魔王を倒すと言って出て行った幼馴染がヤンデレになって帰って来ました
「ごめん。俺、勇者に選ばれたんだ。……だから、おまえとは結婚出来ない」
そう言って下げられたまるい頭を見つめて、アリーシャはそっと薬草茶に口を付ける。
そして睫毛を伏せて、穏やかな調子で口を開く。
「……帰って来てから結婚すればいい。私はいくらでも君を待てるよ」
「そういう訳にもいかないだろ。魔王を倒すまで何年掛かるか分からないんだし。それに、おまえは綺麗だから……やっぱり、俺なんかには勿体ないよ」
「でも私には君だけだよ?」
「……そう言って貰えるのは嬉しいけどさ」
彼が少し頭を搔く。そして自嘲気味に笑った。
「……俺、ずっと冒険してみたいって言ってただろ?アリーシャが居たら俺、おまえばっかりになっちゃうからさ。だから旅には連れて行けない」
「無責任な男でごめんな」
そう言って笑った顔の、眉が下がっている。
アリーシャは手を伸ばしかけて、やめた。
彼は一度自分の中でこうと決めたら変わらない男なのだ。
――そういう所が、ずっと愛おしかった。
「旅から生きて帰れるかも分からない。それなのに、ずっとおまえを待たせる訳にはいかないから……ごめんな」
「いいよ。君がどうあろうと、私は勝手に君を待たせてもらうとするから」
「いや、だから……」
言いかけて、彼は首を振った。
「……いや、俺がどうこう言う資格はないな。お互い、自分の考えを譲らないから。……俺は行く」
「ああ。行ってらっしゃい。気を付けてね」
アリーシャはひらひらと手を振る。
隣の村へにでも送り出すようなその気軽さに、ザックはぐっと唇を噛んだ。
黙ってくるりと踵を返したザックの背中には剣が一本と大きな鞄がひとつ。
扉が閉じて、静寂が訪れる。
アリーシャは目の前に残された薬草茶を見つめて、深く息を吐いた。
「……まあ、こうなる事は分かっていたけどね」
独り言ひとつ。
彼の分の薬草茶を飲み干して、アリーシャは何も変わらない顔をして立ち上がった。
帰って来た。
「アリーシャにつり合うように俺ももっと身体鍛えたりして変わらないとな。……君はそのままでいいって?はは、大丈夫だよ。どうせ中身は何も変わらない、俺なんだから」
――そう言って己の細腕を隠すようにしていた姿を思い出してから。
視線を元に戻すと、バランスよく筋肉の付いた身体を歪めた男がそこに居た。
彼はアリーシャの手を握って言う。
「アリーシャ……俺と、俺と結婚して。アリーシャが結婚してくれないと俺、死ぬから……っ」
「…………」
彼がこの村を出た日から数えて二年。瞳が長く伸びた前髪で隠されている。
しかし隙間から見えるその奥に、仄暗い、灯っているのかすら分からない程の淡いものが揺らめいている。
これは。アリーシャに向けた執――
「アリーシャ」
名を呼ばれる。
縋るように震えた手。クワではない、剣で出来た豆が引っ掛かるそれがどうしようもなく頼りない。
「ザック」
アリーシャは問い掛ける。
「何故、私を選んだ?君の周りには沢山の可愛い娘達が居ただろうに」
こんな辺鄙な村の森の中でも新聞は届く。旅の同行者は皆見目麗しい女子ばかり。仲間達との活躍が生き生きと綴られていた。
彼女達は皆勇者に夢中、とも。
彼が視線を彷徨わせたのが分かった。何か後ろめたいことがあるからではない。言葉を選んでいる時のザックの仕草だった。
彼が口を開く。
「女の子はさ、たしかに居たよ。皆可愛いし個性豊かで。俺の事好きだって言われて。……正直、悪い気はしなかった。だけど……」
掠れた声だった。
アリーシャは僅かに眉を寄せる。
女だらけの旅が大変だったのなら分かる。けれど彼の瞳の奥にあるものは、そんな軽い疲労ではない。
「魔王と戦った時。あいつを倒した瞬間にさ……変な術を掛けられたんだ」
その声に、空気が変わる。
「その時は何も無かった。でもそれから毎晩、夢を見るようになった。最初はなんてことない、ただの夢だと思ったんだ。けど……」
ぽつり。
「その夢の中で、おまえが死ぬんだ」
ザックは続ける。
「魔物に襲われて。病気で。事故で。助けてって叫びながら、何度も何度も……!」
アリーシャは何も言わない。
震える息が零れる。
「手を伸ばしても届かなくてさ」
ザックは笑った。
笑ったはずなのに、その顔は泣きそうだった。
「名前呼んでも、返事してくれなくて」
アリーシャはなるほど、とようやく理解した。
帰ってきた彼がおかしいのではない。
ずっと、壊れかけたまま帰ってきたのだ。
「ちゃんと、幻覚だって分かってたんだ。……それなのに」
自嘲するように笑う。くしゃり、と髪をかき上げて。
「毎日、おまえが死ぬのを見せられた。毎日毎日毎日毎日見せられて……だんだん、本当に起きる気がして」
声が擦り切れていく。
ザックは顔を伏せた。
「どんな怪我したって、どんなにしんどくたって我慢出来たのに。おまえが居なくなるのだけは、耐えられなかった。……怖かったんだ」
静寂が落ちた。
しばらくして、ザックは弱々しく笑う。
「だから、お前の手紙だけが頼りだった」
ザックは言う。
「宿でも読んだ」
「……」
「野営でも読んだ」
「……」
「雨の日も。怪我した時も。眠れない時も……」
ザックの声が大きくなる。
「擦り切れるくらい読んだ。一枚も捨ててない。今も鞄に入ってる。俺の。俺のもの……」
「…………」
恍惚としたその表情に、アリーシャは思う。
彼のこんな表情は初めて見たな、と。
「おまえの手紙が届くとさ。ああ、ちゃんと生きてるんだって。安心した」
「……そんなに、大したことは書いていなかったと思うけれど」
今日も薬草畑を荒らした鹿を追い払いました。
新しい薬を作りました。
村長がまた腰を痛めました。
――そんな何でもない内容。
けれど、彼にとっては。
アリーシャが今日も生きている証だった。
彼が笑う。
「それでも良かった。だって文末にはいつも、『私はいつまでも君を待っているよ』って書いてくれた。だから、帰りたいって思ったんだ。……おまえのところに」
「……!」
もう、帰らないかもしれないと言っていたのに。
やっと、彼は自分から手を伸ばして、アリーシャを求めて――選んでくれた。
彼は顔を上げる。
どこか壊れそうなほど真っ直ぐな瞳で。
「帰ってきたらさ。ちゃんと居た。……生きててくれた……」
その声は安堵に震えていた。
少し湿った、鼻を啜る音がして。
そして彼は、縋るように言う。
「……アリーシャ、俺と結婚して」
少し間を置いて。
「俺は魔王だって倒せたんだ。もう自信がないからっておまえを遠ざけたりしない。……頼むから、俺の見えるところで生きててくれ」
「……ザック……!」
アリーシャが返事をしようとした、その瞬間。
「勇者ぁ!」
「隠れたって無駄ですよー?」
「出てきてくださーい」
外からの声。
家の前に、三人の気配。
「……今のって」
「……仲間だ。もしかして、俺の事をここまで追い掛けて……」
「…………」
アリーシャは立ち上がった。
「アリーシャ……!」
呼び止める声を背に置いて、玄関へ向かい扉を開く。
そこには三人の女性が立っていた。
ひとりは燃えるような赤髪の剣士。
ひとりは金髪碧眼の神官。
ひとりは黒髪の魔術師。
全員、美人だった。
「あっ。あなた、もしかして」
魔術師が言う。
そして全員が、アリーシャの後ろにいるザックを見た瞬間。
「あっ、居た」
と同じ顔をした。
赤髪の剣士が腕を組む。
「勇者様ぁ?」
にっこり。笑顔だった。
なのに何故か空気が重い。
「私達が報告書を書いている間に消えるとは良い度胸ですね」
神官も微笑む。
「帰郷なら一言くらい残してくだされば良かったのに」
魔術師は眼鏡を押し上げた。
「捜索に二週間掛かりました」
ザックが後退った。アリーシャの背中に隠れるように。
「アリーシャ……」
「何」
「助けてくれ」
「どうして?」
「どうしてって……」
絶句してしまった。
三人が揃って深く息を吐く。
そして神官がアリーシャへ向き直った。
「申し遅れました。私は聖女のエリナです」
「魔導師のリリス」
「剣士のマリアだ」
丁寧な挨拶だった。
アリーシャも頭を下げる。
「顔を合わせるのは初めてだね。改めましてアリーシャです。どうぞ、よろしくね」
すると三人が顔を見合わせた。
次の瞬間。わっ、と三人がアリーシャに抱き着いた。
「きゃあ!やっぱりアリーシャじゃない!」
「ずっと旅の応援をしてくださっていた、あの!」
「ありがとう!君のおかげでウチら生きて帰れたんだよ!」
背後から驚きの声が上がる。
「な、に……?これは、一体……」
アリーシャは振り向く。
「どういう事って」
三人が口々に言う。
「私達、アリーシャさんとずっと文通してたの!旅の中で起きた事、全部書き留めて送ってさ」
「上級ポーションまで送ってくれて!あれほんとよく効いたよね!市場には絶対出回ってないくらいのいいやつ!」
「アリーシャ様の手助けが無ければ、私達は全滅していました。アリーシャ様は我々の命の恩人です」
アリーシャはそっとそれを肯定するように微笑む。
「えっ……も、もしかして、知らなかったの俺だけ……?」
ザックが呆然と呟く。
こちらを指す指が、震えていた。
アリーシャは首を傾げた。
「ザックからの手紙は来なかったけど」
「あ、あれは……!」
ザックがばつの悪そうな顔をして目を逸らした。
「……なんて返せばいいか、分からなくて。それにちゃんと生きて帰って、顔を見て伝えたかったから……」
「でも、ちゃんと書いてたじゃん」
魔導師のリリスが笑う。
ザックの口が開く。
「は」
「聞いてくださいよアリーシャさん。勇者、毎回アリーシャさんの手紙が届く度に三十枚くらい返事を書いて全部ゴミ箱行きにしちゃってたんですよ」
聖女のエリナも頷く。
「内容も酷かったですし」
「おい、待て。待ってくれ」
狼狽えるザックを見て、三人が顔を見合わせる。
悪い顔だ。
「『昨日はアリーシャを思い出して泣いた』」
「やめろ」
「『宿のスープがアリーシャの作るやつより不味かった』」
「やめろって」
「『旅よりおまえに会えない方がつらい』」
「もうやめてくれ!!!」
ザックが絶叫した。
マリアが肩を竦める。
「正直、最初はいいなーって思ってたけどさ、さすがにあんなの見たら諦めるよね。アリーシャさんのこと好き過ぎるって」
「こんな美人ならそりゃそうなるよ、私達なんてそこらへんの雑草と同じだわ」
「どれだけ誘惑しても迫っても躱されましたものね……。一途で素敵ですこと。お似合いですわ」
三人が揃って頷いた。
ザックは死にそうな顔になった。
尚も彼女達は続ける。
「旅の途中、美人に囲まれても全然なびかないし」
「王女様に求婚されても断ったしな」
アリーシャは首を傾げた。
「王女様の求婚を断ったの?王様にだってなれたかもしれないのに」
「俺が王様なんて務まるわけないだろ」
「舞踏会で踊った貴族令嬢は」
「社交が出来る気がしない」
「助けたエルフは」
「寿命違うし……」
「…………」
アリーシャは静かにザックを見る。
「ザック。私を選んだ事、後悔しない?」
「しない。お金も名誉も、何も要らない。……だから」
ザックが俯く。
握り締めた拳が震えていた。
「だから帰ってきたんだ。随分待たせてしまったし、もう俺に心は無いかもしれないけど」
声は小さい。
けれど昔よりずっと重かった。
「けど、それでも構わない。ただ、傍に居たいんだ。おまえを……心から愛してるから」
その瞳は、村を出る前とは違っていた。
傷付いて。考えて。壁にぶつかって。たくさんの人に愛されて。
そうして、真っ直ぐに、こちらを見つめていた。
アリーシャはしばらく何も言わなかった。
そして、
「馬鹿だな、ザックは。最初からずっと言ってるのに。『私は君をいつまでも待っている』って」
そう言って、微笑んだ。
「君が不安に思う事は何も無い。共に生きよう。私も君を、愛しているから」
「……っ」
ザックが息を飲んだ。
そして、笑った。
「ああ、ずっと一緒に居よう。ずっと、ずっと……」
リリスが拍手する。
エリナが感動したように両手を胸の前で組む。
マリアが指笛を鳴らす。
「おめでとう!」
「素敵ですわ」
「末永く、お幸せにー!」
祝福の言葉を浴びてザックが照れ臭そうに、しかし嬉しそうにアリーシャの肩を抱いた。
アリーシャは穏やかに返す。
「皆さん、どうもありがとう。結婚式には是非いらして下さい」
「もちろん!」
「どんな時でも駆け付けるから!」
「二人の子どもも楽しみにしてるね!」
「こ、子どもっ……!?」
ザックの顔が真っ赤になった。
旅の道中、色々な女性に会ったはずなのに。こういう初心な所は変わらない。
アリーシャはその様子を見てくすくすと笑った。
ああ、なんて。満ち足りた気分なのだろう。
三人の後ろ姿を手を振って見送りながら。
「良い子達だったね。彼女達との旅は楽しかったかな?」
そう言って振り向くと、ぐっと筋肉の付いた腕に抱き込まれた。
アリーシャは瞳を瞬かせる。
「……帰って来てから、随分と大胆になったね。そんなに寂しかったの?」
「寂しかった。……旅は楽しかったけど、俺はもうおまえが居ないとだめだから」
「ふふっ。そうか」
アリーシャは満足気に微笑んだ。
そして逞しくなった背中に腕を回して、そっと囁く。
「やっと手に入れたよ。……私だけの勇者」
「……ああ。俺のアリーシャ」
「っ」
彼がぐっと腕に力を込めた。
アリーシャは微かに眉を寄せる。
ザックが慌てて飛び退く。
「ごめん、強く抱き締め過ぎた……!?」
「ああいや。大した事ないんだけど、少し胸を怪我していてね。もうすぐ治るだろうし、平気だよ。それよりも早く家に入ろう。君の好きなシチューを作ってあげる」
「……!アリーシャのシチュー、久しぶりだ……!」
ザックに腰を抱かれて家の中に入りながら。
アリーシャは、ふっと、去って行く三人の方に視線をやった。
そして、くいと人差し指を動かす。
その瞬間。三人の姿が靄となってたち消える。
魔法のように。まるで、“元から存在していなかった”みたいに。
アリーシャはそっと己の胸を撫でた。
勇者の剣に刺し貫かれて出来た傷口が、すっと塞がる。
――ああ、これで全て元通り。
アリーシャは笑った。
「ちゃんと分かっていたよ。……最初から、こうなるとね」
「ん?何か言ったか?」
「何も。さあ、手洗いうがいだ。人間の身体は脆弱だからね。私の作った新作薬草茶を飲んで長生きしてくれたまえ」
「ははっ。アリーシャのちょっと風変わりなところ、やっぱり変わらないな」
二人の笑い声を閉じ込めて、扉が閉まった。




