「やさしい死神」
ようやくよろよろしながらもベッドから離れることができるようになった。立てるようになって二日でほぼ普段通りに改善。さすがは死神の身体。YOUの言っていたから耐久力と生命力の強さは折り紙つきだが、回復力もかなり高いようだ。考えてみればシェイドのような怪異との戦いが連日となる事だって多い。そうなるといちいち休息に日数を要する訳にはいかない。地味だけど死神としての役を果たすための最重要項目をしっかりと有しているのはさすがだと思う。だけどその死神の体でさえ不用意に力を放出しすぎるとこんなことになるのか。気をつけないといけない。だけど一体どうやったらあんな力を使うことができるんだろう。全く分からない。優奈でさえ破壊しあぐねた巨大なシェイドを一撃で両断したあの力。あの時はただ夢中だったから全然覚えていない。だから次に同じような危険に晒された時、同じように切り抜けられる保証もない。
八日目の朝に退院の許可が下り、昼過ぎに退院することができた。退院当日からもうすでに身体は本調子で動くことができる。いよいよ締め切りが大変なことになってきている卒論に、退院同時に全力で止めを刺しにかかる。また以前のような生活に逆戻り。死神の身体にしてもらっていたおかげで、確かにあの不養生生活を送っても何とかなっていた。でも死神仕様の身体になっているとは知らなかったから今までの身体と同じようにある程度セーブしていたがここからは違う! こんな生活でよく体調を壊さないなぁ、と感心していたがそれが可能な体なのだ。結構無茶を利かせられる。YOUのお墨付きだ。ちょっとラッキーかな。
毎日毎日、と言ってもそこまで長い期間ではないが、机とパソコンに張り付いてばかりで動くのは先生の部屋に行く時と家に帰る時くらいという不健康な生活。机に向かっている時間の割りに進んでいる量が一致していない。神経がすり減っていく一方だ。
僕と先生の同意の上で消したはずのところをやっぱり付け足そうと言われたり、先生がこれは入れておこう、と言ったところをそんなことを言ったかとでも言わんばかりに、これは削りだと斬り捨てられたり。なかなか不条理な思いもした。心にもやもやが溜まっていく。
何と言っても先生の走り書きのメモが読めない。古文書の解読をしているような気分になる。ゼミ仲間とともにお互い懸命に読み解いていき、どうにかこうにか現代の日本語に書き起こすことができたその瞬間は、かなりテンションが高くなる。すごいな、僕達。普通こんなの読めないよ。
……
それにしても最近よく思う。僕の扱っていることが人の最期のイベントだということがそう考えさせるのかもしれない。たとえ不慮の死を迎えた遺恨の深い魂とはいえ、最期にはお世話になった人、愛した人に会いたいのではないか。すぐその場で導いてしまってはその思いを叶えさせてあげられない。
「できるのは変性する可能性を未然に防ぐことだけだ。我々の役目はそれだけしかない。もしも少しの間でも放置した場合、優奈の様なことにならないとも限らぬだろう。
……それに後になってもできるのか?」
そうだ。僕にはシェイド、ブレイズ以外の魂の姿は見えない。まだ身体に留まっている状態の魂でなければ導くことができない。
自ら「はじまりのもと」に行くことのできる人の方が多いという。だけど、それに漏れてしまう人も当然いる。そのような人を作ってしまうことの方がより長く、そして無関係の人たちまで苦しめることになってしまう。
どっちの方が気の毒なのか、秤にかけ難い。
だが、合理的に思考すれば決まっている。
今、やらなくてはいけない。
……辛い選択だ。
それにしても、どうしてシェイドと同じ霊なる者のはずの幽霊は見えないんだろう。アキちゃんの部屋に居た心霊写真から抜け出た亡霊は高志には見えていた。僕にはよくない物としての気配は感じられたが姿を見ることは終ぞなかった。
「かつて似たような事例に出会ったことがあったが、俺にも理由は分からぬ。生者と死者の区別がつかなくなりかねないからではないか? 変性していない魂は見えぬ。だから取り零せぬのだ。お前は不完全ゆえ鏡を使わねば判断できないが、我々は違う。言葉では表せぬが、感覚があるのだ。死に近い魂を察知する感覚がな。今の俺は遊離している状態に近いため何らかの形でお前を通してでなければ分からぬが。現在の俺の性質に気付き、それを悪用していた時もあっただろう?」
……バレてるし。黙認してたのか。YOUって意外と寛大なんだな。
「そして必要とあれば、生きている状態でも強制的に魂を抜く時もある」
その言葉に僕は耳を疑った。……いや頭を?
死神は生者を死に誘う。一番初めに僕はそれをやりかけた。僕ももうすでに何人なのか把握できないくらい魂を導いてきた。しかしそれはもう命を落とし彷徨う運命にある人達だけで、実際に生きている人を手にかけたことは無い。だが、YOUは生者を手にかける事もあると言う。覚悟はしていた。彼の代理をしている今、やはりいつか僕もやらないといけないのか?
「ある程度その人間の死に様が見えるのだ。これも死神特有の感覚で言葉に表せぬが……。決定した「律」は変えられぬ。苦しませぬため、あるいは周囲に被害を及ぼさぬようにするため、我々が直接手にかけるのだ。勿論以前言ったように生者の魂を抜こうとすればレクイエムに過度な負担がかかる。裕也、お前はやらずとも良い。レクイエムの回復を遅らせる事はな。
お前の時もそうだ。血を流しその血に塗れて地に横たわる姿だけがわかっていた。本来はそうなる前に俺が直接レクイエムで導いてやるはずだったのだ。その方が俺と入れ替わった時から身体損傷もなく効率が良い。お前も苦痛に喘ぐ事がなく両者にとって利点が大きいからな。
おそらく人間の間で語り伝えられる死神のイメージは、そういった極まれなケースに遭遇してしまった、我々の力を見ることができるほどの高い能力を持つ者による伝承が元なのだろう」
「……やっぱり優しいんだな、死神って」
「優しい? 善意でやっているのではない。これが俺の役割だ。……それに殺しているのには変わらぬのだぞ」
「結果的には、さ」
僕がそう言うと、変わった奴を選んだものだ、と言って再び黙ってしまった。さて、YOUとのおしゃべりもこのくらいにして卒論を終わらせていこう。
……
…
日一日と提出が迫ってくる。順調ではないが何とかゴールは見えてきた。精神が疲れると肉体の疲労もそれに伴ってくるようで、動いていないのにへろへろだ。先生に午前中に仮提出し、ゼミ室でしばらくグダグダした後外に出る。さて、今日は夕飯まで寝て、久しぶりにネットでゲームでもしてやるか。イベントクエストを周回しよう。最近下火になってきてるからプレイヤーも減ってきている。みんないるかなぁ。
今日の非生産的な計画を立てながら歩いているとそれほど遠くないところから、ガガガと重機が作業している音が響いてくる。僕の大学には今、来年度の春を目標に増築が進められている校舎がある。作業員を校内で何人も何人も見かけるし、建材を運び込むトラックの出入りも激しい。まさに丁度、現場の作業員と思われる二十歳前後くらいの青年が横切っていった。特に僕も意識することなく、帰り道の方向に向かう。
たまたま僕の帰途とその増築校舎のある方角は同じで、僕は青年作業員の後ろについて歩くような感じになった。仕事中のようで彼は足早に現場に戻っていった。僕はのんびりてくてく歩いていく。僕との距離が開いた彼が現場に入り、僕の進行方向から逸れ視界から消えた直後だった。
ガランガランと大きな金属音がけたたましく響く。感じからして、たくさんの鉄パイプが大型トラックから雪崩れていった音だろう。まさかと思い現場を覗き込むと同時に息を呑んだ。ほぼ同時くらいに他の作業員たちのパニックに近い大声が響き渡った。
そこには青年作業員が中途半端な姿勢で立っていた。
膝は曲がるはずのない方向に曲がり、普通なら倒れてしまいそうな姿勢の身体には、胸から、腹から鉄の枝が生え、青年が倒れることのない様しっかりと支えていた。青年を支える鉄の枝が縫いとめている地面は少しずつ赤くなっていく。
微妙に意識があるのか、口がカクカクと動く。何の疑問もなくできていたはずの呼吸が突然できなくなって戸惑いが隠せないのだろうか。それとも、痛いと感じられないほどの激痛を受けている原因を探しているのだろうか。少しの間だけ首が動いていた。しかしそのかすかな動きもすぐに無くなってしまった。
驚きすぎて、怖いとも思えなかった。
とりあえず素早く引き抜き、刃を突き立てる。だがすぐに他の作業員達に押し退けられてしまい、レクイエムは青年作業員に刺さったまま僕の手を離れた。
僕の目にしか見えないが、たくさんの鉄の枝とともに巨大な鎌に胸を貫かれたその光景は、無残と言うしか言葉がない。唐突に命を落としたものに対して、あまりにもむごい仕打ち。
……だけどそんな気はないんだ。
そう言い聞かせた。
僕の手を離れてもレクイエムは自分の作業を続ける。完了とともにレクイエムは身体に刺さっている力を失い、カランと地面に落ちた。
僕が導くことができる人は極僅か。僕と出会ったことが彼らにとって幸運なことだったのかどうかは僕にはわからない。だけど、少なくとも行き場を失い永遠に心を蝕まれることは絶対に無い。
それが僕たちにできる、せめてもの優しさ。
わかってほしい。