第1章 持てる者、持たざる者①
第1章 持てる者、持たざる者
窓から降りそそぐ午後の暖かな太陽の光と、窓からそよいでくる穏やかな風に誘われて、頬杖をつきながらうつらうつらと舟を漕いでいた晃は、自分が居眠りしかけていたことに気づくと、はっと顔を上げて黒板に視線を向けた。
「……であるからして、能力者同士の集団戦闘による戦術の基本は……」
戦術学講師の川島はそんな晃の様子に気付かず、ボソボソと小声で呟きながら黒板に板書している。
ほっと胸をなでおろす。
晃は決して真面目な生徒というわけではないが、この授業だけは寝るわけにはいかない。
なにしろこの授業の講師、戦術学の川島と言えば、生徒の間で密かに『スッポンの川島』などと呼ばれるほど嫌味で粘着質な性格の持ち主で、一度説教タイムに入るとその講義の時間が終わるまで止まることはない。
そのくせして川島の口からポツリポツリと一定のリズムで紡ぎ出される抑揚のないその声は、聞く者にとってまるで子守唄のように心地よく、執拗なまでに睡眠欲を刺激してくるのだ。
ただでさえ抗いがたい睡魔であるのに、これがまた満腹中枢を満たしたばかりの午後一の講義であるのだから、これに耐えることはもはや拷問に等しい。
「これはもう眠っちまったとしても不可抗力なんじゃねぇのか?」なんて思ってみたりもするのだが、あいにくと川島はそんなことを許してくれるような寛大な性格の持ち主ではなかった。
(ちくしょう、たまにはお前もこっち側でこの地獄を味わってみろってーんだよ!)
心の中で毒づきながら周りに視線を向けてみると、絶え間ない睡魔という銃弾にさらされた戦友たちが、哀れな屍と化してバタバタと机に伏している。
むしろきちんと意識を保てている同士の方が少ないくらいだ。
そんな数少ない生徒の中に、眼鏡をかけたおかっぱ頭の女生徒がいた。
彼女の名前は椎名麻耶。
晃の双子の姉である藤倉乃乃乃の親友でもあり、また寮のルームメイトでもある少女だった。
川島の睡眠電波にも屈せず意識を保っていられるとは、いかにも真面目な彼女らしい……と思いきや、考え事でもしているのか、彼女の視線は黒板ではなく廊下の方に向けてぼんやりと投げかけられている。
珍しいこともあるものだと思うが、彼女にだって授業よりも考え事を優先したい日もあるに違いない。それだってどうせ居眠りしているだろう乃乃乃よりもはるかにましだった。
そしてその当の姉はというと、予想通りと言うべきか、セミロングに伸ばした栗色の髪をゆらゆらと揺らしながら気持よさそうに舟を漕いでいる。
(やれやれ……起こしてやるとするか)
晃は小さくため息をつくと、姉の方に意識を向けた。
『ノノっ、起っきろーっ!』
精神感応で力いっぱい叫んでやると、姉の体が丘に打ち揚げられた魚のようにビクンと一度大きく跳ね上がる。
乃乃乃は暫くそのままの姿勢で何かに耐えるようにプルプルと震えていたが、おもむろに頭をぐりんとこちらに向けて急回転させると、額に怒りマークを貼り付けながら刺し殺さんばかりの眼光で睨みつけてくる。
『ちょっと! なにすんのよっ!』
起こしてもらった礼よりも先に怒鳴り声が飛んで来るとは、我が姉ながらなかなかにいい性格をしている。
『なにって、起こしてやったんだから感謝しろよな』
『頭の中でいきなり大声で叫ばれて感謝なんかできるかっ!』
耳元で突然大声で怒鳴られたようなものだ。乃乃乃が怒るのもまあ無理はない。
『でも、普通に声をかけたってお前起きないじゃないか』
『うっ……』
いかにも心当たりがあるという風に、乃乃乃の思念がひるんだ。
『ノノは前回の授業で川島に怒られてるんだから、さすがに二度続けてはまずいだろ?』
『そりゃまあ……そうなんだけどさ……』
認めつつも、彼女は納得いかなそうに唇を尖らせる。
『とりあえず……まあ、ありがと』
こういう素直なところが乃乃乃の可愛いところだ。
『どういたしまして』
にっこり微笑みかえすが、晃はすぐに表情を引き締めた。川島の板書が終わりそうな気配を察したからだ。
『ノノ、川島が振り向くぞ! 急いで寝てる奴を起こせ!』
『わかった!』
晃や乃乃乃だけでなく、他の起きている生徒たちも慌てて寝てる者を揺すったりつついたりして起こし始める。
川島の授業では、起きてる奴が近くで寝てる奴を起こすのが暗黙の了解になっているからだ。
これでは起きてる者が一方的に損な役割を背負っているように思われるかもしれない。
実際、その通りだ。
だが、居眠りしている生徒が見つかりでもして、ひとたび川島の逆鱗に触れたならば、どの道授業のそれ以降の時間は説教タイムと化してしまう。そうなれば、それまで真面目に授業を聞いていた者も結局はその道連れになってしまうのだから、例え不公平なようでも仕方がない。
大きく見れば、これもまた自分の身を守るためなのである。
「では、この問題を……椎名、答えてみろ」
言いながら、案の定川島がこちらを振り向いた。タッチの差だったが、かろうじて全員意識を取り戻すことに成功したようで、とりあえずほっと安堵のため息をつく。
しかし、その判断はいささか性急だったようだ。
「…………………」
川島から指名されたはずの麻耶から当然返って来るべき返答がなかったからだ。
どうやら自分の考え事にどっぷりと浸ってしまっている彼女は、まだ自分が呼ばれたことに気付いていないらしい。
「椎名っ」
怒気混じりの川島の声音に、晃は心の中で思わず『まずい……』と舌打ちした。
いつもの麻耶ならこういう時は安心して見ていられるのだが、いかんせん今日の彼女は授業に身が入っていない。
助けてやろうにも、晃も乃乃乃も彼女からは席が離れているし、麻耶と仲が良い三鷹吹雪や真田志保子も同じくフォローできる範囲にはいなかった。
それどころか、よく見ると彼女の周りにいるのは平民出で構成されるG組をいつも見下してばかりいるA組の連中ばかりで、その表情を見る限りでは彼女に力を貸してくれそうにないばかりか、むしろこのトラブルを歓迎しているそぶりすらある。
(だから貴族連中との合同授業は嫌なんだよな。そもそもここで椎名に嫌がらせをしたところで、川島の怒りが爆発すれば自分らも巻き添えになるってこと分かってんのか?)
いまいましさのあまり口の中で毒を吐くが、だからと言って彼等が急に心を入れ替えて協力的になってくれる筈もない。
『晃、麻耶っちが……どうしよう?』
焦ったような乃乃乃の声が頭に響く。が、残念ながらどうしてやることも出来ない。
さっきから乃乃乃と交わしているこの念話を麻耶にも飛ばしてやることが出来ればよかったのだが、これは双子である晃と乃乃乃のみに備わった生まれつきの固有能力なので、残念ながら二人の間でしか使うことはできない。
そういう意味では、この状況を打開できる学校で唯一の精神感応能力者が麻耶自身であるということが何とも皮肉めいている。
とはいえ、彼女はこういう場合でも決してその能力をズルに使うことはないだろう。
要領が悪いながらも、そういう公私混同をしないのが彼女のいいところでもあるのだ。
「椎名っ!」
「はっ、はいっ!」
やっと自分が川島から指名されていたことに気付いたらしく、彼女は跳ね上がるようにその場に立ち上がった。
しかし、今度は質問の内容が分からず、あたふたと教科書をめくってみたりしている。
「…………聞こえてなかったのか?」
「す、すいません」
申し訳なさそうに謝る少女を見て、気の短い川島のこめかみには早くも青筋が薄く浮かび上がり始めていた。
(あーあ、また長い説教か……)
その場に居合わせた誰もがそう覚悟した。
だが、日ごろの彼女の授業態度が良かったおかげだろうか、彼は怒りを爆発させることなくなんとか踏み止まり、それどころかもう一度質問の内容を繰り返してくれさえしたのだ。
「現在の能力者の集団戦闘における最小単位である五人グループ。その基本である攻撃二,防御三の陣形を考案した第一世代の能力者の階位と名前を答えろと言ったのだ、私は」
サービス問題のつもりだったのだろう。
それは中等部生徒ですら答えられる簡単な問題だった。
「あっ……はい。え、えと……」
どもりながらも、彼女は即座に質問に答える。
「えと、集団戦闘における基本陣形を考案したのは、第14位のみな……四十無さ……様……です」
さすが優等生、こんな簡単な問題ではつまずかない……と思いきや、焦っていたからなのか、それともまだ頭がはっきりしていなかったからなのか、彼女の答えは思いっきり見当はずれのものだった。
教室中が失笑によってどっと湧き立つ。
「えっ? えっ?」
気付いていないのは本人だけのようで、麻耶はみんなが何に対して笑っているのか分からずにキョロキョロと焦ったように周囲を見回している。
「はあ……今までいったいどんな教育を受けてきたんだね? 君は」
深くため息をついた川島は、もはや怒りを通り越してあきれ返っているようだった。
「もういい。座りたまえ」
申し訳なさそうに着席する麻耶をよそに、川島は次に指名する生徒を選ぶために教室をぐるりと見回した。
だが、あまりに簡単な問題なので、当てられて困りそうな表情をしている者は誰一人としていない。
「そうだな……よし。皆本、この問題に答えるのはおまえが一番ふさわしいだろう。という訳で、悪いが椎名に詳しく教えてやってくれ」
「はい!」
歯切れのいい声で返事をしながら起立したのは、背の高い爽やかそうな面差しを持つ少年――皆本敏也だった。
なるほど。川島が言うようにこの問題に関しては彼が答えるのが一番ふさわしいのだろう。
なにしろ、これは彼の身内の話なのだから――。
「能力者の集団戦闘における基本陣形を考案したのは、第5位の能力者である皆本清十郎――つまり僕の父方の祖父にあたる人です。祖父はそれまでの能力者達が集団戦でも個々がそれぞれバラバラに戦っているだけだったのを、一つの集団として機能するようにと最小五人一チームとして組み合せる戦法を考え出しました。そして、その功績から近代魔法軍学の父と呼ばれています」
「うむ。よろしい」川島は満足そうに一つ頷くと、更に問うた。
「では、ついでにどうして最小単位が五人で攻撃が二,防御が三なのかも説明してくれるかね?」
「はい」
敏也はどこか誇らしげな表情で話を続ける。
「能力者が魔力を使って行う行為には通常二つの種類があります。一つが魔術で、もう一つはおのおのが所有する個別の能力です。攻防どちらにも使える応用力の高い能力であるなどよほどの例外を除いて能力者は普通攻撃時には自分の特殊能力を使いますが、防御する際には魔術による結界で対応します。しかし、魔術というのは汎用的なものである反面、固有の能力でないために消費した魔力の七割程度しか反映されないなどロスが非常に大きく、また魔法語自体がほとんど解明されていないことから使える種類も少ないため、同程度の魔力の者が攻撃と防御をしあうと、必ず防御側が敗北するという結果に落ち着きます。つまり攻撃側が絶対的に有利で、防御側がそれを覆すには相手よりもより大きい魔力が必要になるということです。そしてこれが何を意味するかというと、格下の能力者が魔術戦で格上の能力者に勝つ可能性は絶望的に低くなるということです」
ここまで一気に説明すると、敏也は周囲の反応を伺うように一度言葉を切った。
川島は一つ頷いて、続きをうながす。
「その状況を是正するために、祖父は五人を一チームで組ませ、その中の三人を防御に専念させる方法を考案しました。これによって、互いに五対五の状況でも相手はチームワークなしにバラバラに攻撃してくるわけですから、相手の攻撃1に対してこちらの防御が2.1。相手の防御0.7に対して攻撃2という数字上の優位を確保でき、それによって各個撃破を容易に狙うことができるようになったわけです」
「よろしい。さすが皆本、完璧な回答だ」
川島が拍手で賞賛すると、それに追うようにクラスメイトも手を叩き始める。
「よしてください。こんな馬鹿でも答えられる問題で褒められても仕方がないですよ」
言葉とは裏腹に、敏也はまんざらでもなさそうな表情を浮かべていた。
一方で馬鹿のレッテルを貼られたも同然の麻耶は、恥ずかしそうに顔を伏せたまま、もはや顔も上げられないといった様子だった。
『ふん、嫌味なヤツ! ちょっと生まれが良くてそこそこ腕が立つからって、周りからちやほやされていい気になってんじゃないっての!』
親友が馬鹿にされたことに憤慨してか、乃乃乃がプンプンと頬を膨らませている。
あの通り性格には多少の難はあるようだが、帝国の六大公爵家の中でも筆頭格である皆本家の一員で、祖父の血を受け継いでか学年有数の実力を誇り、かつ見た目にもそこそこ恵まれているともなれば、周りに持ち上げられるのも仕方がないことだろう。
それにもう一つ付け加えるならば、彼は第三世代では数少ない男性の能力者だ。
それを言えば晃もそうではあるのだが、なにぶん持って生まれた家柄や能力が違う。
容姿、家柄、実力と全てが高い水準でまとまっている敏也は、玉の輿狙いの女生徒たちからみればこれ以上ない優良物件に見えるに違いない。
晃だってこの圧倒的男性優位と言われる状況の中、全くモテないと言うわけではない。女生徒の中には積極的にアプローチをかけてくるような物好きも何人かはいるのだが、今のところその中の誰とも付き合うつもりはなかった。
アラスカのド田舎から出てきたばかりで、今はこちらの環境になじむのに精一杯だということもあるし、何というか、ししょーに入れ込む姉の姿を見ていると、「そこまでの精神力を注ぎ込むほど気になる相手に自分はまだ出会っていないだろうなあ」という気にさせられてしまうからだ。
とはいえ、やはりモテ度でいえば月とスッポン。羨ましくないかと聞かれれば素直に羨ましいと思うわけだが、一方でモテ組筆頭である敏也には強烈なアンチがいることもまた事実であり、それを考えると今のままでも十分かなあと思ったり思わなかったりするわけである。
実を言うと、そのアンチ敏也派の筆頭格が晃の姉である乃乃乃であったり、その親友の三鷹吹雪であったりする。
身内を庇うわけではないが、その動機は決して生まれに対しての妬みや彼の実力に対するやっかみによるものではない。
姉を含む一部の生徒の敏也へ対する反発心。その根源は彼のみならず貴族クラス、それも上位貴族の子弟が集められているA・Bクラスの学生全体に共通するある問題に起因している。
要するに、平民クラスであるGクラスに対する執拗な嫌がらせが我慢できる限界を超えているのだ。
人を人とも思わぬ尊大で横柄な態度で常に抑えつけられれば、誰だってその者に好意を抱くことなど出来なくなる。
それだけではない。
そんな彼等に虐げられているGクラスの中でも特に集中的に彼等に狙われている者――端的に言うといじめの対象になっている者ということだが――がよりによって自分たちの親友であるとするならば、そんな相手に好意を抱くことはもはや不可能である。
どれほど将来性があろうが家柄が良かろうがそんなものは何の足しにもなりはしない。
そしてそのいじめの対象になって彼等の嫌がらせを一手に引き受けてしまっている不運な弱者――。
その少女こそ、つい先ほども敏也にチクリとやられたばかりの椎名麻耶なのである。
平民が集まるGクラスの中でなぜ麻耶だけが特にいじめの対象になっているのか、その理由は大きく分けて二つある。
一つ目は彼女の大人しい性格だ。
どんなにいじめても絶対にやり返してこないという安心感。
加害者の側からすれば絶好のカモである。
これは弱々しい小動物が肉食動物と同じ檻に入れられてしまったようなものだ。入れた方にはそのつもりはなかったとしても、本人たちどうしの立場からすれば餌と捕食者の関係以外の何者でもない。
そんなネギを背負ったカモであるところの麻耶がいじめられるもう一つの理由にして最大の要因、それは彼女の持つその激レアな能力だ。
麻耶は現在、この学校で教師を含めても唯一人の精神感応能力者である。
彼女と同系統の能力者はこの学校の卒業生にも過去に数例しか記録がない。
その卒業生たちですら、嘘を言っているかどうかを判別できるとか、感情が色で見える程度の漠然とした力しか持っていなかったのに対し、麻耶のそれは、本人にその気があれば相手の思考を完全に盗み見ることが出来るレベルらしい。
もしそんな能力者が外交に携わったらどうなるだろうか?
自分たちの本音と建前を全て見抜かれてしまうのだから、相手からすればやりにくいことこの上ないだろう。
他人の心を読む能力者が入国管理局にいたらどうなるか?
相手がどんなに書類を完璧に偽造していたとしてもテロリストは見つけ出されるだろう。
そして、いかなる拷問にも耐える敵の捕虜がどんなに固く口を閉ざしたとしても、彼女の前では機密情報を隠しおおせることはかなわない。
過去の同系統の能力者たちの事例を見ても、この学園を卒業してから先、軍に入ってからの精神感応能力者の優遇されようは半端なものではない。
下手をすると、この国で上位百人に君臨し、『二つ名』を名乗ることを許されている「階位騎士」に次ぐくらいのレベルであるらしいから、お世辞抜きに相当なものだ。
建国以来この階位騎士にはほとんど入れ替えがないことを考えると、この先彼女のために用意されているだろう道筋は、学園生の中でも望みうる限り事実上の最高位と言って過言ではない。
個人としての戦闘能力こそゼロに等しいが、それを補って余りある実用性を持った能力なのだから、それもむしろ当然といえるかもしれない。
しかし、A・Bクラスのお貴族様たちからすれば、将来的に自分たちの立場を脅かすような優れた能力を平民出身である麻耶が持っていることがとにかく許せないらしいのだ。
いじめてる奴らは生意気だの態度が気に入らないだのとそれらしいことを言ってはいるが、いじめが嫉妬や逆恨みが原因であるのはいつの世にも共通した悪習なのである。
誤字・脱字、及び「この表現変じゃね?」などを含む感想、批評等ありましたら是非ともお願いします。