「暗雲」
自分の部屋のベッドの上。今日は父に薦められた、父の知り合いの会社に就職活動へ行ってきた。さすがにこのまま無職の道へ、と言うのは社会的に残念なので、藁にも縋る気持ちで話を受けたのだ。
結果としては、今までの中で一番感触が良かった。一番嬉しかったのは、今までどこからも色よい返事をもらえていない事が不思議だ、と言っていただけたことだった。父の知り合いと言うことだからお世辞や社交辞令的な意味合いもあるのだろうけれど、だとしても労ってくださったその一言は僕の心にじんと染みた。不意な業績悪化などがもしあるようなら取り消しになる可能性はあるけれど、来年度四月からの採用を前向きに考えてくださるとの事だった。
なんてラッキーなんだ! 去年から続きに続いた災難の穴埋めがやっと来た! 小さな会社だから職務が細分化されているわけではなく、社員一人一人がトータルに仕事をこなさなくてはいけないと言う点は新人にとって大変な印象を受けたが、もしチャンスをいただけるのだったらがんばってみたい。降って湧いたこの幸運、何としても生かしていかないと!
こんな時期に急な就職が決まるような企業はどうせブラックに決まっている。そんな声がブラウザの奥から聞こえてきますが、徹底的に無視の方向です。やってみないと分からない。やっていく中で自分のできる事できない事を理解して、できる事を強みにするしかない。それはもうこの一年でイヤと言うほど学びました。って言うか今が十分ブラックと言うよりダークなんで。
でもやっぱり問題は今の仕事とどう兼ね合わせるかと言う事。手放しに喜べないんだよなぁ……。しばらくぐるぐると考えていたが、やっぱり答えは出ないまま。大きくため息をついて思考を止めて本棚の漫画に手を伸ばした。考えるよりも実際にやってみないと分からない。僕は経験に学ぶ愚者で良いです。そもそも僕のような前例が無いんだから。
「裕也、話がある。実にまずい」
転がって読み始めて間もなくYOUが語りかけてきた。またシェイドが出たのだろうか。丁度一話読み終わったあたりだ。さわやかな田舎風景に不釣合いな超科学と、ゲームで見るような魔法を思わせるような技術と巨大機兵が入り乱れる戦記調の物語。何度も繰り返し読んできているからほとんどが頭の中に入ってしまっているけれど、お気に入りの物語だからできるだけその世界に浸らせてほしい。
だけど仕方ない。YOUの話には必ず重要な何かがある。ぱたんと閉じて問いかけた。姿勢は寝転がったままだ。
「何がまずいって言うんだ?」
自分の部屋でYOUに話しかける時、僕はあえて声を出して聞くことにしている。優奈が起きている時にYOUと会話していたら彼女に不思議そうな顔をされた事があった。なぜそんな風にしているのか説明すると二、三度頷いていたので納得してくれた様子だった。YOUと念話のようにしていると、それが自分の思考なのか彼の言葉なのか分からなくなって頭が混乱してきてしまうのだ。僕とYOUの声が同じだと言う事に対して、不便ですね、と言ったきり宙に座った状態で僕らのやり取りを見ていた優奈は、じきに眠りについてしまった。他人の電話を聞いているようなものだから退屈してしまったのかもしれない。そんな事を思い出していたらYOUが、しっかり話を聞け、と諭してきた。すみません。
「最近の、不可解なシェイドの出現の件だ。以前お前はある種のブレイズが関わっているのでは、と言っていたな。だが違う。ブレイズの存在は露ほども感じなかった。ただ、この一帯には違和感がある」
僕自身が忘れていたような事を覚えていただけでなく、実際にずっと探索し続けていたと言うのか? やっぱりYOUはすごい死神だ。そんな彼が「まずい」と明言した。近頃はシェイドの出現を知らされたとしても比較的落ち着いて聞けるようになった僕でも、それとは次元を異にする内容に対して寝転がって聴いていられない。姿勢を正し、彼は目の前にいないが直接相対しているつもりで話を聞く。
「力をつけるまで発見されなかったシェイドと、その領域に入る時に感じた膜。あれは結界だ。シェイドの魂の波長をある程度まで完全に遮断する事ができる程の物。そこにシェイドが居る、またはシェイドに成る者が居ると知っている者が存在しなくては在り得ない物だ」
「もしかしてそう言った死を意図的に作っている、と言えそうかい?」
「察しが良いな。十分にありうる。いや、むしろ俺はそう断定している」
「じゃあ、一体誰が……」
「人間社会にシェイドやブレイズの存在を知っている者、あるいは感じ取れる能力のある者は少なからずいるだろうが、害となる存在を保護する意味がわからぬ。だがシェイドの存在を常時感知し、かつその予兆を見逃さない者は確かにこの世界に古くから在る。そして先日の傀儡。もう分かるな」
無言になるしかない。始めにYOUが言った通り、確かにこれは非常にまずい事態だ。予想したくない解答は、僕の喉に引っかかったまま出てくることは無かった。この無言こそが僕の答え。それをYOUも察してくれている。いいか、と前置きをして彼が僕の言葉を繋いだ。
「敵は死神だ。本来死神はある一定の範囲内に一人しかいない。その地域の死神がいなくなれば別の死神がそこに来る。そうやって均衡を保っている。
だがこの辺りには俺達の他、もう一人死神がいる。非常に巧妙に隠しているが、強い死神の力を行使する者が確実にいる。
そいつがお前の存在に気づいていないはずはない。普通の死神ならば同類がいる地域からはすぐに出て行く。それでもあえて気配を消しこの地域にいるということは何か目的があり、それを咎め、抑えようとする存在が現れたとしても見つからない自信、見つかっても抵抗し逃れる自信があるほどの力を持つ強大な死神だ。
気休めにしかならぬが、気をつけろ。シェイドなどとはわけが違う。争いになったとしたら逃げろ。俺にレクイエムを返すまで、関わってはならぬ」
争いになったら逃げろ? 勿論だ。強い力を持った本物の死神と僕のようなにわか死神が争った時の結果なんて、目を瞑っていたって分かる。しかもこの辺りに息を潜めている者の持つ意思は明らかな悪意。もともとシェイドのような脅威を抑えるための存在がその力を悪意を持って振るおうものならば、シェイドよりも始末に負えない。
僕は自分の事と、使命の事で精一杯だ。確かにこの死神の存在は許されがたい。だけどこんな厄介事にまで首を突っ込めばどうなるのか。つぅ、と冷や汗が首筋を伝うような感覚がする。はじめは意気込んでいた。こんな事をしている者の正体が一体何なのかと身の程を知らない興味を持ち、そしてあわよくばそれを止めるなんて考えは、真相を知った今では改めなくてはいけない。
だけどもしも偶然にも出会うような事があったら……