「孤独」
電車に揺られてしばらく経った。周りの景色に自然が目立ち始めた駅で下車し、清算して外に出た。優奈はふわりと羽衣を漂わせて僕の左後方に憑いてきている。歩くのではなく、ほんの数センチ浮遊して僕の後を穏やかな速度でついてくる。
日の光はもう強すぎることは無く、風が吹くと少し肌寒さを感じるようになってきた。そんなに遠くない山は赤や黄色の葉をつけた木々の春とは違う華やかさに彩られ、風に合わせて道端の草が奏でる軽く囁くかのような旋律を伴奏に、街路樹からの落葉が僕の目の前でワルツを踊る。
その姿に、思わず笑みが漏れてしまう。不思議そうに優奈が尋ねてきたので、感じたままに答えると彼女は何かに気付いたような顔を見せた直後に少し俯いてしまった。
「私、前までだったら裕也さんと同じように感じてたのに……。今では何も思わなくなってしまった……」
無理もない。彼女は自分からこうなったのではなく、運命を押し付けられた。僕が想像できる苦痛を遥かに超えた痛みを、身にも心にも魂にも、そして彼女の未来にも刻み込まれた。優奈は世界のすべてを呪い尽くして飲み込まんほどの激流を抱えている。……それでも彼女はまだ人を信じたいとどこかで願っている。
「そうかな? 色々違うことが多すぎて戸惑っているだけじゃないのか? 無理に今すぐ元通り! なんて思わなくたっていいさ。僕だって、一年前のままだったらこんな風に思うことなんてなかったと思うしね」
そうだ。僕もたくさんの変化を受けて今ここにいる。だから優奈だって変われるに決まっている。それを端っから諦めるなんて事だけはしたくない。
「だから焦らずいこう? 優奈が良いならそれに任せるから」
歩きながら首だけ振り向いてみると優奈はまだ俯いていた。小さく何か呟いたのだが、小さすぎて聞き取れなかった。僕の言葉は生者の戯言に聞こえたかもしれない。それに対して憎しみを覚えたかもしれない。その逆であればうれしいが、どんな感情を彼女が持ったとしても僕はそれを受け止めよう。
しばらく二人並んで歩く。……ふと気付いた。女の子(と言っても所謂幽霊だけど)とこんな風に二人で歩くことなんて僕の生涯に一度も無かった。身近な所で高志がアキちゃんと一緒に居るところをよく見せつけられていたが、羨ましいと思った事はあまりない。さすがに煩わしいと思う事はないが、僕としては一人で居ることを苦痛に感じないし、積極的にカノジョカノジョと獣の目をしてコンパに出向く男達の心境が正直わからない。
はっきり言って優奈はかわいい。きっと彼氏が居ただろうし、別れたとしても引く手数多だったに違いない。でも今は優奈とコミュニケーションがとれ、彼女の姿を目にすることができるのは僕だけだ。そう思うと若干優越感が湧かなくもない。
しかしそんな浮ついた気持ちになる事なんて、これから先もないだろう。彼女は僕の罪のためにこうなった。優奈を閉ざされた輪から解き放つ事ができて初めて僕の本当の人生が再び始まる。
優奈が眠くなることもなく長閑に時間が過ぎていく。陽が高く上がり、そろそろ小腹が減ってきた。軽く何か食べようと思い、目についた喫茶店の扉を押しあけると耳触り良くドアベルが鳴り響く。時間帯が昼時だからだろう。結構繁盛しているようで、思ったよりも人が入っていた。入店した僕と目が合った店員さんが小さく会釈をし、目配せで少しそこで待っていてくれ、と伝えてくる。できるだけ早く注文を通したところで僕の方へと来てくれた。些細な事なのだろうけれど、お客さんを大切にしよう、と言うこの姿勢の一つ一つが気持ちいい。だが、次の瞬間、
「いらっしゃいませ。おひとり様ですね?」
頭を殴りつけられたような気がした。
……まただ。自分にがっかりする。結局僕は無神経で、知らぬうちに人を傷つけて回る。
僕の傍、すぐそこには優奈がいる。だけどこの世界の中で孤独に取り残された優奈の事に気付けるのは僕しかいない。存在を無視される事の辛さを考えたら、僕は決してこう言う店に入るべきではなかった。出ようかと思って左側に振り向くと、僕よりも頭一つ低いきれいな茶色の髪をした女の子が首を横に振る。……本当に何から何まで見透かされている。店員さんの方に向き直って、席は空いているか、とだけ聞いた。店員さんはぐるりと店内を観察し、窓側の二人掛けのテーブル席に案内してくれた。一つ一つの笑顔が心地よい。そう、彼には悪意は一切ない。これは僕が気を付ければ良いだけの事なのだ。
通された席についてカバーを付けたままのペットボトルを腰から外して対面の席の前に置き、出してくれたお冷に口にして、ふぅと一つため息をつく。
「……一人じゃないんだけどね」
ぽつりと呟いた僕の声に、空中に座って彼女の寝床にそっと手を添えていた優奈が顔を上げた。