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「扉」




……



 ぼんやりと意識が戻った。


 ここはどこだろう。視界もぼやけてよくわからない。何度も瞬きをして目を慣らしていくと、だんだんはっきりと見えるようになってきた。一人女の人が僕が寝ているすぐ近くで何かをしている。髪の色も違うし、母さんではない。着ている服は…… 薄いピンク? 室内なのに服と同色の帽子を被っている。

 自分の置かれている状況がわからないとやっぱり不安だ。力ない身体を何とか起こそうとすると全身に激痛が走る。動くことすらままならない。思わず苦痛の声がもれた。

 僕が意識を取り戻したことに気付いて、女性が僕の名前を呼ぶ。はい、とはっきり答えることもできず、かすれた声が喉から漏れる。だがそれで十分だったようで、「先生を呼んできますね」、とだけ言って急ぎ足で出て行った。


 辛うじて動かせる目と首を必死で動かして身の回りを確認する。僕が寝ているベッドには柵がつけられていた。僕の体の上にはきれいな白いシーツがかけられ、そこから出された僕の腕には透明なチューブがつながっている。その先には金属のフックが付いた棒に掛けられた液体の入った柔らかい袋がある。穏やかなペースでポタポタとしずくが落ちていく。そしてさっき出て行った女性の姿……。 ここは病院、のようだ。



 さっきの女性はやはり看護婦さんで、彼女に呼ばれてきた医師が僕の意識がちゃんとあることを確認して、僕に状況を説明してくれた。

 車にはねられ意識不明の重体になった僕は、僕がはねられたその音に気づいた住民が救急車を呼んでくれたことで病院に搬送され、いろいろな治療を受け、なんとか回復したのだという。救急車の中にいた時、呼吸が止まりかけたり心拍も微弱だったりと、状態として一番危なかったらしい。

 病院についてからも油断できず、頭蓋骨は骨折していなかったものの脳出血があって、その血を抜く緊急手術をしたそうだ。肋骨も折れていた。今も息をすると響くような痛みがある。息をするのもちょっと我慢したくなる。内臓もやはりひどく痛めていて、手術によって破裂していた部分を縫合したとのことだった。


 あの時感じたとおり、本当に死と隣り合わせの状態だ。


 左足も骨折していたが運良く程度が軽く、ギプス程度で十分治療できそうだと言うことだった。



……これだけのことがあって運の良かったのが足の骨折って……

 直接じゃないけど、死んでいない方が不思議って言われているようなものだ。改めてぞっとする。


 しばらく時間が経って、バタバタとあわてて病室に駆け込んできた人がいる。母だ。わんわん泣いている。


「ごめんなさい」


 声に出さなかったが、母の泣きすがる姿を見て自然に胸の中に湧く。こうなったのは僕自身のせいではないのに。母の話によると五日間も僕は意識不明だったそうだ。痛々しい僕の姿を見て、途中何度もうダメかもしれないと思ったことか、と涙を拭い、青い目を細めながら言われた。夕方を過ぎ、日も落ちたころ父が見舞いに来た。父も本当に安心した、というような表情を浮かべていた。



 ああ、やっぱり死ななくて良かった。

 これからは心を入れ替えてがんばって生きることにしよう。






 約一ヶ月入院し、無事に退院した。久しぶりに行った大学。何にも変わらない。僕がいようといなかろうと何も変わらない。そんなもんだろう。変わったことと言えば僕の状態くらいだ。ギプスはまだ外せないので着けたまま、松葉杖の生活。それと、


「おあ?! 何だよ裕也! ファッションのつもりか? 似合わねぇな、はははは!」


 失礼な。似合う似合わないじゃない。こうしておかないとヘンなのだ。

 頭の包帯は取られた。だけど手術の傷だけでなく、無念な事実がそこには隠されていた。気に入っていた髪が手術のために剃られてすべて無くなってしまったのだ。ちょっとは伸びているのだがまばらだし、何か寒いし、違和感がありまくりなので髪が生えそろうまで帽子を被ることにした。父も母もそれを勧めた。言われるまでもない。

 だけど、授業中にも被っていたら一人の先生に注意された。しかたないので取ったら、その先生も何だか悪いことをした、そんな顔をした。それ以来、被っていても特に注意されることはなかった。


 時々病院に通い検査をしてもらいながら、いつもの暮らしを続けていった。事故後の後遺症もなく順調に回復しているようだった。以前よりもずっと前向きになったためか、骨折の回復も良好で結構早くギプスも外すことができるようになった。ずっと動かすことの出来なかった左足はすっかり固まってしまっていて、思うように動かすことが出来るようになるまで時間がかかりそうだった。もうしばらく松葉杖に頼ろう。




 そうだ、変わったのはそれだけではない。今までためらっていた「働く」ということ。せっかく拾った命なんだから少しは今までと違った考え方もしてみよう。


……まだ思うようにならない、こんな姿だが。だが少しは良くなってきているそうだが、ニュースでもよく言っているようにまだまだ世知辛い世の中で、今までダラダラ暮らして、資格も何も無い僕がそうそう簡単に採用されるはずも無い。採用通知は一社としてこない。まあまだ卒業するまで先が長いし、いつかヒットするまでめげずに続けていけば良いだろう。

 そのうち髪も生えそろい、以前よりもまだまだ短いがみっともないというほどでもない。帽子付きの生活からおさらばだ。








……


……少しだけ気にかかることがあった。僕はどちらかというと日本人寄りの見た目ではあるが、髪は母譲りで少しだけ金色が入っている。その髪色を僕は気に入っていた。しかし剃られてから少しずつ伸びてきたそれは、自分の知っている色をしてはいなかった。





 黒い。




 鏡に映る僕の姿は、あの夜遭遇したもう一人の僕そのものだった。

 あの夜の出来事は悪い酔い方をしたせいで見た夢、幻覚に違いないと信じていた。実際あれ以来もう一人の僕姿も声も、一切見聞きしていない。だが、鏡に映る僕をみると、とても夢とは思えないリアルさを感じざるを得なかった。


 だが、胸には傷がない。

 入院中に病室着を脱いで自分の体を見た時、腹にはいくつもの手術痕があったが、胸には痣はあれども縫ったような形跡は無かった。先生に尋ねたが刺し傷はどこにも無かったと言われた。


……やはりアレは夢だったのだろうか。





 冬のある日。


 その日はまた就職活動のために会社訪問をして帰る途中だった。もう左足も十分に動かせる。ちょっと遅くなって電車に乗ったのはすっかり日も暮れたころだった。その時僕は乗車口のあたりに立っていた。

 当たり前だが、電車の窓には僕以外にもたくさんの乗客の姿が映っていた。ちょっと後ろを見て、また目線を窓に戻すと、違和感があった。違和感はあったが、それが何かすぐには理解できなかった。


「ヤだな、まるであの日みたいじゃないか……」


 そんな不安が思わず口に出る。また後ろを見て、また窓を見た。




……気がついた。

 足りないんだ。窓に映っている人間の数が……






 鏡に映っていない人は、見た目は丈夫そうでまだ働き盛りな、ちょっと頭の薄くなった会社員風の男性だった。呼吸することも忘れるような、えもいわれぬ恐怖。しかし止せばいいのに変に好奇心が湧いてしまい、その男性が降りた駅で僕も降り、こっそりと彼の後を後をつけてしまった。

 彼は特に変哲もなく、大勢の群集とともに駅を後にした。そんなに遠くないのか徒歩で帰路につく。だんだん人通りも少なくなり、街灯だけが頼りの暗くて寂しい路地になっていった。場所が違いこそすれ、あの日のままだ。

 ところが何か起こることもなく、そのまま僕はその男性が住んでいると思われる一戸建てまでついて行けてしまった。家族は出かけているのか、電気もついていない。その家に男性は入っていった。男性が入っていってはじめて電気がついた。



……


 あの男性の姿が窓に映っていなかったのは見間違いなどではない。しかし僕が感じた恐怖も好奇心も気のせいだった、と半分がっかりしながらその場を後にしようとした、その時だった。


「な、なつこ?! 一体どうし うっ!」


 入っていった男性のものと思われる声と、何かをひっくり返した音が聞こえた。なんだ、やっぱり家の中に家族が居たんだ、と初めは平然としていた。だがよくよく考えてみる。男性のあわてたような声の様子と、それに続いた音。


 そして、「一体どうした」という言葉。



……ただ事ではない。思わずその一戸建ての庭に入り、外から今さっき電気がついた部屋を覗くと、女性が赤黒い液体の中に突っ伏しているのと、入っていった男性がシャツの背中に赤い跡をつけ、テーブルをひっくり返して倒れているのが見えた。玄関に走る。鍵はかかっていない。大慌てで中に入っていって男性を担ぎ起こした。その時遠くの部屋から誰かが外に出て行った音がした。きっとこんなことをした犯人だろう。僕が入ってきたことで慌てる感じがなかった。追いかけようと思えば追いかけられそうだった。


 だけど、追いかける余裕などなかった。傷口を押さえるが血はまったく止まらず、シャツの赤い染みはどんどん広がっていく。近くにあったタオルも使っていたがそんなものでは治まらず、僕の手もまとわりつく粘度の高い液体で染まっていく。呼吸も非常に浅くて荒い。目が虚ろになっていく。何か言おうとしているが何も聞き取れないし、何と言っているのか理解することもできなかった。


 僕ではどうすることも出来ず、その男性は間もなく息を引き取った。男性の妻と思われる、倒れていた女性の手首を取り、脈をみたがやはり止まっていた。



 為す術なく、僕はただ警察と救急車を呼ぶことしか出来なかった。受話器を置いて、本当なら見るのもいやなのに、二人が倒れている赤黒い部屋に戻る。



……



 そこから先の自分の行動、僕は意識的には行っていない。初めからこうするのが当然と知っていたかのような行動だった。


 身体の正面で軽く掴むように握った右手に左手を添えると、何か棒のようなものが現れた。それをそのまま右手で握り、左手から引き抜くかのように両腕を広げていく。するとそこには何もなかったはずなのに、柄が金色で長く、巨大な白い刃を持った大鎌が現れた。




 手品のように、何か悪い夢でも見ているかのように。



 重さを感じない。本当にそこにあるのか実感が湧かない。だが確かに目に映っている。

 僕はそれを手にし、くるくると頭の上で鎌を回転させ、握りなおした。


「やめろ!」


 自分の行いに対して叫ぶ。だが僕はそのまま男性に振り下ろした。大鎌は男性を貫き、深々と床にまで突き刺さった。……様に見えた。僕は呆然としていた。しばらく突き刺したままにし十分時間が経った後で鎌を引き抜くと、その刃は金色になっていた。再び鎌を回転させると再び刃が白くなった。あっけにとられたまま、次は彼の妻に振り下ろした。引き抜くと鎌の刃はさっきと同じく、だがさっきよりもより濃い金色になっていた。


 そして頭の上でまた金色の刃をくるくると回す。勢いよく僕の正面で柄尻を床に突き立て手を放すと、鎌が勝手に浮き上がり、軸回転し始めた。切っ先が僕から離れるように正面を向いた。そのまま僕は身体の正面でパンと音を立てて両手を合わせ、その後何もないところをこじ開けるように両腕を開いた。すると目の前にうっすらと何かが現れ、だんだんとその姿を濃くしていった。





 それは巨大な扉だった。荘厳な、見る者を圧倒する扉だった。




 扉が完全に現れると宙に浮いた鎌が勢いよく倒れこみ、扉を切り開いた。切り開いた鎌の刃から光が溢れ、その光の粒はすべてその扉の中に吸い込まれていく。粒のすべてが中に入っていくと、再び白い刃となった大鎌はまたしても勝手に起き上がった。鎌が起き上がるとともに重そうな扉は閉じ、再びうっすらとなり姿を消した。僕は再び鎌を手に取り、取り出したときとは逆の手順でそれを消した。






 すべてを見終わったあとも、僕はただ呆然としているだけだった。


 二人の身体に深々と巨大な凶器を突き刺したはずなのに、鎌による外傷は残っていなかった。






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