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炎の時代の物語  作者: qwertyu
鎌倉散策編
23/45

プロローグ

 なんなんだ、あの男は?


 なんなんだよ、あの化け物は?


 ニコラ・アジャーニはうしろを振り返る間も惜しみつつ、森の中を懸命に駆け抜けていた。


 背後からは明確に死の危険を纏った怪物が、淡々と、しかし確実に差をつめながら自分の足跡を追ってくる。


 この力を手に入れた俺は無敵ではなかったのか?

 わが国最高の天才と言われたあの妹ですら、本気の俺と戦うならば命の奪い合いを覚悟しなければならないというのに……。 


 なのにあの男は、俺の力を前にして逃げ出すどころか恐れることもなしに真正面から向かってきて、そして事もなげに俺の攻撃を一蹴した。


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 そんなこと信じられない。


 妹がいない今、俺を抑えられるやつなど今のこのフランツにいるはずがない。

 自分がこんな無様な敗退を喫するわけがない。

 そう思っていたはずなのに。



 カッ! ドーン!!



 ほんの一瞬前に自分がいた場所を狙い済ましたかのように、天から電気の槍が降りかかる。


 ぜぇ……ぜぇ……。

 もうかれこれ数時間走りっ通しでフラフラなのだが、


 「はいそこ、誰が休んでいいっていったのかなぁ?」


 ちょっとでも立ち止まろうとすると、容赦なくその場に雷が落ちてくる。


 「ひっ!」


 軽く腕先を掠めただけで数メートル吹き飛ばされてしまう。

 傷口はブスブスと激しく焼けただれ、全身をスタンガンで撃たれたような重い衝撃が駆け抜けていった。

 

 もしあれが直撃していたなら……。

 そう考えると、全身にゾワワワっと鳥肌が広がっていく。


 「はいはい、早く立ち上がらないと次がどんどんきちゃうよー」


 「うわわわわわわわっ」


 木の幹を支えにしてかろうじて起き上がると、そのままフラフラと走り出す。

 と、一瞬の差で支えにしていたその木の幹が落雷によって真っ二つに切り裂かれてしまう。


 「殺される殺される殺される殺される……」


 体中の毛穴という毛穴から滝のように汗を滴らせながら、うわ言のように呟く。


 「バ、バケモノだ……」


 自分はこんなボロ雑巾のような状態なのに、どういうわけか、同じだけ走っておまけに絶え間なく能力を使っているはずのあの男は汗一つかいていない。


 「はい、体だけじゃなく口もいっしょに動かす。規則正しくおいっちにーおいっちにー、さんはい!」


 「お、おいっち、にぃー……ぜぇ、おいっち、にぃー!……ぜぇ、ハア……」


 「いいねいいね。はい、おいっちにーおいっちにー」


 「おいっち、にぃー、おいっち、にぃー……」


 こんなはずではなかったのに、一体どうして……。

 延々と続く地獄のような逃避行の中、ただそれだけを、ひたすら何度も何度もニコラは心の中で反芻していた。





 憎かった。ただ全てが憎かった。


 みんないなくなってしまえばいい。

 みんな壊れてしまえばいい。

 何もかもが綺麗さっぱり消え去ってしまえばいい。

 ニコラはそう心の中で何度も繰り返しこの世界を呪っていた。


 何が私が悪かっただ。何が頼むから許してくれだ。


 ふざけるな!


 そんな簡単な言葉一つで今までニコラが味わってきた地獄のような苦痛と屈辱があがなえるとでも思っているのだろうか。

 みんな何も分かっていない。分かろうともしない。


 今ここで俺が彼らに何をしようが、全部己の身から出た錆ではないか。

 それを今更悔いたところで何になるというんだ。


 己が望んで捨てたものを後で惜しんでも仕方がないように、大切にしないまでもせめて普通に接しておけば良かったものを、失望という負の感情に囚われて八つ当たりのように俺に向けた冷たい仕打ちの数々。


 それを今になって水に流せと簡単にいう神経も理解出来ないし、納得も出来ない。

 である以上、そうしてやる義理も感じない。


 せいぜい自業自得という言葉の意味を噛み締めて、苦しんで、苦しんで、打ちひしがればいい。

 それこそが、ニコラにとってせめてもの救いになるのだから――。




 

 自分の両親が二人そろって能力者である。


 言ってしまえばたったそれだけのことが全ての原因なのだ。

 親が両方とも能力者である場合、その子供が能力者として生まれる確率はおよそ50%から60%。


 決して多い数字ではないが、片親が能力者の場合には5~10%と言われているので、両者の差は数字で見ても歴然としている。


 そんなフランツの名門アジャーニ家に生まれた待望の男児。

 それが4人いる姉たちが全て能力者として目覚めたという高い能力覚醒率と相まって、周囲や国家の期待を集めないわけがない。


 他の姉や妹たちと同じように能力者として覚醒し、きっとその能力を国家のために役立ててくれる――。


 そう誰もが期待してニコラを大事に扱ったし、ニコラ自身もそうなるものと信じて疑っていなかった。

 しかし、ニコラは彼らの期待に応えることができなかった。

 今年で生まれてから17回目の春を迎えたが、とうとう守護神と契約を果たすことができなかったのだ。


 一般的に守護神との契約は四歳から十二歳の間に行われるとされる。

 ごくまれに生まれつき守護神と契約していたというような例外もあるようだが、ほとんどの者は上記の期間の間に守護神との契約を果たすことになる。事実、ニコラ以外の姉妹たちはみんなそうだった。


 しかし、ニコラは十歳を過ぎても、十一歳を過ぎても守護神と契約を結ぶことが出来ず、その状態は小学校を卒業しても変わることがなかった。


 それでも中学校に入学してから能力に目覚めたというケースも能力者の本場「帝国」では確認されていたから、もしかしたら……という希望を本人も周囲も捨てきれていなかった。

 しかし、中学校で一つ、また一つと年を重ね、遂に高校に進学するに至って、誰もがもうニコラには能力者になる見込みはないのだと悟っていくようになる。


 そして高い期待というのは、裏返った場合には得てしてより強い失望へと変質していってしまうものだ。


 そこからの周囲の掌の返しようといったら酷いものだった。

 よほど失望が大きかったのだろう。両親はニコラと接触するのを避けるようになり、それと比例するかのように姉たちからの暴力を伴ういじめが激しさを増していった。外に出たら出たで同級生たちから「アジャーニ家の失敗作」として嘲笑の種になる始末。


 たくさんいた友人も一人、また一人と離れていき、もはや誰も残ってはいない。

 今となっては家にも学校にもニコラの居場所などほとんどなくなってしまっていた。


 唯一の味方といっていいのは一つ下の妹だけだったが、アジャーニ家随一の天才といわれる彼女の風下に立つことも、ほんの欠片ほど残されたニコラのプライドが許さなかった。


 しょせんは持てる者が上から目線で弱者に与える施し。


 妹にとって不肖の兄を庇うことは、街角でうずくまっているホームレスにその場しのぎのパンを与えるのと同じ。あくまで偽善にすぎない。

 少なくともニコラの目にはそう映っていたのだ。


 そんな全てに鬱屈していたニコラに突然宿った大いなる力。


 もはや一生ないだろうと思われた守護神との突然の契約。


 しかもその力は自分を白い目で見ていた両親や、苛立ちや憂さを自分に八つ当たりすることで晴らしてきた糞が人の皮を被ったような姉たちのそれを大きく上回り、フランツ最高の天才とまで言われた妹ノエルに匹敵するほどのレベル。


 そんな力を手に入れたニコルが、今までの鬱屈とした黒い感情を抱えたまま黙っている筈がなかった。


 突然自分の新たな力に目覚めてから早一ヶ月。


 今まで何もないように振舞っていたのは、目覚めた自分の能力がどれくらいのものなのかじっくり確認するための訓練期間と、間もなく帝国に留学することになっている妹がこの国からいなくなるのを待ってから行動を起こすためという綿密な計画によるものだった。


 今までノエルが自分に向けてきた憐れみは決して気持ちのいいものではなかったが、結果的にはそれがニコラの身を守ってくれていたというのも紛れもない事実であり、復讐を考えるほど彼女に対しては恨みがあるわけでもない。

 加えるなら、おそらくは自分と互角近い力を持つ彼女が傍にいては、出来る仕返しも出来なくなってしまうかもしれないという警戒感も、妹の不在を待つというニコラの行為を後押ししていた。


 だが、そんな妹も昨日ついに東の果てにある小さな島国へと旅立って行った。


 これでニコラは名はともかく実でいえばこの国で最強。

 自分の行動を止められる者など誰一人としているはずがない。


 そう思っていた。


 邪魔者がいなくなったニコラは今まで溜まりに溜まった鬱憤を今日一気に爆発させた。

 家を破壊し、学校を破壊し、街を破壊する。


 今まで無能だと、失敗作だと自分をさんざん蔑んできたやつらの慌てふためく様が痛快だった。

 自分を無視してきた両親の驚きと恐怖に満ち溢れた顔が、鬱憤晴らしに痛めつけてきた弟から仕返しされた時の姉たちの無様な怯え顔が、そして能無しだと後ろ指をさしてきた学校や街のやつらの目の前で圧倒的な破壊の力を見せつけてやったときの絶望した表情が、どれもがこの上ない愉悦だった。


 路地裏に連れて行かれ、ボロ雑巾のようにニコラを殴りつけては、あり金を巻き上げていった同級生たち。

 そんな彼らが街中で腰を抜かして、小便で股間を濡らしながら命乞いをする姿を動画に録りつつ、更に服を剥ぎ取って裸のまま街灯に吊るし衆目に晒してやったのには溜飲が下がったし、盗ってもいないと承知の上で人を泥棒扱いして嫌がらせをしてきたスーパーの店員と、無実をハナっから信じもしないで謹慎処分を下してくれた無能な教師を、二人揃って公衆の面前で半殺しにしてやった上で罪を自白させたのを見ていた時の、次は自分があの立場になるのではないかというギャラリーたちの死人のような青い顔。


 どれもが愉快極まりなかった。


 やりすぎだとは思わない。

 どれも自業自得と言ってしまえばそれまでだし、ニコラがこの力に目覚めていなければこの先だって間違いなく同じことを彼らは繰り返していたに違いないのだから。


 ニコラとて恨みのない者を痛めつけるほどには堕ちてはいない。

 しかし、だからこそ逆に今まで自分に向けられた理不尽な暴力に対しては一片たりとも容赦をするつもりはなかった。


 そう、社会のためにもクズにはクズにふさわしい散り様というのが必要なのだ。


 命を取らないのはせめてもの情けといってもいい。

 そんな正義感にも似た思いを抱きつつ、街中に今までの鬱憤を思う存分に晴らしている最中――。

 

 ……あの男が現れたのは、そんな時だった。





 「この街で暴れているっていうニコラ・アジャーニってのはキミのことだね?」


 ユーラシア大陸のほぼ反対端にあるこのフランツで臆面もなく帝国公用語である日本語ジャポネーズで問いかけてきたその飄々とした雰囲気の東洋人の青年は、市場で新鮮な食材を値踏みする料理人のような目でニコラのことを観察してきた。


 「なんだ、お前は……」


 能力者にとって帝国の母国語である日本語は学んでおくべき必須言語であり、幼いころから能力者としての英才教育を受けていたニコラにとって、それを操ることなど造作もないことである。


 「……だったら何だ? 邪魔するようならてめーもやっちまうぞ」


 切れすぎるナイフのような取り付く島のない返答にも、青年は一向に動じない。


 「いやいや、話を聞く限り仕返しをされた方も相当な悪みたいだから、今までの恨みを晴らしたいというキミの気持ちも分からないではないんだがね。でも、それ以上能力を使って暴れられると、キミどうこうではなく、人々の能力者全体への目が厳しくなっちゃうんだね。ボクたち帝国からすれば、それは少々不都合な事態なんだよ」


 「うるさい、黙れ! お前らの都合なんか俺の知ったことかよ!」


 「まあ、そういわないでさ。今なら痛くはしないから、大人しく投降してくれないかな?」


 「投降? 馬鹿いうなよ。痛くしない? それはこっちのセリフだろうが!」


 ニコラはどうやら自分を捕まえに来たらしい帝国の能力者に向けて殺気を込めた視線を送ると、全身を緊張させて戦闘態勢を取る。


 「うーん、どうやら話し合いだけで解決するのは無理そうかな? 面倒だなあ。だからこんな仕事引き受けたくはなかったんだよ。そもそもボクはこの国に仕事じゃなくてバカンスで来ていたはずなのにさ……」


 彼は心底嫌そうな表情で、しかしそれに全くそぐわないのんびりとした口調で愚痴を漏らしはじめる。


 「ならとっとと退場すればいいじゃないか。ほら、お帰りはそちらだぜ」


 街の出口の方角を指し示してやるが、青年は軽く首を横に二、三度振って見せると、


 「お気持ちは有難いし、出来ればそうしたいとこなんだけどね。こちとら悲しい宮仕えってやつでさ。このまま何もしないで手ぶらで帰ったとあっちゃぁ、怖い怖い上司からどんなおしおきを食らうか分からないんだよね。それはちょっと嫌だよね」


 「ふん、じゃあ後で病院のベッドの上で上司の説教でも受けるんだな」


 言うと、能力を開放して近くに止まっていた自動車を掴みあげ、青年めがけて放り投げる。


 「おっと、危ない」


 青年は軽やかな足取りで回避したが、そんな彼の着地際を見極めてもう一台投げつけてやる。今度は手加減なしの一投だ。

 ファミリー向けのワンボックスが、メジャーリーガーも真っ青なスピードで男めがけて一直線に飛んでいく。

 普通だったら見事に真ん中のピンを捉えてストライクとなるところなのだが、


 「おやおや、これはなかなか……」


 感心した口調で言い放つと、青年は飛来する車に向かって軽く腕をかざした。

 次の瞬間――。


 ズドン!


 もの凄い光と轟音が天から降ってきて、その衝撃によって車はハエ叩きの要領で一瞬で地面に叩き落され、地上に縫い付けられた状態のそれはまるで巨大な槍で貫かれたように原型を留めないほどぐちゃぐちゃに潰されてしまっていた。


 「なっ、そんな……」


 自分の全力の攻撃が、目の前の青年に片手間で対処されてしまったという事実。それは、両者の前に横たわる圧倒的な戦力差を表してもいた。


 目の前で起こった信じられない光景に唖然としているニコラをよそに、彼は自分の頭をぽりぽりと掻きながら、


 「うーん、確かにそれなりにパワーはあるみたいだけど、力の使い方が全然なっちゃいないなあ。どうやらキミにはその歪んだ性根とともに能力の使い方も基礎を一から学んでもらう必要があるようだねぇ。どれどれ、とりあえずキミんところの大統領からも依頼が来ていることだし、ついでだから力の使い方のイロハのレクチャーと、そのひねくれ曲がった性格をまっすぐに叩き直すための矯正をこのまま始めちゃうとしようかな?」


 口では微笑みつつも、その瞳に宿った青年の剣呑な眼光を前にして、ニコラはぞっと背筋が凍りつくのを感じていた。

 遅まきながら、自分が虎の尾を踏んづけていたことに気がついたからだ。


 そして、まるで弱った獲物が肉食動物にいたぶられるかのごとく、降りかかる攻撃の雨を避けながら命からがら逃げ回るという、涙が枯れ果てるほどありがた迷惑なその指導は、この時から延々と四時間、街の中心から外れまでを何往復も休みなく、ニコラが心身ともにボロ切れのようになるまで繰り返され――。





 「えー、彼がこの度遠くフランツ共和国から我がG組へと留学生としてやってきたニコラ・アジャーニ君だ。みんな彼に分らないことがあったら積極的に教えてあげるように。あと、同じく彼の妹さんが同じ学年のD組に来ているからそちらも併せて仲良くしてやること。いいな?」


 「「はーい!」」


 ……気づいたときには、本人も訳の分からないうちに帝国の魔術仕官学園へと転入させられるハメになっていたのだった。

 第2部の開幕となります。


 私は基本的に最後までざっくりと骨組みを書き終えてから大幅に修正を入れていく書き方でやってきたので、もしかしたら今後大幅な修正が入るかもしれませんが、その点につきましてはあらかじめご了承下さいますようお願い申し上げます。


 また、書きながらの更新となりますので、第一部のようなハイペースでというわけにはいきませんが、途中で放り出すことはしませんので、のんびりとお付き合いいただければ幸いです。

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