「邂逅」
お待たせしました。第六章のはじまりです。
軋みながらも動きを止めない運命の歯車。裕也君の懺悔はいつまでも続きます。
近頃本当によく外に出かけている。こんなことを言っているとまるで僕が引きこもりのように思われてしまう。まあ確かに部屋に篭ってPCの前に座らせていれば何時間だって平気だ。別に退屈することもないし、実際に数日家の外に出なかったことだってある。お母さんがご飯に呼ぶ時だけダイニングに降りて、ご飯の後は部屋に直行。そんな僕に仕事から帰って来たお父さんが「いい加減にしろ」と怒ったことがあった。……そりゃあ当たり前だ。今になれば分かる。あの時は反省の一つもなかったけど、本当にあの頃は僕の中の黒歴史だ……。実際のところ、外出することは嫌いじゃあない。雑踏の中に行くのは辟易してしまうこともあるけれど。
去年事故に遭って髪が黒くなるまでは、外出は別に苦行ではなかった。しかし僕の人生は一変。人ごみの中に入ることがこんなに怖い事だなんて、思いもしなかった。
遭遇したらどうしよう。
それが正視に耐えない事だったらどうしよう。
僕が手を下すところを見られないようにできるだろうか。
それに僕が巻き込まれたら?
万が一、それが知り合いだったとしたら……?
正直今だってすべてが僕の中で解決したわけじゃない。特に最後の項目。僕の最大の懸案事項はこれだった。
……だけど、考えていたってしょうがない。起きてしまったら、それに向き合うしか僕にはできないんだ。
運命を変えようとした。出来る限り回避出来はしないか、と。だけど今まで十件以上やって回避できた事例はない。一度として聞き入れてもらったことはない。そして、一つとしてどのようにその時を迎えるのか微かにでも分かった人は居なかった。
僕には分からない。運命を変える手立てが。YOUは相変わらず無駄なことだから止めろと諭す。「律」を変えるには莫大な「業」の力が必要なのだと。それこそ僕とYOUを入れ替え、レクイエムが初期化されてしまうほどの「業」の力が。僕一人の力でどうこう出来るような物では無い。そう言って僕を説得する。
だけど対象者が運命に気付くことで僅かずつの変化が起こり、その小さな粒が大きな流れとなって行き着く河口は初めと大きく異なる場所になる事があるかもしれない。
それを期待して、僕は無駄な努力を続ける。僕には無駄でいい。いつかどこかで誰かのために何か予測のつかないプラスの出来事につながれば。
そんな風に吹っ切ったころから外に出るのも大分気持ちが軽い。今日も電車の窓から景色を見ていた。見慣れた看板がたくさん目に飛び込んでくるにつれ、最近ぜんぜん行ってなかったな~、と懐かしさが胸に湧く。帰宅を急ぐ必要もないので途中下車。
ここはよく遊びに行っていた街。ふらふらとあてもなく歩いているうちにふと思い出した。十人以上もの死者が出た事件があったはずだ。ニュースで聞いて以来僕は何一つその続報を見なかったので詳細はまったく不明だ。だけどいずれそこにシェイドが現れるかもしれない。下見を兼ねてそのビルがどこにあるか調べておこう。もうすぐ日も沈むから少しだけ急ごうか。
……
…
そんなに時間はかからなかった。結構派手な事件だったからいろいろ話題に上るらしく、運試しもかねて立ち寄った宝くじ売り場でちょっと聞いただけでわかった。ところがどこにあるかだけ教えてくれるだけではなくて、やたらと売り場のおばさんが僕に話しかけてくるからたじたじだ。飲食店とニュースでは言っていたと思うが、そこはバーだったそうだ。
「まーねー、そこの店長さんがお若いのにずいぶんとしっかりしてみえて。物腰丁寧で親切な人だったのよ。若い人も、年配の人も、男も女も関係なしに人気だったのにもったいなかったわぁ……。ホッッントに残念。え? 詳しいな、って? やーねー。イケメンのいる人気店にいかないなんて、損としか言えないわよぉ。……そうだ、何ならお兄さんにもお兄さんが向いてそうなお店紹介してあげようか? そしたらお姉さん(笑)も常連になってもいいわよぉ?」
い、いえ、結構です。大分友達以外との接し方に慣れてきたとは言え、ここまでのレベルに達せるかと言われるととても自信ないです。それに接し方と言っても就職活動での受け答えがメインだから、純粋に接客となると厳しいと思う。引きつった笑顔を向けたまま、何かやたらと残念そうにしているお姉さん(笑)とお別れして教えてもらったビルへと向かう。
そこは雑居ビルだった。地上の部分にも他の事務所やら店やらが入っているのでビルの中に入ること自体は禁止されていなかった。地下への階段にはテープが張られ、立ち入り禁止にされている。今日の調査が終わったのか、それともはじめからなのか、見張りや警備の人はいなかった。
事故にしろ事件にしろ、ここではたくさんの非業の死があった。その魂がここに閉じ込められていたとしても、僕には見えない。居ることまでしかわからない。きっとYOUなら徒労に終わる無駄なことはするな、と忠告するだろう。だけど、この前みたいに何かできるかもしれない。
……それだけじゃない。何か、僕を引き寄せるものがこの奥にある。胸騒ぎにも似た不思議な感覚。テープをくぐって階段に足を踏み入れた。
瞬間、あの感覚が広がる。音が消え、妙な緊張感が漂うシェイドの領域。
まさかここで起きた事件は、シェイドによるものなのか?
だがここは僕達が大学帰りに寄っていく程度のところにある街だ。YOUが感知できる範囲内だと思う。ここ二、三週間の間も頻繁に大学に足を運んでいたのだ。なのにこれまでわからなかったとでもいうのか。それは考えがたい。
ならば答えは一つ。事故に巻き込まれた人の魂がたった今シェイドになったのだ。僕が今感じていたのは、その変性の瞬間なのか。
「違う……。気をつけろ、これは今発生したものではない。成ったばかりの不安定さが無い。俺にも今までわからなかった。俺達に気付き、領域を広げたのだろう。こんなことが…… あると言うのか」
YOUの感知を免れてきた何かがこの先で待っているだって? つまりここに居た人間を貪ったのは同じ人間ではなく、彼岸の住人。僕が相手にしなくてはいけないモノはただでさえ怪物だと言うのに、この先に居るのは僕の乏しい想像を上回る何か。背筋が凍る。だけど、逃げるわけにいかない。被害を広げることはできない。まして、僕たちなら救うことができる魂がいるというのなら放っておけない。
……そう決めたんだ。
広げた左掌に右手を添える。左手から現れた黒色の紋の刻まれた金色の柄を握り、腕を広げるようにして引き抜く。先端から中程までの辺りまでが桃色に染まった巨大な刃を持つレクイエム、僕の決意。持ち物である鞄に財布とケータイを放り込み、階段を下りたところにある店内入り口のドアの前に置いて、異界への門を押し開ける。……鍵がかかっていない。そのまま足を踏み入れた。
……
…
ものすごい湿気と異臭。あふれ出したと言う水は汲み出されていたが、まだ水溜りがたくさん残っている。確かあの事件から二十日近く経つと言うのにこんなに残っているものなのか。換気の悪い地下のせいか、この空間にはカビの臭いと何か腐ったような臭いが入り混じり、吐き気をもよおす。非常口の照明以外明かりがないのでほとんど真っ暗だ。こんなこともあろうかと、途中の百円ショップで買った小さな懐中電灯で照らして見ると壁に大穴があき、奥の配管がむき出しになっている。かなりの範囲だ。ニュースで言っていたように酷い有様。店内に居たほぼ全員が死亡したと言うのも肯ける。一体どんなシェイドがここに……?
歩みを進める。水溜りに足を踏み入れる度にぴちゃ、ぴちゃと足音が響き一層に不気味さが増す。耳を澄ませ、肌の感覚を尖らせる。何かのマンガで見たことがある。光がほとんどないのだから空気の動きだけでも感じなければ。
……そんな達人技、できるとは思わない。だがそんなこと言っている場合ではない。部屋中に意識を張り巡らせ、ここにいるはずのシェイドの襲撃に備えた。気を張り詰めたまま奥まで進む。広いホールの真ん中まで行ったあたりで一度足を止めた。常識が通用しない相手だ。背にしたその壁から襲われる事だってある。中央から全体を把握していた方が幾分か対処しやすいだろう。
どこだ……? どこに居る……?
本当ニ…… 来テクレタ……
不意に声がした。ビックリして懐中電灯を落としてしまった。だが、拾っている場合ではない。正面には何も見えないので急いで後ろを振り返る。レクイエムはしっかり構えた状態だ。今僕とYOU以外の声があるとすれば、その出処はこの空間の主。だが、声に敵意がない。
振り返った僕の目に映る声の主の姿。
うっすらと光った、透き通った鎧をまとい羽衣を漂わせる姿。
恐ろしいはずなのに、美しいと感じる神秘。
闇に浮かぶ金色の瞳をした、少し短めのきれいな茶色の髪の少女。
ついに見つけた。……こんなところに、居たんだ。
何故ここに居るのだろうと言う疑問が浮かぶ。そして同時に理解されるこの現場に彼女が居ると言うことの意味。僕が聞こうとすることがわかっていたのだろう。自分から話し始めた。
……
復讐を果たしたのだ。彼女を殺した者たちに。
ここが、彼女の命が奪われた場所。
この子はこの場で行われていたという不定期開催殺人パーティーの犠牲者。男女問わず、メンバーが連れてきた人を数々の方法で傷つけ、苦しめ、絶望しながら息絶えるのを観て楽しむ。警察に押収されていった物品にはそのための道具が多数あったという。水で小さなモデルを作って僕に見せる。その名称のほとんどを知らないが、使い方は想像できる。
……身の毛もよだつ。余りの不快感に内臓のすべてが反転するかのような感覚を受ける。
彼女の腹部に大きく開いたままの穴。これが本当に血の通った人間のすることなのか?
僕の怒りとも失望ともつかない葛藤を他所に、少女はどこをみているのかよく分からない目線のまま話を続けた。
彼女の空虚な両目にあるのは、人間と言う存在への失望、世界への呪い。
彼女の口から紡がれる出来事は、地獄の宴の終焉と、はじまりを告げる唄声だった。