第2章 四天王杯①
「あれ? あんたも会長に呼ばれてたの?」
放課後、会長からの呼び出しを受けて、何事かとドキドキしながら会議室の扉を開けた晃を出迎えたのは、なぜか自分の姉を筆頭とする顔見知りの面々だった。
「あんたもって、お前たちもか?」
思いっきり外されてしまった期待に思わず拍子抜けしてしまう。
「なんだ。呼ばれたのは俺だけじゃなかったのかよ……」
「そんな露骨に残念そうな顔しなくてもいいのに……」
「してねぇよ!」
ムキになって叫んだが、全校生徒憧れの会長から直々に呼び出されて、「まさか違うだろ」とは思いつつも、ロマンチックが止まらない的なイベントだったらどうしようか……などと心の隅で少しばかりは期待していなくもない晃だったから、乃乃乃が言うような落胆とまではいかないものの、期待外れのガッカリ感は正直なところ否めない。
「で、肝心の会長は?」
部屋を見回してみるが、呼び出した当の本人の姿が見当たらない。
「ん――、まだみたい」
「ノノたちは何で呼ばれたのか聞いてるのか?」
「ううん、聞いてない。他のみんなもそうみたいよ」
乃乃乃が言うと、みんな一様に頷いた。
「しっかし、会長に改まって呼び出しを受けたにしては、驚くくらいいつものメンバーよね」
姉の言う通り、この会議室に集まった生徒は晃を含めて総勢七名。その全員が晃や乃乃乃と親しくしている友人たちだった。
パッと見仲間内でこの場にいないのは乃乃乃たちの寮のルームメイトである真田志保子くらいだろうか。
「どんな要件にしろ、その方がやりやすくていいけどな」
言いながら、晃はとりあえず乃乃乃の横の席に腰を下ろした。
「まあ、でも会長のお願いがどんなものかは分からないけど、麻耶っちを助けてもらった恩みたいのもあるし、出来るなら力になってあげたいところよねぇ」
そう言ったのは、小柄で色黒なショートカットの少女、宮沢静江。
「そうねぇ。私たち程度では会長の力になれることなんかあるのか分からないけれど、可能な限りは協力したいわよね」
おっとりとした口調でそう答えたのは、ちみっちゃい静江とは対称的に、すらりと背が高く、緩やかにウエーブした柔らかそうな髪が印象的な少女、園田千春だった。
なお、ここだけの話だが、彼女は周囲(特に男子)の視線をまるでブラックホールのように引きつけずにはいられない『まったくもってけしからん胸』の所有者でもある。
「ふん、天野のアホタレ、なんでもかんでも自分の気に入らないことがあると親の名前を出して相手を言いくるめようとするんだから。今回の件はいい薬になったんじゃない?」
机に頬杖をつきながら軽く毒を吐いた長沢紀子は、肩にかかったツインテールの毛先を指先でクルクルといじりながらふふんと冷笑をにじませた。
ちなみに「アホタレ」と言うのは彼女が他人に対して文句を言うときの常套句で、今も舌の上で「あのアホタレ、アホタレ、アホタレ……」と繰り返しながら、天野に向かって呪詛の電波を飛ばしていた。
ぱっと見可憐な少女がどんよりとした黒いオーラを背負っているその姿は、正直ちょっと近寄りがたいものがある。
「麻耶っちも麻耶っちよ。あんなアホタレどもに好きにさせてるからますます調子にのるんじゃない。たまにはガツンと言い返してやりなさいよ!」
「紀ちゃん、ごめんね……」
すっかり頭に血が上っているせいか、怒りの矛先を友人にも向ける紀子だったが、しょんぼりとした表情で謝ってくる麻耶の前で、見る見るその勢いが失われていく。
「私がしっかりしないから。いつも心配かけてごめんね……」
「ちょっ、ちょっと、違う。違うんだから! 私は単に天野のアホタレのやり方が気に入らないだけで、別にあなたのことなんてこれっぽっちも心配なんてしてないんだからね! お願いだから変な勘違いしないで頂戴!」
あわあわと弁解を始めるが、それが決して彼女の本心でないということは周囲の皆にはモロバレだった。
「うん、分かってる。たとえそうだったとしても紀ちゃんは私のことで怒ってくれたんだから嬉しいよ。ありがとう……ね?」
「あっ……う、うん。わかってくれればいいのよ……わかってくれれば……」
言葉とは裏腹に、紀子の勢いがどんどん尻つぼみになっていくのが傍で見ていて面白い。
こういってはなんだが、彼女たちのやりとりは三蔵法師と孫悟空を彷彿とさせてくれる。
なにしろ斉天大聖孫悟空といえば、野菜という意味の名前を持つあの国民的漫画の登場人物と並んで帝国でも最も有名なツンデレの一人である。
口が悪く、とかく麻耶にきつい言葉をぶつけながらも、実は仲間内で麻耶に対して一番ベッタリで過保護な紀子とは大いに重なるところがあろうというものだ。
本人だけは頑なにその事実を認めようとはしていない。だが、大好きな麻耶と正面から向きあったとたんに借りてきた猫の如く大人しくなってしまうのだから、どんなに隠そうとしても無駄な話だった。
そんな彼女を、いつもみんな生温かい目で見守っている。
「と、とにかく……」
みんなのニヤニヤとした視線に気付いたのか、紀子は頬を赤く染めながらゴホンと一つ咳払いをして言葉を続けた。
「何かあったら遠慮無く私たちを頼りなさいよね……」
「そうそう」と横から静江も同意を示す。「私たちさえあの場にいれば、会長の手を煩わせることもなかったのに」
「私たちはクラスが違うから仕方がないよ」
悔しそうにうなる彼女の頭を、千春がなだめるようによしよしと撫でていた。
この宮沢静江、園田千春、長沢紀子の三人は下級とはいえ貴族の子弟である。
従って所属クラスも平民クラスであるG組ではなく、下級貴族の家柄が中心のD組に所属している。
しかし、彼女たちは麻耶とは幼い頃からの友達らしく、また貴族の出身にしては珍しいことに平民出身の学生に対する偏見が全くないため、麻耶の寮のルームメイトである三鷹吹雪や晃の姉である乃乃乃たちとも深く親交を結んでいる。
「私も担任につまらない用事を言いつけられてさえいなければ……」
黒曜石のように深い闇色の瞳に剣呑な光を宿しながら手元の愛刀「緋霞」を硬く握りしめている三鷹吹雪は、自分がその場に居合わせなかったことが心底悔しそうに唇を噛んでいる。
「みんな、私のために……ごめんなさい」
「そんな、いいのよ。麻耶っちが悪いわけじゃないし、結局私たちじゃ役に立たなかったんだから」
「そうそう。会長のおかげで結果オーライオーライ!」
しゅんと落ち込む麻耶を、慌てて乃乃乃と静江が慰めた。
こんな時静江の明るく前向きな性格は重宝する。いわゆるムードメーカーというやつだ。
「うん。みんな、ありがとう」
ようやく麻耶の顔にやんわりとした笑みが戻りはじめる。
場がおさまり、みんなが思わずホッと肩の力を抜いた。
まるでそんな瞬間を見計らったかのような絶妙なタイミングで、皆をここに呼びつけた少女が部屋に入ってきた。
◆◆◆
「お待たせしちゃってごめんなさいね」
そう言いながら教室に入ってきた来栖川小夜子の後ろには、宮沢静江を色白にして更に胸を大きくしたような背の小さいショートカットの少女と、メガネをかけた真面目で気難しそうな少年が控えていた。
小夜子の腹心として名高い二年の生徒会副会長、道場典江と佐々木春樹である。
と、ここまでは会長である小夜子の呼び出しであるから十分に予想の範疇であり、特段驚くべきところではない。
晃を驚かせたのは、その二人のさらに後ろにポツンと佇んでいる一人の美少女の姿だった。
『ねぇ晃、あの子って確か戦科の一年生の……』
乃乃乃がわざわざ念話で確認をとってくるあたり、驚いているのは晃だけではなかったようだ。
『ああ』
『だよねぇ……』
曖昧に頷きあうが、それだけで相手の言いたいことがなんとなく理解できた。
純白の処女雪のような美しく長い銀髪に、特級品のサファイアの如く深く透明に澄み渡った青い瞳。まるで色素が存在しないかのように透明で滑らかな肌。そして妖精を連想させる細くしなやかな肢体。
間違えるはずもない。
彼女こそ来栖川会長や椎名麻耶、三鷹吹雪などを差し置いて、学園一の美少女として誰もが認める有名人――ルシル・テンペストその人だったからだ。
そして、もう一つ晃たちが驚いたことといえば、
「ルル……ちゃん? どうしてここに?」
「麻耶の方こそ……」
椎名麻耶とルシル・テンペストが互いに顔見知りだったということか。
「麻耶っち……もしかしてその子と知り合いだったりするの?」
おずおずと乃乃乃が尋ねると、「うん」とあっさり返事が返ってきた。
「私って両親いないから……。私の保護者になってくれている人と、ルルちゃんの留学の引受人になってくれている人が同じ人だったの。だからその縁でね……」
「そうそう。だから麻耶っちだけじゃなくて、私たちとも昔から知り合いなんだよね」
D組女子三人を代表して宮沢静江がそう付け加えた。
「うそ、知らなかった……」
「ね」
寮の同室である乃乃乃や吹雪がその衝撃の事実に軽くショックを受けた表情で互いに囁きあっていたが、
「ごめんなさい。別に隠しているつもりはなかったんだけど、戦術戦略科の校舎ってここからすごく離れているから、今まで紹介する機会がなかなかなくって……」
そう弁明されてしまうと、二人は「少々釈然としないものが心に残ってはいるが、麻耶の主張の正しさは認めざるを得ない……」という微妙な表情を浮かべながらも引き下がらざるをえなかったようだ。
その説明で納得出来てしまうくらい、晃たちのいる騎士養成科とルシルのいる戦術戦略科の校舎は離れている。
数ある学科の中でも学園の目玉であるその両科がなぜ互いにそんなに離れているのかというと、ざっくばらんに言ってしまえば、騎士として将来の指導者層を目指す騎士養成科と、参謀としてそれを補佐するブレインを養成する戦術戦略科にはカリキュラムに共通点がほとんどないからである。
将来の騎士として能力者の力や武道の実力が重視される前者に対し、後者が重視するのは戦場や政治の場で敵を出し抜く権謀術数の知識だ。
だから極端な話、戦術戦略科に在籍するためには優れた知能さえあればよく、必ずしも能力者である必要はない。
そういう意味では、世間一般に広く門戸が開かれているのは戦術戦略科の方であり、その競争率は有名な進学校と比べても洒落にならないレベルになってしまっている。
ちなみに、高等学校入学時にここを落ちた学生が、他の進学校に入学してやむなく帝都大学(旧東京大学)の医学部を目指すといえば、戦科生のレベルがどれだけ凄いか分かって貰えるだろうか。
そのことからも、戦科生の中で断トツトップの成績を修めているルシルが、いかに晃たちとは出来の違うオツムの持ち主かということが想像できるはずである。
おまけに彼女はクオーターで力は弱めとはいえ、帝国貴族の血を継ぐ立派な能力者でもあり、その血統にも非の打ちどころがない。
あの敏也が彼目当てに群がってくる女に目もくれず、(実際のところかなりつまみ食いしているという噂だが)ひたすらルシルを口説こうとしていることは学園生の間ではわりと有名な話だ。
そしてその一方で、この学園の講師に意中の人物がいると密かに囁かれている彼女に全く相手にされていないことも……。
しかし、よくよく考えてみると、敏也が天野たちと一緒になっていじめている椎名麻耶がルシルと仲良しなのだから、彼がどんなに熱烈にルシルを口説いたところで好かれるはずもない訳で、つまり最初から敏也と彼女との間に恋の芽はなかったということになる。
『うっわー、皆本のやつってばとんだ道化者じゃないの。いい気味ね。うぷぷ……』
同じことを考えていたのか、乃乃乃の方からやたらと邪悪な念波が飛んできた。
憐れではあるが、自業自得なのだから同情の余地はない。
そんなお先真っ暗な敏也の恋愛事情はともかくとして、今問題にするべきはなぜ戦術戦略科の彼女がこの場にいるのかということだ。
会長たちがこの教室に来るのが遅れた理由が、戦科生のいる校舎までルシルをわざわざ迎えに行っていたからだろうということは何となく想像がつく。しかし、そんな手間を踏んでまでなぜ彼女をここに呼ぶ必要があったのかということについては、戸惑っている晃たちの姿を面白そうにニコニコと眺めている会長の説明を待つ他はなさそうだった。