「無言」
困ったことになった。決意したことに揺るぎはない。この手で導けるもの、救えるものに対しては僕の出来る限りの努力をする。だけど……
「死神憑きのうえ、崇り神憑きか……」
本来共存しそうにないものが一緒に居る。一体なんだ。何なんだ。
敵視しあっているわけではないので、二人とも普段はとてもおとなしい。まあ死神の力を持たないYOUはもともと姿を現すことはまずないし、必要でなければ僕にだって話しかけてくることもない。優奈はたいていは休眠状態にあり、姿を消して水に溶け込んでいる。目覚めた時も彼女は僕の中に入り込んでいるわけではないので、僕の傍に浮いていたり後ろについて歩いていたりと、結構自由な状態だ。優奈がいつ休眠状態、あるいは覚醒状態になってもいいように水を入れたペットボトルを必ず持ち歩いている。うっかり飲んでしまいそうだ。
「優奈」とはあのブレイズの少女の名前だ。「ユウ」が三人になってしまった。奇妙なことだ。僕に憑いてきてから通常優奈は水を押し固めて造った鎧を身に着けていない。普段は水の羽衣だけを漂わせている。
彼女は僕のところに来るまでのおよそ一か月の間、鏡を見る機会が無かったという。なので家の姿見の前に連れて行ってみたが、やはり僕には鏡に映る彼女の姿は見えなかった。だが優奈には自分の姿が見えているらしい。自分の姿を見て、改めて涙した。その時鎧を解いて羽衣だけとなり、自分に付けられた痛ましい傷を覆っていった。すると驚くことに、生前のような傷のない姿に戻ってしまった。
……屈折を利用し傷を見えないようにしたようだ。気づけば彼女は簡単な衣服を身に纏っている。白地なのだが、時々虹色に輝く。水の羽衣の一部を加工し、光を細かく乱反射させてそうしたと言う。自分が裸の状態だったことを気にしたらしい。
扱える現象がどんどん複雑化している。シェイド、ブレイズとしての成長の証。しかし……
傷が消えて痛々しくなく、きれいな状態の彼女の姿を見た僕にとってはちょっと残念だ。
こんなかわいい子のきれいな姿を、男だったら見たくないはずがないじゃないか……
……でも当たり前ですね。ごめんなさい。
「ねえ、裕也さん。やっぱり私、自分の身体を外に出してあげたい……。たとえどんなになっていたとしても。パパとママのところに…… 返してあげたい」
僕に憑いてきて五日目のこと。今日まで優奈の遺体があがることはなかった。捨てられたのはあの用水池で間違いない。僕もそうしてあげたい。だが僕がそれを通報して捜索を頼んで本当に発見されたら、僕は一体どんな言い訳をしたらいいのだろう。
……超能力です、なんて馬鹿げている。それはそのスジ専門の人の役目だ。僕が用水池に遺体が沈んでいることを知るに至ったうまい筋書きを考えなくてはいけないが、行方不明からすでに四週間以上経過しているからそれも難しい。どうしてもっと早く通報しなかったのだ、とツッコまれたらまごついて、そのまましょっ引かれるのが関の山だ。
「……大丈夫。水の中のことなら、私が全部できる……。私が水の中から出して岸にあげるから、裕也さんはそこを見つけたってことにしてそのまま通報してくれたら……」
……本当に優しい子だったんだ。僕が困っているのに気付いてくれた。どうしてこんな子がこのような目に遭わなくてはいけないんだ。世の中のすべてを呪いたくなる。
だけど、僕の行動範囲からしてあの用水池に行くことなんてありえない。たまたま偶然、なんて理由にならない。僕が刑事ならものすごく容疑者扱いをして、細かく一から調べ上げるだろう。あそこの近くに行く用事なんて……。何か遊びにいけるような施設とかがあれば好都合なんだが。
地図で調べてみると、墓地があった。
……
そうだ、写真だ!
卒論の関係でお寺に取材に行った時に、墓地に行って直接お墓の説明を受けたことがあったが、資料としての写真を撮らなかった。何だか罰当たりな気がしたからだ。今もその気持ちは変わっていない。
……何かが写っても困るし。
だけど、これは使える。
切羽詰まった(泣)卒論の資料集め、近くの雰囲気も合わせての調査。
言い訳として絶好だ。
思い立った僕は、早速父の車を借りていった。アリバイ作りのために地図で見つけた最寄の墓地へ最初に立ち寄った。写真も撮ろうかと思ったがやっぱりそれは止めておく。代わりに墓石の配列などをメモしていった。何かの資料に使えるかもしれないし。使えないならそれでもいい。そして目的地である彼女の居る用水池の近くで車を止め、林に入っていく。あの日へし折られた木々はまだそこにあった。あの時は恐怖の象徴でしかなかった優奈は、今ではとてもおとなしく、祟りそのものとは到底思えない。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
優奈は浮遊したまま池の中心まで進み、両腕を開いて羽衣を水面に伸ばした。池には何の変化も見られなかったが、少しすると黒い何かが水面を揺らした。それがだんだん岸によってくる。着岸したそれを僕は水から揚げた。……非常に重い。
黒いビニール袋。その中に大きなものが入っている。……中に入っているものはわかっている。開けるのがこんなに怖い物なんて、今まで無かった。触れた時僕の手に伝わる、妙な弾力感。
……水の感触ではない。そしてその奥の少し固い手ごたえ。思わず優奈を見る。戸惑う僕の顔を見た彼女は、とても悲しそうな顔をして頷いた。
決心して袋の口を破り開ける。色の変わった水が流れ出した。思わず背筋が凍る。黒いビニール袋の内側にはさらに土嚢のような袋があって、歪な形をしていた。それを持ってきた大型のハサミで切り開く。大きく開け、中に外の光を入れてあげるとその中に居たのは、変わり果てた彼女。……四週の間彼女が居たのは、夏の水の中。傷みきっている。縛るのに使われたと思われるロープが一部身体に食い込んで、さらに酷い様子になっていた。覚悟していたのに、直視できない。
……とても本人の目に触れさせることなんかできない。
……
…
「もしもし…… 警察ですか……?」
すべて計画の通りに行動している。だが、想像よりもはるかに重い。かける言葉も無く、ただ計画の通りに行動している。
優奈は声を上げて泣いた。両手で顔を覆い泣いている彼女を見た僕は、反射的に彼女の肩に手をやった。
直後、僕は息を呑んだ。
……すりぬけてしまう。
彼女は僕を打ち据え、掴み上げ、踏みつけることができたというのに。僕はこの子が恐れ、忌み嫌うレクイエム以外で触れることもできない。慰めてあげることもできない。
そして次の瞬間、僕は伸ばした手を引っ込めるしかなかった。
「ごめんなさい…… パパ、ママ…… 本当に…… ごめんなさい……」
かける言葉が無い。いや、僕に言葉をかける資格なんか、ない。
励ますことも、慰めることも……
この現実を見せたら、彼女がどんなに苦しむだろう。
……そんな当たり前のことしか頭になかった。
だけど優奈の涙は、そんなものではない。
この子だけに留まらない、さらに奥に広がる人たちに突き刺さる悲しみ。
それを悼む、限りなく重い涙。
……まったく胸によぎらなかった。
今までだって、その当事者の悲劇を避ける事をずっと考えていた。それが周りの人達の悲しみ、憂いを取り去る最良の手段なのは間違いない。だけど、実際悲劇が起きた後の事を考えたことなんて…… 無かったんだ……。
こんな中途半端な僕が、この子を安らかな世界へ導いてあげることなんてできるだろうか。