「 」
玄関に入ってすぐ左にある結構広めの和室。そこに優奈の棺があった。白い布が掛けられ、花に囲まれる棺の傍らに座る、ずっと涙している中年の女性とあまりに沈痛な面持ちをした中年の男性。
……他人事だ。他人事なんだ。以前ならそう思い、そして言い聞かせられた。しかし、今の僕にはできない。息をすることも憚られる、そんな空気が目の前にある。
「パパ…… ママ……」
わずか数メートルの間で何度も挫けかけた意を決し、僕は二人のそばに歩み寄り、正座して二人に挨拶した。僕が彼女と同級生に見えない上、まったく面識のない二人は思ったとおり少し不審に思った顔をしたが、丁寧に二人そろって頭を下げてくださった。
「僕は…… 優奈さんの第一発見者です。ニュースで日取りなどを知りました……。すみません、見つけてあげることしかできなくて……」
そう。もしあの日、僕が声をかけていたらどうなっていたのか。今まで一例とて運命を曲げられた人は無い。でももしかして、本当にもしかして、奇跡的に優奈の「律」は変えられたかもしれない。
知っていたのに、何もしなかった。見つけただけ。
力不足の僕では導くこともできず、彼女は永遠の孤独の環に今も漂う。
そんな彼女の両親にどう声をかければ良かったのか。出来る限りの思考を回してみたが、僕が行き着けたのは余計な感情を省いて目的を伝えることだけだった。そんな僕に対しても優奈の両親は目を閉じて深々と再び頭を下げてくれた。
「あなたが……。いえ、いいんです。ずっと水の底にいるよりも…… 揚がってきてくれて、あなたのような人に見つけていただけたんですから……」
僕は、違う。苦しめた元凶が僕なんだ。だけど、それを言い出すことができない。
「……まだ全然信じられないんです。ありえますか? 私達夫婦は、優奈の顔すら見せてもらえないんです。この箱の中に居るのは優奈だと聞かされたのに。信じられるわけ…… ないじゃないですか。
見ては駄目だ。永遠に癒されない傷に苛まれることになる。
そう言われこの棺には窓も無く、釘で打ち付けられています。
見つけてくださったあなたはご存じなんでしょう? ここに居る優奈がどんな状態だったのか。
わかります。わかります……。見てはいけないと言うことくらい……
でも、わからないんです……
本当に優奈なの……?
優奈じゃない。優奈のはずがない。あの子が、こんな目に遭ったわけがない。
どれだけそう思ったことか……。
でも、ひと月も行方知れずで、真剣に探していただいた警察の方々から、残念ながら優奈だ、と言われ……。他に信じられるものが無い私達に、こんな酷い嘘を吐くはずがないんです。これが…… 現実で……
……
どうして優奈なんでしょう。他の人でも…… よかったのに……」
涙のせいで鼻声になり、詰まり詰まり本音を話す彼女の母と目を合わせられない。ただ頷くだけ。
「他の人でも良かったのに」
有ってはいけないはずの感情が、僕の心に突き刺さる。
「今日はお忙しい中どうも……。見つけていただき、本当にありがとうございます。
……この子は、たった一人の娘だったんですよ。その子を奪われて、これから何を支えに生きていけば……。
正直ね、許せません。何があっても許せるわけがない。
……優奈をこんな風にした犯人は、全員事故で死んだそうです。一人ではなく、何人も。何人もが寄ってたかって優奈を…… こんな……
警察の方から聞きましたが、相当無残な形だったそうです。
目を背けたくなるような現場だったと聞かされました。
……そんな風になって当然じゃないですか。
ですがね……
どんなに惨たらしく死んだとしても、許すはずがありません。
命を落としたぐらいで、こんな姿にされた優奈に顔向けできると思っているんでしょうか。
私達夫婦のたった一つの心の支えを奪っていった挙句、私達は復讐することすら叶わない……。
そんな連中の罪が、どうすれば一瞬の死で償えると言うんです……?
こんな酷い話が有ってたまるか……!
もっと苦しむべきだ……
何度だって殺してやりたいくらいです。この私、父親自らの手で……。
何度でも、何度でも……
何度でも…… 何度でも……
何故…… こんなに優しかった子が…… 何故……」
……
地の底に這いずるかのように深い、深い声。苦しい、そんな一言では納まらない。
僕はこの感情を否定するつもりはない。否定できようか。大切な、大切な、それこそ自分自身を省みることなく愛した者を奪われたのだ。
これ以上に無い悲しみが、行き場を求めている。
それが生み出す負の連鎖。この鎖が切れる日はいつまでもこない。それでもいいと思う。
……だけど二人の後ろを見ると、それにすら疑念を抱く。
「優奈さん、とても優しい娘さんだったんですね」
生前の彼女を僕は知らない。だが変性してしまったが今の彼女からでも十分に、以前からずっとそうだったと簡単に想像できる。もし僕が彼女をまったく知らなかったとしても、同じ言葉が出ただろう。
写真の彼女の笑顔…… それを見るだけでわかる。
右を向いて棺の上に飾られた生前のかわいらしい笑顔をたたえた彼女を見、二人に話しかけた。そして三人の方に向き直る。
今優奈は、僕の正面で寄り添うようにして座っている二人を水の羽衣で包み、首を横に振って、涙を流しながら二人の背中に抱きついている。
「だから…… そんなことを仰らないでください。お父さんも、お母さんも、わかってみえると思います。それを一番望まないのが、優奈さんなんだ、って……」
陳腐で、チープな、よく聞く言葉。それしか出てこない。だけど、そうとしか本当に言いようがない。
寄り添いあっている三人の姿を見ていると、自然に涙があふれ、言葉に詰まる。こんなにお互いを愛しているのに、それはもう、二度と伝わることがない。
せめて想いが通じてくれたら……
僕の祈りは、ただ、それだけだ。そしてそれは所詮他人事でしかない者の戯言だった。
「わかっています。わかってるんです。わかって、いるんです……
わかっているから、こんなに苦しい…… 何で…… どうしてこんな…… 優奈…… 優奈……っ」
もう、僕は口を動かすことすらできない。これ以上、何といったらいいんだ。教えてほしい。わからない。
……潰されてしまいそうだった。来なければよかった、そう思ってしまうほどに。
いつまでも続くはずだった。そんな日常が簡単に崩されてしまった現実。
壊されてしまったにもかかわらず、残り続ける慈しみと愛。
そして、それが強すぎるゆえ止まることを知らない鬱積と狂気。
言葉のすべてが飲み込まれ、ただそこに居るしかなくなる。
気付けば僕は目を閉じ、深く、深く頭を下げていた。そうしようと考えたわけではない。身体が勝手にそうしたのだ。
彼女達への、僕ができる最大限のいたわり。だが、この程度が僕の限界だ。
そして僕が今日ここに来た理由が、わかった。
優奈の為じゃ無かった。
……許してほしかったんだ。
僕がしたことを、わずかでも。
僕はなんて酷い奴だったんだ。
……自己嫌悪しか感じない。
裕也君と優奈ちゃんとYOU。三人の「ゆう」が揃いました。
後悔と懺悔の濁流に飲まれた裕也君は、レクイエムを手にどこまで立ち向かっていけば良いのでしょう。
悲しみ深く、重い第六章。これにて閉幕でございます。




