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「陽だまりに溶けて」


 異形がその大きな体躯を揺らしながら僕のすぐ横を通り過ぎる。僕が階段の影に身を潜めていたとは言え、気付いたような素振りは全く無い。くそ、本当に心臓に悪い。こんな緊張状態に晒されるのはいつになっても慣れる事が無い。向こうに捕まったらおそらく瞬時に僕はミイラにされてしまう。ゲームならむしろどれだけギリギリで隠れられるかとかに挑戦したりするけれど、本当に生死を賭けている状況では無いから楽しめるだけだ。息をすることにすら神経を使う現場に放り込まれる事を喜ぶような性格をしてはいない。

 だけど一つ分かった事がある。こんなに近くに居たと言うのに察知されなかったと言うことは視覚や聴覚を主として僕を捕捉している可能性が強い。嗅覚や、YOUのような未知の感覚で追跡しているのでは無さそうだ。緩慢な動きのまま廊下を徘徊する巨大な子供が十分離れたところで、僕は身を潜めていた階段の影から躍り出た。


「さあ、こっちだ!」


 あえて声をかけて身を晒す。あー、と呻きにも似た声を上げ、巨大な子供が振り向いて僕を確認した後、一歩踏み出した。それを確認して僕も引き続き鬼ごっこを始める。間違いない。音を聞き、目で見て確認している。と言うことは逃げ切れる可能性も高く、先手を打てば十分に勝機がある。だが油断はできない。今でこそその子の動きはゆっくりだが、実は見た目からは想像もつかないほどの動きが出来るかもしれないし、いつそれを変えるともわからない。想像もしない行動を取らないともいえない。背後に張る緊張感を緩めることはしない。


 階段を昇り、追ってくるシェイドを見ていた。このまま屋上に出られるのならそこに誘導するのも悪くない。巨大な子供が僕を見上げた。あー、と再び一声あげたと思ったらシェイドの髪がざわざわと動き、絡み合って何本もの蛇のようになって僕に向かってきた。僕だって手をこまねいて見ているだけの訳が無い。迫る蛇をレクイエムで切り落とす。だが次から次へと繰り出され、そしてその間もシェイドはゆっくりだが止まることなく階段を昇ってくる。足を止めていられない。僕に向かって直接伸びてくるだけでなく、壁伝いに登っていく黒い蛇が上階に先回りしていく。この階に一旦おりるしかない。

 じりじりと後退しながら応戦していくが、時間とともに僕に向かって伸びる黒い朽ち縄の本数は増える一方で始末に終えなくなっていく。この刃も柄も非常に大きなレクイエムには向いていない。思わず、くそっと悪態が口をついた。

 とうとう一本が僕の右腕に絡みついた。左手一本に持ち直して何とか切り落とし体勢を整えるが、一斉に襲いかかる黒い蛇は僕の四肢、胴に巻きついた。


 大変だ。もがくが解けそうにない。巨大な子供がゆっくりゆっくり近づいてくる。そして蛇を束ねた黒い網はじりじりと僕をシェイドのもとに引き寄せていく。レクイエムを床に突き立て、必死に抵抗する。そのレクイエムにも絡みついて引き寄せる力がさらに増す。絶体絶命、こらえきれない。だがもう少しで巨大な腕の届く範囲に入ると言ったところで僕を引き寄せる力が突然消え、僕はバランスを崩して床に仰向けに倒れてしまった。そんな僕の眼前にたなびく、輝く羽衣。


「遅れてごめんなさい。そのまま行ってください。そうすれば非常口と階段があります。後ろに回りこめるはず。ここは任せて」


 僕を捕まえていた黒い網を切り裂き、手前に突き出した左手に水の塊を浮かべ、巨大な子供をけん制する優奈がいた。全身に鎧を纏っていないが手甲と脛当てだけつけている。しりもちをついていた僕の方をちらっと見て、少し笑った。そしてすぐにきっ、とシェイドと向き合う。合流した強力な助っ人が切り開いてくれた状況を活かす。その為に僕はすぐに立ち上がって走り出した。


 このマンションに来るのは当然初めてだ。構造もわからない。だから今まで別々に動いていた。僕が囮になっている間に優奈がどうなっているのか調べる。僕と違って優奈は宙を舞い概観を把握できる。適材を適所に。言われた通りに非常階段を見つけ、重たい扉を押し開けて下の階に戻り、最初に上がった階段を目指す。下の階に下りるのと時を同じくして上の方から重たい音が響いてきた。このマンションを倒壊させてしまうほどめちゃくちゃにやり始める前に戻らないといけない。

 領域の中心の部屋の前を通り過ぎると変なものに気付いた。シェイドの足跡だろうか。何だかぬたぬたした質感の跡があった。僕が近付くとそこから小さな手が出てきた。……この一つ一つもあの子供たちなのだろう。時間がかかってしまうが残さず導いていく。大丈夫、優奈なら持ちこたえられる。

 そう言えば二度三度轟音が響いていたが、今はしない。この前の炎に包まれていたシェイドのように抑え込んでしまったのだろう。二手に分かれて挟み撃ちにすることもなかったな。



 本体から切り離されても広がったままになっている黒い蜘蛛の巣を切り裂きながら階段を昇って戻ってくると、予想していない状態になっていた。

 優奈が捕まっている。いや、少し違う。巨大な掌に包まれないよう必死に押し返している。凄まじい力だ。あの強大な力を持つ優奈ですら羽衣でやっと耐えていると言った感じで、彼女の顔には若干焦りが見えた。シェイドも優奈を抱きかかえることに必死になっていて、僕が後ろに来ていることにはまったく気付いていない。

 僕が戻ってきた事に気付いた優奈は黙って頷き、僕を促した。レクイエムを構えて駆け寄り、消火器のボックスを踏み台にして通路の手すりに乗り、レクイエムを振りかぶったままそこから跳躍した。真上から落下の勢いと共に貫き、決着だ。

 跳んだ瞬間、シェイドの脇腹から肋骨のようなものが現れ、僕を挟み込もうと伸びる。完全に虚を突かれた。とっさに右手を上に、さらに逆手に持ち替えて、下に向かって弧を描いてそれを捌いた。肋骨は僕を捕えることなくバラバラと廊下に転がり、そして空中で体制を崩した僕も当然着地に失敗して転がった。慌てて立ち上がるとよろめき、また後ろに転がってしまった。足を挫いて、加えて膝を強く打ったようだ。

 優奈にばかり意識を取られていたシェイドが彼女を離し、僕の方にゆっくり振り返る。そしてその大きな掌がゆったりと、だが確実に僕の頭上に伸びる。僕の頭を掴む直前で子供の右腕が急激に後方に引かれ、シェイドは半身を開いたような状態になった。腕の延長線上には優奈がいる。優奈の羽衣が腕に巻きつき動きを制していた。

 ところが優奈の力をもってしても抑えきれず、少しずつ少しずつシェイドの身体が僕の方に向き直る。ぎりぎりと音が聞こえそうで、羽衣かシェイド自身の腕が今にも引き千切れてしまいそうな綱引きが頭上で繰り広げられている。若干シェイドの方が優勢だ。信じられない。巨大な子供が前のめりになり、決着をつけに来た。左手を廊下に突き、一切の無駄な動きをせずにすべての力を右手に込めて全力で引く。シェイドの巨大で醜悪な頭部が僕の眼前に迫る。その場から動かずしりもちをついて見上げたままの僕にそのまましかかってきそうだ。


「今だ!」

「今です!」


 同時に響く。何のことか瞬時に理解し、先端を上に向けたレクイエムを、突き上げるように振り上げて心臓のあたりを貫いた。レクイエムからまばゆい光が放たれる。溢れる光を浴びてシェイドがばらばらなり、たくさんの子供達が一人一人包まれた光の玉となった。ひとつひとつ吸い込まれていく。


 光を浴び、レクイエムの奏でる歌の中で、子供達の顔は一人の例外なくとても明るく、温かだった。








……



 時間が流れ始め、帰路に着く。もうすでに日は傾き始めている。それにしてもびっくりした。一人じゃなくて、たくさんの魂が集まってできるシェイドがあるだなんて。


「スウォームと言う。ブレイズと同様、大変稀な存在だ。同様な境遇、波長を持った魂が集まり長い年月をかけ、あるいは偶然存在する力を持つ魂を核として、一つ一つが独立した状態ではなく融合し一塊として存在する。特別な力の無い魂達でもあのように集まることによって単体で存在するよりも当然力が強くなる。戦争や災害など犠牲者が大量に出たときに発生が増えるな。それでも希少だ。もともとそういった死者の魂はまとめて導かれていくのだ。力の強い死神のみに可能な仕事だがな」


 へぇ、まとめて導いてしまうのか。自在に出来たら便利だな。YOUはどうなんだろう。彼の今までの口ぶりからするとYOUは相当昔から存在している死神のはずだ。それに僕の「律」を変えてしまったり、街が丸ごと入ってしまう程の範囲でシェイドの発生を感知していたりと、現役の彼は強い存在であっただろうと簡単に想像できる。実際どうだったんだろう。自分の事を語る事がほとんどないから謎のままだ。いつか教えてくれると良いな。


 YOUの説明が一段落ついたところで、ちらっと後ろを見た。優奈はまだ起きている。


「それにしてもびっくりした。肝が冷えるってあのことだね。ホントに助かった。ありがとう」

「え…… 別にそんな」

「いやいや。今日ほど優奈が居てよかった! って思った瞬間はなかったかもしれない」

「あ、いえ。そんな、感謝してもらうつもりじゃ……」


 あ、照れてる。珍しい、と言うより変わったな、優奈。凍てついていた彼女の中に人間味が戻ってきているのは気のせいではない。不機嫌にさせたら一瞬で叩き殺されてしまいそうな初対面から大分印象が変わってきた。本来の彼女に戻ってくれる事が夢じゃなくなっていると感じる。自分の事じゃなくても嬉しくて、思わず軽口をきいてしまう。


「それにしても、初めて見たよ。優奈がピンチになってるなんてね。遅くなってごめん。でもどっちかって言うと、マンションを全壊させるくらいの事をやってるんじゃないかって事で心配してたんだぞ」

「さすがにそこまでは…… 住んでる人達だっていますし」

「えー? でも簡単だろ? 前の猿型と戦ってた時なんて街を滅茶苦茶に壊したんだし」

「あれは…… 裕也さんがいけないんじゃないですか! もっとしっかりやって下さいよ、一撃で決着を着けられるんですから」

「いやいや、今だってあれをどうやるのか分からないし、やれても倒れちゃうよ? 優奈の方が圧倒的に強いって。そんな強い優奈が力負けしてたんだから、今回の子は相当にヤバかったんだな」

「女の子に強い強い言わないでください」

「ははは。でもさ、単純なパワーで捻じ伏せるんじゃなくても屈服させちゃう事は出来たんじゃない? 前みたいに水の砲撃とかで。まさか捕まってるなんて思わなかったよ」

「え、だって……。裕也さんが、止めろって。だから……」

「え? そんな事言ったっけ」

「はい、私があの子達を壊そうとした時に」

「あ……」


 確かに待て、と言った。今までの優奈ならば自分に害をなそうとする者は誰であろうと破壊の対象だった。あの屋敷の主であった少女の姿をしたシェイドにすら冷酷な一撃を加えたように。きっと本来の力の使い方であれば、スウォームとなった子達を破壊することなど容易だったに違いない。

 だけど今日、彼女はそうしなかった。あえて抑え込むだけに徹し続けた。自分が窮地に立たされても。あの子達が僕に気を取られ彼女に背を向けた瞬間に、頭部や腕、そう言ったところを消し飛ばす事だってできたはずだ。なのに、しなかった。


「ごめん…… 僕が余計な事を言ったのか…… 一歩間違えば優奈が危なかったのに」

「良いんです。本当に万が一の時はどんな手を使っても自分を守ります。それに私達の争いを止められるのは裕也さん達だけなんですから。……信じてました」

「……ありがとう」


 まったく、相変わらず僕はどうしようもない。もう彼女は世界を呪うだけの存在ではない。それは毒霧によって火傷を負った僕を手当てしてくれた時から分かっていたはずじゃないか。不幸な運命を押し付けられ、こんな力を身に宿してしまってはいるけれど、その力を無闇に振るって世界に災厄をもたらすことが無いように考えることができる。今の彼女はまさしく祭られるべき水神様だ。


 そう言えば彼女の人らしい笑顔、初めて見たんじゃないだろうか。改めて思い出すとかわいかったな。ずっこけた情けない格好を見られて笑われたと思うと少し複雑な気持ちもするけれど、それでもまあ良いか。


……。


 もう一回笑ってもらえないかな。こんな全く脈絡も関連も無いタイミングで叶うわけがない。だけど彼女の方を見ないではいられなかった。振り向いた時に目が合った。何故今振り返ったのか、優奈も疑問に思ったのだろう。一瞬きょとんとしたが、すぐに少しだけ目を細めた。そして、口を開く。


「あの子達…… すごく嬉しそうでした」


……


 僕の時間が一瞬止まった。

 その一言を口にした時の彼女は、僕が今までに見てきた物の中で一番優しくて、



……何より温かかった。








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