「拉致」
一年ほど前にあった、大学と目の鼻の先の交差点での自動車事故の時よりも野次馬が激しかった。校内と言う事もあって雑踏はほぼ全て学生で占められていた。パトカーが思ったよりも早く来て、野次馬を押し退けすぐに現場を封鎖した後、救急車がやってきた。
地面に落ちたままのレクイエムを拾い上げ肩に担いだまま、僕は人混みをかき分けて外に出た。そしてもう一つ大きく溜め息をついてから、人目につかないよう人の流れに逆らって歩みを進めて校舎裏に隠れる。レクイエムは一般の人には見えないし、導いているところを見られたとしても、何をしているかなんて分からないだろう。だけど現場が現場だし、一つ一つに意味があるけれど、知らない人からしたら奇妙奇天烈なパントマイマーが現れたとしか見えない。またはある種の新興宗教の儀式と思われたりしたらどうしよう。そこに来ている警察のお世話になる事は無いとしても、数多の奇異の目が向けられ、僕への評価が大変なことになる。
……さっきまで最期を迎えた人への哀悼を捧げていたはずなのに、もうすでに自分自身への杞憂を始めている。何とも人間臭くてちょっぴり嫌になる。
いつものように仕事の締めくくりをしてから帰途についた。僕と入れ違いになるように、さらに消防車もやってきた。作業員を大地に縫いとめた鉄パイプの処理の為だろうか。ここからはもう完全に僕達の管轄外だ。YOUの言葉を借りれば、生者の役目。よろしくお願いします。
駅までは歩いて15分くらいだ。普段なら何とも無いのに、疲れが身に染みきっている僕にしてみたらそれすら億劫。とろとろ歩いている僕を追い越し、女の子が活き活きと歩いていく。女の子といってもおそらくこの大学に通っている子だろう。
……いいなぁ、最近の若い子は。
いやいや! その発言はいろいろな意味で危ない。優奈に聞かれていたらまたあの目で見られてしまう。心を殺すようなあの蔑む目はもうゴメンだ。……でもあんな漫画、雑誌くらいでそこまで軽蔑しなくてもいいのに。はぁ、とため息をつきながら空を見上げる。それと同時に僕は眉をひそめた。
「くそ…… マジかよ」
思わず口をついて出たのは今日の僕の運勢への悪態。視線に入ってきたのは雲ではなくてカーブミラー。そして映っているのはコンクリートのブロック塀に挟まれた道路のみ。僕の前を行く者は無い。
相変わらず何て巡り遭わせだ。心の準備はまだしも、この度は身体の準備が整っていない。はっきりいって辛い。だけど僕がやらないといけない。僕しかできない。また一つ大きく溜め息をつき、両膝にパシンと手を付いて気合いを入れ、背筋を伸ばして歩き始めた。
この道は真っ直ぐ行って突き当たりを右に曲がればそのまま駅に着く。その子は逆方向に曲がった。当然そのままついていく。こっち方面は学生がよく住んでいるアパートがたくさんある住宅地だ。きっと帰宅中だろう。アパート住まいだろうか。それとも一人暮らしではなく自宅から通っているのだろうか。一人暮らしの方が邪魔も入らないし色々と厄介は少ないから喜ばしい。
……今の僕は誰が見てもストーカーだ。どう考えても犯罪スレスレ。おまわりさん、こっちです! と言われてもおかしくない。しかも言い訳ができない。自分の行動に対して苦笑いを禁じ得ないまま尾行を続けていくと、彼女はあるアパートの二階へと上がっていった。外からも見えるのであえて付いて行かない。一人暮らしか、と僕が結論付けた直後に彼女はインターホンを押した。違ったようだ。今回はちょっと面倒かもしれない。
「ショーコさーん。迎えキタよ~」
少し間があってドアが開く。髪の長い女の子が出てきて、インターホンを押したショートヘアの女の子と何か話をしている。
待たせたね。
そんなことないよ。
きっとそんな何気ない会話。訪れた友人がもうすぐ世を去ることになるとは思いもせず……。複雑な気持ちのままその様子を見ていた。
そのまま中に入るのかと思ったが、ショーコさんは扉を閉めて鍵をかける。二人が階段を下りてきた。少し慌てた。だが隠れるのも不自然だ。むしろ怪しまれてしまう。何食わぬ顔をして僕はゆっくり歩を進め、そのアパートの前を通り過ぎた。そのまま振り向かず耳だけ後ろに集中。ソールが硬そうな靴音が遠ざかって行く。二人はもと来た方へ、つまり駅の方へと行くようだ。歩く速度は速くない。振り返って追跡を再開した。
楽しそうに歩いていく二人の女の子の後ろを、疲れた体に鞭を打ちながら歩く男が一人。シュールだ、シュール過ぎる。溜め息をつく頻度が見るからに増えていく。ここは駅にはまだ遠い位置にある公園の脇。子供の姿もなく、寂しい感じだ。そんな場所で突然ワゴンが前方の角から現れT字路のど真ん中に急停車し、男が二人降りてきた。声を上げられる前に髪の長いショーコさんの口を塞ぎ、抵抗する彼女をそのまま車に押し込む。本日二度目の唖然としてしまった光景。驚いたのはそれだけではない。僕が最初から尾行していた女の子もそのまま乗り込んだ。男達に脅されるわけでも拘束されるわけでもなく、さも当然のように。
予想だにしない光景に足を止めていた僕は、後ろから何者かに羽交い絞めにされた。完全に油断していた。僕も尾行されていただなんて。迂闊だった。ワゴンから降りてきた男が助走をつけて僕の腹を蹴り込む。息が瞬時にふり絞られたが、漫画とかでよく見るような風に気を失わなかった。しかし向こうも用意周到で僕が抵抗する前に何かを取り出し僕の首筋に振り下ろした。殴られたのとは全く違う、鋭い痛みが走る。
不意な一連の攻撃を受けた後、抵抗するべく体に力を込めようとしたが一気に脱力してしまった。目の前の景色が揺らぐ。麻酔薬の類を打たれたのか?
「おい、何やってる! 早くしろ!」
そのまま僕を中に引きずり込んで、車は発進した。
……
…
「んぅ…… んーう! んーーっ!!」
「うるせぇよ、黙ってな」
「う…… く…… お前、達一体……」
揺れる車内で、ぼんやりする意識とさらに揺れ続ける視界のまま言葉を発する。
「用量間違えたんじゃねぇか?」
五人も乗って狭い車内の後部座席で、僕の腕を後ろで縛る男が不審そうに言う。
「んなわけないって。倍量打ってんだから」
「おいおい死ぬだろ。まぁ、死んだっていいか。さらったところ見てんだからな」
「死なねーよ。わかって用意してんだよ。ここで死なれたら色々と面倒くせぇしな」
「……でも意識失ってないわ。何コイツ」
「し…… にが」
何を口走ってるんだ、僕は。意識が朦朧としているせいだろう。自白剤ってこんな感じなのだろうか。言ったところで信じるはずが無い。死神の身体を舐めるな、なんて。前方からも声がする。
「何者だってええやろ。どーせ見られてんのや」
「だな。致死量用意しとけよ」
「だからよ、面倒だって言ってんだろ。死なすのは死に場所についてからの方が証拠が残りにくいんだよ。気にしねぇなら初めから毒使うっつーの」
声の数から車内に居るのは僕と拉致されたショーコさんと呼ばれた女の子を含めて全部で七人。僕の正面に座ってショーコさんの動きを監視する男が僕の頭を平手で叩く。すごい事件に巻き込まれてしまった。生きて帰れるのか? シェイドに襲われるよりも怖い。人間って一体なんだ。
場数を踏んできている僕でも恐怖している。僕の目の前で転がされている女の子ではそんな事を通り越して最早何も感じられないのではないか。よく見ると結構な美人さんだ。猿轡をされて腕を縛られ大人の男に背中を押さえられているので、目を見開いてきょろきょろと見渡しているのが精一杯のようだ。だけど泣いていない。気丈な子だ。泣くこともできないほど混乱しているのかもしれない。
しばらく車は走った。どのくらいなのか薬のせいでさっぱりわからない。目の揺れは無くなってきたが身体は未だに麻痺したままだ。
突如ぶつん、という感覚がする。縄が切れたのではない。身体が何かを突き抜けたような感じだ。それとともに車内が暗くなる。まだ昼間だ。どこか屋根のあるところに入ったようだ。少しして車が止まった。ワゴンの扉が開かれた音が響くと再び頭に衝撃が走った。
「おら、降りろ」
「お前ホント頭よえぇな。薬効いてっから歩けるかよ」
ったくかったりぃな、と二人の男が僕の身体を抱え車から引きずり出す。腕を縛られた女の子は友人だったと思っていた女の子に肩を突き飛ばされて自らの足で歩く。
開かなくなった自動ドアをこじ開けて中に入る。どうやら廃ビルか何かのようだ。人の気配などあるはずもなくガランとした殺風景な光景。僕は床に転がされた。ショーコさんは猿轡を外され、思いっきり肩を後ろに引かれて床に転んだ。それと同時に肩を引いた女の子がポケットに右手を突っ込んで何かを出した。右手に持つそれからバチンと音がした。ショーコさんに見せてつけているようだが、僕の角度からだと見えない。
座った姿勢で振り向いたショーコさんは肩の辺りを今度は蹴られ地面に背を付いた。身体を起こすと友人と思っていた女の子が右手を喉元に突きつけた。その時やっとそれが何かがわかった。手に握られているのはナイフ。刃渡り自体はそれほどでもないが十分な凶器だ。
僕達の周りを男たちが囲む。全員今か今かとにやにやしている。そんな現場にありながら気丈な女の子はナイフを持つ子を睨みつけていた。
「へぇ、こんな状況でも泣かないんだ。肝っ玉はやっぱり据わってるみたいね」
「何のつもり?」
「はっ。わかってるくせに」
嘲笑しながら目線を逸らす。だがナイフは喉元に押し当てたままだ。
何とかならないかときょろきょろ見渡す。だが身体の自由は利かず、どうすることもできない。二人の会話が続く。
「アイツと付き合い始めた頃からヘンだと思ってたのよ。全部アンタの計画通りでアタシを振り回してきたんでしょ? 良く思い返せば思い当たることなんて腐るほどあるわ。アタマのよろしいことね。でもそんな女狐もここまでよ。犯り殺りが生きがいの連中に遊んでもらいな」
なんて冷たい目だ。アパートを訪れた時の彼女の目とは似ても似つかない。あの裏にこんな感情を抱えていたなんて。
「ホント驚いた。まさか……」
「あ? 何? 命乞い? 無駄よ、ムダムダ。いいからさっさとイイ声上げてイっちゃいな」
縛られた方が、もう一方の言葉を無視して続ける。
「驚いたって言ってんのよ。まさかアンタが入っただなんてね。選んだ場所もよりによって同じ場所……。ホッッント気に入らない女ね。目障りだったのよ、いちいちリーダー気取ってさ。誰がお前みたいな女に従い続けるかっつーの。ま、その程度だったらみんなの前でちょっと痛い思いさせて、恥かいて無様なとこ晒して、くらいで済ませてやろうって思ってたのに……。まっさか、入ってくるなんて思いもしない。分をわきまえたら? お前がここで死ぬのよ」
ふざけんじゃねぇよ! と語気を荒げて突きつけていたナイフでブラウスを引き裂く。にやりと笑ったショーコさんはそのまま後ろに倒れこむようにして、そして思い切り右足で友人の腹を蹴った。
……鮮血が散る。何だ、あれ。蹴られた女の子の背中から冷たく光る刃が生えている。右手からナイフがこぼれ、床に当たった時に立ったカチャリと言う小さな金属音がいやに響き渡った。
「重い。ジャマ」
貫かれて力を失い、圧し掛かる身体を両足で押しのけた。さらに多量の飛沫が舞う。はだけた姿のまま立ち上がり相手を見下す。倒れた方は仰向けになったまま訳も分からず口をぱくぱくしていた。
縛っていたロープが解け、血に染まったブーツの足元に落ちる。右手にさっきもう一人が落としたナイフを持っている。自由になった左手で胸を隠しながら近づき、左足で顔を踏みにじった。
「痛いでしょう? 苦しいでしょう? でも安心して。死ぬ前に気持ちよくしてあげるから。死にかけとヤりたいなんて気チガイがいるから楽でいいわ。何度でも簡単に協力してくれるからね。ホント美央さん様々。アンタもどう言う流れでココ紹介してもらったのか知らないけど、会員を対象にしてはいけない、なんて聞いてないでしょ? それにアンタみたいな新参に旨味なんてまだ無いの。私に付くに決まってるじゃない。今日のことだって前からリークされてたのよ。アンタ運悪いわよね、マジに」
ふん、と鼻で笑う。ショートヘアの彼女がしていた以上に冷たい目。壁にもたれて二人のやり取りを見ていた男の一人に目線で合図を送ると待ってましたとばかりの笑みを浮かべて近付き、倒れている子の足元にしゃがみ込む。カチャカチャと音が立つ。何をしようとしているのかなんて想像に難くない。
「……や … て……」
こんな蹂躙を受けさせてはいけない。大分感覚が戻ってきたが、僕の身体も姿勢を保つほどに回復していない。立ち上がろうとしたが膝が崩れてしまい、這いつくばったまま地面を舐め見上げていることしかできない。
「なぁ、こいつどうするよ」
「いつもと一緒よ。男を嬲っても面白くないんでしょ? せっかくの男前だけど、そのままコンク」
……
……何?
僕の目の前の世界のすべてが静止した。
会話の途中だった半開きのままの口。
事に及ぼうとしている男。
その身体の下で広がっていた赤。
それら全てがそのままの姿勢を保った。
そして次の瞬間、僕は息を呑んだ。形を残していた窓ガラスに映る光景。
……僕を除いて誰一人映っていない。
まさか、今ここで……?