「嫌悪」
しばらくしてパトカーが一台やってきた。林の外で待っていた僕はそのまま二人の警察官を現場へと案内する。年配の男性とまだ若い男性の二人。水揚げされた黒いビニール袋を指し、確認してもらう。僕は少し離れたところで待つ。
ビニール袋を手袋をした手でめくり、ポケットから取り出した棒で麻袋の敗れたところを軽く開いて中を確認する。顔を顰めた年配の方が本部に連絡を入れるように若い男性に指示した。歯切れよく返事をした警官は帽子をかぶりなおして僕の脇を駆け抜けていく。ふぅ、とため息をついて年配の警官が立ち上がり僕の方に戻ってきた。
「驚かれたでしょう?」
「それは…… もう……」
覚悟を決めていたが、人の想像力なんて本当にちっぽけなものだと思い知らされた。どれだけ自分が考えている気になっても現実はそんな物をあざ笑うかのようにかき消してくる。そんな中で失礼だけれども、と断りが入り、簡単に僕の取調べが始まった。どこで発見したか、最初に見たときどんな状態だったか、見つけた場所から動かしていないか。どれも嘘をつく必要も理由もない。すべて見たままに話した。
……誰も優奈を見ることができない。岸に上がった袋を見つけたところからだけでいい。
若い警官が戻ってきて、三十分くらいで鑑識が到着すると報告する。こんな重大事件の発見者と言う立場に徹する僕はご協力願われ解放されることは無かった。
優奈の遺体を回収し、四週間も経っているから不必要にも感じる現場の検証を始めた。うっかり「四週間」と言う単語が口から滑り落ちないように極力無言を通す。そもそも、何か話すような雰囲気でも心境でもない。むしろその方が楽だった。僕は、優奈に何をしてあげられるのだろう。考えても考えても、僕の思考は袋小路から出てこない。
調査を続ける警察の人達を残し、僕は署に同行するためパトカーに乗せられた。
……久しぶりだ。前のようにかなり強い口調で問い詰められると思ったが、今回はなんだかマイルドだ。どうしてあの池に行ったのか、あらかじめ答えを用意しておいた質問をやっぱりされた。答えてみると、さらにどんどん立ち入った話をされていく。当然なのだが向こうにとっても何か矛盾点を感じることはないようで、とてもスムーズに話が流れていく。
池を離れてから移動時間、待ち時間を合わせて二時間くらいはたっただろうか。疲れた。僕が失礼を承知の上で一つ大きくため息をついたその時、僕の取調べを行っていた刑事さんのケータイに電話がかかってきた。小休止タイムと思ったのだが、すぐに話が済んで再開。
……刑事さんの顔色が何だかさっきまでと違う。何か冷たいような気がする。
「三岳さん、アンタ、今日まであそこに行ったことはないって言ってたね」
「はい」
「……アンタ、釣りは好きかい? 今朝行ってたりしてないかい? ああいう池みたいなところに」
「いえ? してませんし、滅多にしませんけど」
なんか質問が変だ。今回の件と関係のない僕の話題。過去に何度か現場に出くわし調書をとられたことはあるが、今までそう言う質問をされたことは無い。
「三岳さん…… ちゃんとホントのことだけ言ってくれよ。さっきの電話な、今朝の今朝まであの池で何も見ていないという情報だったんだ。毎朝散歩であそこに行く人があってな。イヌを連れて、だ。そんな人が知らん、そんなもの無かったって言ってるんだ。それなのにどうして昼になる前に出て行ったアンタが寄る時間に合わせたように都合よく浮かんで、それも岸辺にあったっていうんだ? まあ、袋が浮いていた、って言う通報なら分からなくもないが……」
「そんなこと言われたって…… 行ってみたらあった、としか……」
しまった、そうか、僕以外の人があの林に出入りすることだってある。しかも毎朝だって? ああ、そう言う事前の調査もしておくべきだった。今日突然あそこに行くからこそ僕に疑いが向けられないと思っていたのに。少し面倒な事になってきた。僕の無言が長く続くのに痺れを切らしたように刑事さんが言葉を継ぐ。
「……じゃあ、どこかであんな状態になるまで放ってあった物を、アンタが行くちょっと前に『誰か』が『置いて』いった、って言うことになるよな?」
「え……?」
「あそこらへんは車通りも人通りもすごく少ない。それに道は一本道だからな。車が通ったかどうかは意外とすぐわかるんだよ。三岳さんが来るちょっと前までに通った車はないそうだ」
「ちょ、ちょっとまって、いくらなんでもそんなわけ」
まずい。一番なってほしくない流れだ。
「三岳さん…… アンタが運んできたんじゃないのか?」
「だ、だったら車を調べてくださいよ! あんな水の入った袋のせたら、濡れたりしてすぐわかるでしょ? それに一人でできる重さじゃない!」
「袋ごと何かに包めば良い。ガイシャは小柄でおそらく女性とのことだし、それに水を入れるのは池についてからでいい。一人でできない事もないし、俺らが呼ばれて行くまでの間に包んでたモンを処分したんだろ? 燃やすとか、沈めるとか、埋めるとか。探せばわかるから指示してある。大きなポリ袋がありゃ、すぐできそうだ。違うかい? ああ、慌てなくていい。出てこなけりゃ違ったってことだ。待てばいいさ」
すごい。完全に僕が犯人になっている。ここまで苛立ちはなかったが、優奈が揚げてくれたと言う本当のことを言えない以上僕もすぐに次の手が思い浮かばず、少しずつ焦りを感じてきた。
「アンタなら簡単にできるんだよ。ちゃんと言いなよ? その方が面倒がなくていい」
「だから! 誰が好き好んであんな物、っ!」
……僕は今、何て言った?
挙動が不審に思われたっていい。僕は思わず後ろを見渡し、優奈を探した。
彼女はまだ起きていて、僕の左後ろのあたりに浮いていた。僕と目が合いさっきまでとは違う深い悲しみを浮かべて顔を伏せる。そんな彼女を前に、僕は目を背けるしかなく、喉の奥は締め付けられてそれ以上出てくる言葉はなかった。
なんてことを…… 言ったんだ……
僕が裏切ったから、この子は今も苦しんでいる。そうだと言うのに僕は……
さらにどれだけ彼女を悲しませたら気が済むんだ。
自分の無意識が許せない。僕の言葉が、彼女の心まで殺してしまう。
……
…
「ごめん……」
対象がいない。だが、その一言だけでも出さないと、胸が苦しくてたまらない。優奈はあのあとしばらくして休眠状態になった。ひょっとしたらしばらくずっと起きてこないかもしれない。
……いや、起きたらすぐにでも僕のそばから離れてしまうことだってありうる。
……そのくらい彼女を傷つけてしまった。
焦りだとか、苛立ちなんか理由にならない。
僕は結局逮捕されなかったが、疑いは持たれたままだ。だけど今のところ僕の話に矛盾があるところもなく、もともと任意同行で話だけ、ということだったから捕まってしまうことはなかった。 まさかあんな形で僕の方に疑いが向き、それを決定付けるために話が持っていかれるなんて思いもしなかった。この分だとあの遺体が優奈のもので、死後一カ月くらいと特定されたら問答無用で急転直下に僕が犯人になってしまう。
彼女が行方不明になったその日の僕のアリバイは完全にゼロなどころか、深夜に原付を借りに行ったりとか挙動が不審すぎる。不審すぎる怪我もしている。マズイ。しかも真犯人たちはすでに彼女の手で処分され、僕が自分の手で容疑を拭い去らなければならない。……できるだろうか。
「裕ちゃん、大丈夫? お母さん、ちっとも疑ってないわよ。当たり前じゃない。……前もそんなことがあったけど、結局違ったでしょ? 今はちょっとだけ辛い運勢に向いてるだけよ。事故にあってからね。
そんな時こそ、Keep your smileよ! 何にもしてないんだから、当然じゃない。いつも言ってるでしょ。
Take it easy! You’ll have god bless soon. So, don’t worry any more! てね」
……母が励ましてくれている。僕は傷ついてないから別に入ってきてくれても構わなかったのだが、扉越しだ。
今までずっと、誰かが支えて助けてくれていた。これからもきっと。
その境遇が、今は心に痛い。
そう信じていた人が報われず、そんなことを意識したこともなかった、当然だと思っていた自分は死なず生き返り、のうのうと日々を過ごしている。
そんな僕だったから、あんな言葉が出たに違いない。
ふざけるな。
言葉は心を殺す。だけど、言葉でしか癒せない。僕は彼女に触れられない。
僕の言葉で…… できるのだろうか。
裕也ママの実践英会話!
作中の英文ですが、和訳するとこうなります。
「気にしない気にしない! きっとすぐ良いことあるわよ! だから、心配しないで」
まあ簡単な日用英語ですので解説はいらないかも……
ともかく。自己嫌悪の真っただ中の裕也君はどうなっていくのでしょうか。