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「呪縛」



 優奈と知らない町の駅に降りて数時間。秋の夕暮が訪れるのは早く、陽も大分傾いてきている。


「ふふっ、そうね。裕也さんの言うことも分かるわ」

「……それじゃあ、考え直して」

「それは無いわ。飽く迄あなたが言ってることも世界の真の一つ。私はそのことも分かっているけれど、私が行き着いたのはもう一つの真」


 また別の喫茶店で、二人掛けのテーブルに着いて話をし始めてしばらく経ったが、このままだと水掛け論が続くだけだ。結局僕の心は届かないのか? 人の意思はここまで強くなると動かなってしまうものなのか。


「僕は、世界は明るく温かくて、冷たいだけじゃないってやっと知ることができた。斜に構えていたら見えなかったことがようやく見えてきた。この世界には知らなかった真実がいくらでもあって、ある時は正しいと信じて疑わなかったことが別の時になったら正しくなかったと言うことが数え切れない位あるということも。それは事故に遭って自身の死に触れ、世界が一新されたからやっと自分の中に落ちてきた感覚で……」


 僕の考えがすべて正しいなんて在り得はしない。だけどこれだけは間違っていると言わせたくない。別の真実にたどり着けたはずの扉に鍵をかけ閉じ籠って諦めてしまっただけじゃないのか。


「だから、とざさないでください。自分からその輪に囚われないでください。出たくなった時にはもう遅いんです」

「ありがとう。でもね、もうダメなのよ。私は沢山のものを失い過ぎた。新しく大切にしたいものを得る事すら怖い……。いつか失うから。それなら私は鎖された世界に居た方が心安らかになれるし、それを望むわ」


 言葉が紡げない。下唇を噛み締め、テーブルに置かれた二つのコップを見るしかなかった。おそらく僕が次に言おうとしていた言葉を彼女はすでにどこかで聞いているだろう。それがその時に届いていれば、この結論に達し「律」が決定することはなかった。僕の言葉では「律」を破れないのか?


 こんなに固めなくたって良いじゃないか…… もっと揺らいでいたって良いじゃないか……




 クロスだけが不自然に映っていた美容院の鏡の正面に座っていた彼女は、店員さんと話している時も、店から出てからも笑顔で、こんな決意をしているとは全く感じなかった。


「どうして分かったの? これから私が向かうところが」


 以前踏切に飛び込んだ人とは正反対に晴れ晴れと、明るく、さも当然と言わんばかりに答えてくれた。僕の言葉を聞いてくれると言うのならもしかして、と思ったがそんなに甘いものではない。




「失ったら、また得たらいい。そう言って励ましてくれる人もいたわ。……貴方も、きっとそう言ってくれるでしょうね。でもね、それが届かない人もいるの。みんながみんな強ければ、人間はこんな思考のメビウスリングに閉じ込められることは無い。いつか破って、無限のループから出てこれる強い人は幸せなの。出てこれない人もたくさんいること、それは揺るぎない事実なのね」

「それでも…… 必要としてくれる誰かがどこかにいるはずで」

「もういない」


 僕の言葉を強制的に打ち切った正面の中年女性の目は、喉から出てくるはずの僕から声を奪った。


「言ったはずよ? 失い過ぎて得る事すら怖いって。分からないかしら。貴方は何か強い思いを目に宿してるから、見えなくなってることがあると思うわ。強い思いの炎が作り出す陽炎の中に溶けてしまう程弱くて微かな物事が世界にはごまんとあるの」


 出てくるはずの言葉を奪われた口は固く閉ざされ、僕は奥歯をぎりっと噛み締めるしかなかった。


「私にとって救いは諦め。それを否定されることは今までの苦しみにまた自分を投じ、そして今までよりもさらに酷く残酷な現実と戦わなくてはいけない覚悟を強いさせられることになる。……もう戦いたくないの。

 今までずっと戦って得た物は何? この疲れ切った心? なら、私はそんな報酬はいらないわ。代償を求めない生き方をすれば楽になる、と言ってくださった先生もみえた。でもね、私は戦い疲れた心をもう休ませてあげたいの。これだけ戦ってきた。戦えた。自分自身に愛を囁いて慰めてあげたいの。よく頑張った、もうこれ以上頑張らなくてもいいよ、って」

「……」

「今日初めて会った人に八つ当たりみたいにこんなことを言うなんて酷い話ね、貴方の心に深い傷をつけることになることをわかってるって言うのにね。……いえ、もう未練なんてないと思ってたのにやっぱり誰かに覚えていてほしいと思ってるからこうしてお話ししてるんだわ。本当に酷い人間……」


 僅かに生まれた無言の中に僕は言葉を発しようとした。だがもう僕自身もこの決意を止められないと理解してしまって、言い出せない。


「何? おしまいまで言ってもらえない? 気にせず言ってほしいわ」


 目を閉じて鼻から大きく息を吸う。吐くまでの間に頭を整理し、目を開ける。気持ちの整理もつけたつもりだ。だけど正面の女性の目を見ることは出来なかった。


「……僕には、貴女の「律」を変えることはできません。でも、苦しんで苦しんで、世界を呪って逝くその想いだけは変えたい……。どうしてなんですか? 望まずにその環に無理やり閉じ込められた人もいるんです。決めなくたっていいじゃないですか、どうして……」

「……最期くらい我が儘を通したいから、ね。それが私の最期の希望の光だから。苦しかったけど自分の意思で生きてきた自分へのご褒美。自分で終わらせてあげる、と言うね」


……思い上がっていた。僕にはこの人の人生を抱え込める自信はない。そしてその覚悟もない。


「ありがとう、裕也さん。声をかけてくれて嬉しかったわ。何も言わずに逝くつもりだったけれど、最期におしゃべりできたのが貴方で良かった。貴方は本当に優しい人。貴方と一緒になる人は本当に幸せね。淵の底に沈むことを望む前の私だったら、きっと貴方に救われたでしょう。だけど今はもう違う。許して、私の最期の我が儘を」


 テーブルに置かれた伝票を手に、向かいの席の女性が立つ。


「私の名前は、教えてあげない。それじゃあね」


 ここでもドアベルが心地よく響き、外の空気が店内に入ってくる。同時に僕の胸の中にも秋風が吹き込み心に冷たさを覚えた。

 事の始終を優奈は眠ることなくずっと傍で見ていた。優奈の目はやはり無感情で、僕を慰めるでもなく責めるでもなくただ見つめていた。その無感情な視線がむしろ今の僕にとって救いだ。


……YOUが前から言っていた。「律」は変えられないと。こう言うことなんだ。単に決められた運命と言うだけでなく、魂が救いを拒否する。さらに単独で「律」を変えると言うことは、最低でも自分の人生のすべてを捨てる覚悟が必要なんだ。僕には……



……。


……わかった。もういい。様々な因子の影響を受けて悲しい運命の「律」がどこかで破綻することを期待することは止めないが、僕はもう一度基本に立ち返ろう。僕は僕の目の前にある救いすら拒む存在を導く。この手の中に力を持つ僕にしかできないことは鎖を断ち切り、送り出すこと。


「YOU、探してくれ。僕の手が届かなくなる前に」


 あの人が世界を呪う存在になる前に、鎖を断つ。たとえその鎖を彼女が望んだとしても。

……いや、そんな偽りの幸福なんて許さない。





 僕の隣に居る人を見ろ。

 絡め捕られることに、幸せなんてない。





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