「相剋」
第十章のはじまりです
今の季節、日が落ちるのも早く暗くなるのに幾ばくもかからない。ここは黄昏時の墓地。いかにも、な時間にいかにも、な場所だ。今僕の目の前には無数の鬼火が立ち、緩やかな速度で探し物をするかのように石の塔の間をさまよっている。木々のざわめきも無く、怖いほどの無音の世界。無機質で温度を感じることのない目の前の光景と相まって、ここは向こうの世界とこちらの世界の狭間であるのだと認識せざるを得なかった。
鬼火がゆっくりと近付いてくる。得体の知れない物には近寄らない、触れないのがこの場の鉄則だ。急な動きをしないように、そっと墓石に身を隠すようにして移動する。なるべく音を立てないように、就活の時以外はソールの柔らかい靴を選んで履くようにしている。脱げないように履き口が深くて紐で締められ、かつ走りにくくない物がいい。普段からの用心も大切だ。近付いてきた鬼火をやり過ごし、僕も探索を始めた。
鬼火の数は非常に多く、一体全部でいくつあるのか数える事もできない。しかも見た目では区別がつかない為、どれが本体なのか全く分からない。一番イヤなのはこの一個一個が別々の者で、すべてを導かなくては収集が付かないと言うケースだ。だがもしも実際そうだったら拒んでいたって仕方ない。また一つ僕の方にふわふわと寄ってきた。まずはこれを試しに導いてみよう。
僕に気付いたのか、急に速度を速めてふらつくことなく一直線に飛んできた。レクイエムの刃では狙いを外しかねない。柄尻で突いて落とすなりしてから対処しよう。鬼火の軌道を読み待ち構えた。いざ射程距離と言うところでぴたりと止まった。そして距離を保ったまま僕を中心にまたふわふわと飛び始める。気が付くと僕の周りにいる鬼火は一つではなく、三つ四つに増えていた。まだ墓石の間を飛び交う鬼火は無数にいる。今のうちに対処しておかないと厄介なことになる。一つの鬼火に狙いを絞り、一歩踏み込んで柄尻で突こうとした瞬間、その火が急激に速度を上げて僕の目の前に迫った。再びぴたりと止まり、ゆらゆらとその火を揺らしている。心拍の跳ね上がった僕の喉がごくりと鳴るのと同時に、その火の玉がくるりと回転した。思わず、うわっ、と声が出てしまった。
半分が崩れた歪んだ人の顔が僕を見つめている。凝視するわけでもなく、力なく見続けている。再び僕が生唾を飲み込むと、にたりと口角を歪めてあざ笑うかのようにげたげたと笑い始めた。その顔は醜悪と言うに相応しく、初めから崩れていたそれがさらにいびつになっていく。
腹の底を弄られるような感覚。たまらず僕が素手で払うと、途端に袖に火が付き一瞬で火だるまになった。吸い込む空気まで熱く、喉が焼ける。息をこらえなくてはいけないと考えても、肌を走る炎が与える痛みから逃れようと本能が酸素を求め、苦痛の輪廻が切れることがない。上着を脱ぎ少しでも猛火を払おうとするも、巧く脱ぐことすらできない。膝を突き、地面を転がりのた打ち回るが、一向に消えない。その間もずっと灼熱の空気が僕を中から焦がし続けた。転げまわったことで周りの枯草にも火が移り、最早この業火から逃れる事などできなくなっていた。限界を迎え、意識が遠のいていく。いよいよを覚悟していたところで、突然すべての苦痛が消え失せた。目の前には変わらず墓石が立ち並び、類焼していたはずの周辺は何事も無かったように枯草が茂っていた。
立ち上がって見渡すと、漂う火の玉が数を減らしていた。何が起きているのか、と感覚を尖らせて観察を続けていると数を減らしていた鬼火が分裂し、数を増し始めた。しかし数が増える度に次々に貫かれ弾けていく。何が起きているかも分からず、僕はその光景にあっけにとられていた。鬼火を貫く物の軌跡が辛うじて目に入ったのでそちらに顔を向けた。
宙に浮かぶ優奈がそこに居た。大きく広げた両腕の先の、華奢な指を大きく開いた手の平の前には人の頭くらいの大きさをした水球が浮かんでいる。そこから無数の何かが全方位に大量にばらまかれていた。おそらくあの霧のシェイドを抉った水の針を、一か所に集中させずに放っているのだろう。あの威力であったら墓石まで粉々になってしまいそうなのだが、鬼火に命中せずに着弾した優奈の弾はパシャンと弾けて周囲を濡らすだけだった。火の玉を打ち抜く程度の威力に調節してくれているようだ。周囲に多大で無差別な破壊を引き起こすシェイドと明らかに異なる優奈の行動に、僕の中でYOUが驚きの声を上げていた。
優奈の繰り出す弾幕が鬼火のすべてを打ち落とす勢いで激しさを増してくると、散り散りになっていた鬼火が一つの墓へと集まっていく。その後を追っていくと、逃げ込むように石塔の下、拝石の奥へと潜り込んでいった。その墓の傍らには一本の木が立っていて、その木から落ちてくる枯葉が積もっていた。長く手入れをされていないようで、雨を吸い風に晒され日に照らされ続けただろう塔婆はもはや朽ちる寸前で黒く変色し、書かれた梵字を読むこともできず苔が付いていた。
鬼火の本体が目覚める前に、逃げ込んだ拝石の下に向けてレクイエムを振り下ろす。たとえどんな理由があるにせよ親族が供養することが無くなった哀れむべき魂がここに居るとしても、死神はそれを置いておく事ができない。
拝石を貫き、その奥の四つ石に囲まれた納骨棺の底まで深々とたどり着いたはずのレクイエムからは何の光も放たれない。代わりに悲鳴が響き渡った。
さすがに今まで何度も経験してきたのだから、今のように臨戦意識を高めている状態であれば悲鳴の一つで怯むことは無い。しかしその悲鳴があまりに近いところから大音量で発せられたので、反射的に体を竦め強張らせてしまった。この状況下で動ける者は死神かシェイドだけだ。一瞬遅れてしまったものの地下へと刺し込んだレクイエムを引き抜き、悲鳴が聞こえた左方向へと薙ぐ。
手ごたえは無く、僕の刃が素通りした直後にごわっ、と何かがはためくような音がして、僕の顔を熱が撫でた。今度は錯覚じゃなくて本物の炎だった。髪がわずかに焦げた臭いが鼻腔を刺す。熱風を避けようとしたが、墓石が邪魔で行動範囲を制限されている。すぐさま反撃に転じることもできず、炎の追撃を受ける前に後退するしかなかった。少しだけ身をかわすことのできる空間に逃げ出し、再び攻撃のあった方を見る。そこには全身を紅蓮に包まれた人影があった。シェイドは絶命する直前の姿を現す。つまり、この人は生きたまま焼かれたと言う事。男性なのか女性なのかも、このシェイドの体を覆う火の勢いが強すぎて分からない。口と思われる部分から火を噴きだしながら呪いの言葉を紡いでいる。
アア…… 熱イ…… 熱イ…… アアアァァアアアァアッ熱イ!
出シテ、出シテ! ココカラ出シテ!
出セ、出セ、出セ出セ出セェェエエエエエエエ!
「もういい、そんな炎に包まれてずっと苦しまなくっていい。だから、僕のところに来るんだ!」
出セ、ココカラ出セェエエエ!
許スモノカ…… 殺スンダ、奴等ヲ必ズ…… ナノニ何故ココカラ、出ラレナイ!
「止めろ…… 君はもう…… 復讐なんてもう何にもならない。このままだとずっと苦しむのは、君だけだ」
五月蠅イ! 何ガ分カル!
貴様等モ同ジダ!
燃エロ、燃エロ!
スベテ燃エテ灰ニナレ!
イツマデ経ッテモ消エナイ コノ火ニ焼カレチマエ!
死ネ、死ネ! 死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ!
コノママ焼ケテ! 苦シミ果テテ死ニヤガレ!
あの時の霧のシェイド、廃屋敷の少女と同じだ。会話が成り立つほどに知性が戻っている。ここから出られないと言っていたから、このシェイドはブレイズではない。だけど十分に時間が経っている上に操るのは火炎で、危険性は半端ではない。距離を取ったところで無意味だ。僕には飛び道具は無く、相手の射程はこの領域内の全域と考えておくに越したことは無い。そして時間をかけるほどこの熱にジリジリと焼かれ、先に倒れるのは僕だろう。ならば炎に焼かれる前に近距離で一気に勝負をつけるのが一番だ。
正面きって対峙していた僕が意を決して一気に加速すると、正面の火の塊が右腕を下から上へ振り上げるように払った。火柱が僕に迫る。足を止めることなく僕はそれをすり抜けるようにかわして駆け抜けた。当然次の攻撃が来る。左腕からの火炎が放たれた瞬間、僕がそれを回避するよりも前にその業火は消し止められ、炎の固まりは一振りの羽衣に巻き取られて大地に引きずり倒されていた。喚き、罵るもその拘束が解けることは無い。羽衣の隙間から時折火炎が噴き出すが、ギリっと締め付け瞬時に押さえ込まれてしまう。
「さあ、早く……」
彼女に促されるまま、僕はレクイエムを振りかぶる。再びあっけにとられた意識を集中し、この領域の主の魂に追悼の意を込めて刃を振り下ろした。閃光が夕闇を払い、主とともに止められていたこの世界の時間が流れ出す。
相性が悪かった。たとえ業火を纏い力を蓄えたシェイドと言えど、すべてを飲み込む奔流を従えた優奈の敵にはまるでならなかった。僕だけだったら間違いなくかなりの強敵だった。炎だけでなく、炎を利用した催眠術に翻弄され、勝手に恐慌状態になって自滅している可能性だってあった。そんな強敵もあっという間に無力化してしまい簡単に僕の前に差し出してしまった。目覚めてからの歳月の点で言えばおそらく優奈の方が若いだろう。だが格の違いと言うのがここまでとは正直思わなかった。ブレイズと言う存在がどれほど強大な者であることかと、改めて初めに感じた彼女への畏怖を思い出した。
だけどそんな畏怖は彼女のほんの一部に過ぎず、本当の彼女はとても情愛深く、とても強いのに果てしなく弱い。そして矛盾に悩みながらも少しずつ受け入れようと変わってきている。
墓地を去る時彼女が見せた顔つきには今までのような冷たさは無く、ここに眠る人達へ騒がせて悪かったとでも言いたげな、申し訳なさそうな感じを浮かべていた。
……
…
家についたが、優奈はまだ起きている。一緒にブラウザを覗き込み、ネットで情報を集めていく。最近はようやく優奈も現世への興味を取り戻してきたようで、起きていれば乱雑に検索している僕の横からこの記事を見たい、この写真はなにか、といろいろ注文をつけてくる。
今回のシェイドに関して気にかかる事が多かった。思いつくキーワードを入力して検索する。今回に限らず正直思う事があっていろいろと調べている。最近の僕のPCの検索履歴を見られたら、ちょっとヤバイ人に思われそうなくらい、猟奇的な単語が多かったりする。もちろんネットだけでなく図書館や資料館などに出向く事もある。今日はネットだけでも十分だった。その内容に優奈も顔を顰める。あの墓は、あのシェイドの物ではなかった。
一年半程前に、あの霊園で焼死体が発見されていた。本来あそこの敷地の一角に置いてあった、落ち葉や供養のための花々を集めて燃やしていたドラム缶の中に、無残にも放置された遺体があったと言う事だ。損傷が激し過ぎて当時は身元が分からなかったらしい。今はもしかしたらご家族が見つかっているかもしれないが、それはわからなかった。そして当然、犯人は不明。
だが僕は今回の事で、一つ確信めいた感触を得た。
いつかきっと僕はこの犯人と出会う。おそらくそれは現世の住民ではない。
あの霊園の敷地にあった、薄い皮を破り入り込んだような感覚。今まで何度か体験している。そしてその度にシェイドが現れた。間違いなくあれは何者かによって意図的に張られた何か。そして意図的に作られている非業の死だ。
僕が遭遇したよりも遥かに多くの物があると考えて間違いない。
一体この地域で何が起きているというのだろう。




