第5章 四天王杯予選開幕
制限時間の九割以上を余らせて早々に勝負をつけた晃たちが、厚木からの移動を終えて大会本部のある川崎魔術士官学園に顔を見せると、ワッと沸き上がった会場中からの歓声に出迎えられた。
横浜、川崎、厚木、相模のそれぞれの魔術士官学園で分散して行われている予選結果の速報が本部から順次発表されているので、みんな既に試合の結果を知っていたからだ。
ちなみに他の三試合は終るどころかまだ中盤にすらさしかかっていない。
しかし、これは決して彼らの試合展開が遅いということではない。晃たちのチームが勝利を決めたペースの方がおかしいのだ。
ここの会場に来ていたクラスメイトたちから聞いた話によると、晃たちの試合の結果が発表された瞬間、会場中が一斉にどよめき立ったらしい。
原因は大きく分けて二つ。
厚木魔術士官学園で行われた試合が終わるのが異常なほど早かったことと、その結果が事前の予想と大きく食い違っていたことである。
ここにいる人々を驚かせたのは、晃たちが勝ったからではない。
階位騎士の実力を持っている来栖川小夜子がいる以上、どんな形であれ横浜の勝利を疑う者はいなかった。それは昨年の結果を思い起こせば誰でも予想が出来る。
問題は、横浜Bチームとして登録された十五人全員が全くの無傷で予選を勝ち抜いたことである。
結果だけを見て、「他の三チームは去年の本戦のように同盟を組んで攻めなかったのか?」などと疑問を投げかけたりする者や、「有効だと分かってる戦略を行わないなんて愚かすぎる」と三校の代表を酷評する者もいたが、実際のところその指摘は大きな誤りであった。
「試合開始直後の相手の行動が全部分かっているだなんて、こんなにやり易いことはないわ」
冷笑を顔に張り付かせて強気にそう言い放ったのは、今回の作戦立案・指揮を行ったルシル・テンペストだ。
では、三チームが一斉に襲いかかってくるという最悪の状況で、彼女の立てた作戦とは一体どんなものだったのかというと、単純にして明解。
ずばり、戦わない……というものだった。
「要するに、去年の来栖川先輩たちのミスは攻めて来る相手に真正面から立ち向かってしまったこと。これに尽きると思います」
最初ルシルがそう提案した時、みんなが驚いたし、チーム内からも当然ながら異論が湧き上がった。
「戦わないって……それじゃあ私たちの紋章が奪われちゃうじゃない」
吹雪の言葉に、晃も同意する。
戦わなければ確かに去年のように会長たちを残して全滅という惨状は免れる事ができるだろう。しかし攻めて来る相手と戦わなければ自分たちの紋章が奪われてしまう。そして紋章が奪われてしまえば敗北が確定となってしまうのだ。
「どうして紋章が奪われてはいけないの?」
平然と問い返してくる彼女に、晃たちは彼女が四天王杯のルールをきちんと把握出来ていないのだと思いこみ、懇切丁寧に説明した。
しかし、それは晃たちの勘違いだった。
ルシルの反論を聞いていくうちに、釈迦に説法というか、チームの中で最もルールを理解していたのは実は彼女の方だったという事実に気づかされて、晃たちは穴があったら入ってしまいたいという衝動に駆られてしまうほど恥じ入ってしまうことになる。
そう、みんな紋章を奪われてはいけないいけないと思うあまり、紋章を上書きされても一時間は取り返す猶予があるというルールの存在をすっかり失念していたのだ。
試合開始の合図と同時に、三校の代表は予め示し合わせた通り、晃たちの陣地へ向かって突入してきた。その時の彼等には、当然横浜Bチームが紋章を守るために迎撃してくるという頭があっただろう。
しかし、いざ紋章のある陣地に突入してみると、そこにいたのは同盟を組んだはずの残りの二校だった。
そして目の前には無防備な横浜の紋章がある……。
その状況で彼等が行ったのは――横浜の紋章を巡る壮絶な奪い合いだった。
三チームが目の前の極上な餌に喰いついて奪い合いをしている間に、晃たちは二手に分かれて手近な厚木と相模代表の陣地を襲った。
主力はみんな横浜の陣地に向かって来ていたので、紋章を守るために残っていた人員はそれぞれ二人ずつしかいなかったから、あっさりと陥落してしまった。
これで仮に横浜の紋章がどこかのチームに上書きされ失っていたとしても、晃たちは既に他の二チームの紋章を奪っているのでゲームオーバーになることはない。
続いて十名が川崎の本陣を襲い、五名は自分たちの本陣が陥落したことも知らずに横浜の本陣で紋章を奪い合っているだろう三チームの動向を伺うために偵察に向かう。
そして、川崎を落とした部隊が偵察部隊に合流してきた後、横浜の紋章を巡って三つ巴を繰り広げている戦いの勝者が決定するのをのんびりと待って、厚木代表が他の二校を下して勝ち残ったのを確認すると、満を持してすっかり消耗しきって数を減らしている彼等に襲いかかった。
元々チームとしての戦闘力が劣っていた上に数的優位を作られ、かつ全く疲労していない晃たちに叶うわけもなく、厚木の主力部隊はあっさりと全滅してしまった。
こうしてルシルは絶対的に不利と言われた状況の中から、相手の行動が筒抜けなのを逆手にとって常に数的優位な状況を作り出し、最小の労力で最大の効果を上げることに成功したのだった。
おまけに、圧倒的な数の力で押し潰したため、去年の活躍が知れ渡っている先輩たちはともかく、一年生プレイヤーの能力をほとんど使わずに温存することもできた。これはこの次の決勝戦を戦うにあたって殊の外大きい効果を持っている。
能力者同士の魔術戦では、相手の能力の情報を手に入れることが何よりも優先される重要事項だからだ。
とまあ、こうしてある意味歴史的な大勝利に大いに気分を良くしていた晃たちだったが、やはりというべきか、一部の貴族たちによる心ないやっかみによってその浮かれた気分はあっけなく水を差されてしまう。
「……どうせ三校からいきなり襲いかかられて混乱に陥ったあげく、やけくそで行動したのがたまたまはまっただけ……といったところじゃないですか?」
「その通りでしょう。だいたい、三校がたまたま横浜の紋章を奪いあったから良かったものの、あのまま紋章を無視して引き返していたらどうするつもりだったんでしょうな」
「まったく、馬鹿丸出しですな。ハハハ……」
「はっきり言っては可哀想というものですよ。どうせ決勝では通じない手なんですから。今だけでもいい気分にさせてあげないと」
わざとみんなに聞こえるように言っているのがなんとも嫌味だった。
ああいう馬鹿は無視するに限る――という晃の考えとは裏腹に、速攻で彼らに噛み付いた者がいた。
ルシル・テンペストだ。
自分の立てた作戦をけなされたのがよほど腹に耐えかねたのか、彼女は風のような素早さで自分たちを揶揄している貴族のもとへ移動すると、骨の髄まで凍らせるような冷たい視線で彼等を睨みつけた。
「な、なんだね、君は……」
その迫力に気圧された連中に、彼女はこの上なく辛辣な言葉を浴びせかける。
「可哀想に。最近の貴族は15と13どっちが大きいのかという簡単な算数も解らないのね。さっきの言葉、本気で言ってるなら小学校からやり直した方がいいわよ。いえ、むしろ頭のいいチンパンジーにでも一から教育し直してもらった方がいいのかしらね」
憐れみさえみせる彼女に、貴族たちの怒声が襲いかかる。
「な、なんだと! 小娘の分際で!」
「そうだ! 私たちが誰だか分かっているのか?」
物々しい雰囲気に会場中が息を飲むが、ルシルは全く怯まない。
「そこのあなた! そう、あなたよ。確かさっき三チームが紋章を無視して引き返したらどうするつもりかって言ってたわね」
「そ、それがどうした」
「別に引き返したって結果は何も変わらない。彼らが慌てて自分の本陣に引き返している間に、二手に分かれた部隊が手近な厚木と相模の本陣を守っている二人をそれぞれ倒し、その後川崎の本陣に合流して更に二人倒す。そのままそこに罠を張って川崎チームを待ち構えておけば、地の利がある上に戦力も15対13。こちらが圧倒的に有利。それにそもそもなぜ彼等が同盟を結ぶ必要があったのかを考えれば、一チームでウチとあたることの無意味さは馬鹿でもわかる筈よね。そしてそこからは残ったチームを一つずつ襲っていけば簡単にケリがつくわ」
「だ、だったら分散しないで三校固まって引き返せば……」
「そもそもどの学校だって自陣をほっぱらかしにすることを善しとする筈がない。だからその可能性はゼロに近いと言っておくけれど、そうなってくれればもっと楽だわ」
ルシルは男を蔑むように冷笑を浮かべた。
「三校が固まるということは、どこか一つを守ったとしても残り三つの紋章が常に無防備っていうこと。そして私たちは最初に三校の紋章を上書きしている。一方で引き返した三校はそれを知らない……これがどういう事か分かるかしら?」
「どうだというのかね」
「三校が一箇所に張り付いて動かないなら放っておけば二チームが時間切れで勝手に脱落してくれる。動くようなら紋章に近づかせないために私たちが姿を見せてのらりくらりと時間を稼げばどの道タイムオーバーで同じこと。もしも確認のために何人か自分たちの本陣に人をやるようなら先回りして各個撃破すればいい。そもそも互いに信用出来る相手でもないのに、いつまでも一緒に行動していられるわけがない。ちょっとしたきっかけで仲間割れするのがオチね。要するに三校で一緒に動くってことはメリットである以上にデメリットであるということよ」
言い終えると、ルシルは小さく肩をすくめた。
「さて、馬鹿なのはどちらの方かしら?」
「う、うぐう……」
あまりの剣幕に身じろいだ貴族たちは、観客たちからの失笑に気が付いて鼻白んだ。
「ふっ……調子にのってベラベラと……。まだ決勝が残っているというのに、自分たちの手の内をばらしてしまっていいのかね?」
明らかな負け惜しみではあったが、ある意味的を射ているその言葉にも、ルシルは微塵も動じない。
「せっかくのご心配だけど、私の頭の中には他に幾通りもそれを捌ける案があるからいらぬ気遣いと言っておくわ。それに……断言してもいいけれど、明日の決勝では三校が同時に私たちに襲いかかってくることはないわよ」
「はあ?」
言葉の意味を計りかねて、貴族たちだけでなく観客たちからも疑問の声が上がった。
「明日は残り三チームのうちの一つは必ずウチにつくから」
「そんなことあるわけがない!」
ルシルの言葉に貴族たちは「何を言ってるんだコイツ」とばかりに怪訝な表情を作った。
「その根拠のない否定が一体どこから出るのか理解し難いのだけど……」
あきれたとでも言いたげに肩をすくめると、彼女は話を続ける。
「明日は予選ではなくて決勝だということを分かっているのかしら? 極端な話、三チームを同時に相手にしてウチのチームから何人が病院送りになったとしても、個人戦を圧倒的な強さで制した会長さえ最後まで生き残って相手を全滅させてくれれば私たちは優勝できるのよ」
その言葉に、会場中の人々が稲妻に打たれたように身震いした。
つまりルシルはこう言っているのだ。
形にさえこだわらなければ、会長たちが三チーム同時に相手しても勝ち残ることができるのは去年の四天王杯本戦で既に証明済み。
しかも、決勝に残ってくる他のチームは負傷によるメンバーの欠員が出るのが確実視される中、横浜Bチームだけは全員無傷でコンディション抜群というおまけつき。
つまり、今この時点で予選大会での自分たちの優勝は既に確定しているのだ……と。
「どうやっても優勝出来ないとなれば、他のチームが気にするのはいかにして二位になるのか……ということ」
優勝できなかったとしても、二位と三位ではその意味が天と地ほど違う。
単純に「お互い優勝できなくて残念だったね。てへっ」で済まされるような問題ではないのだ。
なぜなら、各公爵領に与えられた本戦出場枠は二つ。つまり優勝を逃しても二位に入りさえすれば神宮で行われる四天王杯本戦に出場する権利が与えられるからだ。
そして二位になるためには優勝するチーム(要するに晃たちのチーム)と同盟を組むのが一番確実。つまり晃たちから同盟の誘いを受けた側が断ることはまずあり得ない。万が一断られたとしても別のチームに声をかければ二つ返事で引き受けてくれることだろう。
「あっ、あああああああ――っ!」
そこまで説明されれば、いかに頭が鈍くても理解が出来たらしい。男は驚愕の表情のまま、喘ぐように息を吐き出して身じろいだ。
「まったく、この程度のことが分からないだなんて、貴族の質も落ちたものね。それに自分たちの本陣を餌にするという戦術は、かのギルド動乱最強の能力者の一人、『覇王』来沢重人率いる新宿の千の大群を、当時まだ無名の一ギルドだった渋谷がたった三十名足らずの手勢で撃退したことからもその有効性が認められているはず」
ルシルの言うこの渋谷と新宿の戦争は、ギルド動乱が始まって以来初めて起こった主要都市同士の大規模戦闘として当時大いに注目を集めたらしい。
もっとも当初の下馬評では、中野の巨大ギルドを壊滅させ、次いで杉並をも吸収した新宿がそのままの勢いで渋谷を飲み込み、圧勝するだろうとの見方が強かったようだ。
事実、来沢達は渋谷の紋章を書き換えるところまでは行ったらしい。そのまま渋谷が押しつぶされて陥落するのは誰の目にも明らかだった。
しかしそれこそが渋谷のしかけた罠だったのだ。
来沢率いる新宿はルールで設定された七十二時間の間、渋谷から上書きした紋章を守りきることが出来なかった。そればかりか、来沢を含め新宿の主要な幹部は大半が討ち死にしてしまい、ギルドとしての新宿はここで完全に消滅してしまったのだ。
その時新宿と渋谷との間にどんな駆け引きがあったのか、それは当事者である渋谷の能力者たちが黙して語らないため、研究者たちの間では様々な憶測が飛び交っているもののいまだに結論が出ていないギルド動乱最大の謎となっている。
ただその時渋谷ギルドに在籍していたおよそ三十名ほどの能力者全てが後に階位騎士以上に叙せられることになるのだから、戦術は言うまでもなく、撃退した能力者たち個々の実力も非凡なものであったことは疑う余地がない。
ギルド動乱時、大都市を支配下に置くような巨大ギルドはどこもかしこも数の論理によってより多くの能力者たちを仲間に引き込もうとすることに躍起になっていた。そんな中、唯一渋谷だけは徹底した少数精鋭秘密主義を貫いたと言われている。
事実、ギルド動乱から三十年以上経た今でも、ごく一部の者を除いて旧渋谷ギルド――現横浜特別区公爵領の能力者たちの素性は明らかにされていないのだ。
これもまた、ギルド動乱を研究している学者たちにとっては頭を悩ませる問題であるのだという。
「知っての通り、四天王杯はギルド動乱をベースにルール付けられている。それは即ちギルド動乱で有効な戦術は四天王杯でも有効だということ。それをさも賢しげに否定するだなんて、あなたたちは馬鹿な上に無学としか言いようがないわね」
「こっ、小娘がっ……」
自分たちのことを酷く侮辱されたことに気付いた貴族たちは、叫ぶなり腰の剣に手を伸ばした。
晃もルシルを守るために思わず身構える。
しかし、その剣が抜かれることはなかった。
いつの間に近づいていたのか、ルシルの背後に来栖川小夜子の姿があることに貴族たちが気付いたからだ。
「それくらいにしておいたらどうかしら? これ以上騒ぎを大きくすると、あなたたちをここに遣わせた主に怒られるかもしれないわよ?」
「…………なっ!」
ニッコリ爽やかに微笑む小夜子とは対称的に、自分たちの正体を看破された貴族たちは顔面を蒼白に染め上げている。
(なるほど。妙に絡んでくると思ったらこいつらも皆本家の手下だったってわけか……こんな嫌がらせまでしてくるとは、本当にどこまでもしつこい一族だな)
こんなのを今までずっと相手にしていた吹雪を、思わず尊敬したくなってしまう。
当の貴族たちは小夜子の登場で分が悪いと感じたのか、小さく舌打ちするとほうほうの体でその場を立ち去っていってしまった。
(こりゃ明日もどんな妨害があるか分からないな……)
警戒感を強めた晃とは裏腹に、チームメイトの園田千春と宮沢静江が、「明日はうちの親も応援に来てくれるんだ~」「えー、いつも忙しそうなのによく時間が取れたね!」「私が出るのが決まってから急遽予定を空けてくれてたんだって」などと呑気に会話を交わしてるのを見て、思わず脱力してしまう。
「親の応援か……」
他人に聞こえない程度にぽそりと漏らす。
晃と乃乃乃の親代わりといったらししょーのことだが、明日彼が応援に駆けつけてくれることはおそらくないだろう。
何しろ連絡先が分からないのだから、晃たちが四天王杯予選に出場することさえ伝えることが出来ていない。
(でもまあ、ししょーの顔にドロを塗らないように、明日は一丁頑張るとするか!)
今日の予選を通じて、固有の能力に頼らなくてもししょー譲りの武術だけで何とか対抗出来るとわかったことは晃にとって大きな収穫だった。
必要なタイミングで仲間から絶妙なサポートが来るのも頼もしい。
そのおかげで晃たちは心置きなく先陣で敵とぶつかり合うことができたのだ。
(このチームの実力は、思っていた以上に……高い!)
あの小夜子が自信満々なのも頷ける気がした。
次にししょー会う時には、四天王杯横浜予選を勝ち抜き、そして本戦に出場して優勝するというでっかいお土産を持って大いに驚かせてやることにしよう。
――そう晃は固く心に誓った。
◆◆◆
決勝戦の朝、起きるとすぐにカーテンを開けた晃は、窓の向こうに広がっているその清々しい青天に思わず頬を緩めた。
四天王杯は学生行事とはいえ、その基本は軍事行動だ。雨天決行どころか台風が来たって中止にはならない。
大会本部や観戦席は屋内にあるから観る者にとっては関係ない話だろうが、実際に出場する方の身にすれば、天気は良いに越したことはないのである。
素早く着替えて、寮の食堂に行って朝食を摂る。
カウンターで注文の品を受け取ると、食堂のおばちゃんが頼みもしないのに朝の定食にカツを追加してくれていた。その何気ない気遣いに思わずホロリとくる。
お礼を言って受け取ると、綺麗に完食した。
根拠はないがいつも以上に頑張れそうな気がした。おばちゃんに感謝だ。
食事が済んだらいよいよ出陣である。
会場へはみんなと学園でいったん待ち合わせして、一緒に決勝戦の行われる川崎へと電車で向かうことになっている。
湊と地味咲さんだけは別行動だが、車椅子に乗っている湊の事情を考えると、電車よりも乗用車で移動したほうが楽であろうことは想像に難くない。
会場までの道のりはみんな和気あいあいとして、とてもこれから他校と戦いに行くという雰囲気ではなかった。
決勝戦に進出したチームの中で唯一全員が無傷だという圧倒的なアドバンテージがあること、チームの中に去年の優勝メンバーがいるという心強さがあること、そしてなにより階位騎士にしてチームの圧倒的な精神的支柱である小夜子が後ろでどっしりと構えてくれているという安心感が、みんなの緊張をほどよく抑えてくれていたのだろう。
唯一乃乃乃たちがメンバーに引き込んだ真田志保子だけは硬い表情をしているようだったが、彼女がどちらかといったら引っ込み思案な性格であることを考えれば無理もないことだった。
いよいよ会場に着くと、応援に駆けつけてくれていたクラスメイトたちから次々と激励が飛んでくる。
貴族クラスであるA~Fクラスの生徒の姿もかなりの数見かけるが、それは大部分が晃たちの応援ではなく横浜からもう一組決勝に残った横浜Aチーム、すなわち敏也のいるチームの応援の為だろう。
とは言っても、会長のことを個人的に応援している者は案外多いらしく、彼女は「頑張ってください!」と何度も声をかけられてはその都度にこやかに手を振り返していた。
「あっ、お父さんだ!」
いきなり声を上げて手を振りだした千春の視線を目で追うと、仕立ての良さそうなスーツをパリっと着こなした、いかにも紳士然とした穏やかそうな男性がこちらに向かって歩いてくるところだった。
乃乃乃からの情報だと、千春の父親はあの四橋に務めるエリート社員だという話だったが、なるほど、それも十分に頷ける。
その男性のわずか後方に上品そうな女性が控えている。おそらく彼女が千春の母親なのだろう。
身長が高めな千春と違ってその女性は小柄な麻耶と同じくらいの身長しかないが、クリーム色の清楚なデザインのスーツでも隠しきれないそのボリュームたっぷりの胸元に、娘と共通したDNAの片鱗を感じさせている。
「はじめまして。娘がいつもお世話になっています」
両親に丁寧な挨拶をされて慌てて晃たちも挨拶を返した。
「おじさんおばさん、こんにちは!」
千春と幼なじみなのだから当然面識があるのだろう。千春の父は静江に向かって小さく手を振ると、
「こんにちは。今日はみんなの活躍を楽しみにしてるよ。さっき静江ちゃんのお父さんたちとここに一緒に来たところなんだけど、みんなに会う前に観戦用の飲み物を買うといっていたから間もなく二人ともこっちにやって来るんじゃないかな」
穏やかな口調でそう説明してくれた。
その後は同じく面識があるのだろう椎名麻耶と永沢紀子が彼等と何やら小声で話し込んでいたが、緊張しているからだろうか、先ほどの静江と違って二人とも真剣な表情だった。
今からそんな調子で大丈夫なんだろうかと晃が心配していたところで、もう一組の父母が姿を現した。
キャリアウーマン風の意思の強そうな瞳が印象的な色黒の女性と、彼女とはうって変わって人畜無害そうなややメタボ気味の男性だった。
何となく分かる。この二人は静江の両親だ。
上品で物静かな千春の両親とは対称的に、静江の母親は江戸っ子という言葉がぴったりくるほどちゃきちゃきした人で、晃の前にツカツカと歩み寄ってくると、「がんばんなよ!」と力一杯背中を叩かれた。
予想以上に手厚い激励だったが、その後は世間話を交えて無事挨拶を終えると、晃たちは彼女らと別れてそのまま選手控室に入った。
男である晃と副会長の佐々木春樹は別に用意された更衣室で戦闘服に着替え、他のメンバーたちと合流する。
「みんな……」
小夜子は晃たちが合流して全員(教師二人は除く)が揃ったところで、改まったように話をきりだした。
「私の我侭に付き合ってくれてありがとう」
言うと彼女は深々と頭を下げる。
「これから最後の戦いに挑む訳だけど、その前に心に刻んで欲しいことがあるの」
一度言葉を切って、彼女は静かに目を閉じた。
「私のこのチームは最高のチームよ。お世辞でも慰めでもなく、本当に史上最強のチーム。学生でこんなメンバーが揃うことは、今年と来年を除けばおそらく未来永劫ないと断言できる。だから……」
彼女はゆっくり目を開くと、晃たちの顔を一人一人愛おしむように見つめた。
「だから、今日これから何があっても自分と仲間を信じて戦い抜いて欲しいの。みんななら例えどんな相手でもきっと勝てるから。だから……どんな時も希望を捨てないで!」
晃たちは小夜子の言葉に無言で頷いた。
ここまで来て弱気になるような者はこの中には一人もいない。
勝利をほぼ確定させた戦いの前にしては小夜子の物言いが妙に慎重だなぁと晃は思ったが、出陣する前にみんなの不安を払っておきたいのかなと考えて、この時はあまりそのことを気にしていなかった。
彼女がどうしてこんなことを言ったのか、そしてこの言葉の本当の意味……それを晃たちが知るのに、この時からそれほど長い時間は必要としなかった。
◆◆◆
『…………相模魔術仕官学園Cチーム、野々宮孝子さん』
「はいっ!」
『……厚木魔術仕官学園Aチーム、菅原恵子さん』
「はい!」
ウグイス嬢に名前を呼ばれると、選手は観客たちの歓声と拍手を浴びながら一人ずつ中央のステージに上がっていく。
その姿は選手の真上に設置されてある超巨大ディスプレイ画面に大映しになっている。
個人戦の会場にもなっていたこのドーム式スタジアム――と言っても旧東京ドームが丸ごと三つスッポリ入る巨大なものだが――は四天王杯横浜予選を見に来た人たちの観戦場になっていて、観客は会場中央に天井から吊り下げられているメインの八面式立体大型画面と、観戦席後方に設置されている数々のサブ画面、そして戦闘フィールドのあちこちに設置してあるカメラの映像を任意に切り替えて見ることができる携帯式タブレットを片手に選手たちを応援することになっている。
一キロ四方という広大なフィールドを誇る四天王杯団体戦は、個人戦や他の普通のスポーツなどのように俯瞰した視点で観戦するということが不可能なためだ。
無論この画像はテレビ局を通じて帝国中にも放映されている。
四天王杯では、出場する選手はまずここで観客に紹介されてからすぐ隣にある競技場へと移ることになっている。
ケガ人が続出するため、競技が終了してからでは紹介できない選手が出てきてしまうからだ。
とは言っても、参加する全ての選手が揃うのは初戦の時だけだ。
大会側が用意した優秀な回復能力者の治療を受けてしまうと即リタイア扱いになってしまい、仮に元通り傷が癒えたとしてもその後の試合への戦列復帰は一切認められないためだ。
登録された十五人以外の選手の補充も認められていないため、チームメイトがケガで離脱してしまうと、残った人数で決勝を戦わなければいけなくなってしまう。
そのため、例年決勝に残るチームのほとんどが欠員やケガ人を抱えたまま戦闘に臨むことになる。
そういう意味では、全員がケガ一つなく決勝に挑める晃たちは例外中の例外なのだ。
川崎チームの最後の一人が紹介されて、これで壇上には、おそらく特例により控え室でまだ眠っているだろう湊先生とそのおつきの地味咲さんを除いた四チーム全ての選手が出揃ったことになる。
後は大会委員長を務める川崎魔術士官学園の校長の挨拶があって、選手はそれぞれの本陣へと移動していくことになる。
――そのはずだった。
「えっ?」
会場がにわかにざわつきだした。
壇上に現れたのが、でっぷり太ったバーコードハゲで有名な川崎の校長ではなく、見た目二十歳そこそこの赤いツンツン頭の青年だったからだ。
予期せぬハプニングではあったが、会場が必要以上に混乱にみまわれることはなかった。帝国に住んでいる人間でその突然の乱入者の名前を知らない者はいなかったからだ。そう、彼の名前を知らない者などいるはずがない……。
青年は周囲の疑問をよそにツカツカと迷いのない足どりで壇上に上がると、演壇の上にあるマイクを握ってスイッチを入れた。
キィ――ンと甲高いハウリング音が響き渡り、会場中が一斉に静まり返る。
「やあ、みなさんこんにちは。俺のことはもうみなさんご存知かとは思うが、一応自己紹介しておこう。円卓第5位、『剣聖』皆本清十郎だ」
そこで会場が再びどよめいた。
清十郎が『剣聖』を名乗っているという噂はあったものの、公式の場でそれを宣言するのはこれが初めてだったからである。
清十郎はサッと右手を上げて会場を静まらせた。
「さて、今日俺がどうしてこんな場所に来たのかというと……」
上げたままの右手で彼がパチンと指を鳴らすと、会場全ての出入口から武装をした兵士たちが次々となだれ込んでくる。
「……この国の全てを手に入れるためだ!……というわけで、諸君。この場を借りて改めて挨拶をしよう。俺がこの国の新しい皇帝、皆本清十郎だ!」
厳かな口調で、彼は高らかにそう宣言した。
お待たせしました。次章からいよいよ本格的な戦闘シーンが始まります。




