表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【SS】ポーン

作者: しろみく
掲載日:2026/04/22

ポーン。シートベルト着用サインがオフになったことを確認して私は座席で軽く伸びをした。

大気圏を突破するまではまあまあ揺れたが今は全くと言っていいほどの凪の状態。宇宙空間というのは風や雨なんかがないからか穏やかでそして静かで真っ暗だった。そこに浮かび上がる青い地球が窓から見える。イヤフォンから聞こえていたキーンと言う音も聞こえなくなっていていよいよ宇宙に来たのだと思うとちょっとだけ感動する。

心身ともに健康であることが絶対条件の一世帯一回限りのニ枚切符を買って私はひとり火星へ行く。

勤め先では今まで皆勤だった私が突然の退職届を出したわけで、その理由を上司に話す時なんかは緊張したなあ。でも家族に火星行きを告げた時の方が大変だった。そんな危ない場所にわざわざ行く必要があるのかと上司以上に説教されたっけ。火星は昔と違って安全が確保されているし、そもそも普段は全く構って来ないくせにこんな時だけうるさいのはいかがなものか。別に帰って来ないわけじゃないんだしとそれらを半ば強引に置いてけぼりにしてバタバタと準備して今日と言う出発の日を迎えた。

出発用の小型宇宙船の中は飛行機と同じ仕様で、離陸時はシートベルトを締め衝撃に備える。乗員二十名ほど。日本籍の船だが、日本人でない人が半分ほどいるらしい。大気圏を突破すると三日ほどで月に辿り着き、月面基地での一週間の訓練期間を経て、それから本格的に宇宙を旅する為の船に乗り換えておよそ十ヶ月ほどかけて火星へ。


月での訓練では主に宇宙でのトラブル対処法を学んだ。火星への客船は宇宙生活に慣れた乗員と私たち乗客が乗ることになるが、有事の際はお互いの助け合いが必要になる。そして私たちはもちろん孤独の船ではなく、火星には行かないが月の訓練スタッフたちも遠く月面基地から私たちをサポートしてくれる。

最終日には船長の元宇宙飛行士山崎氏を代表とする今回の飛行に参加する全員での決起集会が行われた。

「我々はおよそ十ヶ月を共にするチームであり家族です。何か気づいたことやトラブルなどあれば些細なことでも遠慮せず申し出て下さい」

最後に乗客の私たちには小型のボタンが渡された。

「緊急の事態があれば今お手元に配布しました救援ボタンを押して下さい。すぐに乗員、サポートスタッフが対処しますので」

翌日、いよいよ火星へと旅立つ日。月では地球との個人交信が可能だったがここから先はできなくなる。地球の家族と連絡をとることはできない。火星旅行は安全をうたっているが不安になる家族の気持ちもちょっとは分かる。何せ火星は遠い。最後に、行ってきます、とメールして私はスマホを閉じた。

暗闇の先へ旅立つ私、と同じようにチケットを買った乗客たち。月にいる間に私たちはそれぞれ親しくなっていた。船長の言うように私たちはチームだ。

火星へ行く用の船は月に来た時よりもずっと大きいものだった。宇宙航行の際に必要な動力機関もさることながら、ちょっとしたスポーツ施設やリラックスルーム、展望台もある。それはいつか見た豪華客船のようだった。船長いわく十ヶ月も閉じ込められるのだからこのくらいの娯楽は必要らしい。


船内ミーティングを終え私はあてがわれた自室へと戻って来た。時刻は日本時間の午後九時前後。十時を過ぎると客室は消灯されるので、バタバタと寝る準備を済ませてベッドに横になった。シンと静まった船内。船が航行する音と振動だけが体に響く。

スマホは昨日更新したのが最後となり、新たなメールはもちろんニュースサイトやSNSも見れなくなっていた。

すること、ないな……。

ぼんやりと無機質な天井を眺める。そう言えばここまで一人きりの時間って今まであんまりなかったな。私は今時珍しい四人兄弟の真ん中子であまり両親に構って貰った記憶がない。一番下の妹が手のかかる子で実家はいつでも忙しなかった。大人になってから家を出て職場の社員寮や恋人の家を頼ったが、失業失恋の度に実家へと出戻りしていた。上の兄たちは実家を出ていたが、妹はいつまでも実家にいた。実家にいる時、私は父母と妹の間に入ることができなかった。何だか家族における余計なものだと言う気がしていた。

うん。あの家から逃げたかったんだ私は……。

ふと私の目の前を水の粒が浮かんでいった。


火星へと旅立って二日目。私は同じ静岡出身と言うことで仲良くなった柴田さんと朝食をとっていた。柴田さんも私と同じ独身で大学卒業後の就職に失敗し、以降職を転々としていた。話を聞くに彼女に落ち度があったのではなく、ただただ巡り合わせが悪いだけのようだ。

「地球に私の居場所はないと思ってる」

柴田さんはあっけらかんとそう言った。だから月面基地を囲む月都市での就職を本気で考えていたが、火星都市内にある日本領での開拓民募集の記事を見つけて火星へ行ってみようと思ったらしい。彼女は意外にもたくさんの資格を持っていて、野心に燃えていた。次こそは見返してやるんだと。

火星にも基地とまだできたばかりの都市がある。職にはまず困らない。柴田さんは特に。生活も保証されている。だから気に入ればそのまま移住して、戻りたくなったらもう一枚のチケットを使って帰ればいい。私たちは少し似ていて、ほとんど違っていた。

朝食のメニューは野菜サラダとパンケーキ、スープだった。もちろん無重力なのでそれらを固形に固めた宇宙食が出された。私と柴田さんは窓のあるテーブルで向かい合って椅子に体を固定してその固形をかじる。窓の外はただただ暗闇が横たわるばかりである。船医に聞いたのだけどだんだんとこれが寂しく感じるようになる人もいるみたい。と柴田さんが話す。どうなるのか分からないのはちょっと怖いよね。だから変化を記録しようと思う。地球から日記帳を持って来て毎日日記を書くと言う柴田さん。いいアイデアだと思うので私も彼女に倣うことにした。


「えー、今日は出発して三日が経ちます」

今やメモ代わりとしかならないスマホに私は音声で日記をつけることにした。一日の終わりにベッドで今日あったこと感じたことを記録するのだ。

今日はハワイ出身の若林夫婦と仲良くなった。二人は日系人で英語と日本語の両方が話せる。火星旅行へのチケットは一世帯二枚までなので彼らは地球に帰ることができない。夫婦は火星基地が順調に拡大していると聞いていてもたってもいられなくなったのだそうだ。夫婦は天体観測が趣味のロマンチストだった。人類初の火星ベビーを産むのだと二人はキラキラした表情で語ってくれた。

夢があっていいなあ。


火星旅行ニ週間目。船での会話は日本語と英語でされる。外国人ともお互いカタコトの言葉でコミュニケーションをとれるようになった。年少者同士は冗談なんかも言い合っててすごい。宇宙空間は暗闇だが居住区内は明るいし、地球時間に合わせて夜に向けて少しずつ暗くするような工夫もされていて不満はない。ただニュースがないのでお互いの出来る話を出し尽くしてしまうと会話がなくなってしまう。

人はどれだけの人生が、経験があれば語るに困らなくなるんだろう。

私たちは夜寝る前に集まってドリンクを飲みながら一日一人(組)ずつ話題を出すことにした。今日の話題は宝くじが当たったらどうするかと言うことになった。意外と楽しくて私たちは消灯時間ギリギリまで話し込んだ。


火星旅行三週間目。まだ三週間しか経ってない。私は自室に設えられたデジタル時計を見る。文字盤が暗い色ということはまだ深夜と言うことだ。午前三時、眠れない。そして起床時刻まで二時間しかない……。私はここ数日突然の不眠に悩まされていた。頭痛がする。

最近、暗闇の中に一人放り出された気分になる。仲間だと思っていたみんながそれぞれに事情があり必ず行きたい理由があることを知ると、何故かとても孤独を感じる。私だけ足場が無いような感覚。私は必ず火星に行きたかったわけじゃない。切実に地球に帰りたいわけでもない。どこかに居場所が欲しいだけだ。

火星旅行は何ならとんぼ返りしてもいいと思っていた。それで往復でかかる一年半強を潰すことができる。その間に次はどうしようか考えることもできると思っていた。もしかしたら家が恋しくなって、帰って、しばらくは楽しく過ごせるかも知れないとさえ思っていたのだ。


火星行きは二ヶ月目に入った。

睡眠時間が不規則になったせいで時間感覚がぐちゃぐちゃになってしまっていた。船医の所見によると宇宙船病と言う神経症らしい。この病の厄介なところは地球にも火星にも助けを求めることができない状況において明確な治療法がないと言うことだ。

宇宙旅行には緊急性の病気に対応できないと言う欠点があった。だから心身共に健康であることが乗船の最優先事項となっていたのだ。私は健康だったはずだ。地球に未練もない。なのに窓の向こうの暗闇を見ると何故かたまらなく寂しい気持ちになる。


三ヶ月目。

時間感覚が狂ってしまったせいで私は食事を摂ることができなくなっていた。摂るにしても一口か二口程度しか食べれない。私の体調を気遣った乗員が固形食を流動食のパウチにしてくれたけれど、喉に通すことができなかった。今は栄養失調でろくに動くこともできず栄養点滴をしてかろうじて命を繋いでいる。体の内側から何か針のようなものがチクチクと私を刺しているようだった。苦しい。

まだ火星には辿りつかない。最近、日記をつけることがひどく億劫である。


終わらない夜が覆い被さって来る。夜の闇は危険で何が潜んでいるか分からない。起きていると言うことが向こうに分かったらいけないから狸寝入りをするしかない。その時間はひどく長い。目前にある永遠の壁に途方に暮れ立ち尽くす。手を合わせ許しを乞うても返事は来ない。

もしかして私は死ぬのかなと思った。このまま食べれなければ、貴重な点滴が尽きれば打つ手はなさそうだ。先程お見舞いに来てくれていた若林夫婦の顔を思い出す。火星ベビーは祝福されるだろう。けれどそのレッドカーペットの裏で私はひっそり埋葬される。

火星で死者が出たという話はまだ聞いたことが無かった。だとしたら、

ああ。私……火星で最初の埋葬者になるんだ。

何となくそんなことが浮かんだ。写真で見た火星はゴツゴツとした岩山が多く、土は堅そうだった。誰も来てくれることがない場所にずっと埋まっているのはどうしようもなく寂しくて怖く感じる。

まぶたが重かった。私はゆっくりと目を閉じる。そこで初めて地球が恋しくなって泣いた。


メソメソしていると、ふと緊急用のボタンが頭に浮かんだ。使うことがなさそうだからとずっと枕元に置きっぱなしだった。

私、今まで他人に素直に助けを求めたことがあったかな。力になれることがあれば遠慮せずに何でも言ってね。そう言ってくれた柴田さん。どんな些細なことでもいいのでと言ってくれた、私たちは家族でチームだと言ってくれた船長さんや月のスタッフさんたち……。私は力をふり絞ってボタンに手を伸ばした。

誰でもいいから側にいて欲しい、手を握っていて欲しい。家族や恋人のように甘えたい。一粒の希望をすくい求めるように私の重い手はボタンを押した。

すると、ポーンとまろやかな音がした。


ポーンと耳に優しい音がして、私はシュミレーションカプセルの中で目を開けた。

「お疲れ様です。大丈夫ですか?」

少しまぶしい天井の灯りをさえぎるようにこちらに体を乗りだして月のスタッフさんが優しく声をかけてきた。そうして私は全てを思い出した。

「あ……助けてくれたんですね」

シュミレーション前に何かあれば押して下さいと救援ボタン渡してくれたスタッフさんだった。頭から恐怖がスゥッと抜けていって涙になってこぼれる。


医師から一週間の静養を言い渡され月で養生した私は残りのもう一枚の切符を持って飛行場へ。受付で切符を差し出すと、Return の文字が印字され返された。地球行きの搭乗口へ文字通り私は戻って来た。

私は逃げたくて逃げられるならどこでも良かった。新天地に夢を抱いていたわけでもなく。ここではないどこかを求めていた。だが火星にいける頑丈さを私は持っていなかった。シュミレーターは私のような人間をふるいにかける為のものだ。火星には強い人しか行けないようになっている。

人生、生まれなおすって難しいな……。

地球の実家を懐かしく思った。しかし行きとは少し違う、覚悟のようなものが私の中にあった。

「家は出よう。私一人分の居場所くらいなら地球のどこかにあるはず」

出発ゲートをくぐり地球への小型宇宙船に乗り込む。船内、乗客は二十人あまり。その中に柴田さんも若林夫婦もいない。他に仲良くなった人たちも。火星へ行く船と比べて窮屈な地球行きの船内は見知らぬ顔ばかりだった。

月の離陸は穏やかそのものですぐにシートベルト着用サインがオフになる音がする。

ポーン。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ