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「発起」

 第五章のはじまりです。

 じわりと、すぐそばにある怪奇をどうぞ……


 十日くらい過ぎた日の朝。まだ左足はちょっと痛むが特に気になるほどでもない。幸い化膿することもなく、傷の治りもかなり良い。途中で一回再診に伺ったが、その時先生もいいねいいねと好感触だった。病院でもらった消毒用コットンで日々きれいに拭いて薬を塗って、言われたように飲み薬も内服してきたおかげだ。こんなに出されたのを見た瞬間は、過剰医療じゃないのか、と思いもしたけど、速やかに回復したのを体感した以上これが適切なんだと言うしかない。

 ベッドから降りて伸びをする。寝相があまり良くない僕は時々寝違えることがあるが、今朝は別に問題無さそうだ。爽やかに目覚めて気分がいい。よし、今日はゼミに行って先生のアドバイスを受けよう。大学はまだまだ夏休みだけど平日は朝から部屋にいて仕事をしているので、昼前までに先生のところに行けばいいだろう。朝食を食べに下階に下りるとすでに身支度を整えた父がテーブルについて新聞を読んでいた。テレビのニュースも流れている。

 おはよう、と挨拶して顔を洗って食卓へ。椅子を引いていつものところに座る。


 いつもの朝。


 僕が席に着くのを待っていた母が、今日はブレックファーストよ、と言ってお皿を並べていく。僕の家では「朝ごはん」といえば和食、「ブレックファースト」といえば洋食が出る。朝は母の独断で決まってくるが、昼時、夕食は僕たちも選択できる。具体的に料理品目が頭に浮かばなくても、洋がいいなと思えばランチ、ディナーと言えばいいわけだ。小さな頃からそれが普通なのだが、よそ様からしてみたらちょっと変わっている。

 オーブントースターでいい感じに焼かれたクロワッサンに、ジャムを付けてかじる。ちょっと朝の幸せを感じながら、ニュースをキャスターが読み上げているのに耳を傾ける。


「……昨夜、三須浪みすなみ市のビル地下にある飲食店で爆発事故が起こり、中に居た十四名のうち十三名が死亡する事件が起きました」


 なんかとんでもない事件が起こったんだな。っていうか僕らがよく遊びに行く街じゃん。行かなきゃ行けないだろうなぁ。


「この飲食店では不定期に貸切のパーティーが開かれ、昨日はそのパーティーが行われていたようです。現場にはガスなど火の気はなく、人為的に爆発物が仕掛けられていたものと考えられ、殺人の容疑で捜査が進められています。遺体には損傷の激しい者も多く、また店内のコンクリート壁が広範囲に崩れている事からも、相当量の爆発物が仕掛けられていたと思われます。爆発に伴い配水管、下水管から大量の水があふれ火災などの被害はありませんでしたが、溺水による被害者もあり、そのすさまじさを物語っています。無差別テロの可能性もあると警察からの見解が発表されていますが、詳しいことは現在も捜査中とのことです。

……次は夏真っ盛りの今、都内のある川に現れたかわいい珍客による騒動の話題です」


 ふーん、世も末だなぁ。世紀末でもないのに。こんな死亡事故が起きたらきっとシェイドが現れてしまうに違いない。現場が落ち着いたらやっぱり行ってみた方がいいだろう。


 それにしても、万が一この事件の犠牲者と遭遇していたら、僕もこの無差別テロに巻き込まれていたのかもしれないのか。そう思うとかなり恐ろしい。


 ところで僕の卒業論文はゴールが見えて、と言うより目標地点の設定ができて、そこを目指してせこせこと地道に積み重ねていっているところだ。指針ができたから前のような焦りは大分なくなった。余裕が出てきたら就職活動も再開しなくてはいけない。……返事のなかった会社からやっと通知が来た、と思ったら残念な知らせだったのだ。三次面接にまでこぎつけられただけでも奇跡だった、と慰めておこう。

……それにしてもどうせダメならもっと早くに言ってほしいものだ。今からがんばっても期待は持てない。ああ……、どうしたものか……。


 ゼミで先生の指導を受けたあと、実際調査してきたことを今までまとめてきたことに付け加え、考察を深めていく。今までは主に図書館で取り寄せた資料を中心にしてまとめてきた。だけど集まった資料の中には思ったようなものは少なかったように感じる。目を通してみて、僕が知りたい事とは何か違うと言うことも多かった。文献を集めてまとめることも大事だ。しかし郷土史料館やお寺とかの方が直接聞けて参考になった。何より、早い。

……前までは指針がうまく定まっていなかったから机の上でしかできなかった。でもこれからは違うぞ。やることが見定まったのだから行動に移せばいいんだ。

 ここのところほとんど毎日外に出ている。まるでそれまでずっとこもりっぱなしだった分を取り返すかのようだ。だけどまだまだ回り足りない。夏の間は調査を進めよう。


……外に出る、と言うことはつまり。



……



「いいですから、そう言うの」

「でも、少しで良いんです。少しだけ……」

「やめろって言ってんだろ! 話なんて聞く事ねえよ。高橋、行こう遅れちまうぞ」


 スーツ姿の二人の男が去っていく後姿を見送る。……これに慣れる日は来るんだろうか。だけど恥や外聞を気にしてはいけない。遠ざかっていく高橋と呼ばれた人に向かって大きく声を張った。


「お願いです! すぐ近いうちに何かがあると、それだけでも意識していてください! お願いします!」


 僕の声なんか全く聞こえない素振りで、上司と思われる男性の少し後ろについて、駅のトイレの姿見に映っていなかった高橋さんは足早に遠ざかっていく。どうしたらいいんだろう。これ以上積極的につきまとったとしたら、多分体格のいい隣の男性にボコボコにされる。それじゃあ結局見失ってしまうし、何もできないままになってしまう。仕方がないので距離を置いて二人の後ろを行こう。



 あの少女と出会ってから、僕は対象者を見捨てたりしていない。


……変えることができる運命ならば、痛ましい想いが減るのならば。


 そう思い始めて、対象者に直接接触することを試みだした。


 だけど受けるのはさんざんの罵倒か無視。そりゃそうだ。僕が対象者なら、絶対に取り合わない。どうせそのまま宗教やセミナーの勧誘になるんだろ? そう考えるのが一般的だ。前回は殴られそうになった。僕自身が不信に思っているのだから、そう言う対応が返ってくることも想定済み。なので直接拳をもらうことは無かったが、いつか手痛い思いをすることになるだろう。

 もっと具体的に分かれば聞く耳を持ってもらえると思うのだが、僕には共通した結果しか分からない。YOUならわかるのだろうか。だけど彼は僕のこの行動に協力的ではない。YOUには無駄な努力をするなと言われた。「律」を曲げることは出来ないと。


 生も死も、すべてが決められた「律」の中にある。だけど僕の死はYOU自身が曲げたじゃないか。それならば可能性が極めて小さいとしても、僕の努力が「律」に一太刀入れて曲げることができるかもしれない。


 死神としてだけでなく、人として救いたい。


 あの少女のような存在を、もう残さないために。


……僕がしているのは所詮は贖罪。僕自身のためのみそぎ

 それでもいいじゃないか。僕の苦しみを和らげるための行いが、誰か知らない人達の魂の安らぎを守ることに繋がるのなら。

 YOUがかつて言っていた「俺をも救え」と言う言葉。それはこの事を言っていたのかもしれない。だとすると、本当に苦しんでいるのは死者でもシェイドでもなく、死神なのだろうか?


……


 自身の苦しみから逃れるために人の死が必要なのか? 


……いや、よそう。そんな思考は。YOUが何を知っていて何を隠しているのかは、今の僕の与り知るところではない。






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