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「男」





 帰りの電車。電車の窓に映る姿は、誰一人としてぼやけているものはいなかった。それは僕も同じで、今ははっきりと映っている。さっきトイレの鏡に映っていた僕の姿はやはり気のせいだったのだろうか。


 次々に友人たちは自分の実家、アパートの近い駅で降りていき、最後僕一人だけとなった。ドアにもたれかかって、住宅街の明かりを見ていた。






 シリタイノダロウ……?






……まただ。息がうまく出来ない。飲んでいるうちに一度目の酔いも戻ってきて、さらに加わった酔いのせいもあって立っていられなくなる。空いていた席に座った。

 何を知らせようというのだろう。まだ乗客がたくさんいる車内で自分にしか聞こえない声に返事をするのは狂気じみている。しかし大分耐えかねていた僕は聞くしかなかった。


「何を…… 僕に……?」



 オマエニ アンネイヲ…… モウスコシ…… モウスコシマテ……





……


 顔を上げ正面を見ると、窓に自分の姿が映っていた。

……ぼやけてはいない。ほっとした。


 だが、それは束の間。窓から目を離せなかった。





 身体が透き通っている。座っている席の背もたれが一緒に映っている。





……こんなバカなことがあるわけがない。まだ酔っているとは言え、そこまでの見間違いはしない。何だというんだ。夢?



 自分の降りるべき駅名がアナウンスされ、はっと正気を取り戻した僕は乗車口の前に移動した。そこの窓に映る僕の姿ははっきりとしている。やはりさっきはまだ酔っていたんだろうな、と押し寄せる不安に蓋をした。






 駅から自宅までは歩いて20分くらいだ。特に遠すぎることもないから、悪酔い覚ましに歩いて帰ろう。かなり歩様も安定し、まっすぐ歩くこともできるようになっていた。とことこ歩いて、駅から自宅までの半分くらいの位置にある公園まで来た。この時間、このあたりは人通りも無く本当に静かでちょっと怖いくらいだ。


……


 そんな公園の、暗い街灯の下を通過した時だった。


「教えてやろう……」


 背後から響く声。

……ありえない。それまで僕の前を歩いていた人も、後ろについてきていた人も、ましてや街灯の陰に隠れていた人も、絶対にいない。いない。いない。


 足が前に出ない。


「教えてやろう、お前の感じている不安、恐怖の一切を取り除く方法をな……」


 背筋が凍りつく。振り向くことさえ出来ない。生唾を飲み込むので精一杯だった。


「知りたいのだろう? 俺の声も聞こえていただろう? 全部教えてやろう……。こっちを向くんだ、さあ」


 振り向かず声を上げて走って逃げ出したい気分でいっぱいだ。だが、蛇に睨まれた蛙とでも言うのか、足がすくんでしまって身じろぎ一つできない。酔いも再び一気に覚めていく。

 コツ、コツ、と歩み寄る音が聞こえ、後ろのモノが少しずつ僕に迫ってくる。


「どうした、動けないのか? ならば目の前にいってやるから待っていろ……。なに、今すぐ何かあるわけじゃない、心配するな……」


 優しく僕に語りかける。男の声だ。

……なぜだろう、覚えがある声。知らない声ではない。だが、誰の声かが思い出せない。




 懸命に思考を巡らせている僕の横を男が通過し、正面に立つ。背丈は僕と同じ、髪の毛の色は黒く、短くもなく長くもない。着ている物が妙だった。漆黒で裾が擦り切れたようなロングコート……。まだ時期としては早すぎる。その男がゆっくりと振り返り、僕と向き合った。


「な……」

「どうした、驚くことではないだろう……。知っているだろう、俺のことを……」

「う、嘘だ、そんな…… あるわけが……」

「だが目の前にいるのだ、現実としてな……。触れてやろうか? ほら、お前の頬に触れた俺の手の感触、これでも違うと言うのか?」

「何なんだ、お前…… 一体これは……」

「だから、もう理解しているだろう……? 髪の色が違おうと、話し方が違おうと……」


 そう、僕は目の前の男を知っている。何度だって見ている。




「俺は…… お前だ」







 僕の目の前にいるその男は、どこから見ても僕だった。声の主を思い出せるはずがない。自分自身なのだから。もう一人の僕が不気味に笑いながらさらに一歩、僕に近づく。


「さあ、お前が知りたかったことを教えてやろう。怖がることはない。もうすぐ、その時なのだからな……」


 そっと耳打ちするように僕に語りかけた時だった。やっとのことで言うことを聞かない体を動かし、黒ずくめの僕を振り払って走り出した。もう無我夢中だった。この恐怖に耐え切れない。



「逃げる? 何から逃げるのだ? 恐怖か? その恐怖を生んでいるのは自分自身だというのに……。俺が教えてやろうというのに、救われる方法を……」



 離れているはずなのに一向に小さくならない声。怒声でなく、落ち着いて僕を説得するかのような口調だというのに。一体どうなっているんだ。何がなんだか分からず必死で走った。


 そうだ、トッペルゲンガー。居るはずのない、居てはいけないもう一人の自分。それに出会った人は必ず命を落とすと本やネットで見たことがある。逃げないと。何としてもアレから逃げなくてはいけない。でなければ絶対、





 どがん





 鈍い音と衝撃が全身に走り、壁と地面に叩きつけられた。うつ伏せのままの僕は、走り去る車のテールランプを横目で見送るしかなかった。


「か…… そ んな…… い や だ……」


 頭が痛い。口から血が流れ出ている。内臓を相当痛めたのか。



……




……実感でわかる。死ぬんだ。



「……こんな最期か。より哀れだな。俺が救ってやれなくて残念だ……」


 いつの間に追いついたんだ。黒い髪の僕が覗き込んでいる。


「そう、死だ。死ねばいい。今の自分のまま、変わることのないように……。お前というものを保つために……。お前もそうしたかったのだろう? 本当ならば俺が導いてやる方が苦しむことが無かったのだがな……。運が無かったということか。なあ、裕也……」


 黒髪の僕が僕に背を向けた。役目を果たすことが無くなったから、このまま立ち去るのか? 必死で彼のコートの裾を掴んだ。


「いやだ…… いやだ…… 助け て……」

「……自由になりたかったのだろう。もう苦しまなくて良いのだ、安心しろ」

「だからって…… い いやだ……! 死にたくない…… 死にたくない!」

「喋るな、苦しくなるだけだ」

「お願い…… 助け……」


 息も絶え絶えにすがりつく僕の力のない手を振り払い、僕の方に向き直って、腰を下ろすこともなく立ったまま見下ろしながら語りかけてきた。



 声だけは、異常にやさしく穏やかに。





「なあ、裕也……。どうして俺が出てきたかわかるか……?

 お前を死なせるためだ。苦しまないように自身を殺すためだ。

 お前はこれから先、生きて苦しむことを知っていた。それを恐れ、歩むことが出来なくなったお前がいた。今までのように自分に意志がなく、生きているのか死んでいるのかわからないまま存在することしかできない。


 本当は不安だっただろう?


……不憫だ。お前がこのようにして死ぬことは分かっていた。死の運命からは避けられぬ。ならばせめて、苦しむことなく楽にしてやりたい。そう思ったからこそ何度もお前に語りかけたのだ……。そしてお前は求めた。これからは俺がお前として生きよう」


「……死にた かったわけ じゃ…… な……」



 意識が今にも飛びそうだ。マジでやばい。まだ何か言っているようだが、もう一人の僕の声ももう聞こえない。まぶたも閉じていく。


「まだ…… 死 にた く……」




……


 再び身体に響く衝撃。もう全身感覚が無くて、痛いのかどうなのかわからない。だらんとしたままの身体を引き起こされたような気がした。うっすら目を開けると、目の高さよりも下にもう一人の僕の顔があった。目線をさらに下にすると、何か大きな刃のようなものが僕の胸の真ん中から生えている。足も地面についていないようだ。

 もう一人の僕は腕組みをして僕の様子を見ていた。意識もあいまいでぼーっとしているから、自分がどんな状態であるかがわからない。頭の中に僕の声が響く。




「引き抜けぬというのか……? これは…… だがこのままでは…… いいだろう、来い」



 その声を聞いた途端、僕の意識は途切れた。






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