第16話 Rewrite神格候補
──翌朝。
空は、鉛色の雲に覆われていた。
夜明けのはずなのに、光は薄く、まるでまだ夜が明けきっていないようだ。
ひやりとした湿った空気が、廃教会の石壁を舐める。
小屋の粗末なベッドで、リクはゆっくりと目を開けた。
まぶたの裏に残るのは、昨夜の光景──黒衣の女が放った矛と、弾け飛ぶ定義の鎖。
「……夢、じゃなかったんだな」
枕元の天井は低く、煤けた木板が並んでいる。
だが、その木目さえも、今は何か別の世界の記述の一部に見えてしまう。
体は鉛のように重く、筋肉の奥で鈍い痛みがじわじわと広がっていた。
あの瞬間、自分のRewriteが──いや、それ以上の“何か”が、ラズを拒絶した。
あれは本当に自分の意志だったのか。
ドアの隙間から、紅の色が覗いた。
「リク、起きた?」
エルが顔を出す。
紅い花を一輪、耳に挿していて、微笑みは柔らかい。
けれど、その笑みの裏側に、薄氷のような緊張が張り付いているのを、リクは見逃さなかった。
「朝ごはん、作ったよ。……ちゃんと、普通のやつ」
手にした木の皿には、温かいスープと焼きたてのパン、ハーブを散らした卵焼き。
立ちのぼる湯気が、曇天の光に白く溶ける。
だが、皿を受け取るリクの指が、ふと止まった。
「……エル。昨日のRewrite、怖かった?」
「怖くないよ。……びっくりしただけ」
視線を外すエルの睫毛が、わずかに震えている。
そして、彼女の手元──細い指先から、赤い花弁が一枚、ふわりと生まれ、落ちた。
Rewriteと感情が共鳴すれば、エルの力は“花”を咲かせる。
それは美しい現象であると同時に、彼女自身が最も恐れる“暴走の兆し”だった。
(俺のせいで……)
喉が詰まる感覚。言葉が出ない。
エルが何かを言いかけた、そのとき。
「エル、下がれッ!」
ノアの鋭い声が飛び込んできた。
直後、壁が低い唸りとともに崩れた。
瓦礫と粉塵の向こうから、金属の球体が滑り込んでくる。
それは“観測球”だった。
表面は鏡のように滑らかで、どこからともなく冷たい光を放つ。
耳障りな低音の振動が、床板と骨を同時に震わせる。
「……やっぱり来たか」
ノアが剣を抜き、刃先を光にかざす。
その目は、かつての無感情ではなく、はっきりと警戒と怒りを帯びていた。
「神は、お前を“観測対象”に変更したんだ」
「リク、お前は……“神に登録された存在”になった」
「今後、あらゆる行動がRewriteとして記録され、世界に影響する。つまり──」
ノアの声が低く落ちる。
「お前は、もはや“人間”じゃない」
エルの瞳が見開かれる。
息を呑む音が、やけに大きく響いた。
「待って、それって……!」
「世界そのものが、リクを神格として定義し始めてるってことだ」
観測球が低く鳴動し、映像が浮かび上がる。
そこには、あの黒ローブの少女──ミレイがいた。
「おーい。見えてる? 神域のミレイちゃんです」
軽い口調。だが、その金の瞳は獲物を見定める狩人の光を宿している。
「リクくん。おめでとー。正式に、“Rewrite神格候補”に登録されました」
「これからの君の一挙一動が、“世界の記述”に影響を与えます」
そして、唇の端がゆっくりと吊り上がる。
「でもね──それ、“神殺し”対象にもなるってことだから。よろしく!」
ぱちん、と映像が途切れた。
残るのは、観測球の冷たい輝きと、重く沈んだ沈黙。
「……俺は、神になんてなりたくない」
リクは低く呟く。
喉の奥にひりつくような痛みがあった。
「ただ、エルを守りたかっただけで……」
ノアの視線が揺れ、エルの指先からまた花弁が零れかける。
(このままじゃ、リクは……)
エルは唇を強く噛み、そして言った。
「……なら、わたしがRewriteを教えてあげる」
「ちゃんと、制御できるように……私が、あなたを“人間に引き戻す”」
その声は震えていたが、そこに宿る意志は鋼よりも固かった。




