第2章 四天王杯②
◆◆◆
「今日みんなにここに集まってもらったのは、他でもないわ」
一体何が「他でもない」のか乃乃乃にはさっぱり分からない。だがその瞬間、なぜだかそれがあまり良いことではないような漠然とした予感が頭の隅を足早に駆け抜けていくのを乃乃乃ははっきりと感じていた。
そしてその予感はすぐさま確信に変わる。
「あなたたちには、来月末に開催される四天王杯横浜特区予選の団体戦に私たちと一緒に出場して貰いたいの」
「「えっ!」」
思わず上げた声が、見事に静江とハモってしまった。
他の者も声こそ上げはしなかったものの、一様に驚きを隠せない表情で互いに見つめ合っている。
「なんで俺たちが?」
晃のその問いかけが、おそらく乃乃乃たち一年生全員の気持ちを代弁していただろう。
それくらい会長の提案は突拍子もないものだったのだ。
四天王杯――正式名称、四公爵領対抗天王杯交流戦。
帝国全土で皇帝から魔術士官学園を置くことが許されているのは帝国最上位貴族が支配する六大公爵領のみ。しかしその内の新宿と渋谷には領主の方針で設置されていないため、魔術士官学園があるのは横浜公爵領特別区、名古屋公爵領特別区、仙台公爵領特別区、札幌公爵領特別区の四領だけである。
四天王杯とは、この四公爵領の代表が互いの学園と所属領地の名誉を賭けてその力と技の限りを尽くして競いあう、いわば武術大会のようなものだ。
もちろん一般に四天王杯と呼ばれているものは本戦であり、これに出場するためにはそれぞれの公爵領の中で代表となる二枠を賭けて予選を勝ち抜かなくてはならない。
四天王杯の団体戦は一試合が一日がかりという長丁場なため、各公爵領での予選大会は複数の会場に分散して効率的に進められることになっているのだが、帝都で行われる本戦は特別区予選と違って会場が一箇所に固定されるため、合計五日間の日程で執り行われることになっている。
とはいっても、決勝トーナメントは最後の決勝戦を含めてもたったの三試合しかないから、緒戦にしていきなり準決勝という高いハードルからの試合開始となってしまう。
その準決勝が一日一試合、準決A組と準決B組の二日に渡って行われ、それぞれの上位二校ずつが三日ないし四日の休息を挟んで最終日の決勝戦へと臨む形だ。
本戦の話については少々気が早いのでひとまず置いておくことにするが、公爵領予選に関して言うと、晃たちの住んでいるこの横浜公爵領の予選は四つの公爵領の中でも本戦出場条件が最も厳しいことで知られている。
乃乃乃たちが通うこの王立横浜魔術士官学園は、横浜公爵領特別区に四校ある魔術仕官学園の一つで、他には相模魔術仕官学園、厚木魔術仕官学園、川崎魔術仕官学園の三校が存在する。
このように領内に魔術仕官学校が四校あるのは横浜のみで、それに次ぐのが名古屋の三校、仙台と札幌はそれぞれ二校ずつである。
都市によって能力者の人数にバラつきがあるので仕方がないといえば仕方がないのだが、各領の魔術仕官学園の数に関わらず与えられている本戦出場枠はそれぞれ二つずつなので、単純に考えても横浜の一枠辺りの格差は仙台や札幌に比べて二倍ということになる。
つまり、小夜子は晃たちに「この横浜魔術仕官学園の代表として、四天王杯本戦の出場枠をかけて、他の三校の代表とこの帝国の中で最も過酷な激戦区の中で共に戦え」と言っているのだ。
「いくら来栖川先輩の頼みだからって、そりゃ無茶な話ですよ……」
あまりの無茶振りに、やる気よりも先に弱音が出てきてしまった晃を責める者は一人もいなかった。
そりゃそうだろう。天才能力者来栖川小夜子のチームメイトになるということはそれほどまでに突拍子もないことなのだ。
この四天王杯には個人戦と団体戦がある。
ちなみに昨年度の四天王杯個人戦優勝者は、言うまでもなく我らが生徒会長、来栖川小夜子である。
それも他校の代表を全く寄せ付けない、圧倒的な勝利だった。
会長の実力ならそれとて驚くには値しない。が、その力があまりに突出しすぎてしまっていたため、本戦の団体戦では思わぬ足を掬われることとなってしまった。
個人戦が闘技場における一対一の純粋な力の比べ合いとするならば、団体戦は野外における集団による模擬戦闘だ。
団体戦は一試合四チーム。各校の代表が一チームずつ選抜される形で行われる。
一チームは教師二名と生徒十三名の合わせて十五名。戦闘単位で言うところの一魔道小隊だ。その全員が正選手で補欠というものは存在しない。
チームの選手の中に教師が含まれていることに違和感を覚える者もいるかもしれないが、これは「自分たちよりも階級や実力が上の者をうまく使いこなし、円滑に連携を取る経験を養うため」という、将来生徒が軍で活躍することを前提としたカリキュラムの一環で採用されているシステムによるもので、教師は一個の戦力として完全に生徒の指揮下に入り、その作戦立案などには一切関与しないことになっている。
このように生徒と教師が入り混じったそれぞれのチームは、一キロ四方の広大なフィールド内を四分割した東西南北の各エリアを拠点に、他チームのエリアへと侵入して敵陣を攻略しなくてはならない。
つまり、予め決められたフィールドの中で六十名もの能力者が一度に入り乱れることになるのだ。
勝利条件は、他三チームの本陣にそれぞれ設置された守護の紋章を全て自チームのものに上書きするか、敵チームのプレイヤー全てを戦闘不能にすること。もしくは制限時間内(十二時間)に最も多くの紋章を手に入れることである。
紋章の上書きをする方法はいたって簡単。敵の本陣に設置されている守護の紋章に触れて、魔力を注ぎ込むだけでいい。
だが、それだけではまだ敵の紋章を奪ったことにはならない。
相手の紋章を上書きしてから一時間それを敵の手から守り通さなければ、正式に自分たちのものにはならないのだ。
つまりそれは、仮に自分たちのチームの紋章が一度敵に上書きされてしまったとしても、一時間以内に一瞬でもそれに触れて魔力を注入することが出来れば再び奪い返すことができるということでもある。
仮にまたすぐにそれを敵に奪い返されたとしてもカウントはゼロに戻る。つまり、相手は再びそこから再び一時間紋章を守り通さなくてはならなくなってしまうのだ。
それに、相手の紋章を上書きして一時間守り通したからといっても安心していい訳ではない。
紋章を奪われたチームはそこで失格となりフィールドから退場となるが、奪った方は、今度は自分のチームの紋章と奪った紋章両方を守らなくてはいけなくなるからだ。
四つ巴形式の四天王杯においては、最初に紋章を奪ったチームがそれを守るために戦力を二つに割った結果、残った二チームからそれぞれ半分になった戦力に襲撃を受けて各個撃破を食らってしまい全滅してしまう……などという残念な光景が繰り広げられることは恒例のイベントとなっている。
だが逆に、ケースによっては複数の紋章を持っていることが有利に働くこともある。
仮に自分たちの本陣が北からはじまって、そののちに東を手に入れたとする。その状態で別のチームによって本来の本陣だった北を奪われてしまったとしても、東さえ残ってさえいればそこが新たな本陣扱いになり、敗北になることはないからだ。
ちなみにこのルールは相手の紋章を上書きされた時点で適用されるため、東を上書きしてから一時間経ってない段階で本来の本陣を奪われたとしても、東が自分たちのものになるまでの一時間きちんと守り通せれば失格になることはない。
しかし、自分たちの本陣として確定する前にほんの一瞬でも敵に紋章を上書きされてしまった時点で即失格となってしまうので、東が残るとはいえどもキリギリの綱渡りを強いられることとなってしまうことは否定できない。
このような理由もあり、選手としてはできるだけそういう事態にならないよう本来の本陣を中心に守りを固めていくというのが一つの常道になっている。
また、四チームが参加する四天王杯では、他のチームと同盟を結んだり、また有効なタイミングを見つけてそれを破棄するという駆け引きも重要な要素の一つに挙げられる。
他のチームと裏で同盟を組むなどと言うとズルをしているように聞こえるかもしれないが、これはきちんとルールブックにも明記されているこの競技における正当な戦略である。
例えば、本戦における準決勝A、B試合が終わった後に与えられる三日ないし四日の準備期間、これは単に選手の傷の手当や疲労回復のためだけに与えられたものというだけではない。
当然ながらこの期間をいかに有意義に使うかという戦略が、決勝戦での結果に大きく関わってくる。
つまり、試合が始まる前の根回しの段階から既に勝負は始まっているのだ。
そしてこの参加チーム同士の同盟の重要性が再認識されたのが、昨年の四天王杯本戦の予選第一試合だった。
そしてその一戦こそ、会長こと来栖川小夜子及びその腹心である副会長二人の名が世に轟き渡ることになった要因となったと同時に、本人たちにとっては本戦準決勝敗退という痛い屈辱を味わわされた試合でもあった。
その全ての発端は、会長の圧倒的な強さだった。
正面から普通に戦っては絶対に勝ち目がないと踏んだ残りの三チームは一計を案じた。
結果、その試合は開始の合図とともに横浜以外の三チームが会長たちのチームに向けて一斉に襲いかかってくるという前代未聞の展開を見せたのだ。
これに対し、当時まだ一年生だった会長と副会長二人(当時は三人とも役付きではなかったが)は奮戦した。その試合を観戦していた者が言うには、文字通り獅子奮迅の活躍だったという。
驚くべきことに、会長たちのチームは三倍の人数差を相手にとうとう敵軍が壊滅するまで自陣の紋章を守り切り、その試合に勝利をおさめることに成功したのだ。
だがしかし、そんな彼女たちが決勝へその駒を進めることはなかった。
彼女たち三人以外のメンバーがその対戦による怪我でみんな戦線離脱してしまい、次の試合で戦えるだけの戦力が残っていなかったからだ。
会長とともに最後まで戦いきった副会長の二人にしても、病院送りにこそならなかったものの既に満身創痍の状態で、次の試合にはとても出場できるような状態ではなかった。
こうして横浜魔術仕官学園チームは、来栖川小夜子という最強の駒を持ちながら、他三チームによる同盟戦略によってそれを封じられ、痛い敗戦を喫してしまったのである。
「まあ、出る杭は打たれるってことよね」
そう言うと、小夜子は自嘲気味に笑った。
「だから、今年は打たれても平気な杭にしたいのよ」
「じゃあ、なおさら私たちじゃ無理ですよ」
「そうかしら?」
小夜子は乃乃乃に向かって不思議そうに問い返してきた。
「天才的な作戦立案指揮能力を持つルシルさん。テレパス能力というレアで応用力の高い力を持つ椎名さん。同じくレア能力でメンバーの力の底上げが可能な魔力付与者である園田さん。相手への攻撃にも防御にも牽制にもと万能な力を持つ長沢さん。戦闘にも罠などにも使える殺傷能力の高い力を持つ宮沢さん。そして……」
くるりと彼女はこちらの方を振り返った。
「前線で戦える優れた武術の腕を持つあなたたち藤倉姉弟と三鷹さん。特に三鷹さんは昨年の中等部全国剣術大会準優勝者なのだから申し分ないわよね?」
「………………」
誰も言葉を返すことが出来なかった。
優れた実績を持つ椎名麻耶や三鷹吹雪はともかく、そのおまけに過ぎない自分たちのことをここまで会長がきちんと調べ上げているとは思いもしなかったからだ。
「それに……」
ぐるりと自分たちを見回す小夜子とふと視線が重なった。そのまま彼女は含みがある悪戯っぽい笑みを一つ浮かべる。
「それ以外にも、このチームには潜在能力が隠されていそうだし……」
「!」『!』
その言葉に、乃乃乃の心臓は一瞬ドキリと高鳴る。
晃も自分と同時に息を飲んでいたのを、念話越しに感じていた。
『の……ノノ! まさか……』
『お、落ち着きなさい。か……考えすぎよ』
弟を諭した乃乃乃の声もまた、動揺を隠しきれずに上ずっていた。
『で、でも……』
『会長が言ってるのが私たちのことだとは限らないじゃない。ほ、ほら、麻耶っちたちもなんか浮かない顔をしてるし……』
自分で言葉に出してみて改めて気づいたが、会長の言葉を受けて、麻耶や静江たちも何やら苦虫を噛み潰したような、それでいてどこか会長を咎めるような、そんな複雑な表情を浮かべて互いに見つめ合っていた。
彼女たちにも何か思うところがあるのかもしれない。
複雑な思いを抱えつつも、懸命に繰り出された乃乃乃たちの反論の芽も大方小夜子に摘み取られ、皆の立ち位置が已む無くではあるが大方大会参加の方向へと傾いてきたその時、
「あの……」
小夜子に向かって小さく挙手した者がいた。
綺麗な黒髪のポニーテールが印象的な少女、三鷹吹雪だった。
「なに?」
「今ここにいる私達と先生方お二人ではまだ十五人に満たないのですが、どなたか他に声をかけられている方がいらっしゃるんですか?」
「……あ!」
乃乃乃ははっと顔を上げた。吹雪の指摘で初めて気がついたが、ここにいる一年生が八人。二年生が三人。教師枠から二名。つまりまだ十五人には二人足りないことになる。
「いいえ」
会長は小さく首を振った。
「一人目星をつけている人はいるけれど、まだ声はかけていないわ」
「その一人っていうのはまさか……皆本敏也のことですか?」
そう問いかけた吹雪の瞳には、剣呑な光が宿っていた。
確かに個人の実力……という観点からメンバー候補を考えるのであれば、彼、もしくは天野史織あたりが選ばれていたとしてもおかしくはない。
まずい……。
ピリっと殺気立っている吹雪を、乃乃乃たちは隣でハラハラしながら見つめていた。
◆◆◆
「もし会長があいつをこのチームに加えようと考えていらっしゃるのなら、申し訳ありませんが、私はチームへの参加を辞退させていただきます」
会長を正面から見据えると、吹雪は迷うことなくきっぱりとそう言い放った。
それは単に親友である椎名麻耶が、彼をはじめとする上位貴族にいじめられているからという理由だけではない。
会長が思い描いている人物が、仮に他のいけ好かない高位貴族たち――最悪あの天野史織であったとしても――吹雪はしぶしぶではあるものの、我慢してそれを受け入れることができるだろう。
しかし、あの男……皆本敏也だけは駄目だ。
彼女自身が皆本敏也に個人的に抱く嫌悪、いや、それ以上の……もはや殺意混じりと言っても過言でない拒絶感は、とてもチームメイトという義務感で抑えられるものではない。
それほどまでに彼に対する吹雪の恨みは深く、根深いのだ。
両者における確執の全ての原因たるその発端は、先ほど会長の口からも話題に挙がった昨年の中等部の全国剣術大会での出来事だった。
その大会に出場した吹雪は準優勝の成績をおさめた。
それは、まあいい。
そして彼女を下して優勝した相手、それが皆本敏也だった。
それも……まあ、この際いいことにしておこう。
ただし、その敗北が試合における正当な結果であったならば……だ。
さすがに決勝戦に残るだけはあって敏也の腕はたいしたものだった。
しかし言ってみればそれ以上でもそれ以下でもない。対戦中一瞬たりとも負けるとは思わなかったし、実際危なげな場面もなかった。
他の試合と同じように普通に対戦して、普通に勝利をおさめた。吹雪にとってはただそれだけのことだった。
では決勝戦で勝ったはずの吹雪がなぜ準優勝なのか?
当然出てくる疑問だ。
その答えは、反則負け――である。
決勝戦で敏也を下し、選手控え室に戻ろうとした矢先、彼女はそのことを大会係員から一方的に言い渡されたのだ。
むろん吹雪は反則など一切犯してはいない。怪しいと疑われる局面すらなかった。
納得いかないと必死に大会本部に詰め寄っても梨の礫で、吹雪の犯したという反則が具体的に何だったのかでさえとうとう明らかにされることはなかった。
こんなのはもはや誤審ですらない。
明らかに皆本家という権力による事実のねじ曲げであった。
皆本家の有望株である敏也坊ちゃんの経歴にはかすり傷一つつけることは出来ないというわけだ。
そしてこの工作にはもう一つ政治的な理由がある。
剣聖の称号を望んだことでも分かる通り、敏也の祖父で第5位の円卓騎士でもある皆本清十郎は帝国有数の剣豪である。
彼に比する剣腕の持ち主となると、ぱっと思いつくのは実在の疑われる第14位の剣聖と、『破軍の勇者』と呼ばれる第13位の能力者、高瀬近衛の二人くらいだろう。
帝国では剣士が自分の流派を興し、自由に剣術道場を運営することが認められている。
吹雪の実家もその一つで、下級貴族である吹雪の父は星霜館という流派の、小さいながらも活気に満ちた道場を営んでいた。
一方、皆本清十郎ほどの名声のある剣士になると、集まる弟子の志願者も半端ではない。
彼の流派である源真一刀流はただの町道場という枠におさまらず、華道や茶道の家元と同じくもはや大企業並みの規模を誇る巨大な組織と化している。
要するに、敏也が吹雪に負けるということは、源真一刀流が名も知れぬ小さな町道場に負けるということでもあるわけだ。それは即ち源真一刀流の看板に大きな傷をつけられるのと同じことで、皆本一族からすれば到底看過できるものではなかったのだろう。
そんな政治的な思惑も絡むことで吹雪の優勝は握りつぶされてしまい、逆に反則負けという不名誉な記録だけを押しつけられてしまったのだ。
だが、ここまでならまだ良かった。
吹雪が皆本家から受けた屈辱はこれだけに終わらない。
優勝こそ逃したものの、準優勝者を出したということで吹雪の家の道場に入門を希望する者は増えた。
吹雪自身には大会の結果に釈然としない気持ちは残ってはいたものの、門下生が増えたことで喜んでいる父の姿を見て、まあいいかという気持ちにもなったのだ。
しかし、ある日を堺に門下生がぱったり道場に来なくなってしまった。
どうしたものかと思い原因を探ってみると、門下生全員に皆本家から圧力がかかっていたことが分かったのだ。
皆本からすれば、自分たちの流派を打ち破る可能性のある道場をそのまま野放しにはしておけないということなのだろう。
結果、吹雪の父親はそのまま道場を運営していくことがままならなくなり、ついには母親が亡くなってから親子二人で必死に盛り立ててきた道場をたたむところまで追い込まれてしまった。
そして三月のある日、吹雪の入学が決まっていた横浜魔術士官学園の入学金と卒業までの学費、寮費の全てを一括で納めた後、吹雪の父親はいずこかへと姿をくらませてしまった。
姿が見えない父親を探し回っていた吹雪は、ガランとした道場の上座に生活費の入った銀行のカードと一振りの剣、そして一通の手紙を見つけた。
吹雪宛の手紙にはたった一言、「すまない」とだけ書き残されていた。
残されていた刀は三鷹家の家宝で、魔力が付与された魔剣でこそないが、当代一と言われる天才刀匠にして第91位の階位騎士でもある「武継」が鍛えた緋緋色金製の名剣『緋霞』だった。
武継の作品といえば、立ち上る炎のような刃紋の美しさと恐ろしいまでの切れ味が特徴で、皇帝御影数馬の愛刀として知られる魔剣『鬼切紅燼』も彼の作である。
皮肉なことではあるが、父がいつも肌身離さず持っていて、滅多に触らせて貰えなかったこの緋霞が道場に残されていたことで、吹雪は逆に自分の父親の失踪を確信することになってしまった。
おそらくこの刀は、たった一人取り残されてしまう吹雪に対しての餞別のつもりだったのだろう。
以降、父親の行方は杳として知れない。
このように、吹雪にとって皆本敏也という男は、自分の名誉を傷つけた張本人であるばかりか、家庭をめちゃめちゃにした憎っくき敵でもあるのだ。
ちなみに、一応末席とはいえ貴族の子弟である吹雪が平民だけで構成されるGクラスに入れられているのも、皆本一族の差し金であるに違いなかった。
そのことに関しては、麻耶や乃乃乃、それに真田志保子など良い友人に恵まれたこともあり、吹雪自身は特に気にはしていない。
とはいえ、嫌がらせ一つになんとも芸の細かいというか器の小さいというか、要するにみみっちい連中なのである。
自分の幸せのためなら他人の人生を平気で踏みにじる……そんな男と共に肩を並べて戦うことなど吹雪には耐え得るものではない。
どうしても同じチームで戦えと言われるくらいなら、いっそ死んだほうがましだった。
乃乃乃たちは今回の会長の誘いに乗ることに二の足を踏んでいたようだが、吹雪は違う。
むしろこれは大きなチャンスだと思っている。
そもそも吹雪がこの学園に入学した目的が、四天王杯に優勝して剣士としての名を上げ、父親が畳んだ道場を再興するための足がかりにするためだったのだ。
もし出場することができたならば、それなりの成績をおさめる自信もある。
一つの学園からたった四チームしか予選に参加することが許されていない中、まさか上級生たちを差し置いていきなり一年生から出れるチャンスが巡って来るとは思わなかったが、今回降って湧いてきた話は吹雪個人にとっては願ってもないものだった。
普段なら二つ返事で引き受けているところだ。
しかし、今回だけはどんなに目の前の餌が魅力的でも即座に食いつくことはできない。
それどころか、会長の返事いかんによっては毅然とした態度でこの場を立ち去るつもりだった。
「………………」
吹雪は会長の返事を伺うため、ぎゅっと拳を握りしめてその場に立ち尽くしていた。
嫌な沈黙が周囲を包み込む。
みなの視線が会長に向けられ、その口から紡がれるだろう返答に注目が集まる。
「……安心して頂戴。私が候補にあげているのは別の人よ。三鷹さんと皆本くんの間にある確執については私も承知しているつもり。その上であなたがここにいて、皆本くんがいないということが私からの返事……ということじゃ駄目かしら?」
ほわっとした笑みを浮かべる会長を横目に、吹雪は「ホッ」と小さく安堵の溜息をつく。
「それならば……」
会長にそこまで言われては、吹雪にこれ以上の反論があろうはずがなかった。
「微力非才の身ではありますが、お力になれるよう精一杯努力いたしますので、どうかよろしくお願い致します」
この場の空気を悪くしたことを詫びることも含めて、吹雪はその場で皆に向かって深々と頭を下げた。
「吹雪ちゃん、一緒に頑張ろうね」
そっと手を握ってきた麻耶の瞳を正面から見て、一つ頷く。
自分には仲間がいるんだから、大丈夫――。
そう思うことが出来ることに、どこかホッとしている自分がいた。
◆◆◆
「盛り上がっているところに水を差すようで、申し訳ありませんが……」
一難去ってまた一難とはよく言ったもので、吹雪の参戦を喜び合っている乃乃乃たちを尻目に一人冷めた視線でそれをながめていた美少女――ルシル・テンペストは、言葉とは裏腹にちっとも申し訳なくなど思ってなさそうな表情で、まるで氷で紡がれたかのごとく冷え切った声音でそう切り出すと、この教室の中でも一際異彩を放っているその美しい銀髪をなびかせながら静かに席を立った。
「この学園が勝とうが負けようが、私には関係ない話なので……」
素っ気無く言い残すと、彼女は皆に有無を言わせぬまま教室から出ていこうとしてしまう。
圧倒的な存在感を持つ会長に対してさえ臆することもなければ媚びもしない。それどころか彼女の提案を一刀両断に斬って捨てるような、ある意味惚れ惚れするくらいに潔い断りっぷりだった。
これにはさぞかし会長も慌てるだろう……と思いきや、
「あ、そういえば言い忘れていたのだけれど……」
小夜子はぱちんと胸元で両手を合わせると、想定の範囲内とでも言いたげな表情でさりげなくその背に声を投げかけた。
「私たちのチームの二名の教師枠の件ね。実は魔法学講師の湊先生と、その付き添いの霧咲先生にお願いしてあるんだけど……これってルシルさんにとっては事前の練習期間を通じて湊先生と一緒にいられる絶好のチャン――」
「戦術戦略科一年のルシル・テンペストです。皆さんよろしくお願いします」
小夜子が全てを言い終えない内にくるりと反転してスタスタと戻ってくると、そのままルシルは当たり前のような態度で一同に向けてペコリと頭を下げていた。
「えええええええええええええええっ!」
そのあまりに見事な掌の返しように乃乃乃たちは思わずあっけにとられてしまったが、当の本人の態度には気まずさの欠片も見られない。
なんというか、良くも悪くもはっきりとした性格なのだろう。
『にしても、あの噂、本当だったんだな……』
『……みたいね』
噂とは、ルシル・テンペストが魔法学の講師にご執心であるというものだ。
『まあ、確かにあの人見た目はいいし、何より貴重な第一世代の能力者らしいんだけど……なあ?』
『……うん』
晃と乃乃乃が言葉を濁すには理由がある。
王立横浜魔術士官学園、魔法学講師、湊。
『氷の妖精』とまで讃えられ、その美貌だけで国の一つや二つ傾けたと言われても何ら不思議ではないとすら思わせるルシル・テンペストの横に並んでも全く遜色ないほど容姿に優れた青年で、晃が言うように数少ない第一世代の能力者でもある。
しかし、第一世代の能力者と言ってもピンからキリまでいる。
全体として第二・第三世代よりも強力な能力者が多いのは事実だが、かのギルド動乱を生き残ったからといって、その全員が必ずしも優秀な能力者というわけではない。
第一世代にも関わらず、軍の上層部にも登れないまま学園の一講師におさまっている湊の実情を見れば、その実力のほどは推して知るべしと言ったところだろうか。
実際、彼は学園の女子生徒からの人気は非常に高いが、それは彼の能力者としての実力とはいささかの関わりあいもない。
ただでさえ少ない男性の能力者の中で、圧倒的に優れた容姿を持っていればそりゃぁモテもするだろう。
ししょー一筋の乃乃乃の目から見たって、湊の繊細な容姿に思わず見惚れてしまうことがあるのだから、他の女生徒たちが入れ込むのも無理はないと思う。
ただし、ししょーと彼とでは、能力者としての実力がおそらく天地ほども違う。
考えてみれば、例え容姿しか取柄がなかったとしても学園一の才媛の心を射止めることが出来るのならばそれはそれで立派な才能なのだろうという気もするが、それならば単純に俳優にでもなっておけばいいわけであって、能力者としての実力を伴わない人気というのはどことなく空しさが漂ってしまう。
『やっぱりルシルほどの才女でも好きな相手は見た目で決めるのかな?』
『……さあ?』
弟のどうでもいい質問にはおざなりの返事を返しておいて、乃乃乃自身は別のことに考えを巡らせていた。
いくら学園最高の頭脳であるルシルを仲間に引き込むためとはいえ、貴重な教師枠をあの二人に割いてしまっても良いものだろうか……と。
「会長、教師枠を湊先生たちに使っちゃっていいんですか?」
同じところに懸念を抱いていたのだろう、吹雪が怪訝そうな表情で小夜子に質問していた。
言われた本人にとってはあんまりな言葉だろうが、湊という教師にはそもそも能力者としての実力うんぬん以前の問題で、乃乃乃や吹雪がそう考えてしまっても仕方がない理由があるのだ。
「いいのいいの」
乃乃乃たちの心配をよそに、小夜子は軽い調子でそれに応えた。
「どうせ他の先生にお願いしても何だかんだ理由をつけて断られちゃうだけだから」
その言葉に、ああなるほどと全員が頷く。
要するに、上級生たちが会長たちのチームに参加したがらず、結果として乃乃乃たちにおはちが回ってきたのと同じ理由なのだ。
昨年の四天王杯個人戦優勝者――。
その功績で、小夜子はこの学園の団体戦選出枠四つの内の一つと、そのメンバーに対する裁量権を無条件で与えられている。
つまり、本来ならばその枠を争って熾烈な奪い合いが繰り広げられるはずの学内選考会抜きで、好きなメンバーをチームメイトに選んで良いということだ。
そう言えば聞こえはいいのだが、噂によると意外なことに学内ランキング上位者には彼女のチームメイトになりたがる者はいないのだという。
学生にして階位騎士の実力を持つ小夜子を擁しているのだから、世間からはそのチームが勝って当然とみなされる。だが一方で、もし他校に敗北を喫することがあるならば、その敗因はそれ以外のメンバーの実力不足……という評価を下されてしまうことになる。
そしてそれは同時に敗北の責任問題を追求する際、格好の槍玉にあげられてしまうということでもあるのだ。
生徒でさえそうなのだから、教師ならなおさらである。
いや、負けて非難されるだけならまだいい。
今年も昨年と同じく試合開始と同時に三校合同の激しい集中攻撃が襲ってくるならば、正面からそれを受けて立てる小夜子たち生徒会三役はともかく、残りの者は間違いなく試合終了の合図を待たずして病院直行便に乗っていることだろう。
そんな結果が予め見えきっている勝負に、例え教師であったとしてもいったい誰が参加したいと言うのだろうか。
本当ならば小夜子には個人戦だけで頑張ってもらうのが一番なのだろうが、帝国中に名が知れ渡っている彼女を団体戦に出場させないという訳にもいかない。
そこで苦肉の策として、学園側は出場枠の内の一つを差し出すので、勝手に自分で好きにチームを組んでくれと小夜子に投げっ放したのだ。
なんとも無責任な話だとは思うが、卒業が迫ってる三年生に対して「重傷を負うのを覚悟で小夜子のチームへ参加しろ」と強制することもできない学園側の苦しい立場も乃乃乃にだって理解できない訳ではない。
四天王杯で負った負傷は大会本部の抱える治癒能力者が責任を持って癒してくれることになっているが、「まるで何もなかったように綺麗に繋いでやるからその指をすっぱりと切り落とせ」と言われても易々と頷けないのと同じで、自ら好んで大怪我を負いたいという者はいないだろうし、仮に身体の傷は綺麗に癒えたとしてもそれで心に刻み込まれた恐怖が癒えるわけでもない。
怪我を負ったときに受けたトラウマが原因で、傷が癒えたその後戦闘の場に立てなくなってしまったという不幸な選手だって過去を振り返れば何人もいる。
四天王杯に選手として出場することは能力者としてこの上もない名誉なことではあるが、そこが自分のキャリアのピークで、その後の将来を全て棒に振ってしまうようでは元も子もないのである。
実際、こうして一年生である自分たちにまで声をかけてくるところを見ると、小夜子は相当チーム作りに行き詰っているのに違いなかった。
それを考えると、湊先生こそよくこんな貧乏くじを引き受けたものだと思う。
もっとも、乃乃乃は彼に対して同情してやる気には到底なれない。
なにしろ自分自身もその凄絶なる外れくじを引いてしまっている一人なのだから……。
(はあ、何にせよこれから先が面倒なのよね……)
小さく息を漏らす。
大会に向けての個人練習や、集団での陣形の訓練、あらゆる状況を想定しての作戦立案など、本番が近づくにつれて徐々に訓練もハードになっていくに違いない。
しかし、今の乃乃乃を憂鬱な気分にさせているのはそれが原因ではなかった。
全ての魔術士官学園生にとって、四天王杯に出場することは大きな夢の一つである。
あえて昔風に例えるなら、高校野球で甲子園を目指したり、サッカーで国立を目指すのとおそらく同じ感覚だろう。
能力者として生まれてきた以上、四天王杯本戦の会場である神宮演習場の土を踏んでみたいと思わない者はおそらくおるまい。
乃乃乃だってその例外ではない。
本当に嫌だったら、いくら会長の頼みだろうがなんだろうが即座に断っている。
今回の会長の急な誘いに戸惑いを感じてもいるが、その気持ちと同じかそれ以上の期待に胸踊らせてもいるというのが今の乃乃乃の偽らざる心中だった。
だが、そう考えるのは多分自分たちだけではない。
特に負けたら失うものが多い上級生たちとは違って、実践経験のほとんどない一年生には、仮に自分たちが敗北の原因になってしまったとしても「まだ経験不足なのだから仕方ない」という免罪符がある。
もし一年生たちにアンケートを取ったなら、「四天王杯に参加できるなら、怪我のリスクを負ってでも是非参加してみたい」などと答えるような怖いもの知らずが他にも少なからず出てくるに違いない。
そしてそんな考えを持つ上位貴族の面々が、いや、例えそんな風に考えない者であったとしても、自分たちを差し置いて平民である乃乃乃たちが(そして特にいじめられっ子の麻耶が)四天王杯予選に出場するという名誉を与えられることにいい顔をするとは到底思えないのだ。
つまりそれは、自分たちが会長たちのチームで四天王杯に参加することが全校に知れ渡ってしまったなら、それをやっかむ敏也や天野たちと一悶着あることはまず避けられないだろうということでもある。
この懸念が単なる杞憂であればそれに越したことはないのだが、残念ながら彼らがそんなさっぱりとした清々しい性格の持ち主ではないことは、この学園の中で乃乃乃たちが一番良く知ってる事実なのであった。
更新ですが、話自体は最後まで出来上がっていますので、手直しを入れる時間さえ頂ければ必要以上にお待たせすることはないと思います。