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「禍神(まがかみ)」




 少女は眼下の人の群れを見下ろしていた。

 この中にいるはずの者を探していた。

 

 この街のどこかに存在するあの人間に対する生前の彼女の記憶。それすらあの者によって築かれた虚構でないのなら。

 今の彼女を、宙を漂い羽衣をなびかせるその姿を、彼女が失った日常に生ける者は見ることができない。誰にも気付かれること無く彼女は飛び続けた。頭上を舞い、雑踏の間を縫っていく。


……その姿に、誰一人、気付くこと無く。





 どれほど飛んだだろう。時折彼女を襲う抗いがたい眠気。河川や公園の噴水、そういった所は彼女にこれほどにない安息を与えた。ただ、一度眠りにつくと目覚めた時一体どれほどの時が過ぎたのか彼女に教えるものがない。


 日が出ているのか、月が出ているのか。それしかわからない。

 今日のようで今日ではなく、明日のようで明日ではない。

 彼女の居るところは全く異なる時間が流れ、彼女に残った人としての理性をやわらかく溶かしていく。



 金色に変わった、闇夜に浮かぶ彼女の瞳は無機質なものだった。温かくも、冷たくもない。果たして初めからそうだっただろうか。眠りにつくまでずっと監視カメラの如く眼下を捉え続けていた。

 彼女が独り漂うようになってから幾度の日、幾度の月が昇ったのだろう。もうすぐ日の光の前にその姿を晒すのを恥じていた月が、その姿を堂々と現す頃。彼女の目は見開かれ、動揺を映し出していた。



 見つけた。ついに見つけた。

 即座にそうする、と心に決めていた。魂に誓っていた。

……それなのに、できない。



 自分はこうなる必要などなかった。すべて押し付けられた痛み。それに復讐するはずだった。いや、せねばならない。

 それなのに……




 しばらく迷い、彼女は決めた。見失いかけた人物の後を宙から追いかけ、その者のやや後方の頭上を憑いていく。



……


 あれは何かの間違い。

 幼い頃から姉と慕った者がそんなことをするはずがない。

 自分をこのような姿にした張本人は、きっと別に居る。



……そんなありもしないわずかな期待を捨てきれなかったがために、苦しむ道をあえて選んだ。


 だがそれは所詮、彼女が見たかった夢。

 夢は醒めてしまうものだった。









 その日その人間のかたわらには誰も居なかった。一人で通りを歩いていく。口元を少し上げたその顔はそこそこ上機嫌に見えた。いつも見てきて、憧れた。こんな風に胸を張って笑顔で生きていきたい。その姿は今も変わらず、そしてそれ故彼女の心を締め上げる。

 溶けきることなく残っていた理性。人の証。初めから無ければ痛みを知ることもなかっただろうに。それが何よりも哀れであった。



 彼女が憑いた人間はそのまましばらく歩き、笑顔のままある建物の中に入っていった。彼女は狼狽した。この建物に、そしてその人間が入っていった先に見覚えがある。


 止まって動いていないはずの彼女の鼓動。そして呼吸。しかしそれが乱れた。


 間違い、あれは間違い。そう言い聞かせ彼女も地下へと潜る。



 入っていった空間にはあの時のように大勢の大人たちが居た。その中に居る自分と同じくらいの歳の一人の少女。傍らに居るのはスーツ姿の若い男性だった。言葉巧みに少女を和ませ、優しげな微笑が笑顔をさそう。安心しきった少女が飲み物に口をつけると、間もなくテーブルの上に崩れた。テーブルに突っ伏す少女の姿にかつての自分の姿が重なる。にわかにざわつき、大人たちに動きが出た。

 ある者はいそいそとテーブル、椅子を片付けはじめ、ある者は奥の部屋に行く。そして奥の部屋から持ち出された多数の道具を組んでいく。眠った少女と同じテーブルに着いていた男は少女を抱え起こして中央へと運び、手枷をつけた。

 この空間に居る大人たちの年齢は多様。若い者も、そうでない者も、男も、女も居る。その全員に共通していたのが、これからの事を待ち焦がれる満面の笑み。


 あの日の自分を見ているかのように錯覚する。宙に浮いたまま座り込み、両手で頭を抱えて髪を掻き毟り始めた。彼女の喉の奥から発せられる混乱の極みに達した叫びがこの空間に響き渡るが、誰一人として気が付かない。


 ようやく彼女は確信した。

 それを認めるしかなくなった。




 自分の痛みは、自分の死は、この空間では単なる娯楽。




 嗚咽とともに憂いた目から涙をこぼし、うなだれたまま立ち上がる。再び顔を上げた彼女の瞳には怒りの炎だけが宿されていた。どれだけ苦しみ、悲しもうと、その一切はここにいる物には届かない。彼女の結論が実行に移される。



 これらは生きている必要がない。




 力を持つ彼女にとって、破壊ほど簡単なものはなかった。彼女の感覚は知っていた。感じる方向に向かって羽衣を振る。突如として響き渡る轟音とともに壁が崩れ落ち、コンクリートに守られていた水の通路がむき出しになった。瓦礫の方へ左腕を伸ばし、てのひらを向ける。同時に金属製の管がすべてはじけた。


 あふれ出る大量の水。今この空間を満たすのは彼女の怒りと、そこから津波の如く押し寄せる混沌。


 何が起きたのか誰一人理解できるはずがない。唯一理解できるのは、この場に居てはいけないと言う生命の持つ本能からの訴え。だがそれを彼女は決して許さない。


 入り口を封鎖し、そこから始まるのは殺戮。


 溺死、圧殺にとどまらない数々の死。ある物は飲み込ませられた水によって身体を内側から食い破られた。ある物は気化熱で体温を一瞬にして奪い取られた。徐々に生命活動が低下し、時間をかけて死に至っていく。必死に扉を開けようとする物がいた。瓦礫の一つに水を纏わせそれで殴りつけて腕を潰し、水の縄で足を括りそのまま振り回して壁にぶつけた。二三度続けるとすぐに動かなくなった。それでも諦めない別の物が鍵と戦っている。今度は逆さ吊りにし、巻きつけた羽衣で手足を紙細工の如く一本一本引き千切っていく。失血しきるまで悲鳴をあげさせられた挙げ句、くびり殺された。

 彼女を見ることのできない彼らには、死に逝く者が水とダンスに興じているようにしか見えなかっただろう。ここにいた物が間際に発狂したとしても、何ら不思議はない。

 次々と作られる陰惨な姿を目にしても、それでもなお生き延びようと足掻き続ける物共。



 どうしてその気持ちを私に向けてくれなかったの?

 同じように怖かったんだよ?

 自分は怖いと思わないから、私に手を差し伸べなかったんじゃなかったの?


……いや、いい。もうこれらとは思考を重ねるだけ無駄だ。



 彼女は考えることを止め、ただ機械的に掃除をし続けた。

 外への出口の前に水の壁を作り出し、近寄る物は水の槍で蜂の巣にする。

 すべてに与えられる惨たらしい死。



 ただ一人、違う物があった。それは一人冷静で、無駄に動くことなく突破口がどこかにないか集中して探していた。初めはその物も何がこの怪異の原因になっていたのか全く見えていなかった。最後の一つとして残された時、いよいよ自分の番となっても絶望せず、むしろその状況に悦を見出し始めてきた時、それは何かに気が付いた。惨劇の中心にぼんやりと人影が見え始め、姿をはっきりとさせていく。


 短めのきれいな茶色の髪をした少女が羽衣を漂わせ、輝く鎧を身に纏う。


 見覚えのあるその在り得ない存在に意識をとられ、動きが止まる。闇夜に浮かぶ金色こんじきの瞳に変わった彼女と目が合った。


「ゆーちゃん……? まさ 」


 言い終わる前に、ぐちゃん、と潰れた音が鳴る。羽衣と共に壁に叩きつけられた女は鎖骨から下、へその辺りまでが平らになり壁に塗りつけられ、まったく動くことはなかった。






……すべてを終えた彼女は狂気に満ちたさわやかな笑顔を湛えていた。
















……




 その光景を想像するだけで恐ろしかった。

 ただ一人生き残ったのは、連れてこられた少女だけ。だが薬が切れ目を覚ましたその娘は、目の前に広がった光景を見て心が壊れてしまったという。しかしその事実すら僕の目の前に居る少女には何の後悔も与えていない。……連れてこられた少女は、彼女と違って生きているのだから。


 深い沼に沈み込んだ彼女の心は満たされていた。彼女が味わった恐怖、苦しみを、与えた物に分けてあげることができたのだ。









……私、コウナレテ嬉シイ。





……裏切ッタアノ女ニ復讐スルコトガデキタ。




 タクサンノゴミモ片付ケラレタ。







 ソレニ…… 同ジ目ニ遭ウ子ヲ、モウ出サナクテ良クナッタ。







 ダケド、コレカラハ ドウシタライイノ……?




 ソレヲ聞キタクテ、アナタヲ待ッテイタ……。






 この子はもうこれ以上力を無闇に振るうことは無い。理由や理屈なんてないが、確信できる。

 ならば、もうこれ以上この悲しい世界に居ない方がいい。


……だったら僕にできることは、これしかない。


「もう、力を使っちゃ駄目だ。君のその力は、あってはいけない力なんだ。僕が…… 僕達が導いてあげる。本来君が行くべきだった、魂の還るところへ」


 レクイエムを構える。途端に彼女の顔色が変わる。






 イヤ! 絶対ニイヤ!



 来ナイデ…… モウ痛イノハ…… 苦シイノハ、絶対ニイヤ!




「苦しくない! 大丈夫だよ!」




 信ジナイ…… ヤッパリ本当ハアイツラト同ジナノ……?


 アンナ風ニ優シク聞イテクレタノハ、嘘ダッタノ……? ソレ以上来ナイデ……



 ダメか……。この子は相当怯えている。不信感の塊だ。今導くことは不可能だ。もし強引に行ったとしたら、逆に僕が殺されてしまいかねない。それだけは避けないと。


「……わかった、しない」


 目を閉じたままかぶりを振って、レクイエムを消した。目を開けて彼女を見たが、不信感は拭われていそうにない。一体どうしたら導いてあげられるだろう。





 信ジナイ…… モウ誰モ信ジナイ……




 ダケド、私ニ気付イテクレルノハ……




 パパモ、ママモ…… キットモウ誰モ……








 泣き出してしまった。そんなつもりは無かったのだが。あー、本当に扱いにくいな……。どうして欲しいんだろう。




「ならば、憑いてこい。お前が見定めればいい」


 この閉ざされた空間に声が響く。


 僕は言ってない。彼女の声でもない。YOUだ。っていうか、僕以外にYOUの声が届くのか? 少女が顔を上げたところを見ると、聞こえているようだった。いや、僕の中にいるYOUの声が聞こえているんじゃない。気付いて手を当てると口が勝手に動いている。僕の口からYOUの言葉が出ているのか。


「この男が言っているのは本当だ。だがどうしても信じられぬというのなら、お前自身がこの男の行いを見て、判断すればいい」


―な、何言ってるんだ! この子、ブレイズなんだろ?!―


 おかしい、僕の声が出ない。口はパクパクと僕の意に反して動いている。おいおいYOU、いつの間にこんなことが出来るようになったんだよ! 念じまくって必死に抗議するが、YOUの結論は曲がらない。


「関係ない。幸い理性は保たれ、己から力を振るうことはない。もしもこのまま放っておき理性はおろか意思まで消失した場合、本当に手に負えなくなる……。俺達の管理下にあるのが最良だ」


―そうかもしれないけど…… でも―


 やはり声は出ず、YOUには念で語りかけるしかない。

 一人の人間から発せられている言葉なのだが、言葉と違って身体や表情は明らかに狼狽うろたえた様子で、意志と行動が伴わずちぐはぐでとても滑稽なことになっている。少女も気付いたようだ。





 アナタ…… 一人ナノニ、二人……?




……説明がややこしいことになりそうだ。頭をかきながらため息を一つつくしかない。とりあえずこの場所は行われていたことだけでなく、今では臭い自体で気分が悪い。


「場所…… 変えよっか」


 良かった、ようやく僕の思った通りに舌が動きだした。両手を上にあげて危害を加えるつもりはない事を示しながら非常口のランプがついた出入り口に向かって歩を進める。















「……それから、お願いだからYOUも僕の口を使って変なことを言わないでくれよ」


 わかった、と言う一言は結局得られなかった。心配事項が一つ追加だ。ため息が止まるところを知らない。









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