第5話 村の焼失と妥協
森の奥。湿った土の匂いの上に、焦げた匂いが覆いかぶさっていた。
火の粉が、夜風に吹かれ、赤い蝶のように舞っている。
燃えていた。村が――燃えていた。
リクは崩れかけた大樹の根に背を預け、遠くに揺れる炎を見ていた。
黒い夜空に、赤い舌が立ち上り、煙が渦を巻いて昇っていく。
あの中に、自分がひと月暮らした静かな村の姿は、もう一片も残っていない。
「……本当に、燃えちゃったんだな」
言葉は空気に溶け、誰の耳にも届かない。
すぐ隣、エルが膝を抱えて座っていた。
肌には返り血がまだこびりつき、銀髪には灰が絡み、指先は火照ったように赤い。
それでも、口元には笑みが浮かんでいた。
「だって、リクを異端って言ったよ。だから、いらないって思った」
胸の奥がひやりとする。
その声音は優しく、まるで小さな秘密を打ち明けるみたいだった。
「……あれは、“俺”のせいだ。お前のせいじゃない」
「ううん、違うよ。リクが泣いたら、私、壊れちゃうから」
視線を合わせられなかった。
言葉は柔らかいのに、その意味は底なしの暗さを孕んでいる。
彼女の中の「優しさ」が、どこか別の形に変質しているのが分かった。
⸻
数時間前のこと――
追手を振り切り、森を抜けたはずの二人に、聖騎士団の二次部隊が迫った。
村に火を放ち、混乱に乗じて侵入する。
「異端者の痕跡をすべて焼き払う」という名目の“浄化戦”だった。
炎に照らされた家並み。
泣き叫ぶ子どもたちの声と、燃え落ちる梁の破砕音が交錯する中――エルは迷わず走り出した。
燃える門前で、盾を構える騎士の腹を素手で貫く。
剣を振り上げた男の顎を跳ね上げ、無防備になった首筋を一撃で折る。
彼女の動きは剣よりも速く、鋭く、正確だった。
「もう、やめてくれ! 誰も殺したくないんだ……!」
炎の影の中、リクは叫んだ。
耳の奥で自分の声が反響し、焼けた空気で喉が裂けるように痛む。
けれどエルは、微笑んだまま首を傾げる。
「でも、リクを殺そうとしたでしょ?」
「それは……それでも……!」
言葉を重ねても、彼女の足は止まらない。
血飛沫を浴びながらも、全てを「リクのため」という一点で正当化する笑顔は――もはや人ではなかった。
そしてその時、焼け落ちかけた家の影から、村人たちの声が聞こえた。
「お前らのせいで、俺の子が……!」
「あんたらが異端だから、村が狙われたんだ!」
「神に見放された……化け物ども!」
嗚咽混じりの罵声が飛び交い、炎よりも鋭くリクの胸を抉った。
村で過ごした温かな日々が、一瞬で崩れ落ちていく。
(……俺のせいだ。全部、俺がRewriteなんて使ったから……!)
胸の奥が灼けるように熱くなり、リクは腰の小さなナイフを握った。
震える指先が刃を首元へと運んでいく。
これで終わりにすれば――エルも、村も、もうこれ以上傷つかずに済むかもしれない。
「リク……?」
エルの声が耳に届く。
刹那、リクは目を閉じ、力を込めた。
――だが、鋼は肉を裂かなかった。
手の中からナイフがふっと消えた。
開いた目に映ったのは、エルの白い掌。
その中で、ナイフは紙細工のように握り潰され、金属片に変わっていた。
「……っ」
あまりの光景に言葉を失うリクを、エルは怒ったように見つめた。
「リクがいなくなったら、私、壊れちゃうって言ったよね?」
潰れた金属片が、地面にからんと落ちる。
エルの声は泣きそうなほど震えているのに、表情は嬉しそうに笑っていた。
「だから、もうそんなことしないで。ね? リクは私のものなんだから」
⸻
現在。
リクは炎の向こうをもう一度見た。
あの村で、自分が受け入れられた日々。
畑を耕し、キノコを拾い、エルと笑った時間。
それらはもう、煙と灰の向こうに消えてしまった。
だけど――
「エル」
「うん、なあに?」
「……次は、誰も殺さなくていいようにしよう。俺が、隠れ方を覚えるから」
妥協だった。
理想も正義も遠ざけ、ただ現状をこれ以上悪化させないための言葉。
エルは嬉しそうに頷いた。
「うん、じゃあ、森の奥にね。だーれにも見つからないとこ」
「……ああ」
森の上空、炎の赤に混じって、星がきらめいていた。
その輝きは冷たく、やけに遠く感じられる。
リクの中で、何かが、静かに、確実に壊れはじめていた。




