「覚悟」
今年は病院のお世話になる機会がとても多い。だけどさすがに入院になるのは事故に遭ってから二度目だ。軽度だが全身の熱傷、中程度の全身打撲、そして原因不明の虚脱と説明を受けた。ちらりと見えた僕のカルテにはたくさん文字が書かれていた。でもあまりに走り書き過ぎて読めない。でもこれくらい僕の卒論を先生が校正して返却してくれた時に見慣れている。いや、そんなことはどうでも良いんだけど。この病院のお世話になるのは初めてだがもし前に入院した病院のカルテと合わせる機会があったとしたら、結構なボリュームになりそうだ。
今回のシェイドによって起きた事件が世間でどのように解釈されているのか、父が持ってきてくれた新聞を見て知った。
「白昼、謎の爆発事件」
「テロの可能性」
「愉快犯? 動機不明の凶行」
いろいろな憶測が飛び交っている。真実を知るものは僕たち三人しかいない。優越感とも違うが、誰にも知られることの無い秘密を持っていることに少しだけど高揚感を覚えたが、そんな時に僕の目に飛び込んできた文字に言葉を失った。
「重傷者7名 軽傷者71名 死者1名の大惨事」
頭の中が白くなる。父が傍にいるので動揺しないように極力平静を装い、もう一度紙面に目を落とす。しかしそれは幻ではない。
「死者1名の大惨事」
あのような暴力が街中でまき散らされ、交通事故だけでも僕の目の前で多数起こった。怪我人が出ているなんて僕が救急車で運ばれる前から分かっている。殺すつもりなんてあるはずがない。だけど現実には不運にも僕の戦いに巻き込まれ、命を落とした人がいる。
仕事柄、人が目の前で命を落とすことなんて今までだって何度も見ている。怖いと思ったことは一度や二度ではない。でもそれは、今思えばすべて本当の意味で他人事だった。
僕が人を死に誘った。
目の前が真っ白になって、治まっていたはずのめまいが一気に戻ってくる。どれくらい時間が経ったのか分からない位、頭の中でぐるぐると同じ思考が繰り返された。優奈の事件とも違う、直接僕が関与したこのケース。僕がもっと上手くやっていれば、もっと強かったら、殺さなかったのか?
「まぁ、一応口外無用と言うことになっているが」
父の声が呆然としていた僕の思考を現実に引き戻した。
「それ、本当は誰も死んじゃいないぞ」
自分の声なのか、と言いたくなるようなバカみたいな声が思わず出る。
「相当派手な事件だったみたいだけどな、一歩間違えば本当に死者が出そうな。担当じゃないから細かく知らんが。ほら、あれだ。良心の呵責を狙ってるんだとさ。自首は期待できんが次の犯行を抑えるための情報操作だ。
何故この場所を選んだのか、と言う推察は専門家に任せるとして、あんな要所でもない街の中心から離れたところで起きた事件だから明確な意図を持った組織的なテロじゃないだろう。それに明らかに死者が出なかったことから見て、それが目的じゃなかったということだ。個人による犯行だとしたらこれは相当に覚悟を必要とすることだ。
だけどなぁ、そんな覚悟を生涯貫き通せる個人なんて一握りどころか、一つまみだっていやしない。ほぼ全員、自分の行いを必ず自分の良心の天秤ばかりに乗せて、善悪の判断をしているもんだ。そのバランスなんて、日によって変わってしまうほど本当に微妙なものだ。事が重大であればあるほどな。だからそこに、『悪』とする要素をそっと加えてやれば大きく傾き、覚悟が崩れる。
今回の場合それが「死」の報道だったわけだ。たとえ嘘でも、そんな言葉ならいいんじゃないか?」
いつも言葉を扱っている、父なりの哲学。こんな風に考えていたんだ。今回のことが無かったら多分一生聞くことなんてなかっただろう。正否は僕には付けられないが感心させられた。
それにしてもけろっとした顔で平然と言っている父の様子から、人死にが無いのは本当なのだろう。心臓に悪いよ、そんな嘘。驚くのは僕だけだよ。でもよかった。僕の不注意で死なせてしまう人が出なくて。
しかし僕を除いて重軽傷者があわせて七十七人いる。このミスはかなり大きい。社会的な責任を問われることはないのが唯一の救いだが、シェイドを放置することがどれだけ危険なことか痛感する。そしてシェイドを利用しようとしている存在は許されてはいけない。
「しっかし、どうした? そんなところに目を留める性格じゃないだろ、お前。……まさかお前が犯人じゃないだろうな」
いやいやお父さん、あなたの息子がそんなことをできる奴に見えますか? 失礼な! この前も僕を、事件に巻き込まれる側じゃなくて事件を起こす側だと言ってみたりと冗談が過ぎますよ! 声を大にして反論したいところだったが、今の僕では苦虫をかみつぶすような顔をするので精一杯だった。
父が帰って一時間もしない頃、コンコンとノックがあった。はい、と返事をするとそこに居たのはよく見知った顔が二つ。
「よう」
「ミッキーやっほぃ」
お見舞いに来てくれたのか。泣かせてくれるじゃないか。
「では、早速返してもらおう」
泣かせてくれるじゃないか。友達甲斐がなくて本当に涙が出そうだ。
「冗談冗談。お見舞いに来てそりゃないからな。今日は純粋に顔を見に来ただけ」
「そーそ。ミッキーがヒッキーになったて聞いたから是非笑っとかな思ったんや」
こんな子じゃなかったはずだ。カレシの悪いところが伝染ってしまったのか。悲しい限りです。それに韻を踏むな、韻を。
……わかってる。親しいからこそこういう冗談がこんな場でも言えるんだ。
……
「疲れたやろ? 何か飲むもの買ってくるわ」
談笑をかわしてしばらく時間が経った。確かに疲れた。そこまで酷くないとはいえ、全身に力が入らない。アキちゃんが席を立ち、高志と二人になった。バカ話のネタも尽きて、空白が出来る。何か話題を切り出そうか、と思った時だった。ちょっと良いか、と今までと声の調子の変わった高志が僕に断りを入れてきた。
「思い違いじゃ…… 無いと思う」
突然高志が椅子に座って床に視線を落として口を開いた。
「お前、今日こうなるよりも前から調子おかしかったんじゃないのか?」
「何が?」
トンチンカンな質問で少し戸惑った。こうなる前まで普通に体調は良好です。正直聞かれた直後は高志が何を言っているのかさっぱりわからなかった。だが時間を追うごとにその真意に心当たりがありすぎることに気がついた。
「前も言ったけど、俺みえる人だろ? お前のすぐ傍から何かヤな感じがするんだわ」
「……おいおい」
「最近入院とか怪我とか多いだろ? 何か関係があるんじゃないかって…… ちょっと心配なんだわ」
「……止めろよ、そう言うの。変に意識しちゃうだろ? そう言うちょっとした意識の変化が人間の行動とかに影響を及ぼすんだぞ。それに今僕は病人なんだから、ネガティブなこと言うない」
返事をしながら部屋を見渡す。優奈は今寝ているのか、姿は無い。ほっと胸をなでおろした。
……そうだった。高志はみえる人だ。でもどうやら傍に優奈が見えたから僕に警告を発していると言うわけではないらしい。
今僕は誰にも打ち明けることなくこの仕事をしている。高志も自分の事で騒ぎ立てられることを嫌うタイプの人間だ。僕が今していることを見せ、話してもきっと秘密にしてくれる。窓から外を見て、一つ大きく息をつく。
「……もし、もしだぞ」
彼が顔を上げ、僕の方を見る。真剣にこれから僕が話すことを受け止めようとする力のこもった眼をしていた。
「もし憑かれてたら…… 就職できないのはそのせいか!」
「それは無いから」
はっきりと言い切りよった。それも真顔で。せめて笑えよ!
「いやしかし、こうなっている現実とみえるお前の勘を照らし合わせれば、僕が何かに憑かれてこう悪い運気を……」
「運気じゃなくて、それまでの積み重ねによる業だって」
「おまたせー、って何で若干険悪になっとるん?」
……これでいい。僕はこのことを現世の誰にも話さない。話したところで何か大きく律が崩れるわけでもないはずだ。だけど僕はこれを僕だけの秘密にしておく。僕の過ち、僕の罪。それを清算しきれる日は来ない。その事に精一杯悩んで生きること、それ自体がきっと僕の償い。
僕だって何かを背負って生きていけるはずだ。
潰されそうになっても必死に支えてみせる。
今みたいにほんの少しでも周りのみんなに力を分けてもらえるだけ、僕は幸せなんだ。
僕の天秤を支えてくれる人達の為にも、僕は自分の心に芯を入れて生きていく。
僕はやっと、その事に気が付けた。