第2話 Rewrite発動 後編
──Rewrite。
それは命を救ったのではない。
命の意味を、世界の理を、“書き換えた”のだ。
リクは震える手で、エルの手を取った。
血で濡れているのに、白く温かい。鼓動さえ感じられる。
もう二度と、離したくなかった。
たとえそれが間違った命だとしても。
たとえ、この先に取り返しのつかない代償が待っていたとしても――。
「リク、手……冷たい。ねえ、震えてる?」
「……少し、な」
「大丈夫だよ。私がいるから。ほら」
エルは、血の付いた手を気にも留めず、そっとリクの頬に触れた。
ぬるい鉄の匂いが鼻を刺す。
なのに、その仕草は痛いほど優しく、胸が締めつけられる。
「私ね、ずっとリクのそばにいるよ。何されても、何言われても、ずっと。
だって、リクが“好き”だから」
変わらない言い方で、変わってしまった重みを乗せてくる。
――この子は俺のために、なんだってする。
世界の書き方だって、ためらいなく変えてしまう。
森の奥が軋んだ。
血の匂いに誘われたのか、影が三つ、四つ。低い唸り声が近づいてくる。
「来るよ、リク。……ね、お願い一つだけ聞いてもらってもいい?」
「……なんだ」
「今度は、見てて。私が“どこまで大丈夫か”、ちゃんと見ててほしいの」
言い終えるより早く、エルは滑るように前へ出た。
踏み切りの音すら残さない。
闇から飛び出した影が、エルの横を通り抜けた――ように見えた瞬間、
影は胸の中心から花開くように裂け、音もなく崩れた。
一体、また一体。
刃のきしみはない。祈りの詠唱もない。
あるのは、短い呼吸と、淡い笑みと、破壊の静寂。
やがて、森は再び沈黙した。
血の匂いだけが濃く、土は暗く濡れ、夜の色を深めていく。
「見てた?」
振り返るエル。
血に濡れた頬、濡羽色のまつ毛の先に赤い滴。
それでも、目は笑っていて、ひどく幸福そうだった。
「……見てた」
「そっか。嬉しい」
うっとりしたように目を細め、エルは一歩近づく。
リクは反射的に後ろへ下がりかけ――足がもつれて、背中に冷たい幹を感じた。
すぐ目の前。
エルは片手を幹に添え、逃げる道を塞ぐでもなく、ただ距離を測るように立つ。
血の匂いの膜の向こう、かすかに花の香りがしたのは、錯覚だろうか。
「……怖い?」
彼女は、まるで宝物を覗き込むみたいに、リクの瞳の奥を探る。
怯えで微かに震える視線、速すぎる呼吸、そのぜんぶを愛でるみたいに。
「怖いよ。……でも、それ以上に、離れたくない」
自分でも驚くほど素直に言葉が出た。
吐いた息が白くほどけ、胸の奥に冷たく熱いものが同時に灯る。
「ふふ。ね? 大丈夫。私、優しいよ。リクには」
エルの指先が頬から耳へ、髪を梳くみたいに撫でていく。
優しさの形をしているのに、どこか抗いがたい支配の気配があった。
その二律背反に、心が引き裂かれそうになる。
……Rewrite。
これは世界を変える力じゃない。
“俺を変える”力だ。
遠くで、金属の触れ合う音がした。
鈍い刃と刃の衝突。規則正しい足並み。
祈祷の詠唱が風に乗ってこちらへ流れてくる。
審問騎士団――。
昨夜の討伐で半数を失ったはずの彼らが、なおも森を探っている。
血の匂いは、獣だけでなく、人も呼ぶ。
「リク、帰ろ?」
エルは何事もなかったみたいに手を差し出す。
小さく、白く、しかし、世界を上書きする指。
「……ああ」
リクは、その手を取った。
血の乾いたざらつきの下、確かな温度。
この温度を、もう失いたくない。
そう思った瞬間、胸の奥で何かが静かに、決定的に音を立てた。
もう戻れない。
でも、戻らないと決めたのは、他ならない自分だ。




