第1章 持てる者、持たざる者②
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「さすがに平民ともなると、馬鹿でも知っているような世間の常識でも分からないようですわね」
授業が終わるなり、ほほほと上品かつ蔑みのこもった笑みを浮かべながら、いつもの腰巾着二人とともに席に座っている麻耶を囲んだのは天野史織だった。
彼女の父親は敏也の祖父の腹心で、この学園の父兄の中では皆本に次ぐ高位貴族でもある。
そんな父親の権威を笠に着てか、彼女はこの学園ではまるで女王のように振舞っている。
(またややこしい奴が出てきたわね……)
乃乃乃は心の中で舌打ちしながら、麻耶をかばうために二人の間に割って入ろうとした。しかし、二人の腰巾着――志賀沙也加と宇津木あやめに遮られてそれが叶わない。
「そこをどきなさいよ!」
「それは無理な相談ですわ」
互いに激しく睨み合うが、二人は頑として乃乃乃をそこから先へと通さないつもりのようだ。
念話で晃を呼び出して邪魔者の排除を手伝わせたいところだったが、弟は次の体術の授業のために更衣室に着替えに行ってしまっていた。
せめて寮の同室の仲間である三鷹吹雪がこの場にいればこの二人を抑えていてくれる筈なのだが、あいにく彼女は教師に用事を言いつけられていて今は席を外してしまっている。
あとこの場で麻耶の味方になってくれそうなのは同じく寮の同室の真田志保子くらいであるが、麻耶に負けないくらい内気で争いごとが嫌いな彼女を戦力として勘定するのは少々酷な話だろう。
そうこうしている間にも、天野による口撃が次々と麻耶に浴びせかけられている。
「まったく、皆本様と他の円卓の騎士を間違えるだけでも信じられないというのに、よりによってその相手が14位ですって? ありえないにも程がありますわ」
「……ごめんなさい」
麻耶は弱々しい声でポツリと謝ると、自分に向けられる悪意から目をそらすようにじっとその場でうつむいてしまう。
過ぎたことをいつまでもネチネチと……と思わないでもないが、天野の主張に、歪んでいるながらも一応の筋が通っていることは乃乃乃も認めざるを得ない。
この国――魔法帝国神無には、皇帝を含め最強の能力を持つと言われる階位第1位から第14位までの十四人の能力者たちがいる。
帝国国民全ての羨望を集める彼等は、一般に『円卓の14騎士』と呼ばれている。
その栄えある円卓騎士の中でも特に有名なのが、第2位の能力者でこの国の皇帝でもある『紅蓮の炎帝』こと御影数馬と、第5位の能力者、『不知火』皆本清十郎である。
ただ、この円卓には幾つか不可解な点があるのだ。
第一に、皇帝である御影数馬が第1位ではなく2位に甘んじている点。
第二に、彼をおしのけて円卓騎士筆頭の椅子に座っている人物の氏名や顔写真が全く世間に公開されていない点。
そればかりか、第3位と第14位の能力者についても一位と同じく個人情報の一切が完全に非公開となっている。
そして厳密にはこれと同様の現象が、上位100位までの階位騎士の中にもまるで虫食いのように随所に見られるという点である。
それらが全て空位というのならまだ分りやすいのだが、なぜかは分からないが彼等の『二つ名』だけは公開されているから、架空ではなく現実に存在している能力者だということになる。
気になるその二つ名であるが、第1位の能力者は『白銀の殲滅姫』、第3位は『監視衛星』、第14位は『天才』……となっている。
いずれも命名は皇帝御影数馬によって直々になされたと言われるが、よほど表に出たくないのか、その者たちは階位の授与式にすら出席しないといった徹底ぶりだった。
またこの行方不明の能力者の中で第1位と第14位には、これらの二つ名とは別に、『最強』と『剣聖』という称号がそれぞれ皇帝から与えられている。
特に第14位の持つ『剣聖』に関しては、剣腕自慢である皆本清十郎がぜひとも自分の二つ名に……と皇帝に直訴していた呼び名らしいのだが、『剣聖』は最強の剣士にこそふさわしいという理由で、すげなく却下されてしまったという曰くつきの称号でもある。
もっとも清十郎自身は己の剣技が第14位に劣っているとは思っていないらしく、第14位との決闘で『剣聖』の称号を奪い取る機会を虎視眈々と狙っている……との噂は、帝国に住んでいる者なら誰もが知るところである。
これについては、二年ほど前から非公式の場ではあるが清十郎が己のことを『剣聖』と自称するようになっているらしいので、一部の間では「第14位との決闘に勝利したのでは?」とまことしやかに囁かれているのだが、誰もそれに立ち会った者はいない上に、そもそも正体も行方も不明の14位といつどこでどうやって決闘したのかもはっきりしないらしいので、当事者でない乃乃乃にはその真偽について何も言うことはできない。
ともかく間違いないのは、皆本家やその関係者の前で第14位の能力者についての話題に触れることは最大の禁忌になっているということだ。
よりによってそんな人物を皆本清十郎と間違えてしまったのだから、皆本家にゆかりのある天野が黙っているはずがない。そして隙あらばこの学園から麻耶を追いだそうと画策している彼女にとっては、これはまたとない絶好のチャンスに違いなかった。
案の定、ネチネチとした彼女の口撃は、たかがあれだけのささいなミスなのにも関わらず、徐々に問題を大事へとすり替えつつあった。
「そもそも実在すら疑われている所在も正体も不明の14位ごときと皆本様をどうして間違えることができるのか、納得いくように説明していただきたいものですわ」
「ご、ごめんなさい……」
苛烈な剣幕で天野に詰め寄られ、麻耶はすっかり縮こまってしまっている。
「謝ればいいというものではないわ。大体分かっているのかしら、あなたがしたことは皆本様に対する侮辱と同じなのよ。重大な不敬行為だわ!」
言い放つと、天野はビシッと人差し指を麻耶の眼前に突きつけた。
「いいこと? この件に関しては私の父から学園理事会に話を通してあなたの責任を追求させてもらうわ。明日からは今までのように何食わぬ顔でこの学園に通ってこれるとは思わないことね」
「そ、そんな……」
目元にうっすらと涙を浮かべた麻耶の顔からは、すっかり血の気が引いてしまっている。
「なに言ってるのよ! 授業の質問に間違えただけで学校を退学になるとか、そんな馬鹿げた話あるわけないじゃない!」
取り巻きに邪魔はされてもせめて口だけはと反撃した乃乃乃だったが、
「たかが授業であったとしても、この汚らわしい平民が皆本様を侮辱したことには変わりないわ。このまま彼女を庇うのならば、あなたも同罪ということになるのだけれど、藤倉さん、あなたはそれでもよろしいのかしら?」
天野によってあっさり一蹴されてしまう。
「くっ……」
乃乃乃が言葉に詰まると、天野はふふんと自分たちを見下すような勝ち誇った表情を浮かべる。
このままでは麻耶が学校を追い出されてしまう。
なんとか反撃して天野を言いくるめなければならないのだが、親の権力を盾にされてしまうと、何の後ろ盾もない乃乃乃には完全に手詰まりになってしまう。
(どうしよう、このままじゃ麻耶っちが……)
天野の卑劣なやり口に対する怒りと悔しさに、拳を痛いほどぎゅっと握りしめる。
「ノノちゃん、私は大丈夫だから……」
「なに言ってるの!」
「本当に、大丈夫だから……」
ついには守らなければならないはずの麻耶から逆に気を使われてしまう始末で、そんな自分の不甲斐なさに乃乃乃は思わず身震いした。
己の無力さが悔しい。
いっそ腕力に訴えてでもこの場から天野を強制的に排除してしまいたいという衝動に駆られてしまうが、取り巻き二人はともかく、「舞花」という鋭い刃のついた花びらを自在に操る能力を持つ天野を今の乃乃乃の能力で抑えることは不可能に近い上に、高位貴族の子弟である彼女に手を出してしまえば自分も退学は免れないだろう。
それで麻耶の退学を防げるというのならまだ救いもあろうが、どうせ騒ぎの原因だということで二人仲良く学園を放り出されるのは目に見えている。
四面楚歌、援軍のあて無し。
正に八方塞がり。
――そう思われた時、その援軍は意外なところからやってきた。
そう、乃乃乃たちの窮地に突如として割り込んできたのは、その場にいた全員が誰一人として予想出来ないほど意外な人物だったのだ。
「あらあら。先生からの質問にうっかり皆本様と剣聖様を間違えて答えてしまったことで椎名さんがこの学園を辞めなくてはいけないというのなら、去年全く同じ間違いをしてしまった私も学園を辞めなくてはいけないということかしら?」
ピリピリと張り詰めた空気を押しのけて教室に響き渡ったのは、その場の雰囲気に全くそぐわないのんびりとした涼しげな声だった。
「「誰?」」
反射的に乃乃乃が、そして天野も同時に――声のした方に振り向く。
二人の視線の先、教室の入り口で小さく首を傾げて立っていたのは、今や絶滅して久しい大和撫子という言葉がぴったりあてはまりそうなほど見事な長い黒髪を持った、和風の雰囲気を漂わせる清楚な美少女だった。
「くっ、来栖川……会長……。どうして、ここに……?」
驚きに大きく目を見開いたまま、天野がうめいた。
あの天野がここまで動揺するのも珍しい。が、それも無理はないだろう。
目の前の少女が単に上級生で生徒会長という肩書きを持っているというだけの人物だったら、天野は尊大な態度を一片も崩さず、このように及び腰になるようなことはなかったに違いない。
しかし目の前にいる彼女――来栖川小夜子は、この学園始まって以来最強との呼び声も高い実力を持つ天才少女で、その美麗な容姿と相まって学園生たちから絶大な人気を集める憧れの存在でもある。
彼女の父親は男爵の爵位を持つ階位騎士ではあるものの、階位の順位が80番台と比較的低く、おまけに横浜を本拠地とする弱小勢力である旧渋谷ギルド系の能力者なので、現在の主流である名古屋を本拠地に持つ皆本派に属する天野の父親に比べると家格という点だけを見れば大きく劣っている。
だが、当人同士の立場を加味すればそれはあっさりとひっくり返ってしまう。
なにしろ、会長は学生でありながら既に現役の階位騎士と階位争奪戦を行って勝利をおさめている――つまり卒業したらそのまま即階位騎士として第92位の番号と、『生物災害』の二つ名が与えられることが確定している――事実上の階位騎士なのである。
孫の方の皆本もいずれは階位騎士として叙せられる可能性はあるとはいわれているが、それとて今すぐではなく四十年後とか五十年後とかの話だ。
気の長い話と思われるかもしれないが、この三十年階位の変動がほとんどなかったことを考えれば、それでも十分に凄いことである。
なにしろ階位騎士になるためには、既に番号を所有している戦闘系能力者と戦って実力で奪い取らなければならない。完全実力主義の入替制のため、その任命には皆本家の威光すら届かない。
しかも今現在階位を所有しているのはほとんどがかのギルド動乱を生き抜いた第一世代の強大な力を持つ能力者たちで、普通の人間のように年老いて力を失うこともなく、若々しいまま当時の実力を保持し続けている。
これでは乃乃乃たちの世代に出番など回って来ようはずもない。
なぜなら、一般的に能力者の力は世代を遡るほど強いと言われているからだ。
その一番の理由として、能力者の能力の源である守護神との契約が基本的に先着順だということが挙げられる。
どういうことかというと、仮に乃乃乃たちと同じ第三世代に強力な力を持つ守護神と高い相性を示す者が生まれたとしても、肝心のその守護神が既に第一世代や第二世代の先達に取られてしまっていたとしたら、先着順の原則によってどんなにあがいたとしても契約を交わすことは叶わない。
二重契約があり得ない以上、これについては後の世代に生まれてしまった(第一世代はこの世の地獄とも言われるギルド動乱を経験しているため、早く生まれたことが必ずしも幸運だとは言い切れない側面もあるのだが……)という己の不運を恨むしかないのだ。
とはいえ、これはあくまでも確率論の話なので、今までに相性が適合せずに契約されていなかった強力な守護神と契約できる者が突然現れたとしても何の不思議もない。
その代表例ともいえるのが生徒会長来栖川小夜子であるが、もちろんこんな幸運は滅多にあることではない。
このように、乃乃乃たちの世代にとって強力な守護神と契約することは限りなく狭き門であるのだが、実は新しい世代の能力者たちにはこの先着順以外にもう一つ、強力な守護神を手に入れることができる可能性が残されている。
それは、既存の能力者が死亡した場合だ。
能力者が死亡すると、その者と契約を結んでいた守護神は新たな契約者を探し求める性質があることが分かっている。
すなわち、強力な力を持った能力者が死亡すれば、後の世代の若者に大きなチャンスが巡ってくるということになる。
しかし、守護神の力が強ければ強いほどその契約者が死ぬ確立が低くなるのもまた必然。
加えて上位能力者が戦死するような大規模な戦いも久しく起こっていないこともあり、新しい世代にとってこちらの可能性はあまり期待は持てそうにない。
実際問題、第二・第三世代にもなると戦闘能力に乏しいサポート系の能力者が圧倒的多数を占めているのが実情で、これはまた、先の大規模能力者戦争『ギルド動乱』で死んだ能力者の中のサポート系が占める割合がそれだけ多かったという事実を示してもいる。
ちなみに第三世代に男性能力者が滅多に生まれないのは、男性が圧倒的多数を占めたと言われる第一世代の反動ではないかとも噂されているのだが、その真偽のほどは今のところはっきりとしてはいない。
以上のことからも分かると思うが、数少ない能力者の中で更に攻撃的な力を持つ守護神を有するというだけでも凄いことであり、ましてそれが階位騎士クラスともなると、第二世代ですら彼らに匹敵する守護神を持つ者は稀なのであるから、もはや第三世代となってはそれを心の中で密かに望むのもおこがましいというレベルだ。
だから、乃乃乃たち第三世代が中心の学園生から見れば、階位騎士とは遥か遠くに霞む雲を仰ぎ見るような存在なのである。
そんな「番号持ち」の小夜子に対して、家柄がどうであれたかが学生である天野が、いや、仮に皆本家出身の敏也であったとしても、おいそれと口が出せるものではない。
つまり、敏也を除けばこの学園で天野に物申せる唯一の存在が今この場にいるということになる。
「困ったわね。そこの椎名さんにちょっとお願いがあったのだけど、彼女も私も退学になってしまうのでは意味がなくなってしまうわ……」
小夜子は少し考えこむそぶりを見せながら独り言を漏らすと、ちらっと天野に向けてその涼やかな瞳を向けた。
「そ、そんな……来栖川会長が退学になる必要なんて……」
「あら、でも椎名さんは退学になってしまうのでしょう? それなら私が退学にならないというのは変な話よね?」
「い、いえ、会長は男爵家のご令嬢ですから……」
「どうして? 過ちに貴族も平民も関係ないわ。それに全校生徒を代表する身としては、一般の生徒を差し置いて自分だけが退学を免れることはあってはならないことだと思うの。あなただって自分だけを特別扱いする生徒会長って嫌でしょ? 私は嫌だわ」
傍目にはただニッコリ笑っているだけのように見えるが、おそらくそれを向けられた天野からすれば蛇に睨まれた蛙のような心地であるに違いない。
その証拠に、彼女の顔に綺麗に塗り込められた高級そうな化粧が、頬を伝う冷や汗に洗い流されて、くっきりと一筋の跡を残している。
「それに、いくら間違えたからといって、その相手は同じ円卓の14位にして全ての剣士の頂点に立つと皇帝陛下がお認めになられたお方。椎名さんの誤りが不敬にあたるというのであれば、さきほどの天野さんのおっしゃり様も剣聖様に対する不敬ではないのかしら? ならば、私たちは三人仲良く退学ということになるわね」
「そそ、それは……」
何たるブーメラン。まさか自分の言葉が自分に跳ね返って来るとは思っていなかったのだろう。天野は傍目に見ても分かるほど狼狽していた。
いくら天野の家系が優れているとはいえ、円卓に比べれば劣ること甚だしい。まして正体不明とはいえ14位は皇帝から皆本家と同格の六大公爵の一翼として列せられている。それを「ごとき」呼ばわしたのだから、こと不敬ということであれば彼女の方が麻耶よりも遥かに重罪ということになる。
「でも、円卓の14位は実在しているのかどうかも疑わしいとされている方ですし……」
そう横から口を挟んだのは、天野の取り巻きの一人である宇津木あやめだった。
すかさずもう一人の取り巻きである志賀沙也加も、「そうですよ」と頷きながらそれに追従する。
なるほど、確かに彼女たちの言い分にも正当性があるようにも思える。
14位に限らず、円卓の1位、3位を始め、階位騎士の中にも数名三十年以上も行方知れずになっているものがいる。
彼らは公式には行方不明扱いとなっているが、それらの番号の所有者は実のところもはや生存しておらず、かのギルド動乱やその後の合州国との戦争で既に殉職していて、その功績を称えるためにと皇帝が彼等に贈った名誉番号なのではないか――というのが現在帝国内で最も広く信じられている噂であるからだ。
だが、それに対して小夜子は「あら?」と驚いたように目を見張ると――
「もしかしてあなたたちは14位の方が生存していることを前提に『天才』の二つ名と『剣聖』の称号をお与えになった皇帝陛下をないがしろにして、出処もはっきりしない噂の方を信じるというのかしら?」
不思議そうに首をかしげる。
言葉も口調も穏やかだが、それは二人に対する痛烈な反撃だった。
これ以上その話を押し通そうとすると、14位どころか、皇帝陛下に対する不敬行為になってしまうからだ。
そしてなにより、それを指摘されたのが階位騎士である小夜子からであるということがいっそう二人に追い討ちをかける。
「あ……いえ……」
さすがの彼女たちもそれ以上言葉を返すことができず、気まずそうに互いに顔を見合わせながら、すごすごと天野の陰に隠れてしまった。
「でも、困ったわね……」
言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな表情すら浮かべて小夜子は自分の頬に手を当てた。
「このままだと私たち五人が退学になってしまうのだけど……」
さりげなく自分たちも数に入れられていることに気付いて、天野の後ろの宇津木と志賀がビクリと体を震わせる。
「さすがにこれだけの退学者をいっぺんに出したとなると、学園もこの不祥事を世間から隠しておくことはできないでしょう。となると、天野さんのご自宅の家名にも傷がついてしまい、お父上もさぞかし悲しまれることになるでしょうね……」
邪気が無さそうな笑顔で真綿を包むようにじわじわと追い込まれて、天野は完全に顔色を失っている。
「それでも天野さんのお父様のことですから、例え自身のご息女の不祥事であったとしても世間に対して告発することをやめはしないでしょう。ええ、決して告発することをやめはしないでしょう!」
(((二度言った!?)))
「けれど、もしこのことをお父上が知らなければ――ここにいる全員の心の中にとどめて置くことができるのであれば――きっと丸く収まるはずなのですけど……」
そこまで言うと、小夜子はチラリと目線を天野に向ける。
「…………」
きっと今の彼女は、乃乃乃が想像も出来ないほどのプレッシャーに襲われているに違いなかった。
よく見ると、天野の指先は恐怖とそれにほとんどぬり潰されてしまっただろう屈辱によって小刻みに震えていた。
もはやこの時点で論戦の勝敗は完全に決していたといってもいい。
小夜子によって追い詰められてしまった天野には、たった一つ巧妙に残された逃げ道に駆け込む以外の方法がもう残されていなかったからだ。
「し、仕方ありませんわね……。さすがに何人もの退学者をいっぺんに出してしまったとあっては……学園の、ふ、不祥事ですし。今回のことは会長の仰るとおり、皆の心の中にしまっておくことで解決するのが一番でしょう。みなさんも……よろしいですわね!」
騒ぎを見守っていたクラスメイトたちに視線を向けると、みな弾かれたようにコクコクと頭を垂れる。
元より授業の質問に間違ったくらいで退学というのが無茶な話なのだから、彼らから文句が出ようはずもなかった。
「椎名さん、この度の件は会長のとりなしがあったから不問にいたしますけれども、これで調子に乗らないように。次に同じ失敗を繰り返したら、今度は容赦いたしませんわよ」
そう捨て台詞を残すと、次の授業の予鈴が鳴っているのにも関わらず、天野は大股でズカズカと教室を出ていってしまう。
取り巻き二人も慌ててそれを追っていく。
そして、もう一人。
「さて、予鈴鳴っちゃったし、私も自分の教室に戻らないと……」
天野から麻耶を守った最大の功労者である小夜子もまた、教室を出ていこうとするところだった。
「あ、あの……。小夜子さん、ありがとうございました」
その背中に麻耶が慌てて声をかける。
その呼びかけに小夜子はくるりと振り返ってまるで悪戯っ子のようにクスリと微笑むと、芝居がかったポーズで彼女に向かって恭しく一礼した。
まるで忠誠を誓う姫に対する騎士のようなその颯々としたその仕草はかなりキザったらしいもので、乃乃乃が今まで彼女に抱いていた大和撫子というイメージとは大きくかけ離れていたものだったが、不思議とそれほど違和感を感じさせるものではなかった。
さきほど天野を追い詰めた時の嬉々たる様子といい、もしかしたら彼女の地の性格は意外とこちらの方なのかもしれない。
いずれにせよ意外と茶目っ気のある人物であるのは間違いなさそうだった。
「あなたを庇ったのは私のためでもあるのだから気にしないで。それよりも……あなたたちに対するお願いの件は放課後にまたお話させてもらうつもりだから、お礼というならその件でいい返事を期待しているわ!」
うふふと意味ありげな流し目を残すと、そのままこちらが声をかける間もなく、彼女は颯爽とした足取りで自分の教室へと戻っていってしまった。