「せめていつの日か」
うわ、うわぁあああっ! ああっあ… あぁあ…あ
あ…… … が……
周囲が地獄絵図に変わる。時の流れが戻った瞬間に血が噴き出し、立っている人間は誰も居なかった。息のある全員が苦しみ、近づく死の足音に顔を引きつらせ、必死に生を懇願していた。だが一人、また一人と静かになっていく。僕も一人、また一人とその魂を箱舟の中に案内していった。
腹を貫かれた女の子に覆いかぶさっていた肉を退ける。血と脳髄を身体に浴びたその子はすでに意識が無かった。脈はゆっくりでほとんど触れない。息はほとんど止まっていて、忘れた頃に一瞬だけ強く吸い込む。彼女を中心に広がる赤い池は止まることを知らない。ほどなく事切れた。
……意識はいつから無かったのだろう。せめて屑肉の飛沫を浴びる前であったことを祈ることしかできない。
「あ…… あく……ま」
声は全く無くなったと思っていたが、まだ息のある者が居た。僕が息絶えていく者たちに刃をつきたてていたのが見えていたのだろうか。それともこの惨劇の中一人だけ立っていた姿がそう見えたのだろうか。
……それはわからない。その者の方へ歩み寄る。
「お願い…… たすけ て……」
ブーツを履いていた長い髪をした女の子が僕のジーンズの裾を引く。だけど彼女の右足は彼方に転がっていて、腰骨はむき出しになり臓物を支えることができていない。
……もう助からない。
「君は…… そう言ってきた人を」
……いや、言うまい。彼女が今一番それを思い知っている。
とめどなく涙を流す彼女の目に手を当てる。その涙が他の人に向けて流せたのなら、何か違う結末があったのかもしれない。
「いや…… いや…… 怖い…… 手をどけて…… どけてよ……
暗いよ…… 怖いよ…… お願 い…… 助け…… 」
ごめん、無理なんだ。見えなかった人の運命は変わらないんだ。
「いや…… いや だ…… 死にたくない…… 死にた く ……」
あの日の僕と同じだ。このままでは彼女もここの主のように生者に仇なす化け物に成り果ててしまう。意を決して、同じ言葉を繰り返す彼女の身体にレクイエムを突き立てた。はっきりとした意志を持ってするのは初めてだ。
同時に今までにない痛みが直接僕に響く。歯を食いしばりその痛みを受け止めた。
かつてYOUが教えてくれた命あるものから吸い上げるリスク。レクイエムの痛みが、死に逝く者の痛みを僕に直接伝えているのだろう。
……絶対に忘れるな、殺すことの持つ意味を、と。
……
なぜ、こんなことになった。
ここに居た者達がほんの少しだけでも他者の痛みを感じることができたのなら、今この眼前に広がる地獄はなかったはずだ。
どうしてこうなるまで気づけなかった。
腰元にあるペットボトルにそっと手を触れる。
彼女はさっき、無理やり自分を眠りにつかせた。
きっと思い出してしまったんだ。折角世界を許せるようになってきたはずだったのに。
あってはならない現実に、心を抉られた優奈。
彼女だってこんな狂った世界でなければ今も親しかった人たちと笑っていたはずなんだ。
……とても明るい、可愛らしい笑顔で。
どうしてこんなに…… どうしてこんなに愚かなんだ。
……僕が絶望しても世界は何も変わらない。僕には答えが見出せない。
僕はただ願うだけだ。
優奈が笑っていた世界が、もうこれ以上失われないことを。
せめていつの日か、こんな悲しい世界が、覚めない眠りに就くことを。
世界の片隅にある、光を嫌って、濁り、淀みきった目にしたくない一面。
極度の私欲と裏切りにまみれ、呪いに飲みつくされようとも新しく生まれ続ける、そんなどうしようもない現実。
罪深き者によって作り出される犠牲は、尽きることを知りません。
そんな地獄が絶えるのは、並大抵な事ではないでしょう。
だけど、そんなに難しい事でもないはずなのです。
せめていつの日か、全ての人が、自分の隣にいる人に手を差し伸べられるように
ならんことを……
世界に滲む悪意の恐怖と怨嗟の輪廻の第九章、これにて閉幕でございます。