椅子で生活しているらしい。


 それに車椅子ならば湊自身が寝ている間でも移動が出来るというメリットもある。

 つまり通勤などの生活に不必要な行動を寝ている間に行うことによって、彼自身が本当に行うべき活動によりその貴重な時間を割くことができるというわけだ。


 「はいはい。俺のことはナマケモノでもなんでもいいさ。とにかく分かったからこの場は引いたらどうだ? こういっちゃなんだが、早く着替えたほうがいいぞ。ずっとそのままだと制服のズボン……冷たくて気持ち悪いだろ?」


 その言葉を聞いた瞬間、敏也の顔が凍りついた。


 「ん?」


 憐れむように彼に向けられた湊の視線を目で追うと、そこは敏也の股間のあたりだった。

 気のせいか、制服の丁度その部分が湿って色が変わっているような……。


 「皆本……お前、まさか…………漏らしたのか?」


 つい口に出してしまった晃の言葉に、目に見えて敏也の顔色が変わった。

 その色はすでに赤面を通り越して、死人のような土気色にまで達してしまっている。


 「おもらし?」


 「えーっ、皆本くんがぁ?」


 「うそーっ、ショックー。かなり幻滅かもー」


 気がつくと周囲がにわかにざわつきだしていた。

 騒ぎを聞きつけて、いつの間にか他の生徒たちが集まってきていたのだ。

 見ると人込みの中には晃が呼び出した乃乃乃や、一緒について来たのだろう三鷹吹雪の姿もある。


 「く、くそっ、てめぇら、覚えてろよ!」


 これ以上この場に踏みとどまることは自分にとって致命傷になると判断したのだろう。もはや使い古された悪役のおなじみのセリフを残して、敏也とその取り巻きたちは逃げるようにその場を立ち去っていってしまった。


 ◆◆◆


 「あのバカボン、いいざまね。晃もご苦労さま。良くやってくれたわ」


 人波をかき分けて寄ってくると、乃乃乃がよしよしと頭を撫で回してくる。


 「いいところは全部先生たちに持ってかれちまったけどな」


 苦笑した晃の元に、湊と地味咲さんにお礼を終えた麻耶がトトトと駆け寄ってくる。


 「助けてくれてありがとう。それと晃くんまで巻き込んでしまって、ごめんなさい」


 「いや、気にすることはないから……な、ホント、頼むから頭を上げてくれよ」


 麻耶に深々と頭を下げられて、晃はしどろもどろになりながら答えた。


 「そうよ。晃は当然のことをしただけだし、麻耶っちが謝ることじゃないしね。それよりも殴られたところ、大丈夫?」


 「うん。ちょっと唇切っただけだから」


 「とりあえず治療するから保健室に行きましょ」


 言うや否や、乃乃乃は「あ、ノノちゃん、私、大丈夫だから……」と気遣いを見せる麻耶の手を強引に引きながらとっととこの場を去っていってしまった。

 「あっ」とこちらに片手を伸ばしながら引きずられていく麻耶の姿を見ると、なぜだかドナドナと売られていく子牛を連想してしまう。


 (なんだかなあ……)


 せわしない姉に苦笑しつつ、自分も教室に戻ろうと後ろを振り返った晃だったが、そこで視界に入った光景を目のあたりにして、思わず数回瞳をまたたかせた。


 何故かは分からないが、ちょうど先ほど麻耶が晃にしたのと同じように、吹雪が湊たちに向かって深々と頭を垂れていたからだ。


 「……ありがとうございました」


 「ん? 椎名のことか? それなら教師として当たり前のことをしたまでだ。礼を言われるほどのことじゃない」


 「いえ、それに対するお礼の意味ももちろんありますが……」


 言いながら顔を上げた吹雪の瞳は、どうしてかわずかに潤みを帯びていた。


 「皆本との試合の件で、親しい友人たちからはともかく……第三者の口からこういう公の場で皆本家の人間に対してはっきりと私に反則はなかったって言ってもらったのを聞いたのは初めてで……私はそれが……ほ、本当に……嬉しくて、嬉しくて……」


 そこまで言った吹雪は感極まったのか、嗚咽を堪えながらすすり上げてしまい、それ以上は何も言葉を続けることができなくなってしまったようだった。


 「俺は試合の動画を見て思ったことをそのまま言っただけだ。それも礼を言われるほどのことじゃないさ」


 湊は軽く手を上げながら謙遜すると、「藤倉、三鷹を教室まで連れていってやれ」と後のフォローを晃に促して、地味咲さんを伴ってそのままその場を去って行こうとする。


 「せ、先生、待ってください!」


 そんな彼らを再び吹雪が呼び止めた。


 「……どうした?」


 「まだ何かあるのか?」と車椅子越しに振り返った湊に、「いえ、正確には湊先生じゃなくて霧咲先生の方になんですが……」と申し訳なさそうに吹雪が告げると、地味咲さんが「?」とばかりにそのボサボサの頭を小さく揺らした。


 感情の籠らない人形のような目で見つめられて吹雪は一瞬躊躇したようなそぶりを見せたが、ぎゅっとスカートの裾を握り締め、意を決したように顔を上げると、


 「あ、あのっ……どうか、どうかあたしの剣の師匠になってください!」


 声高らかに一気に捲し立てた。

 圧倒的な実力を見せつけられた後なので、晃からすれば「なるほどな……」というところなのだが、頼まれた当人からすれば余程意外だったのだろう。

 がばりと頭を下げた吹雪を前にして、普段ほとんど感情を外に見せることがない地味咲さんがキョトンと呆気にとられた表情で立ちつくしていた。


 「お願いしますっ!」


 なおも頼み込む吹雪に対し、地味咲さんは困り果てた様子で助けを求めるように湊の方へとチラチラ視線を送っている。


 「俺の面倒も見てもらわなきゃいけないから常にって訳にはいかないが、四天王杯で同じチームメイトにもなったことだし、時間がある時にでも付き合ってやったらどうだ?」


 湊の後押しを受けて、地味咲さんは吹雪に視線を戻すと、コクリと小さく頷いた。


 「あ、ありがとうございます!」


 吹雪は飛び上がらんばかりの勢いで喜びを表すと、


 「精一杯頑張りますので、これからどうかよろしくお願いします!」


 地味咲さんに更に一礼してから晃の方へと戻ってきた。


 「お待たせ!」


 そう言った彼女の表情は、泣いたカラスが何とやら。今まで晃が見たこともないほど晴れやかな笑顔を浮かべていた。


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