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「胎動」


 この季節はうつを患う人が多くなると言う。無理もない。ただで寒く活動したくなくなるだけでなく、日光を浴びる事が出来る時間も短くなるのだから。気分が晴れずに閉じこもる時間が延長すれば、次第に緩やかに心を腐らせてしまうのも仕方ないと言えるだろう。


 そのせいだ。そのせいで僕の気持ちも出られない迷路に迷い込んでしまったが如くぐるぐると回っていて、淀んだ池沼のように投げ込まれた石が生み出した波紋は消えることなく、そして投げ込まれた石がぶつかって巻き上げられた底の泥は澄んでいたはずの水を濁らせ、その濁りはいつまでも漂い続け見通しを悪くしているのに違いない。

 焦ってももう僕にはどうする事もできない。手の付けられない現実を受け入れるしか、ない。



 この時期まで…… 就職先が決まりませんでした……。

 ああ、両親に顔向けできないよ……。ニート予備軍なんてしてるんじゃなかった……。


 一番恐れていた就職浪人するしかない残念すぎるこの現実のおかげで、むしろ吹っ切れた感がある。気合を入れてまずは仕事を完成させよう。だけど鏡を往来の中で覗きながら死の運命にある人を探しているなんて、正直趣味が悪い。YOU達死神のような感覚がほしいよ。僕が鏡を覗いて何をしているのかなんて誰にも分からないはずだけれども、出来れば違う方法を考えたいところだ。ナルシスト、と思われる程度だったらかわいいものだと最近思えるようになってきたが、通報するべきいかがわしい輩だと誤解を生む可能性がある事に最近気付いた。YOU達死神のような感覚が是非欲しい。


……だけど周囲に起きる死をのべつ幕なしに探知する能力って、多分人間の精神では耐えられない。これはこれで仕方ない、いやむしろ適切なのだろう。仕方ないからこれでやっていくしかない。必ず持つ手は腰より下に下さないように。これは忘れてはいけない。


 さて、喜ばしくないけれど次の仕事を見つけた。行く事にしよう。








……



「……悲しいです」


 枝を見上げて優奈がつぶやく。僕は無言でその枝の真下に置かれた封書を手に取った。



遺書



 典型的。履物は揃えて置かれていて、それとは対照的に無造作に転がされた数個の木箱。それらを見下ろす一人の男性。悲しむ家族があってもおかしくない。だが、この人は選んだ。


「まだ…… まだ生きられたはずなのに……」


 その答えがこの封書の中にあるだろう。でもそれを知るのは僕であってはいけない。彼女もそれの封印を解くことを拒んだ。ならば僕はただ、彼が知らないこれから先にある苦痛を取り除くだけ。


 レクイエムを手に取り、腕を伸ばして男性の胸に刃を立てる。光が治まった後に扉を呼び出し、向こうに送る。いつもと変わらない、いつもの仕事。


 以前僕はこう思った。


 突然託された死神と言う役割。それを果たすに値しないような自分にとって、義務に近いこの仕事は自分の心までさいなむ事に相違ない。だからそれを避けるために、役割を果たすための機械になろうと。


 だけど今はそうではない。


 僕は機械にならない。

 僕は、YOUとは違う死神になろう。

 YOUはもともと導くための存在。

 僕はもともとは導かれる存在。そんな僕が今YOUの立場にある。

 YOUではできなかったことを、僕はやろう。

 導かれるものだったからわかる、導かれるものの思い。

 向こうに逝く人の思いを心に残して、僕は見送る。


 いつかまた、と声をかけて。


 それを優奈は、じっと見ていた。扉が現れてからはそっちを凝視していた。時々僕の方を見て、そして扉の方に向き直る。


 僕の横目に入った優奈は、以前の子供達を見送った時に見せた苦痛から開放される魂を祝福するようなやさしい顔をしていなかった。悲しみ、迷っているかのようだった。だけどかつてあの貯水池で初めて見た、絶望の淵にいた時とは違う。人としての心を取り戻している事は明らか。もともとの彼女になりつつある事はとても喜ばしい兆候だ。だけど、どうしてだろう。彼女の今の表情を見ると、僕の心もとても苦しくなる。


 この人の魂も導いたしそろそろ帰ろうかと思っていたところで、僕達が来たのとは違う方角から音が立った。落ち葉を踏み分け、枯れ枝を折り散らす音が近付いてくる。人だろうか、それとも大きめの野生動物だろうか。音としては結構体重がありそうな物が立てているように聞こえる。この辺りで出没しうる生き物って言ったら何だろう? イノシシなんかがたまに出るらしいけれど……。一番嫌なのはやっぱり人間だ。そもそもこんなところに来るようなモノに遭遇したくない。立ち去ろうとしても見つかる可能性があるし、もしも追ってきたりしたら、こんな闇夜の林の中では逃げ切れたとしても僕が迷ってしまうだろう。相手に土地勘があるようだったら逃げ切れないだろうし、何より危険が大きい。優奈がいればそうそう危険は無いと思うが、僕の安全の為に彼女に力を振るわせるつもりは全くない。ゆっくりと音を立てないように後ろに下がり、木々の陰に隠れて身を低くして様子をうかがう事にしよう。……またかくれんぼだ。必要ないだろうに、優奈も僕の後ろにこっそりと隠れている。


 息を潜めてじっとしていると、音の主が姿を現した。スーツ姿の男性だ。目の前の遺体を見ても動揺する様子がない。想像していた一番嫌なパターンだ。見つからないように一層気配を消すことを意識しよう。すると現れた男性が笑い始めた。僕に全然気付いていないようだ。


「へ、へへへへ…… ざまみろ、糞が。負債も責任も重圧も全部全部背負って、ついに潰れやがった。いつもいつもいつもいつも邪魔だったお前がようやく死んでくれて嬉しいよ。追い込むまで苦労かけさせやがって…… もっと早く死ねよ!」


 何だ、この人。自殺した人と知り合いなのか? しかもその関係は極めて悪い物のようだ。さらには死に追いやった原因を作った相手だと言うのか。彼が自殺し僕が導いた直後に現れた事から、ずっとこの自殺者の事を監視していたとしか思えない。何なんだ、一体。僕が闇に紛れてずっと様子をうかがっている事に気付くことなく、ずっとなじり続けている。

 言いたいことを言い終えたのだろう。一つ大きく息をつき、溜まった唾を地に吐き捨て、口角を拭ってもう一度見上げた。他人事とは言え、極めて胸糞が悪くなる現場だ。死を選ばざるを得なくなった人にはそれ相応の想いがあり、それを汚し貶めるような事が許されるはずがない。止めたいが、感情に流されて行動してはいけない。もう少し様子を見てからの方がよさそうだ。


「……っと、そうだ」


 木にぶら下がったままの男を散々侮辱していた会社員風の男が、自分の袖の中から何かを抜き出した。どうやって袖の中にしまっていたのか分からないくらいにそれは長かった。それを両手に握り、吊り下げられた男の胸にめがけて勢いよく突き刺した。しかしその数秒後、終始浮かべていた目の前の死者に対する侮蔑に満ちた笑みが男から消えた。


「空っぽだ…… そんな馬鹿な! 死んだのはさっきだろ? 刺し方が悪いのか? くそっ」


 空? 何を言っているんだ? 会社員風の男は予想していなかった現実を前にして戸惑いを隠せていないようで、何度も何度も色々な方向から、角度を変えながら手にした物を遺体に突き刺した。どうもあれは剣のようだ。刀ではなく、西洋の剣のように見える。改めて見ても、明らかに袖から出せるような刃渡りをしていない。それにそんな物を一介の会社員が持ち歩くのもおかしい。何なんだ?


「違う…… 何だ? 何故だ? 何が違う? 美央さんがいないからか……?」



「みお……?」


 会社員風の男が口にした名前に優奈が反応した。今の「みお」と言う名前、以前も耳にした気がする。確か…… 誘拐に巻き込まれた時だ。主犯のショーコさんと呼ばれていた女の子の口から同じ名を聞いた。彼女はシェイドとなった彼女の犠牲者の手によって命を落としている。こいつに聞きたい事はいくつもある。だけどとてつもなく厄介な事に巻き込まれる可能性が高い。いくらなんでもこの男の言動は異常だ。シェイド以上に恐ろしいのは生きた人間の持つ狂気だ。この一年で僕は嫌と言う程知った。僕はもうすでに決めている。この件とは今これ以上関わらない。これ以上は危険だ。

 息を潜めて、宙吊りになっている遺体に対して暴行を働いている男が立ち去るのを待った。今度は剣を左肩に担ぎ右手で遺体の腹よりも下部を素手で殴っていた。かなり力を込めて殴っているのだろう。吊られた男性の体が結構大きく揺れて、ロープが太い枝を軋ませている音が静かな林の中に響き渡る。ぎしっ、ぎしっと、本来だったら微かな音のはずなのに、他に音が無いこの木々の間ではやけに大きく聞こえてきた。見る者の脳を困惑させるのに十分すぎる光景に吐き気がしてきた。

 この闇の中はっきりとは判断できないが、微かに届く月明かりに目を凝らして見ると、剣の刀身は黒ずんだ赤色をしている。まるで返り血をたっぷりと飲み込んだかのようで禍々しいなんて物ではない。それこそ汚らわしいと言うにふさわしかった。


「くそっ くそが! 死んでも役に立ちゃしねえ! せっかくの獲物だったのに……」


 その一言の直後、非常に大きな、鈍く爆ぜる音が立ち、その音に僕は反射的に身を竦めてしまった。同時に僕の目の前から剣を持っていた男が消えた。同じ光景を体験したことがある。後ろを見ると僕と一緒に身を潜めていた優奈が立ち上がり、二本ほど木をへし折ったうえで人を一人弾き飛ばした後に漂っていた彼女の長い羽衣を引き戻しているところだった。


「止めろ、殺すな! ダメだ優奈、もうそんな事をするな!」

「みおって、誰? まさか澤原美央……? まだ居たの? あの生き残りが……」


 宙に浮いた状態で緩やかに吹き飛ばした相手の方に近付いていく。駄目だ、僕の声が全く届いていない。そもそも僕やYOU以外に優奈の姿は見えないし声も聞こえない。そんな基本的な事すら今の彼女の頭の中からは消え失せてしまっているようだ。しかも「みお」に心当たりがある?

 剣を持っていた男性は優奈の羽衣に吹き飛ばされた後に一本の木に激突していて、すでに気を失っていた。優奈の完全な不意打ちに対して防御など間に合う訳も無く、剣は彼の傍らに一緒に転がっていた。さっきは手に握られていたために分からなかったが、柄は鈍い金色をしている。


……すべてが似ている。嘘だろ?


「間違いない、死神だ。まずいな、想像していた中で最悪の展開だ」

「死神? この男が死者を導き、シェイドを解放することを使命とする死神だって? そんな馬鹿な! YOU、おかしいだろ。こんな奴がYOUと同類なわけがない! ……だけど姿を見られてもいないから安心じゃないのか?」

「違う、これはただの傀儡だ。だが力は間違いなく死神の物。分け与えられていると言っていいだろう。しかし一体どうやっていると言うのだ……?」


 僕達が戸惑っている中、一人だけ怖いくらいに冷静な優奈が羽衣で倒れている男の首を絞め上げて吊り上げた。


「起きなさい、死なないように手加減したの。答えなさい、『みお』って、誰?」


 縊り上げられている男は息苦しさから目を覚まし、直後今の自分の置かれている状況に悲鳴を上げた。その途端に羽衣の絞める力が強くなる。質問の答え以外で声を発することすら許さないらしい。久しぶりに見た優奈の冷徹さに僕の肝も冷え切る心地がした。


「みお……? 何だお前…… 美央さんを知って」


 言い終わる前に地面に叩きつけた。優奈も完全に我を忘れているようで、僕が止める声も届かず、説得しようにも全く功を奏さない。このままだと本当に殺してしまう。くそっ、なんでこっちから彼女に触れることができないんだ!

 優奈に振り回されている男にしがみつき、これ以上優奈に攻撃をさせないようにメッセージを送る。この状態も目に入らないようだったら僕の命も無い。けれど幸い優奈は僕の存在に気付いて、振り回すのを止めた。絞めていた羽衣から解放し、地面に放り捨てた男は再び意識を失っていた。僕の声を聞き、殺すことは止めてくれたようだが、相当に頭に来ているのだろう。この男が刺突に使っていた剣に対して全力で羽衣を振り下ろした。刀身の横っ腹に思いっきり一撃を食らったその剣は見事に折れ、そして次の一撃で柄が打ち砕かれた。それと同時にビクンと男の体が跳ね上がり、目を見開き突然立ち上がった。立ち上がると僕達の事など全く意に介さないようにふらふらと歩き出し、その場から立ち去っていく。暗闇でよく見えていないのだろう。途中で一本の木にぶつかりしりもちを突いていた。へらへらと笑いながら、唾液を口の脇からこぼしながら歩みを進め、闇の中へと姿を消した。その異様な光景に、僕も優奈も言葉を失っていた。


「なるほど、精神に寄生させているわけだな。不完全ではあるが、興味深い」


 一人YOUだけが、この事態に対して考察を深め、何かの予兆を感じているようだった。




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