第4章 激闘、古都鎌倉①
――神無帝国横浜特別区公爵領・鎌倉。
源頼朝が開いた鎌倉幕府がかつて存在したこの地は、帝国屈指の古都でもある。
その頼朝が鎌倉に入ったと言われているのは1180年のことだが、歴史上鎌倉幕府自体が始まったとされているのはもう少し後のことになる。
かつてはいい国作ろう――などと語呂合わせされていたように、1192年から始まっているとされていたその鎌倉幕府であるが、そのような記述が教科書になされていたのも今となっては昔の話。
現在は教科書の内容も1185年に変更されていて、受験生たちの語呂合わせも「いい箱作ろう鎌倉幕府」に変更されてしまっている。
そんな由緒あるこの地を現在支配下に置いているのが、晃の姉の親友である椎名麻耶である。
まるで小動物のようにいつもおどおどとしている普段の彼女のイメージからはあまりにもかけ離れているため、にわかには信じがたい話ではあるのだが、彼女が治める横浜公爵領の支配領域はここ鎌倉を含めたかつてギルド動乱以前に神奈川県と呼ばれていた地域のほぼ全域と、伊豆半島に代表される旧静岡県の一部までをもカバーする広大な範囲に及んでいる。
これがどれくらい凄いことなのかというと、帝都圏(かつての東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県を併せた区域)の一角である旧神奈川県を占める横浜公爵領、とりわけその中心たる横浜区は、帝国全土の中でも帝都に次ぐ第二位の地位を占める都市であり、文化的にも経済的にも、そして軍事的にも重要な役割を果たしている。
同じ六大公爵ですら、彼女に匹敵する重要拠点を任されているのはそれぞれ新宿と渋谷を治める霧咲円と肆十無湊の二人だけなのだが、帝都内の一特別区を任されているだけのこの二人と違って、麻耶が支配しているのはそれこそ戦国時代で言うところの一国に匹敵する規模の領地であり、今でこそ階位騎士第15位の森本真吾を横浜統括官(いわゆる代官)として置いて領地経営のほとんどを任せている状態であるが、いずれは彼女自身の細い肩でこの帝国最大級の要衝ともいえるこの横浜公爵領を支配していかなくてはならない。
そんな重圧を僅か十五歳の少女が背負わなければならないというプレッシャーはいかほどのものであろうか。正直晃にはちょっと想像もつかないのだが、そんな重い責任から逃げ出さず、投げ出しもしない麻耶には、見た目からは想像もできないほどの芯の強さがあるに違いなかった。
そんな彼女は今、この鎌倉の街を鶴岡八幡宮に向かって小町通りを歩きながら静江たちと楽しそうに談笑している。
(ホントに、凄いやつだ……)
自分と同じ年とは思えない麻耶の落ち着きに思わず感心してしまう。
そして、そんな彼女たちから遅れること5メートル。
晃の視線の先には、出来ることなら「この手で口を強引に押し開いて、麻耶の爪の垢を煎じたものを強引に飲ませてやりたい」と思わずにはいられないほど大人気なく不貞腐れている少年がいた。
「くそっ、なんで俺までこいつらと一緒に……」
サラッサラな金髪が印象的なその少年の名前はニコラ・アジャーニ。
つい先日ファッション大国であるフランツからやってきたばかりの留学生であった。
「ごちゃごちゃうるさいなあ、いいからキミはちゃっちゃとボクの後に付いて来る!」
無理矢理この場に連れて来られたせいもあり、ブツブツ不満そうに呟きながら最後尾をちんたらと歩いていたニコラだったが、不意にスラリとスマートな体型をした優男風の青年に耳を引っ掴まれると、
「はっ、放せっ! 痛い痛い痛い! ち、ちぎれる! てめぇ、放せって言ってんだろ! いだだだ、生意気言ってごめんなさい! マジで耳ちぎれちゃうんで、ホントもう痛くて洒落になってないんで、ちゃんと歩くから、歩きますから……どうかその手を放してくださいぃぃぃ!」
最初の強気な態度もどこへやら、すっかり涙目で青年に対して懇願モードに入ってしまっている。
「えーっ、本当かな? あやしいなあ……」
疑わしそうにジト目で青年が尋ねると、ニコラは必死な形相でコクコクと何度も頭を縦に振りながら恭順の意を示した。
(意思よわっ!)
そんな晃の心の声をよそに、青年とニコラのやりとりは続いている。
「んー。とりあえずは分かったケド、次に集団行動を乱すようなことがあったら……」
そうこまで言うと、青年はおもむろに己の右手をニコラの眼前に掲げる。
人差し指と親指の間にバチッと火花が散ったような青白い閃光が弾け、そこから小さい稲妻がニコラの足元目がけて一直線に走った。
「また楽しい楽しい礼儀作法のお勉強の時間が待ってるよ?」
「ひっ!」
身を竦ませたニコラの口から一際高い悲鳴が上がった。
みえみえの牽制であったにもかかわらず、必要以上に過剰な反応を示したニコラを不審に思いつつよく見てみると、彼の全身は恐怖によって震え上がっており、その顔は死人のように真っ青に染め上げられてしまっていた。
一体彼の過去に何があったのかは分からないが、どうやらニコラは雷に対して相当なトラウマを抱えているようだった。
「はい、分かりました! ちゃっちゃと歩きます。歩かせて下さい!」
青年の言葉に対してピンと背筋を伸ばして答えると、彼は一目散に先頭集団めがけてダッシュで駆け去っていく。
「………………」
まさかそれが軍隊の新兵訓練も真っ青な過酷なしごきの成果だとは思いもしなかったため、まるで人が変わってしまったかのような彼のその豹変ぶりに、当事者以外のメンバーはみんな声もだせないまま唖然とその様子を見つめるばかりだった。
「ふむふむ。どうやら順調にちょうき……もとい、特訓の成果が出てきているみたいだね。うんうん、素直でいいことだ」
『……この人今調教って言いいかけたわよね? 後から言葉を取り繕ったけど、どう考えても最初の方が本音よね?』
間髪入れずに姉から念話が飛んできた。
おそらくこの場にいる全員が乃乃乃と同じ疑問を心の中に描いていたと思われるのだが、同時に全員が揃ってそれを華麗にスルーすることに決めたようだった。
その代わりと言ってはなんだが、小夜子からそれとは全く異なる疑問が発せられる。
「あの……」
一人納得顔で頷いている青年は、おずおずといった様子で背後から問いかけられると、眩しいほどいい笑顔で振り返った。
「不破様がフランツからニコラ君を連れてきたということはあらかじめ湊様から教えて頂いていたので存じ上げていますが、もしかしてその際にお二人の間で何か特別なやり取りでもあったのでしょうか?」
その質問に対してビクッと一瞬肩を揺らせたのは、質問を受けた青年ではなく、金髪の少年……ニコラ・アジャーニの方だった。
「ん? 何かって……大したことはしてないケド?」
スマートな面差しをした優男は、小夜子の質問に対してこともなげにそう答えた。
「ただちょっと帝国での礼儀作法について優しく丁寧にレクチャーしてあげただけで……」
薄ら笑いを浮かべている青年の後ろで、ニコラがブンブンと首を横に振りながら必死でその言葉を否定している。が、その気配を察してぐるりと首を巡らせた青年と真正面から視線が重なると、首を捻ったままの状態で、まるでメドゥーサの瞳に見つめられてしまったかのようにニコラはその場で凍りついてしまう。
「ん? 何か言ったかな?」
「い、いえ……なにも……」
尋ねられると、彼はギ・ギ・ギ・ギと油が差されていない錆びかけのロボットのようにぎごちなく首を傾げながら必死にそれを否定した。
「ふぅん。ま、いっか」
あっさりと引き下がってくれた青年にほっと安堵した様子のニコラ。
だが、生憎と彼の受難はこれだけでは終わらなかった。
「「わう?」」
今までその様子を傍からじっと見ていただけだった二匹の白い魔物が、そのふさふさの尻尾をブンブンと振りながらニコラ目がけて次々と雷撃を飛ばして追いかけ始めたからだ。
雷に対する苦手意識が骨の髄まで染み渡っている様子のニコラは、明らかに体に良くなさそうな汗を全身からしたたらせながらその場を逃げ回っている。
ロックオンされている当人は気づいていないようだが、電撃の強さから考えてその二匹が本気で彼に襲い掛かっているのではないということは明白であったので、ニコラの必死な形相を見ても誰も救いの手を差し伸べようとはしなかった。
「あらあら。どうやらさっきの不破様とのやり取りを見て、二匹ともニコラ君相手なら放電しながらじゃれついてもいいんだって勘違いしちゃったのかしらね……」
そう冷静に解説した小夜子会長だったが、そんな彼女も子供とはいえ強力な魔獣たちにいいように追い回されてしまっている憐れなニコラをわざわざ助けてやる気まではないようで、ヒイヒイ言いながら必死で逃げ回っている彼の姿を苦笑混じりにのんびりと眺めている。
そんな彼に救済の手が差し伸べられたのは、決死の逃亡も実らず腕や尻に軽い火傷を負いながら二匹の魔物によって地面に引き倒されたその後のことであった。
「二人とも悪戯しちゃだめよ! いい子だからこっちに戻っておいで」
自分の兄の窮地を救うためか、はたまた単にその醜態を見かねただけなのか――おそらく前者の可能性の方が高いと晃は思っているのだが――ノエルが魔獣たちに声をかけると、二匹ともニコラを追い回していた足をピタリと止めて素直に彼女の足元まで駆け戻ってきた。そしてそのままストンとおすわりをすると、じっとノエルの様子を伺いつつ次の指示に備えて待機している。
「うん。いいこいいこ」
「……てか、あの二匹、完全に彼女に手懐けられてんな」
ノエルに頭を撫でられて嬉しそうにしている二匹を見ながら晃が呟くと、
「そうね。あの子たち不破さんにも懐いてるみたいだし……二人とも雷を操る能力を持っているからかしら。もしかして自分たちの仲間だと思っているのかも……」
「ああ、なるほど……」
紀子の立てた仮説に晃は思わず納得してしまう。
さっきからさんざんニコラにはっぱをかけているこの優男……。
おちゃらけた言動の中にもどこか剣呑そうな雰囲気を併せ持つ彼……不破真澄は、本気で戦わせたならここに集まったどのメンバーよりも危険な力を持っている人物なのである。
円卓第4位。『雷霆』の二つ名を持つ雷の元素の能力者。
帝国の誇る最強能力者の一人だ。
小夜子によると、彼の実力はこと純粋な戦闘力という観点で見るならば、本来はサポート系の能力者に過ぎない円卓第3位の椎名麻耶を軽く上回っているらしい。
最終的な戦績は互角とはいえ、かつてのギルド動乱においては今の皇帝、御影数馬にすら一度は打ち勝ったことがあるほどの実力を有しているらしいのだから、それも当然と言えよう。
晃たちがどうして今そんな男と一緒に鎌倉の町を散策しているのかというと、この不破真澄こそがししょーから今回の雷狼騒ぎ解決のために遣わされてきた円卓の騎士であったからだ。
派遣されてきた円卓が二匹の子狼の親の討伐を待ってくれるのかどうか、それはあらかじめ小夜子が懸念を示していた問題点の一つであった。
だが、その点に関して言えば、「今回の件で派遣されてたのが不破さんだったので話が早くて助かりました」という静江の言葉からも分かるとおり、不破真澄は非常に物分りが良い男であった。
小夜子と麻耶を通じて要請された今回の件について直ぐに行動を起こし、雷狼への先制攻撃の禁止と、子供がこちらで無事に保護されていることについて目標と積極的に対話を求めていくという二点の方針に関し、鎌倉に展開している守備隊全てに対して早速指示を出してくれた。
雷の魔獣を倒すためには最低でも階位騎士の実力が必要になることもあり、『雷霆』のこの指示によって、最悪でも雷狼の親が二匹の子供と再会を果たす前に殺されてしまうという危険度はぐんと下がったことになる。
「さてさて、ボクはこれから守備隊と合流して別行動でこの子たちの親を探そうと思うけど、お互い何かあったら直ぐに連絡を取ること。キミたちがみんなそれなりの実力者であることは分かっているけど、決して自分たちだけで対処しようとは思わないこと。いいね?」
鶴岡八幡宮の三ノ鳥居の前に着いたところで、あらかじめ待機していた守備隊の面々と合流すると、不破はそう一言だけ言い残して颯爽と去っていった。




